作品タイトル不明
第三十六話 長い重い過去から、未来へ
アマベルは正義の人ではないし、悪辣な人間でもない。ただ、普通より少し賢いのと、愛する息子のためにという動機が人生の原動力となっているだけだ。
つまり、私がアマベルの言葉を信じる理由は、『義母だから』や『経営手腕が素晴らしいから』ということではなく、『今ここでアルバートが絡んでいるから』というその一点に尽きる。
だから、私は今までアマベルへ何も尋ねなかったのだ。
彼女は賢い、私の望む答えも私を操る答えも出せて、はぐらかすことさえできた。そんな相手に、誠実さや真摯さを対価に真実を求めることなどできるわけがないのだから。
アマベルは書斎のスツールに腰掛け、足を組んで語りはじめた。
「ベオちゃんの血縁上の父親は、ハロルド・ラズニック。騎士家ラズニックの家門に連なる人で、ドニー坊やの取り巻きだったの。メリザンド王女への 暴(・) 行(・) に及ぶまではね」
暴行。それはおそらく、真相に近くとも真相ではない。
「それは……」
アルバートが、私の左肩を軽く掴んだ。
「待て、トリッシュ。最後まで聞いてからだ」
言葉の裏を読んで、勢い余って前へ傾きかけた私を、アルバートは元の位置へと戻す。
メリザンド王女は、ハロルドという人物に暴行 は(・) されたのだろう。
そして、その後何が起きたかは、考えるだにおぞましい。
「ラズニック家はアルソナ王国騎士の名門。だけど一部では二十数年前の現国王の結婚の際、オールスのような併合する小国と婚姻すべきではないと猛反対した一派がいて、反乱寸前にまで陥った時期があったらしいのよ。そのとき、ラズニック家は数年かけて自ら反対した一派を粛清したの。そのうちの一人がハロルド・ラズニックの実父で、ハロルド自身はまだ生まれてなかったから難を逃れ、ラズニック家に関係する養父母に育てられたわけ」
それは私やアルバートが生まれる前、昔の出来事だった。
私も、何となく聞いたことはある。アルソナ王国は何百年もかけて、戦争による 併呑(へいどん) と平和的な併合によって拡大してきた国だ。そのたび軋轢はあり、王侯貴族だけでなく民の中にさえ、未だに誇りにかけて報復の機会を伺っている者たちもいる。
しかしだ。アルソナ王国、ひいてはアルソナ王家への報復が、ここまで成功してしまった前例はなかった。決して公にはできない。過去の怨恨によって完遂されてしまった報復を、知らしめるわけにはいかなかった。
よりによって——私の仕えたメリザンド王女が、その標的となろうとは。
「ハロルド本人は優秀な騎士だったそうよ。だからラズニック家への同情の贔屓目を除いてもドニー坊やの取り巻きになれたし、護衛として信頼されていたの。だけど、実父の死の真相を知ってしまって、王家へ恨みを持つようになった。それがいつなのかは分からないらしいわ、でもそれはもう関係ない。ドニー坊やの取り巻きとして王宮の内部へ入り込み……結果として、メリザンド王女はベオちゃんを身籠った。犯行直後、ハロルドは取り押さえられる前に、その場で自決してね。目撃してしまったメリザンド王女はしばらく立ち直れなかったから表にも出られなかったし、当時はベオちゃんの育児なんて王宮でも王家に近いところでも当然できっこなかったのよ。処刑されたり、事故死に見せかけられる可能性だってあったから」
ふう、とアマベルは一息ついた。
長く、重い話だ。人の死で 贖(あがな) い、報い、いつまでも終わらない復讐の連鎖の内に、私たちは生きているのだと思い知らされる。
人間の営みの歴史が続いても浄化されなかった恨みの火は、いつか大火となるために燻りつづけている。私の考えの及ばぬ深淵には、そういうものがごまんと潜み、 い(・) つ(・) か(・) を待っているのだろう。
真剣そのもののアルバートの視線を受けて、アマベルはペースを落とし、ゆっくりと話を続ける。
「当事者の気持ちは当事者に聞いてちょうだい。私はラズニック家のその後の処分に関わり、ハロルドを育てた養父母を別の土地へ匿っただけ。ラズニック家は取り潰されなかったけれど、一門全員が東の大陸への進攻に際して最前線で戦った。参戦して今も生き残りがいるかどうか。それが彼らが最後に王家への忠誠を示す行動であり、 贖罪(しょくざい) だった。そういうことね」
どうやら、すでに王家とラズニック家の間で、落とし前はついている。
一門全員が命を懸けて国益のために前線へ送られた。
それはつまり、ハロルドの一件は自分たちの不始末であり、死して償うと決めたから、王家はラズニック家の名誉を保たせた。戦死は騎士の名誉であり、騎士ラズニック家の名を汚さぬよう配慮されている。
たとえ、何百人と命を落としても、それは償いなのだ。王女を傷つけた報いを受けた、それで王家は表沙汰にしないと決めた。
王家と彼らの間では、もう終わったことだ。だが、我が家にはベオフリックがすやすやと寝ていて、王宮ではメリザンド王女が表に出られずにいる。
そして、取り巻きの最悪の暴挙を受けて、ドニー王子は——何を考えているのか。
話がひと段落つき、アルバートが慎重に尋ねる。
「母上、このことは王家の一員には当然、共有されていますよね?」
「幼いロウヴァン王子以外は知っているはずよ。親族ではあるけど、仮にも部外者の私を頼るくらい切羽詰まっていたのは、アミス王女の輿入れのお祝いムードを壊したくなかったし、他国に知られたくないスキャンダルだったからよ。戦争中にこんな後顧の憂いを見せてしまえば、ウーリゼン帝国からどんな工作を受けるやら、でしょう?」
その判断は実に合理的で、正しい。
実際、戦争の真っ只中にこの件が暴露されてしまえば、ラズニック家は名誉の戦死ではなく一門全員の処刑どころか逆賊の汚名を着せられていた。
それだけではない。ウーリゼン帝国の工作によるもの、という憶測が出ることも容易に想像がつく。そのせいで東の大陸にいるアルソナ王国軍が報復だとばかりに大攻勢に出ていたら、戦争はもっと泥沼化していたに違いない。
私でさえ簡単にそこまで思いついてしまうのだ。王宮では、秘密にすることが大前提になっていただろう。被害者のメリザンド王女もまた、その方針に納得するしかなかったはずだ。
だったら——私は、どうする?
今、ここで、私はどうすべきだ?
私の頭の中は、ただそれだけのために回り、かつてないほど鋭敏に思考が飛び交い、洗練されていく。
どれほど沈黙を続けていたかは分からないが、アルバートの呼びかけにようやく気付いた。
「トリッ……シュ? おい、トリッシュ」
「何?」
「いや、まさか落ち込んでいるかと思っただけだ」
「そんな暇はないわ。敵に時間を与えるだけよ」
思っていたよりもずっと早く、私の思考は終わり、結論が出ていた。
少しばかり鮮明になった私の未来図を実現させるために、どうすべきか。
私は、アマベルへこう訴えた。
「アマベル様。ドニー王子の婚約を破棄させます。そのための方策を一緒に考えてくださいませ」
アマベルは特に驚いた様子もなく、「そうねぇ、そうしましょうか」と気楽に答えた。
もちろん、アルバートは「ええぇ……?」と戸惑い、理解に苦しむとばかりの目を私へと向けたため、きつく睨み返されることとなる。
ドニー王子とニリュフェルの婚約が破棄されればどうなるか。
和平派の勇み足は消え、ニリュフェルはアルソナ王国から離れる道筋ができ、ドニー王子は悪役を引き受ける。
そして—— メ(・) リ(・) ザ(・) ン(・) ド(・) 王(・) 女(・) が(・) 表(・) 舞(・) 台(・) へ(・) 戻(・) る(・) た(・) め(・) の(・) 花(・) 道(・) が(・) 生(・) ま(・) れ(・) る(・) の(・) だ(・) 。