作品タイトル不明
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「殿下、少しお話が」
「もう休みはやれないぞ」
間髪をいれずに切り返されて、シリウスは一瞬怯む。
机に積み上げられた書類の山をかき分けて王太子の顔を窺うも、半分以上書類で隠れていてよくわからない。側近たちなど、もはや顔が見えない状況だ。なぜこの執務室だけこれほど忙しいのか。
わかっている。誰もやらないからだ。
過労死まっしぐらだが、今はその件ではない。
「違います」
「今度の王家主催の夜会も絶対参加だからな」
今度の夜会では、第二王子の婚約が発表されるのではないかと噂されている。そろそろ例の女性関係の悪評を払拭するために公爵家が動く頃合いだとは思っていたが、とうとう第二王子を王座につけるための行動を開始したわけだ。どこと手を結んでも王太子にとっては頭痛の種となりそうで、今から重いため息しか出なかった。
億劫でも公爵家の動向だけはしっかり把握しておかなければ、気づいたら王太子派全員冷たい土の下だった、ということも現実としてあり得るのだ。
本音を言えば社交などしたくはないが、さすがにこのまま多忙を理由に放置し続けるのが問題なことくらいは理解している。これもすべてユーリに引き継ぐまでの辛抱だ。ひいてはアナのためにもなる。
ユーリの母親の体面を保つためにもサフィニアに女主人の仕事はさせていないが、さすがに結婚しているのでひとりで夜会に出席するわけにはいかない。世間体的にもだが、シリウスの身の安全のためにもサフィニアにはそばにいてもらわないと困るのだ。
これまでの夜会で寄ってきた女性たちに何度媚薬を盛られたことか。下手したら死んでいる。
「夜会は心底嫌ですが、その件とも違います。……もしもの話なのですが」
「なんでもいいから早く言え」
「もし、私が過去にシスターを凌辱して子供を孕ませていたとしたら、噂が広がる前に殿下の側近は辞めておいた方がよいでしょうか?」
遠慮なく一気に言うと、室内がしんと静まり返った。
と思ったら、王太子が机に両手を、バンッ、とついて勢いよく立ち上がった。
「は? ……はぁっ!? 待て待て待て待て、全員手を止めてシリウスを確保、のち連行!」
シリウスは諾々と、側近たちに両脇を抱えられて王太子の執務机の前まで連行された。
てっきりそのまま騎士団に連れて行かれるかと思ったが、王太子はそのまま力なく椅子へとどさりと腰を下ろすと、両手で顔を覆ってうなだれてしまった。
「仕事のし過ぎで、とうとう、妄想と現実の区別がつかなくなったのか……? 俺の責任なのか……?」
なぜか精神状態が疑われているが、ここぞとばかりに側近たちが徒党を組んで立ち上がり、忙し過ぎると噴出する声が挙がった。過労死は他人事ではないのだ。
それには一切触れずに、王太子はシリウスについてのみ深く嘆いた。
「あのシリウス・バロウが! 純真無垢な乙女のシリウスが! そんな男たちの欲望をこれでもかと煮詰めたような妄想をするだと……!? 初々しいシスターを穢すだけでは飽き足らず、孕ますところまで妄想が捗るなんて……俺はおまえをそんな男に育てた覚えはない!!」
「あなたに育てられた覚えはありませんし、私を育てたのは我が家の執事長です」
王太子がなにを言っているのかよくわからないが、自分の発言が荒唐無稽で妄想じみていることだけはわかった。
「私だって清廉なシスターを仮定の話でも穢したくはありませんが、どうしても娘を実子という形にしたいのです。私と妻との間にできた子供という事実がほしくて連日連夜考えたのですが……やはりこの案では現実味がありませんか」
アナは間違いなくシリウスの実子ではない。だから実子であるという証明はできないが、実子であるという証言はできる。自分の子だと言い張ってしまえばいいのだ。
つまり真相がどうであれ、シリウスの主張が周囲から事実として認定されればいい。
限りなく真実に近い虚構は、もはや真実だ。
さらに証言を裏づけるそれらしい状況証拠を多数集めることで、嘘を補強していく。
まず第一に、シリウスは過去にサフィニアの地元に足を運んだという事実がある。王太子が王太子妃を連れ戻しに行ったときのことだ。サフィニアとニアミスしていればと思っていたが、出会っていたことにしてしまえばいい。それを証明できる人がいないことを、逆手に取ってしまえばいいのだ。
王太子妃を連れ戻すことに成功した王太子が盛ってそのまま数日宿の部屋から出て来なかったために、側近たちには交代で自由時間が与えられていた。シリウスはずっと宿の部屋にこもって体を休めたり仕事をしたりしていたのだが、それを証言できる人はいないのだ。
その時間をサフィニアとの逢瀬に使ったと言い張ったところで、側近たちですら反論はできない。なぜなら彼らは酒場に繰り出し、日頃の鬱憤を晴らすかのようにハメを外して浴びるように酒を飲み潰れていたからだ。近衛たちは王太子の部屋を固めていたし、そうでなくてもシリウスがどこでなにをしていようと、興味もなかっただろう。
アナの誕生日から身籠った日数を逆算すると少しズレが生じるかもしれないが、十月十日ぴったりで産まれる子の方がめずらしい。ごまかせる余地はきっとある。
あとはサフィニアの名誉のため、シリウスが劣情を抱えて徘徊して彼女を襲ったことにでもすればいいと思っていたのだが、どうやらその辺りの現実味が欠けていたらしい。
また一から考え直しかと肩を落とすシリウスに、王太子が渾身の突っ込みをかました。
「なんっっで、シスターを犯す方を選んだ!?」
「それ以外に思いつかなかったので……」
「どうせ創作なんだから、劇的に一目惚れし合って結ばれた、でいいだろうがっ!! 今すぐその辺の恋物語を読み漁って学習して来い!!」
そんな暇があるとでも思っているのだろうか。
「仮に劇的に一目惚れし合ったのだとしても、たった二、三日程度で、子供を孕むような状況になど、なり得るのでしょうか?」
「なり得るわ、愚か者!! シスターを襲うよりはまともだわ、大馬鹿者が!!」
「そうですか……」
「なんで腑に落ちないって顔なんだ! 誰でもいいからこいつの目を覚させてくれ……!」
シリウスの目は覚めているし、なんなら冷め切っている。
「純真無垢なシスターが、恋に落ちたとはいえ、そんな簡単に知り合ったばかりの男の誘いに乗るだろうかと疑問で」
「もういい、わかった!! そのシスターは……あれだ、人助けで身を委ねたんだ! 恋した男が媚薬かなんかを飲まされて、錯乱しかけていたからだ。これならどうだ? あり得そうなシチュエーションだろう。な?」
「なるほど」
やり切ったというように椅子の背もたれに全身を預けた王太子を眺めながら、シリウスはしばしその助言をふまえて熟考し直す。
それならばサフィニアは軽率な娘ではなく、身を捧げて人を助けたという善意の行動として体面を保つことができ、悪評を立てられることはないだろう。
「というか、おまえの妻は貴族の娘のくせにシスターだったのか? 妻が元シスターとか……背徳感がえぐいな。お堅い修道女ではなくシスターってところがまた……変態だったら泣いて喜んだだろうにな」
王太子の戯言は聞き流す。
変態ならばそもそも王太子妃はシリウスにサフィニアを推薦したりしなかっただろう。
少なくとも懇意にしていたサフィニアを薦めていいと思えるくらいには、シリウスは信用してもらえているらしい。
うざくて気持ち悪い王太子と同類と思われていなくてよかった。
地道に裏づけの証拠を捏造していく今の方針のまま、思考を王太子考案の新しい設定へと切り替えた。
方向性は定まったので、後は話の辻褄合わせのためにサフィニアとも話し合わなくてはならない。
なんとか日が暮れる前に帰宅したシリウスは、玄関のエントランスでひと息ついていると、上からアナの声が聞こえた気がして二階へと顔を上げた。アナはなぜか螺旋階段の一番上にいて、階下にいるシリウスに気づいたのか、小さな手で手すりを掴みながら、よたよたと危なっかしい足取りで階段を降りて来ようとするので、一気に心臓が縮み上がった。
すかさず背後から追ってきたサフィニアがアナの両脇に手を入れて抱き上げたので落下する危険は回避されたが、さすがに心臓に悪過ぎる。
「危ないから、あまり二階には連れて行くな」
「すみません……いきなり階段を登って行ってしまって」
ひとりで階段が登れるようになったことに成長を感じるが、誰かが見ていないときに間違って転がり落ちたらと思うと気が気でない。
いっそアナがもう少し大きくなるまで階段を封鎖した方がいいのだろうか。だが封鎖されたことで余計に興味を持ってしまうかもしれない。好奇心旺盛な子を持つ親はいつ何時も気が抜けないものらしい。
「パパー!」
高いところにいるのが嬉しいのか、アナはこちらへと満面の笑みで手を振る。しかしその拍子に、手に持っていたジェノベーゼがすっぽ抜けて、そのまま宙へと投げ出された。
「あ」
二階から弧を描き重力に従って頭から真っ逆さまに落ちて来るジェノベーゼにあわや大惨事と慌てたが、突如背中に装着されていた翼が空中で開き、風の抵抗を受け止めながらふわりと浮き上がったかと思うと、そのままのバランスを維持したまま緩やかにエントランスを旋回して、シリウスの足元に、ととっ、と降り立った。
「……」
シリウスが無言でじっとその姿を見つめていると、冷や汗をかいたジェノベーゼがごまかすように、こてんと横に倒れて見せたが、なんか飛んだし、ちょっと歩いた。
「……」
(いや、無事なら別にいいが)
どうにか自分を納得させたところで、ジェノベーゼの墜落事故を引き起こしたアナが盛大に泣き叫んで、エントランス全体を震わせた。あまりの声量に飾られていた絵画や壺が、カタカタと揺れる。
シリウスは慌てて奇跡の生還を果たしたジェノベーゼを拾って、階段を駆け上がった。
「ほら、ジェノベーゼは無傷だ。アナのつけた羽のおかげで無事着地した」
わんわん泣いていたアナは、傷ひとつないジェノベーゼを見て安心してまた泣いたが、しばらくして落ち着いたのか、目を真っ赤に腫らしながら両手を伸ばした。
「じぇのべーぜ、いきてる……?」
ジェノベーゼが生きているかどうかは永遠の謎だが、少なくとも破損はない。
「この通りぴんぴんしてる。だけどジェノベーゼもかなりびっくりしたはずだ。きちんと謝りなさい」
「じぇのべーぜ、ごめんねなの……」
アナとジェノベーゼが目と目で通じ合い、和解するのが見えてほっとしたところで、サフィニアが余計な気を利かせてジェノベーゼに声を当てた。
「『大丈夫だよぅ。でも今度からは気をつけてほしいよぅ』」
ジェノベーゼが、くわっとサフィニアに半眼を向ける。どうにもサフィニアへの当たりが強い。
「……それはそうと、アナ。勝手に二階に上がってはだめだ。誰かと一緒でないと階段は使ってはいけない。いいな?」
「ぐすたふも?」
また出たな、グスタフ。
「グスタフが何者かわからない以上、だめだ。今落ちたのがジェノベーゼだったから自力でなんとかなったが、アナだったら怪我をしていただろうし、最悪死んでいた。わかるな?」
「うんー……」
「二階に上がりたいのなら、執事長に頼みなさい」
サフィニアでは少し不安だが、執事長ならば安心だ。万一アナが階段から転がり落ちても執事長ならば身を挺して庇ってくれるだろう。伊達に全身筋肉でできていない。
「おにかい、ひつじしゃんと」
「そうだ。だが、二階には子供がおもしろいと思うようなものは特に置いていない。遊ぶのなら、絵本やおもちゃがいっぱいある子供部屋に行きなさい」
「パパ、あそぶ?」
期待に満ちた眼差しを向けられたら、嫌とは言えない。
「……少しだけなら」
「ぼくじょごっこ!」
結局小一時間牧場ごっこにつき合わされることとなった。