作品タイトル不明
第三十五話 夫婦の話し合いはまるで姉弟喧嘩のように
この世では、三人の人間が集まれば、二つの 派閥(キャンプ) ができる。
和平を望む派閥、侵攻を望む派閥、どちらにも加担しない派閥、それらがアルソナ王国では入り混じり、己の所属する派閥の勢力を拡大しようとしている。
ただし、和平派の彼らはやってはいけないことに手を出した。
ここまで、カルストン伯爵夫人たる私の視点から分かることは、こんなにも単純なことなのだ。
私とアルバートのここから先の議論は、より状況の理解と分析の精度を高めるためのものとなる。
すなわち、どこに敵がいて、いつ斬りかかれば一撃で屠ることができるか? ——ということを知るための話し合いだ。
「となると、 閣僚会議(カウンシル) がアルソナ王国内での和平の主導役?」
「それはまあ、次の国王候補と一国の姫の結婚なんて、敵対からの和平のきっかけにはもってこいだろうな」
「でも、和平のどこに実利があるというの?」
「現場からすれば一切ないが、ウーリゼン帝国との和平成立という大きな政治的功績を得て助かるのは……」
「ドニー王子、かしら? それとも、彼を次期国王へ推挙する人々?」
「ドニー王子に関しては、あの姿でそれを喜んでいるようには思えなかったがな。そもそも王宮の公務だってほとんどしていないだろう?」
「ええ。たまに出たって形式的な挨拶だけで帰るわ。あれを戴こうとする連中の意図は、『無能の頭は王冠の置き場所にもってこい』、というわけね」
「おい、一応我が国の王子なんだから手心を加えろ」
「未だに立太子されていなくても?」
「それでもだ。一応な」
「お優しいのね。かわいそうな姫殿下はどうすればいいのかしら?」
アルバートは未だ、こうした皮肉の応酬には慣れていないようで、押し黙った。
ドニー王子の境遇に同情するというのなら、そんなところに嫁がされるニリュフェルもまた同情されるべきだ。いや、より同情されるべき、と言えるだろう。
第一、このまま婚約が結婚の成立へと進んだとしても、ドニー王子もニリュフェルも決して権力を握ることはない。籠の鳥がせいぜいで、ともすれば政争に巻き込まれた挙句に身代わりとして幽閉や追放、という己の意思と関係ない憂き目に遭う可能性すらあるのだ。
ならば、どうすべきか。
そこは、アルバートも考えが至ったようで、議論は再開される。
「それについてだが——どうやって 彼女(ニリュフェル) を本国へ帰すんだ? 手ぶらで帰すわけにもいかないだろう」
私は大きく頷いた。
ニリュフェルはそもそも、『手柄』を得たくてアルソナ王国へやってきた。一国の王子との婚約、和平に伴う婚姻外交の成功、それがニリュフェルの望んだ『手柄』だ。
だが、それは空虚なものでしかない。和平はまだまだ確実ではないし、婚約自体が密約に近く、公式のものではない。公には出せていない時点で、いつでも権力者がなかったことにしてしまえるのだ。
(けれど、ニリュフェルは失敗すればどうなる? 泣きながら帰国する、というだけでは済まない。主導した 大宰相(サドラザム) の面子を潰し、皇太后との軋轢を生じさせた原因として、ニリュフェルが責任と取らされるのではなくて?)
そこにニリュフェルの意思は、またもや関係ないのだ。
このままではニリュフェルはどこまでも利用され、その死すらも勝手に決められてしまう立場から抜け出せない。
それではダメなのだ。
アルバートは必死に、頭のどこかに溜め込んでいるニリュフェルの故国ウーリゼン帝国の内情について思い出そうとしていた。
「俺の記憶が確かなら、ニリュフェル姫というのはウーリゼン帝国でも表に出てきていない姫だろう。有力者の外戚がいるとか、皇帝に可愛がられているとか、そういう噂は聞いたことがない。他の姫ならともかく」
「侍女によれば、皇太后に可愛がられているそうよ」
「まあ、あの国ならありうるのか……? ああくそ、そこまで内部事情は知らん!」
でしょうね、と私は短く答えた。
侍女役のスンビュルは 大宰相(サドラザム) の手先、となれば味方にはできない。彼女もまた、与えられた任務の遂行という『手柄』を立てなければならない立場にある。
とはいえ、ニリュフェルよりは圧倒的に優先度が低く、放っておいても勝手に逃げるだろうし勝手に生きていく。そのくらいの図太さがあることを、三年ほど前にすでに証明している。
目下、考えるべきはニリュフェルについて、だけでいい。
「だとすると、婚約を解消して本国に帰っても、そのニリュフェル姫は居場所がない。皇帝の生母たる皇太后だってもう老齢だろうし、いつまでも生きているわけじゃない。次に権力を握る皇后に好かれていないなら、いずれ後宮から追い出される立場だろう」
「つまり、ここで本国へ帰すことが彼女にとっていいことなのか、とあなたは言いたいわけね」
「それもあるが、俺だってあのドニー王子に嫁がされる姫はかわいそうだと本気で思うし、婚約で済んでいるなら何とか結婚を回避する手立てを探してやりたいぞ」
「なら探しなさいな」
「だから、探しているんだって言って」
ムキになって反論してきたアルバートだったが、なぜか釣られた魚のような顔になった。
私はその視線の先へと振り向こうとしたが、その前に書斎の扉を開けてやってきた人物の言葉のほうが先に響いた。
「バーティ! 探したのよ!」
少ししゃがれた声で、最愛の息子へと遠慮なく近づいてきたアマベルは、ちょうど私の正面で書斎机にもたれかかり、アルバートへキスしようとして顔を背けられていた。
「あらあら、真剣なお話の最中? 私も混ぜてくれない? ベオちゃんが寝ちゃったのよね〜、さみしくって」
気付けば、もう夜も深まっていた。二歳児はとっくに夢の世界へ、アマベルは暇になって息子を探し回ってやってきたようだ。
——と、思わせておいて、アマベルはイタズラっぽい笑みを浮かべて白状した。
「なんてね。話は大体分かっているわよ。ふふ〜」
一応、我が家の書斎は声が外に漏れない造りをしている。アマベルがここまでの私とアルバートの会話を聞いていた、ということはないと思いたかった。
それを知らないアルバートが、アマベルへ口止めをしようとする。
「母上、一応その、話の内容が機密ばかりで」
「心配しないでちょうだい。あなたたちの会話は盗み聞きしていないわ。私だってちゃあんと独自の情報網があって、王宮のことなら大体分かるのよ」
そうでしょうね、と私は心の中で返事をしておいた。
アマベルは仮にも王妃の実妹だ。そして、セダル公爵夫人であり、セダル公爵家の財を使いこなせる立場にもある。自らの手で北海諸島の貿易拠点化を進める女傑が、財と情報の価値を理解していないはずがない。
ただ、アマベルはチラリと私を見て、口を軽く尖らせた。
「でも、肝心のトリッシュが全然尋ねてくれないんだもの……ひけらかしちゃうのもアレだし、何でも自力で解決しちゃうしで、せっかくだからバーティ経由で困ったことがないか聞こうって思っていたのよ」
「ほら、お前が取り合ってやらないから母上が拗ねているぞ」
半笑いのアルバートが、私を責める貴重な機会を逃すものかと無駄口を叩く。
アルバート、あとでその愚かな口を塞いでケツを蹴り上げてやる。
私は心にそう誓い、「何でも聞いてちょうだい!」とばかりの期待の視線を向けてくるアマベルへの対処を先にすることにした。
聞くべきことは、私が 知(・) ら(・) な(・) い(・) こ(・) と(・) 、 知(・) る(・) こ(・) と(・) が(・) で(・) き(・) な(・) い(・) こ(・) と(・) だ。
私は姿勢を正し、アマベルの正面を向く。
「アマベル様」
「何かしら?」
「メリザンド様の現況について、それとベオフリックの父親についてご存じですか?」
それを聞いたアルバートが、目を大きく剥いていた。
「おまっ、そんなストレートに聞くか普通!」
「私が知らないことを聞く必要があるでしょう」
「そうだとしても!」
独り慌てるアルバートの言いたいことは分かる。
それらは踏み込むべきタイミングを慎重に見極めなくてはならない話題だ、ともすれば我が家の進退にも繋がる。
しかし、アマベルはいつもの調子で、軽く答えた。
「知っているわよ〜」
にっこりと笑って、どこか憂いを 滲(にじ) ませながら、しゃがれ気味の声はあけすけに語る。
「正確には、ベオちゃんの血縁上の父親に当たる人物の家の人たちを、私の名義でこっそり救済したのよ。知っているのはそれに付随する話ばかりだけれど、もうとっくに覚悟はできているだろうし、聞くわよね?」
若干一名、覚悟ができていないアルバートがいるものの、何とかなるだろう。
私は真剣に頷き、アマベルへ続きを促した。
なお、アルバートは母と妻の前でおろおろするばかりだった。