作品タイトル不明
第三十七話 主演女優を導きにきた
翌日昼、私はウォルシャ伯爵邸にいた。
いつもどおり、バスケットにトスティグ料理長特製のお菓子を詰め込み、香り高いバラ園を通って淡い色合いの離れへと入る。侍女スンビュルは相変わらずそっけなく、出迎えたあとはお茶を淹れて部屋の入り口で突っ立っているだけだ。
反対に、ニリュフェルは私を歓迎して、サンルームでさっそくお菓子を頬張る。
今日はニリュフェルお気に入りの西の大陸のデザートで、ラードで揚げた筒状のパイ生地にクリームをたっぷり詰め込んだ揚げ菓子だ。
筒の両側まではみ出たクリームには、緑鮮やかな砕いたピスタチオと、砂糖漬けのオレンジの皮を刻んでまぶしてある。
ニリュフェルは決して粗相することなく、するりと口に放り込み、次々と味わっていく。
「トリッシュ、このカンノーリっていうお菓子、美味しいわ……!」
「本当なら揚げたてをご馳走しとうございますけれど」
「しっとりしているのも好きよ、 積葉菓子(バクラグ) みたいで。このクリームは? 何を使っているの?」
「羊乳のリコッタチーズと 琥珀酒(マルムジー) ですわ。砕いたピスタチオとオレンジピール以外にも、色々とトッピングできますの」
いつもどおり、私は幸せそうに甘い菓子を口へ運ぶ少女の笑顔を見届ける。
しかし、今日は別の用事も 携(たずさ) えていた。
昨日、ここを訪れたことをきっかけに、夜の屋敷での議論を経て、 時(・) 計(・) の(・) 針(・) が(・) 重(・) な(・) る(・) 深(・) 夜(・) に(・) 王(・) 宮(・) へ(・) 参(・) 内(・) し(・) た(・) の(・) だ(・) か(・) ら(・) 。
私はようやく、胸の奥のつかえを取り去り、喉の調子を整えてからこう言った。
「ところで、先日のバラの花束は本当に見事でしたわ」
きょとんとしたニリュフェルは、話が始まるのだ、ということを察したのだろう、カンノーリをそれ以上口へ持っていかずに皿へ置いた。
私はバスケットの底に入れていた封筒から一枚の大判紙——いくつもの印章と署名を重ねて——を取り出し、両手を添えてニリュフェルへと差し出す。
「これが、私からの最大のお礼となりますわ。お受け取りくださいまし」
ニリュフェルはそっと大判紙を受け取ると、少しの間、じっくりと眺めていた。
それは紛れもなくアルソナ王国公式文書であり、宛先に考慮してウーリゼン帝国の言語でも併記されているため、ニリュフェルも読めるはずだ。
その宛先はどこか?
ニリュフェルではなく、ましてやウーリゼン帝国 大宰相(サドラザム) でもなく、アルソナ王国国王が対等の関係をもって文書を 認(したた) めるべき相手、すなわち—— ウ(・) ー(・) リ(・) ゼ(・) ン(・) 帝(・) 国(・) 皇(・) 帝(・) へ宛てた書状である。
ちなみにニリュフェルへ渡したのは三枚あるうちの複製の一枚で、本物はきちんと外交ルートを通じて皇帝へ届くようになっている。途中で誰かが妨害することを予期して厳重に、かつ正式な伝達経路をもって通達する、それほどまでに格式ある書式の書類だ。
ようやく中身を理解したのか、ニリュフェルは何かをつぶやこうにも上手く言葉が出ない。
「これ、は……」
すかさず侍女スンビュルがやってきて、ニリュフェルの様子を見ている 体(てい) で紙に書かれている文章を横目で見ていた。
スンビュルの顔色が変わる。
だが、私は余計なことをさせないよう、警告する。
「スンビュル」
「何でしょう」
「先に言っておくわ。もうこの舞台にあなたの出る幕はなくてよ」
姿勢を正し、スンビュルは私へ向き直った。冷静さを保とうとしているが、内心はどうだろうか。
私はスンビュルへこう言いたいのだ。
無駄な抵抗するな、と。
「いいこと? あなたが 大宰相(サドラザム) に忠義を尽くすつもりなら、今すぐ逃げ帰りなさい。さもなくば、今度こそ大陸には戻れなくなるわ」
「恐喝ですか? 貴婦人らしくもないですね」
「いいえ、これはすでに決まったことを伝えているだけよ。もうこの国であなたにできることはないのだから」
忌々しいと私を睨んでいるのかもしれないが、スンビュルの顔上半分はレースで包まれ、私は容易に無視できる。
スンビュルの視線が再び大判紙へ落とされた。
きっと、スンビュルは即座に大意を掴んだのだろう。
(アルソナ王国国王からウーリゼン帝国皇帝へ、『密約の破棄』と『秘密外交の撤廃』、およびに『正式な外交使節による協議の要請』。『ニリュフェル姫の送還』を約束しての要求を、さて、たかが駐在大使が拒めるはずもなし。 大宰相(サドラザム) の目に入るころには、ウーリゼン帝国首都にいる我が国の大使がしっかり奏上できている……かどうかは賭けだけれど、まあ間に合うでしょう)
そこはそれ、間に合わずともいくらでもやりようはある。我が国の公布が先にあって、東の大陸に伝播するには数日あれば十分だ。
とにかく、ニリュフェルの帰国の道筋は拓けた。もちろん、『手土産』もきちんと用意している。
その説明を始める前に、離れの玄関の扉がノックされた。
スンビュルが侍女としての役割を思い出して、招かぬ訪問者へ応対しに行く。
まもなく、ウォルシャ伯爵夫人が二名のメイドに化粧箱やジュエリーボックスを持たせて、サンルームへ姿を見せた。
何も知らぬ貴婦人は、どこか嬉しそうにこう言った。
「あら、来客中にごめんあそばせ。王宮から急ぎ、使者が来ましたのよ。姫様の支度をしなくてはと思って、屋敷にある化粧品やアクセサリも持ってきたのですけれど」
私もニリュフェルもスンビュルも、その使者がなぜ来たのかを知っている。ウォルシャ伯爵夫人はただ自分の抱える秘密の役目が終えようとしていると思って、最後に全うしにきただけだ。
時は来て、ついにニリュフェルの登場を 舞台監督(ディレクター) が指示してきた。
「では、まいりましょうか、 姫殿下(ハイネス) 」
ここから先は、ニリュフェルにも重い責任がのしかかるだろう。
ただ、私は最後まで付き添っていよう。
この 茶番劇(ファルス) が、一顧だにされない無数にある『婚約破棄』の一つで終わってしまうように。