軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

30

アナが寝静まった後、シリウスは牧場ごっこの疲労を抱えながらも、サフィニアをいつもの散歩に連れ出すと、王太子の考えた筋書きを話して聞かせた。

「アナはきみの隠し子だった、という形になってしまうが……」

アナを守るためには仕方のないことだとは言え、敬虔な彼女に嘘をつかさせなければならないことを心苦しく思った。

まさか使用人たちのあの噂通りになる日が訪れようとは思ってもみなかった。

もしかすると執事長は、こうなるとわかっていて使用人たちにあの噂を広めたのだろうか。

よくよく考えてみれば、シリウスが妻子に関心を持つよう仕向けるだけなら、もっと別の方法もあったはずなのだ。

執事長は元騎士だ。そうでなくとも、サフィニアの姉が殺された可能性について考えただろうし、そうなるに至った理由もある程度察しがついたことだろう。

サフィニアの姉を殺した連中がもしアナのことを知ったら……、と、あの執事長が考えないはずがない。

我が家の使用人たちは信頼できるからこそアナがサフィニアの姪だと周知したのだろうし、そうするのが最善だと判断したのは理解できる。サフィニアやアナに対しての疑惑をあらかじめ封じるとともに、最初は同情心からでも、ふたりに対して真摯に仕えてくれることを期待したに違いない。

ただその弊害にも気づいていたはずだ。

屋敷に出入りするのは使用人だけではない。どこに誰の手の者が紛れていて、虎視眈々と足を引っ張るための情報を得ようとしているか、考え過ぎても足りないのが貴族社会の常識だ。万が一のことを鑑みて、あえて下世話な隠し子説を流布することによって真実を隠してみせたのだったら……。

もちろん、あくまでシリウスの憶測ではあるが。

しかしシリウスがアナを実子に仕立て上げることまで予測して布石を打っていたのなら、畏れ入る。

サフィニアはそれなりに長い時間悩んでから、シリウスの嘘に合わせることに了承してくれた。

「姉のことを考えると申し訳なく思うのですが、アナのためを思うと、今はそれが最善だとわかるので……。わたしのことは心配なさらないで、シリウス様の思うようにしてください」

「ありがとう。アナには物事の判断がつくようになったら、真実を話すつもりだ。あの子には事実を知る権利がある」

本当は墓場まで持って行くのが正解なのかもしれないが、アナが実母のことを知らないままではあまりに悲し過ぎる。亡くなった彼女が浮かばれない。

「わたしたち、嫌われてしまうかもしれませんね……」

「奪われて殺されるような最悪の事態になるよりはましだ。……嫌われるのは、正直堪えるが」

アナの方が受けるショックは計り知れないだろう。そのときに支えてくれる人がそばにいてくれたらいいが。

「でしたら、わたしたちはあれですね。共犯者」

サフィニアの言葉選びのセンスのなさに苦笑する。

「そこは一蓮托生とかにしないか? それではまるで犯罪者だ」

「一蓮托生……それは、とても夫婦っぽいですね」

「夫婦だからな」

欠けはじめた月を見上げながらサフィニアの華奢な肩を抱く。

「神は乗り越えられない試練は与えない……だったか?」

「え?」

「前に言っていただろう?」

「あ、はい。神は乗り越えられる者にしか、試練は与えません」

「だったら、アナも乗り越えられるだろう。神がそう言うのなら」

「そう……ですね。きっと、そうです。アナにもそろそろ、聖典の内容と神への感謝の祈りを少しずつ教えていこうかと思っていたところですし」

「……そ、そうか」

果たしてアナはあの分厚い聖典の内容を覚え切れるのだろうか。

あまり期待しない方がいい気がする。

サフィニアに任せておいては知識が偏りかねない。アナの二世信者育成計画を真剣に考え出す前に話を変えた。

「今度、王家主催の夜会に一緒に出席してもらわなければならなくなった」

「わたしが、ですか? ダンスなど、踊ったこともないのですが、大丈夫でしょうか?」

「心配しなくても私はダンスが嫌いだとはっきりと公言しているから、踊らなくても問題はないだろう。もちろんきみが踊りたいのなら、一度くらいは参加してみてもいいが」

「きっと足を踏んでしまうと思うので、いつか、練習してからの楽しみにさせてください」

足を踏まれても平気だと言えるほど身体に自信はないシリウスだ。サフィニアにダンスの講師を探すべきかもしれない。

「わかった。それと、念のため出されたものは口にしないように頼む。グラスには口をつけるふりだけしておけばいい。私は過去に何度も媚薬を入れられた。いいか? 同性だからと決して安心はするな」

「わかりました。どちらにしてもわたしは元シスターですので、普段からお酒は嗜みません」

そうは言っても酒と知らされずに飲まされることもあるのだ。

サフィニアに危険が及ばないよう、シリウスが片時も離れないようにしなければ。妻を同伴することで擦り寄って来る有象無象が格段に減るので、これまでの夜会よりもその点では心穏やかに臨めそうだった。

「ぶとーかいっ! ぶとーかいっ!」

シリウスが目を覚ましたとき、いつもはぐっすり眠っているはずのアナがベッドの上で飛び跳ねていた。

誰が告げ口しているのか、アナの耳の早さは異常だ。

舞踏会の真似事なのか、ジェノベーゼの前脚を持って、ひとりと一匹で拙くダンスを踊りはじめたその姿はこの上なくかわいいのだが……。

「アナは留守番だ」

「やー!」

わかってはいたが、アナはごねた。ごねにごねた。頭をぶんぶん振りながら激しい抗議活動をする。

「いーくーのー!!」

「頭がおかしくなるからやめなさい!」

「やーなーのー!!」

頭を振りかぶったまま勢いよく背中から倒れたので慌てて抱き留めたが、アナは嫌がってシリウスの腕からもがき出ると、今度は腹ばいで手足をバタバタ動かして暴れはじめた。

駄々のこね方が激しくなっているのは、それほど舞踏会に行きたいという表れなのか、それとも成長したからなのか。どちらにせよ暴れ方が危険なことには変わりない。

今はベッドのふかふかの羽毛布団の上だからいいが、よそで暴れてどこかにぶつけると大変だ。頭を振るのはだめだときつく言い聞かさなくてはと奮起するも、アナはシリウスの言葉になどまったく聞く耳を持たずに、力の限り暴れている。

「アナ」

「やー!!」

癇癪を起こす子供にどう対峙するのが正解なのか。会話すらままならない。己の無力さを痛感しながら白旗を揚げて、サフィニアと選手交代した。

「わがままはだめよ、アナ。小さい子は行けないの」

「やー! あなもいくー!」

「絵本でも、悪い継母にいじめられていた女の子はお留守番だったでしょう?」

「……やー!」

(今ちょっと悩んだな)

「いじめられる令嬢ごっこをするチャンスよ?」

「…………や、やー!」

アナの心がぐらぐら揺さぶられているのが見て取れた。

さすが母親。サフィニアの手腕に舌を巻く。

(しかし……いじめられる令嬢ごっことは?)

暖炉の掃除でもするつもりなのだろうか。

ジェノベーゼと旅に出ると言い出さないだけましだが、その不謹慎な遊びは教育によくない気がする。

「執事長が一緒に留守番をしてくれるし、ジェノベーゼもいる。それにどうせ夜は起きていられないだろう?」

夜会の時間は、すでにアナの就寝時間だ。どの道起きていられない。

「ぶとーかい……」

「いいか、アナ。アナが舞踏会に行けるのは、早くても十六歳になってからだ。アナが十六歳になったら、婚約者のユーリが迎えに来る。それまで待てない悪い子は舞踏会には招待されないぞ」

「うぅぅ……」

目をうるうる潤ませて唇を引き結ぶアナに、シリウスの良心が痛む。なにか代わりになることはないかと考えて、ひとつ思いついた。

「……そうだ。もうしばらくしたら誕生日だろう? もしいい子で留守番できたら、アナの誕生日にはパーティーを開く」

「……ぱーてぃー?」

アナの目の奥に煌めきが戻って来た。サフィニアがすかさずアナを膝に抱き上げ、気持ちを盛り上げた。

「よかったね、アナ! アナが主役のお姫様のパーティーよ」

アナの目が溢れんばかりに見開いた。完全に誕生日パーティーに思考が切り替わったのが窺えて、シリウスはサフィニアと揃って深々と安堵の息をついた。ついでにベッドの上に落ちていたジェノベーゼも、こちらを見上げながらほっと胸を撫で下ろしていた。

「あな、おひめしゃま?」

「ああ、そうだな。お姫様みたいなドレスも用意しよう。アナの好きな、苺がたくさん載ったケーキもな」

「いちごしゃん!」

「苺にもさんづけなのか? なぜだ。あれはただの果物だろう」

疑問に思っていると、サフィニアが小首を傾げた。

「旦那様、苺は野菜ですよ?」

「……いいや、果物だ」

野菜に分類されてしまうことは知っているが、ほかの果物と一緒に盛られているのに仲間はずれにはできない。きっと苺だって自分のことを果物だと思って生きているはずなのだ。

「あな、いちごしゃん、すきー。パパも?」

「まあ、嫌いではない。アナは苺の絵でも描きながら、おとなしく家で待てるな?」

「うんー。あな、いいこなの。おりこうしゃん」

この娘はさっきまでの暴れっぷりをもう忘れたのだろうか。なんでもかんでも愛嬌でごまかせると思ったままでは、将来とんでもない小悪魔になる。すでに屋敷内ではかわいいは正義理論が罷り通っているのだ。

すっかり機嫌を直したアナは転がっていた相棒を拾って自分の膝に乗せた。そしてシリウスを見上げて、ことりと首を傾げる。

「おえかき、おしごと?」

「……画家になるのか? 画家になるのなら、絵を描くのが仕事になるな」

「あな、はたらきありしゃん?」

「……それは忘れなさい」

王太子妃のせいで、また変な言葉を覚えてしまったではないか。

「アナを妃殿下に会わせるのは悪影響な気がするのだが」

「ですが、アナも連れていらっしゃいと言われたら、置いて行くわけには……。それにアナもジョシュア王子と会えるのを楽しみにしていますし」

「まぶ?」

友人の名前に反応したアナをサフィニアが撫でる。

子供同士交流を深めることはむしろ歓迎すべきことなのだが、いかんせん、相手が悪い。なぜ王族なのか。

「それはそうだが……もっと頻度を減らせないのか? 次はいつ会う約束だ?」

「今日の午後です」

シリウスは眉を顰めた。いくら気に入っているからと言っても、さすがに人の妻を呼び出し過ぎだろう。

「あの人は暇なのか?」

王太子の愚痴を言える相手がサフィニアしかいないのはわかるが、そういう会合はせめて子供のいないところでやってほしい。

またアナが変な言葉を覚えてきたら、そのときはすべての元凶である王太子に八つ当たりしようと心に決めた。

アナの誕生日パーティーの招待状の作成を執事長に頼み、一枚はユーリに、そしてもう一枚はせっかくなのでエスターに送ってもらうことにした。

唯一の同世代の友人である『まぶ』ことジョシュア王子殿下もお招きしたいところだが、これはさすがに難しいだろう。

それにあまり多くを招いてもアナが粗相をする危険性がある。むしろ粗相をしない可能性の方が低い。身内だけで祝うのが無難だ。

アナの着るドレスを早いうちに注文しておかなければと考えながら、シリウスは働き蟻の如くちまちま働いた。もはや働き蟻根性が染みついている。

「殿下」

「なんだ」

「ここ、間違っています」

書類のミスを指摘すると、王太子が「だー!」と奇声をあげて机に突っ伏した。その拍子に書類の束が散らばったので、シリウスは黙って拾い集めた。

「ああぁぁぁ……もう無理だぁぁ……。脳が文字を拒絶してゲシュタルト崩壊を起こしている……」

「では数字で箸休めしてください」

数字でびっしりの書類を渡すと、王太子が目を剥いた。

「殺す気か!? なぜこの国には王族がこれほど少ないんだ! 仕事を押しつける相手もいない! 俺は将来のために、あと五人は子供を作るぞ!」

「別に構いませんが、もし今後産まれるお子様が全員女の子だったらどうするのですか? ひとり残らず嫁いでしまうと思うのですが」

「うっ」

「それにあなたの場合、娘が嫁ぐ度に仕事が手につかなくなる事態が想定されます」

「あぁぁ……」

「というわけなので、未来の子供に押しつけようとはせず、ちまちま働いてください。働き蟻のように」

拾い集めた書類を、どさりと机に置くと、王太子は諦めてペンを持った。

だがその口は相変わらず無駄話を垂れ流している。

「ああ……癒しがほしい……」

「庭から小動物でも捕獲して来ましょうか?」

「おまえ、小動物なんかでこの疲弊した心が癒えると思うのか?」

「小動物でだめなら、中型の動物にしますか? 私のお薦めは毛玉さんです」

アナの描く、綿のような毛玉さんからしか得られない癒しがある。

「毛玉さんってなんだ!?」

「毛玉さんは毛玉さんです。それよりも再来月の視察の予定ですが――」

「そんなことより毛玉さんの説明をしろよ!?」

「では業務後に」

「気になって仕事に身が入らん!」

「仕事に身が入っていないのは残念ながらいつものことです」

「癒しが、切実に、足りない!!」

「そうですか」

シリウスが適当にあしらうと、王太子は勢いよく立ち上がった。

そしてそのまま、逃亡を図った。

「なっ……!?」

「一時間休憩! 解散!!」

唖然とするシリウスとは対照的に、ほかの側近たちは諸手を挙げて歓喜した。

シリウスは嘆息する。

果たして彼らはいつ気づくのだろうか。

残業が増えるだけという虚しい現実に。