軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

28

ユーリへの手紙の返信に、アナとの婚約に関して正式な申請を国に提出していいかどうかの一文を書き加えた。

文面からなにかを察したらしい甥からすぐにふたつ返事で了承が来たので、シリウスは準備していた書類を早急に提出して、国の許可を得てアナとユーリの婚約を正式なものへと押し上げた。

これでよほどのことがない限り、アナの婚約に関しては他家から横槍を入れられることはないだろう。それがアナの実の父だとしても同様だ。国の許可を得るとは、そういうことだ。

最悪アナの親権を実父に奪われた場合でも、ユーリの婚約者としてバロウ家に引き留めることもできるし、成人してしまえばこの家の嫁として取り戻すことができる。

できればアナの父親を特定したいところだが、これに関しては難しそうだ。

サフィニアの両親が娘をどこの貴族の寝室に送り出したかがわかれば範囲が絞られるだろうが、正直に白状するとは思えないし、万が一外に情報が漏れればシリウスが妻の貞操を疑って極秘調査していると思われかねない。

それにアナの両親が本当に偶然出会って恋に落ちたという可能性もまったくないわけではないのだ。誰にも知られないように愛を育んでいたとするのなら、もはや調べようもなかった。

どちらにせよ、慎重にことを進めなければ。藪をつついて蛇を出すことになりかねない。

しかし現時点でできる限りのことはしておかなければ。

この平穏な日常を、失わないためにも。

**

ツインテールが最近のアナの定番の髪型になり、ジェノベーゼの背中には庭で拾った白い羽で作られた翼がうまいこと装着され、サフィニアは今日も今日とて、『ララとブラウニーの冒険』をひたすら音読させられている。

見ているシリウスは和むが、サフィニアの声が微妙に掠れているのが心配だ。

「――ララは言いました。『お父様、お母様。ララはブラウニーと冒険の旅へと飛び立ちます』」

サフィニアが読んだ部分を、アナも自分たちに名前を変換しながら一生懸命繰り返す。

「おとーしゃま、おかーしゃま。あなは、じぇのべーぜと……た、たかとび、ますっ」

なんか逃亡感が出ているが、とうとうアナが『お父様』を言える日が来たことに感動する。

「アナ、すごいじゃないか!」

抱き上げたアナはきょとんとしていたが、褒められたと気づくと笑顔になった。

「パパ!」

「パパではなく、さっきみたいにお父様と言ってみなさい」

「? パパ?」

「いや、だから。お父様だ、お父様。ララが言っていただろう、お父様お母様って」

「おとーしゃまはー、ららのなの」

「どういうことだ?」

「パパはー、あなのなの」

「……詳しく」

アナでは埒があかないのでサフィニアに解説を求める。

「ララの父親が、お父様、という名前の人だと解釈しているのかな、と……」

なんてことだ。お父様のお株をぽっと出のララの父親に奪われたということなのか。

「アナ。パパとお父様は呼び方が違うだけで同じ父親だ。ほら、ここに描かれている男女がララの両親ということはわかるな?」

サフィニアの隣に座り、膝に乗せたアナから見えるように絵本を大きく開いてもらう。

「ららのー、おとーしゃまとー、おかーしゃま」

「そうだ。私とサフィニアは、アナのお父様とお母様だ」

「ちがう」

否定された。なぜだ。

「ララの父親とアナの父親は、おんなじお父様だ」

「ちがうのー!」

「どこが違うんだ」

アナは身を乗り出して、ララの父親の顔に指を突きつけた。

「おひげ!」

「…………」

確かにララの父親には立派な口髭が描かれていた。

シリウスとの明らかな違いをアナに指摘されて、ぐうの音も出ない。

そっと口元に手で触れたが、体質なのか、シリウスの口周りは他人に比べてもすっきりとしている。

なにより髭に対して少しのロマンも持ち合わせてはいなかった。

しかしここで屈するわけにはいかない。

シリウスは人差し指で、ララの父親の髭を隠し、咳払いをして少し声を作ると、絵本に勝手な一文を足した。

「ララのお父様は髭を落としてしまいました」

ジェノベーゼがものすごい目でこちらを見上げてきたが、今はなりふり構っていられる場面ではなかった。

これで条件は同じだ。

「これでもララの父親は、お父様なのか?」

「おとーしゃま」

「なぜだ……。私とララの父親、ほかになにが違う……」

やはり本当の父親でないことが原因なのだろうかと思い悩むシリウスに、アナはにこにこしながら言った。

「いげん」

「威厳!?」

ララの父親は一国の王だ。一介の貴族でしかないシリウスが、威厳で敵うはずがなかった。

落胆するシリウスに気を遣ってか、サフィニアが慌ててアナに問いかけた。

「ママはどう? ママも威厳がないから、お母様じゃないよね? ね?」

「うんー。ママも、ママ」

サフィニアがちらちらシリウスの様子を窺いながら、ほっと肩を撫で下ろしていた。自分だけお母様の座を手に入れたらシリウスが今以上に傷つくと思ってのことだろうが、だからといってシリウスがお父様と呼ばれることになるわけではない。

(……母親に威厳は必要なのか?)

「アナ。ララの母親とママの、なにが違う?」

アナはララの母親とサフィニアを見比べる。彼女に関してはシリウスと違い、さほど差があるとは思えなかった。強いてあげるのなら、あちらの方がドレスが豪奢ということくらいか。

アナはサフィニアが困り顔になるまでじっと見つめて、やや首を傾げつつ、答えをひねり出した。

「い、いろけ……?」

「色気だと!? 誰だ、アナに変な言葉を覚えさせたのは!」

この屋敷にはおしゃべりをする使用人が多すぎる。アナは聞いた言葉を意味も知らないままとにかく覚えてしまうのだ。普段から上品な言葉遣いで話すように通達せねばならない。

「色気……」

サフィニアが地味に傷ついているので、犯人探しは後回しにしてフォローに徹することにした。

「色気などなくとも、ララの母親より、きみの方が綺麗だ」

慰めたはずなのに、なぜかもっとしょんぼりしてしまった。なぜだ。色気づいた女どもよりもサフィニアの方が清廉で美しいのに。

「ママねー、せんすがねー、いまいち」

娘からだめ出しを食らったサフィニアがショックを受けてうなだれてしまった。しばらく引きずりそうな心の傷を負ったのが見ていてわかってしまった。

「アナ。ママになんてことを言うんだ」

「あな、ちがうのー。めがみしゃま」

(なんて余計なことを)

「ママ、やぼたいねー、あかないねー」

野暮ったいと、垢抜けない、だろうか。いくら王太子妃といえど、辛辣過ぎないか。

「……い、いいえ、わたしが悪いのです。わたしが流行に疎いせいで、旦那様にも恥をかかせているのかもしれません……」

「今の流行って、妃殿下が着ているような、あのやたら胸元を露出させたり、体の線が出るようなはしたないドレスのことだろう。あんなものは参考にしなくていい。いいか、アナもだ。人前で肌を晒すような服は、バロウ家では今後も絶対に許さないからな」

サフィニアは元々シスターだったおかげで露出の少ない貞淑な服装を好んで着ているが、アナはなるべく流行りの子供服を着せるようにしていた。

今はいいが、将来的なことを考えると、それも見直した方がいいかもしれない。

「あな、けだましゃんのおふく、すきー」

「ああ、そうだ。毛玉さんの服が一番だ。絹は肌触りがいいが薄過ぎてだめだ。風邪を引く。アナはずっと、もこもこの服を着ていればいい」

毛糸さんの服ならば露出を限りなく減らせるだろう。なんて素晴らしい生き物だ、毛玉さん。

「そうだ。ママと揃いのポンチョでも作ったらどうだ? 今度城に呼ばれたときは、それを着て行くといい」

サフィニアにもアナにも、そういうおとぎ話の主人公のような服装が似合う。

「パパも?」

「私は男だからおそろいは無理だな。アナとママは女の子同士だからいい。わかるか?」

「じぇのべーぜと、おそろ?」

一瞬ジェノベーゼと目が合ったが、馬のぬいぐるみとなにをお揃いで仕立てればいいのかわからなかった。とりあえず茶色で統一すればお揃いっぽくはなるだろうが。

「また、王太子妃様に揶揄われそうです」

「言わせておけ」

「パパ、しつこそー、ねばねばー」

「ア、アナ! だめよ、そんなことを言ったら……」

サフィニアが慌ててアナの口を塞ごうとするが、すでに出てしまった言葉は戻らない。

「粘着質で悪かったな」

「違うのです、王太子妃様が旦那様のことを誤解しているだけなのです……」

シリウスとしても、なにかにつけて粘着気質な自覚はあるので、そこは誤解ではない。

サフィニアはアナの両耳を手のひらで塞いで、小声で囁いた。

「性格のことではなく、閨事に関しての想像だそうで……。もちろんわたしは言いました、旦那様は高潔な方なのでそのようなことはなさいません、と。王太子様と一緒にしないでくださいとはっきり言っておきましたので、ご安心ください」

残念ながら安心できる要素がひとつもなかった。

「きみは王太子の批判をしてきたのか? よく無事で帰って来れたな。誰かに聞かれたら首が胴から離れることになっていたぞ」

「いえ、王太子妃様のサロンでは王太子様の悪口を言わないといけない法律があるそうで」

シリウスの知らない間にとんでもない法律ができていた。

「げぼくしゃん、うざいー、きもいー、ばっちぃねー」

よく離婚されずにいるなと思いつつ、言葉の善し悪しがまだ理解できていないアナと真剣に向き合った。

「アナ。それは絶対に外では言うな。王太子妃のいるところ以外では、言ったらだめなやつだ。わかったか?」

「うんー」

「約束だぞ?」

「あな、いいこなの。おりこうしゃん」

ねー? とジェノベーゼと顔を見合わせて遊んでいる。

このままだとアナの失言で失脚しそうだ。

「大丈夫ですよ。アナは空気の読める子ですから」

「一度でも読んだことがあったか……?」

王太子に面と向かって下僕と言った娘なのに。

「子供なりにいい人と悪い人の判断はできているみたいで、自分を無条件に許してくれる人にしか、そもそも話しかけに行ったりしないのです」

本能的に感じるものがあるのだろうか。確かに見境なく話しかけに行っているようにも見えたが、いつもは無表情で近寄り難い雰囲気を持つ近衛も、戸惑いながらもきちんと会話してくれていた。

「それにアナは、神父様がおっしゃるには、聖女の資質を持っているそうで」

「聖女の資質? なんだそれは」

ナスラン聖教における聖女伝説のあらましは、にわか信者のシリウスでも知る有名な話だ。

聖女とは、世界の崩壊の危機にナスラ神によって異界より招かれた若い女性のことであり、神の御使いや聖獣らとともに、紆余曲折を経て世界を救ったとされている。聖典の中にある壮大な物語の中の、序盤にあるエピソードのひとつだ。

ナスラン聖教では死後、魂は神の御許に行ったのちにまた生まれ変わるとされており、聖女の復活を願う声は未だ多く、そのため教皇や枢機卿らに認められて正式に聖女の生まれ変わりとして認定されると、教皇に匹敵する地位を与えられると聞くが、それもあってか、毎年我こそはと名乗りを挙げる猛者が何人か現れるらしい。

どのような基準で聖女を選別するのかは一般人は知り得ないものの、サフィニアの神父様が聖女と口にしたのなら、それなりの根拠があってのことだろう。

もしかしてアナが聖女に祀り上げられたりしないだろうかと不安になるシリウスをそよに、そこまで深く考えていないらしいサフィニアは微笑みながら言った。

「たぶん、聖女様のように誰からも愛される子になる、という意味の祝福の言葉だと思います」

「……なるほど」

シリウスは常々、アナの周囲からのかわいがられっぷりはおかしいと思っていた。

今も大人の話に飽きたのか、室内をどたどた走り回りながら気ままにジェノベーゼを走らせているが、誰も彼もが淑女らしくないと咎めるどころか、微笑ましげに見ていくだけなのだ。執事長もシリウスの幼い頃はもう少しマナーについてうるさく言っていたのに、アナには目元を緩めるだけでなにも言わない。

聖女の資質についてサフィニアもあまりよくわかっていないようなので、もう一度きちんとした聖職者に見てもらって詳しい話を訊いておくべきかもしれないが、そのせいで変に目をつけられても困る。これ以上厄介ごとに巻き込まれるのは御免だ。

アナを見てもらうにしても、信頼のできる者でなければ。

そうなるとシリウスが思いつくのはひとりだけだった。

「エスター・クロウ神父を招いて、詳細を聞いたらどうだ?」

「え? こちらにですか?」

「懇意にしている司祭などを屋敷に呼びつけることはよくあることだ。困ったときにだけ神に頼る現金な者が多いからな。そう遠くに住んでいるわけではないのだから、ここに招くくらいならば構わない。兄みたいなものなのだろう?」

はい、とサフィニアは嬉しそうに微笑む。

「エスターにアナのことを紹介したいと思っていたのです」

「アナのことはなにも話していないのか?」

サフィニアは走り回るアナを気にしつつ、声を落とした。

「わたしからは、なにも。ですが、わたしたちが入れ替わっているときに、わたしはエスターのところに修行に出ているというアリバイ作りをお願いしたので、神父様からなにか伝えられていたかもしれませんが、その件で直接話をしたことがないので、わからないのです。一応姉とは少しですが面識はあったので……亡くなったことは伝えてありますが」

だから彼はあのとき冥福を祈ったのかと合点がいく。

「あちらの都合を訊いてからだが、近いうちに招けるよう準備をしておこう」

「ありがとうございます! 楽しみです」

家族のような兄貴分に会えば、アナの件で色々と不安を抱えているだろうサフィニアの気も多少は紛れるだろう。