作品タイトル不明
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「休暇を申請します」
「ふぅん、理由は?」
「ポニーの買いつけに牧場へ行くためです」
「ふぅん、ポニー…………うん? ポニー?」
そこでようやく王太子が書類から目を離して、執務机の前に立つシリウスへと目線を上げた。
王太子の執務室では、今日も今日とて山ほどの仕事をこなす側近たちの中、シリウスはキリのいいところで席を立つと、直接王太子へと休暇申請書を提出した。
サインさえもらえれば休みがもぎ取れるのだが、そのサインをもらうのが最大の難関だった。
「なんか急に髪紐で髪を編んで洒落気を出すようになったと思ったら、今度はなんだって? ポニー? 最近どうした? キャラ設定迷走中か?」
シリウスがはじめて髪紐を結って登城したとき、みな一様に、なにか思惑があるのでは、敵を欺くための罠ではないか、嵐の前触れでは、と、戦々恐々としていたのだが、王太子だけは純粋にシリウスがお洒落に目覚めたと思っていたらしい。
「この髪紐は初デートの記念に、妻とお揃いで購入したものです」
シリウスが細い三つ編みに触れながら淡々と説明すると、ぎょっとした視線があちこちから向けられた。職務に関することは誰に訊かれようと貝のごとく口を閉ざす側近たちだが、この手の話題は普通に周囲と共有し合うので、午後にはシリウスの髪紐の話が城中に広まり尽くすことだろう。
「遅れてきた新婚こわっ」
「そう思った有象無象が近寄って来なくなることも目的のひとつですので、存分に怖がってください」
結婚したとはいえ、遊びでもいいからとシリウスを狙う獰猛な女性もいる以上、夫婦仲をアピールできる機会は存分に活用せねばならない。心の安寧のために。
「それ、自分で結んでるのか?」
「自分でもできますが、妻か執事長にやってもらうことが多いですね」
なぜ執事長、という疑問が聞こえてきたが、サフィニアがアナに振り回されているときに髪を結ってくれとは、さすがに気が引けて言えないのだから仕方ない。
執事長は有能な男だ。子育ての知識も豊富であり、アナにも、ひつじしゃん、と慕われている。
アナがあまりにもひつじひつじ言うので、最近は執事長が羊に見えるときがあって困っているが。
「人間ってこの短期間にこれほど性格が変わる生物だったか? 妻などいるかと言っていた男はどこに行った?」
「人間の生態についての論文を出している学者を招聘しましょうか?」
今のシリウスは他人よりも生物学者について詳しい自負がある。なぜならアナの家庭教師探しの過程で何人か名前が上がったからだ。
「いらん。で? ポニーはなんだ。ペットに飼う気か?」
「ええ。娘は馬が好きなので」
「いつの間に娘を溺愛するようになった……? やっぱり例の学者を招聘すべきか……?」
王太子はしばらく本気で悩んでいたが、周りにやんわりと止められて諦めたらしく、その隙を狙って休暇を許可させた。
「でもポニーでもまだ早くないか?」
「相性もあるでしょうから、まずは触れ合わせるだけです。本物を怖がる可能性もありますので」
「ああ、確かに。絵だとかわいいけど、本物はリアル過ぎて怖いって人もいるだろうな。ヤギとか羊とか、実際見ると目が怖いし」
羊を想像しようとして執事長の顔が浮かんでしまったシリウスはもう、末期かもしれない。
顔を両手で覆っていると、執務室の出入りのために誰かがドアを開けたのか、廊下から聞き覚えのある声が吹き込む風に乗ってシリウスの耳へと届いた。
「これ、おうましゃん」
「……いい馬だな」
「おなまえはねー、じぇのべーぜなのー」
「…………斬新だな」
シリウスは慌てて執務室から飛び出すと、警護のためドアの前に立っていた近衛騎士相手に、アナが馬のぬいぐるみを見せびらかしながら話しかけていた。子供の話など無視してもいいのに、困りつつもきちんと相手をしてくれていたその近衛騎士への好感度が爆上がりする。
いや、そんなことよりも。
「アナ! なぜここに……というか、ひとりなのか!? どうやって来た!?」
「あ、パパー」
馬の名前がジェノベーゼと聞いたときはうまく返していた近衛の彼が、シリウスへのパパ呼びには絶句していた。なぜだ。
「じぇのべーぜとねー? はしってねー?」
「ママはどうした? なぜ城にいる?」
外出着なのか、アナはピンク色の子供用ドレスを着ていて、もちろんその手にはジェノベーゼがいる。
アナはにこにこしながら、ふわふわしたスカートを揺らしてくるりと後ろを振り返るが、そこには当然誰もいない。
「ママ……?」
ようやく自分が迷子になっていたことに気づいたらしく、不安げに瞳を揺らし、もう一度ママを呼びながら、シリウスの足にしがみついた。
「ママ、まいご……」
「迷子は自分だろう?」
サフィニアが迷子にされたが、もはやどちらでもいいかと切り替えた。
「ママとふたりで来たのか?」
「ママとー、ひつじしゃん」
(執事長も来ているのか?)
今頃ふたりで必死にアナを探しているに違いない。
娘の相手をしてくれていた近衛の彼に礼をして、ひとまずアナを部屋の中へと連れて行った。
「急にどうし……って、なんだその小さいのは。拉致してきたのか?」
「娘です」
「「娘!?」」
「妻と執事長が迷子らしいので、少し探して来ます。それまでこの子を置いておくので、いなくならないよう全員で見張っておいてください」
シリウスは応接用ソファの上にアナを置き、目線を合わせて言い聞かせた。
「ママを連れて来るから、ここでジェノベーゼとおとなしく待っていなさい。いいな?」
「うんー」
ジェノベーゼ? という困惑の声がいくつか聞こえたが無視して、シリウスは執務室を飛び出すとサフィニアと執事長を探し回った。
城は中も外もとにかく広いが、許可なく出入りできない場所の方が多い。なので一般解放されたエリアを中心に探していると、すぐにふたりを発見することができた。
「サフィニア! 執事長!」
低い姿勢で壁と壁の狭い隙間を覗き込もうしていたサフィニアが、血の気の引いた顔で縋りついてきた。
よほど気が動転しているらしい。さすがにそんな紙しか通らないような隙間に、アナがはまっているわけがない。
「旦那様!! ア、アナが……!」
「あのお転婆娘は回収したから、安心しなさい」
「ああっ……! ありがとうございます! ありがとうございます!!」
不安でこわばっていたその体を労わるように抱きしめてやると、彼女はほっとして気が抜けたのか、シリウスに身を預けるように寄りかかって来た。
執事長もさすがに焦ったのか視界の端で胸を撫で下ろしている。
「ところで、なぜ城に? 執事長まで……なにかあったのか?」
「いえ……王太子妃様にお招きを受けた帰りなのです」
「妃殿下に?」
人脈がすごいなと思っていると、腕の中でサフィニアがほんのりと苦笑した気配がした。
「昔、教会で知り合いまして」
「なるほど……」
そういえば、サフィニアを探し出して来たのは王太子妃だったか。元々知り合いだったからこそ、シリウスにサフィニアを薦めたのかもしれない。
しかしそれは今考えるべきことではない。
とにかく今はアナだ。ひとりで泣いていないかも心配だが、なにかやらかしていないかと不安が募る。
シリウスはサフィニアと執事長を連れて執務室へと急いだ。
シリウスが執務室に戻って来ると、予感は的中していたのか、王太子がアナに渾身の突っ込みをかましているところだった。
「どっから出て来た、グスタフ! 誰だ!?」
「娘が怖がるので怒鳴らないでいただけますか?」
そしてまた出て来たのか、グスタフ。
何者なのか知りたいのは山々だが、何度訊いたところでアナからまともな回答は得られないことはすでに実証済みだ。
「あっ、ママー!」
ソファからうんしょと降りたアナはサフィニアの元にとたとた駆け寄る。サフィニアは一度ぎゅっと娘を抱きしめてから体を離すと、安堵の表情を綺麗に消して真顔を作った。
横で見ていたシリウスでも身震いするような、生真面目な顔だった。普段おっとりほのほのした雰囲気だからこそ、こういう表情をされると凄みがある。
「アナ。お出かけ前にママとお約束したことを、ちゃんと覚えている?」
「あ……、おてて?」
「そうね。絶対に手を離さない、走らない、言うことを聞く。そうお約束したわよね?」
「じぇ、じぇのべーぜが……」
「ジェノベーゼのせいにしない。お約束を守れない子は、一生お家でお留守番です」
「やー!」
「悪い子は二度とお家から出しません」
うわぁぁん、とアナが大泣きするのを、おろおろとするしかないシリウスと、なぜか側近たち。
王太子がちょっと面倒そうにため息をついて、アナへと助言した。
「とりあえず、素直に謝っておけ。謝ればそのうち許してくれるだろう」
「ごめんなしゃいぃぃーー! ひらにー! ひらにぃぃぃー……!!」
アナが泣きながら謝る姿を見ながらシリウスは首を捻った。
「そんな言葉、どこで習った?」
絵本かなにかだろうか。まさか屋敷の中でそういうやり取りがあったのだろうか。ひらにご容赦願ったのは果たして誰だったのか。ミスをした新人とかだろうか。
シリウスはそれ以外は口を挟むことなく、叱られている娘の様子をそばで見守っていたが、アナがどれだけ泣き喚こうがサフィニアは許さなかった。説教はまだ続きそうな雰囲気を醸し出している。
サフィニアが叱るのも理解できるのだ。無事見つかったからよかったものの、子供がひとりで迷子になって遭難することが笑えないくらいにはこの城は広い。
それに子供を連れ去る輩がいないとも限らないのがこの世の中だ。なにせシリウスは敵が多い。大臣たちからは目の敵にされている。
まだ周りがアナの存在を知らないからいいものの、人質としての価値は十分にあるのだ。
シリウスは一応父親として自分もひと言くらい叱るべきか迷っていたが、アナの泣き顔を見て尻込みをした。すでにこれほど泣いているのに、なぜさらに泣かせて嫌われなければならないのだろう。
仕事においては、そういう役回りはシリウスの専売特許的な部分はあるが、大臣たちや役人たちにするから意味があるのであって、娘にしたところでシリウスの株が下がるだけでなにもおもしろいことはない。
ただでさえパパという名前の人としか認識されていないのだ。これ以上親子間に溝を作る必要がどこにある。
ということで、シリウスはおいしいところだけを搾取するべく、ぐすんぐすんと涙をこぼすアナを抱き上げると、べたべたになった顔をハンカチで拭ってやることにした。
サフィニアが物言いたげに見ていたが無視した。
「もう泣くな。ジェノベーゼも心配してるぞ」
「じぇのべーぜも、ごめんなしゃいなの……」
たぶんジェノベーゼはなにひとつ悪いことはしていないだろうに、アナに謝罪を強要される姿は哀愁を帯びていた。
ぬいぐるみとは、持ち主と一蓮托生なのだろう。これからも共に叱られてくれるジェノベーゼは、アナにとっても心強い存在のはずだ。
まあ、怒られないに越したことはないが。
「うーわ、あまやかして子供をだめにする父親の典型がここに」
「私が本気で叱ったら、泣くどころでは済みませんが?」
からかってきた王太子に、シリウスは真面目に返した。
た、確かに……、と納得する王太子と側近たちだが、サフィニアだけはかわいい顔をして容赦がなかった。
「本気で泣かせても構いませんから、悪いことをしたときはきちんと叱ってください」
「だが、まだこんなに幼いのに……」
「叱ってください」
サフィニアの説教がこちらにまで飛び火しそうになったので、シリウスは保身に走った。子育てに関してはサフィニアに頭が上がらない。
「……善処する」
とは言いつつも、アナはすでにしょんぼりしているし、ジェノベーゼなどしっぽを掴まれ宙ぶらりん状態だ。
ひとまずあまやかすような声は封じて、普段通りの口調に戻して諭すことにした。
「アナ。次からは大人との約束をちゃんと守って行動することを心がけるように」
「うんー……。おてて、つなぐ」
「そうだ。悪いやつに連れて行かれたら、もう二度と、ママにもパパにも、執事長にも会えなくなるぞ。嫌だろう?」
「やー!」
「だったら、さっきはなぜ手を離した? だめだと言われていたのだろう?」
「じぇのべーぜがねー? はしってねー?」
ここに至ってもまだジェノベーゼのせいにしようとするアナに、さらに叱ろうとしたサフィニアをシリウスが手で制した。
「そういうときは、アナがジェノベーゼにだめだときちんと教えてやりなさい。アナの方が、お姉さんだろう?」
「……あな、おねえしゃん?」
「そうだ。できるな?」
「うんー! めっ、するー!」
サフィニアは感心してシリウスを見上げていたが、それ以外の人の目が死んでいた。なぜだ。