作品タイトル不明
第三十八話 ほろ苦さは押し付けたくなかった
ウォルシャ伯爵家の馬車を丁重に断り、私の馬車でニリュフェルとスンビュル——通訳兼秘書として——を王宮へ連れていくこととなった。
初対面のときと同じ、東の大陸風のドレスとチューリップ柄の金糸の刺繍が施された絹のショールを身にまとったニリュフェルは、明らかに緊張が顔に現れていた。隣に座るスンビュルが黙っているのも一因だろう。
馬車の窓には二重のカーテンがかかっているため、王都の景色は見えない。昼の大通りの賑やかな声や足音は聞こえても、まるで違う世界が馬車の外には広がっているかのようだ。
やがてニリュフェルは、対面の座席に座る私へと、おずおずと声をかけてきた。
「ねえ、トリッシュ」
極度の不安が、ニリュフェルの態度を強張らせてしまいきらないよう、私は意識して柔らかく、声色を整えた。
まだ伝えきっていないことがあるし、今後について安心させるためにも、この話は必要だった。
「私の義母が、北にある極寒の海のとある島々を開拓しておりまして」
「開拓……」
「ええ。すでに西の大陸北部から羊毛が入ってくるようになり、それを国内で売っております。そのうち、東の大陸からも陸路ではなく海路で島々を経由するようになり、両大陸の羊毛は必ずその島を通るようになるでしょう」
「それが私とどういう関係があるの? 全然、関係なさそうだわ」
話の結論を急ぐあたり、緊張がそのまま表れて『気難しいご令嬢』に逆戻りしたニリュフェルのためにも、本題に入る。
「 姫殿下(ハイネス) へ、我が義母、セダル公爵夫人アマベルからの贈り物として、北海諸島を経由する羊毛のウーリゼン帝国全港取引独占権を差し上げたいと思いますの」
おそらく、想像がつかないのだろう。
羊毛取引がどれほど莫大な金を産むか、その羊毛が糸となり布となりどれほど人々の暮らしを暖かく支えるか。
宮廷を 闊歩(かっぽ) する貴族の服から平民の布靴の 中敷き(ソール) まで、一年中おおよそ羊毛に包まれて暮らしている私たちは、羊毛を切らすことなど考えられない。
しかも、両大陸の北部は陸路が険しく、もっぱら沿岸部の海運か内陸部の河川によって羊毛が運ばれ、遠い加工地で何十倍、何百倍もの付加価値を付けられる。
もしこれが、アマベルの開拓した北海諸島だけで羊毛を大量に集め、全部とはいかずとも半分の作業が完了するようになれば、どれほどの時間と手間の節約となり、懐に入る収益となるか。
それらを独占的に、ウーリゼン帝国人でただ一人取り扱える資格を与えられれば、どれほどの財産を築くことができるか。
必然的に、それは大きな政治的意味合いも持つことになる。今のニリュフェルの立場とは比べ物にならない、現実に数多の人々から重んじられるべき椅子に座ることとなるのだ。
「ただし、これは ウーリゼン帝国(姫殿下の故国) へ、ではなく、あくまで我が国は 姫殿下(ハイネス) 個人との取引を望むものとしてお贈りするのです。 姫殿下(ハイネス) が我が国との羊毛取引の実際の責任者であるかぎり、我が国は取引を行います。つまり、これは 姫殿下(ハイネス) の財産、あなたしか持ち得ないものとなります」
ニリュフェルはすぐにはその意味を 咀嚼(そしゃく) できないだろうが、それはかまわない。こんな話を十五、六の少女にさっさと理解しろ、というほうが酷だ。
それに、彼女は教えられればすぐに理解できる。これが自分の人生を変えうるものだ、と。
だから、今は思いがけないプレゼントに驚いていていいのだ。
「私だけの……そんなもの、もらったことないわ! どういうこと!? 私がそれをもらっても、返せるものなんて——」
「その代わり、不名誉を受け入れろということですね」
「え?」
さすが、スンビュルは裏の意味を捉えている。
私は誤魔化すことなく、これからの王宮でなすべきことを、余すことなく伝えた。
「 姫殿下(ハイネス) におかれましては、これよりドンナー王子との婚約を解消していただきます。数々のご苦労、時間を費やしてまで成婚のため尽力なさってきたこととは承知しておりますが、我が国はウーリゼン帝国との和平を急いでおりませんゆえ」
しん、と馬車の中が静寂に包まれた。
それは望んでいたことのはずだ。ニリュフェルはウーリゼン帝国に帰りたい、ドニー王子と結婚したくないと主張していたのだから。
一国の姫の行動は、あらゆる人々に影響を及ぼす。たとえ、本人が自覚していても、していなくても、勝手に意味が勘繰られ、付け足されていくものだ。
その結果、何が起きても責任を取るならば、問題ない。無論、それは私も同じようなものだ。
かつての『オリアーヌ』ことスンビュルの言葉は刺々しく、出し抜いた私を皮肉る。
「カルストン伯爵夫人、昨日の今日で随分と手際がいいですね。もしかして、ずっと狙っていたとか言いませんよね」
「まさか。ただ、偶然にも私の手元に解決の鍵が舞い込んできて、私はそれをしかるべき人物へと手渡しただけよ。一度関わったなら最後まで責任を持って終幕まで付き合う、そのためにここにいるの」
「監視役の間違いでは?」
「かもしれないわね」
まともに付き合う必要はない、私は悔し紛れの皮肉をしれっと流す。
その隙間を縫うように、ぽつりと少女の声がこぼれた。
「そっか。私、結婚しなくていいんだ」
いがみ合っていた両者の視線が、ニリュフェルへ集中する。
当事者でありながら、もっとも踊らされ、弄ばれて、足掻くにも足掻けなかったニリュフェルは、ようやく自らの手で運命を掴み取った。
その感慨なのか、あるいはやせ我慢なのか、ニリュフェルは笑顔を見せる。
「嬉しいけど寂しい気もする。ここまで来て、放り出されるようなことにならなくてよかったわ。うん、そういうことよね!」
私とスンビュルは押し黙る。
ニリュフェルは自分にそう言い聞かせているのだ。押し付けられた運命に抗ったとて、この先の彼女の人生は楽にはならない。むしろ、 大宰相(サドラザム) に逆らったとして、より苦難を呼び寄せた可能性が高い。
だが、ニリュフェルは、あのバラに囲まれた離れで、とっくに後悔しきったのだろう。
「王宮でドンナー王子にさよならを伝えて、あとは帰るだけ! スンビュル、お前に邪魔はさせないわよ。私は帰るの、取引権をお土産にして 大宰相(サドラザム) を黙らせて、お祖母様に今度こそちゃんと相談する。いいわね!?」
「……ご随意に」
まあ、もうスンビュルにはニリュフェル『姫殿下』を粗略に扱う理由もないだろう。
「ご心配なく。姫殿下をちゃんと宮殿の部屋まで無事お返しすること、それも私の使命です」
「あらそう、諦めがいいわね」
「してやられたくらいでいちいち落ち込みはしません。それに、私がやられたわけではないので」
顔を背けられ、それきりスンビュルとの会話は途絶えた。
一方で、私に向けられているのは、嬉しさと寂しさと複雑な思いを抱え、それでも笑みを絶やさないニリュフェルのとびっきりの感謝だ。
「ありがとう、トリッシュ! ちゃんとしたお礼はまた今度、必ずするわ!」
ええ、と私は短く答えた。