作品タイトル不明
第二十八話 姫殿下への謁見
ウォルシャ伯爵邸は、王都の中心部にある。全体的に古い時代の屋敷であるせいで薄暗く、その上、湿った空気が近くの川から流れ込んでくる。
唯一の見所である中庭のバラ園は、外から窺い知ることができないため知る人ぞ知る名所となっており、そこにある離れは新築であるため、『気難しいご令嬢』の客室となっていた。
アルソナ王国では珍しい白と淡い青のタイル張りの壁と、軽い赤瓦を 葺(ふ) いた二階建ての小さな家は、先代ウォルシャ伯爵夫人が晩年に別荘の代わりに建てたそうだ。
ルーヴァ連邦同盟南部の建築様式を文献ではなく実際に初めて見る私は、赤から黄色、白と八重のバラが咲き誇る庭園を通りながら、見事な景色に感心していた。
私の右腕には、トスティグ料理長と菓子作りが上手な弟子たちに作ってもらったものを詰め込んだバスケットを下げている。やはり女性への手土産には、甘いお菓子が確実だ。
そして、後ろを歩く『気難しいご令嬢』の侍女に、こう尋ねた。
「まあ、見事なこと。よくこの隠れた素晴らしい場所を見つけたわね。それも、前に見繕っていたのかしらね…… オ(・) リ(・) ア(・) ー(・) ヌ(・) ?」
黒髪を分厚いショールで覆い、顔上半分を仮面のようなレース刺繍のスカーフで隠した小柄な女性——赤髪は染めたらしく、青臭いヘナの匂いが残っていた——は、しれっととぼけて返す。
「私は ス(・) ン(・) ビ(・) ュ(・) ル(・) ですわ、カルストン伯爵夫人」
「今の名前は、でしょう」
「詮索はご自由に。しかし、このスンビュルの役割は、姫殿下のお世話と護衛、それから通訳ですので」
わざと低くしているが聞き覚えのある声に、目元を隠し化粧をしているとはいえ見覚えのある輪郭。
私は、生来鼻がいいのだ。ヘナの匂いに混じる彼女のかすかな体臭は、香水や石鹸に混ざろうとも嗅ぎ分けられる。
間違いない。
『気難しいご令嬢』の侍女スンビュルは、三年前、クレランシャ伯爵邸で起きた断罪騒動の当事者であり、翌日には焼身自殺——を装って逃亡——したと見られていた貴族令嬢『オリアーヌ』本人だ。
ここまで証拠が揃っておいて白を切れるあたり、元オリアーヌこと『スンビュル』は特殊な訓練を受けた間諜か、高貴な身分の女性を守るための武官出身者だろう。変装にも堂が入っており、そこいらの盗賊程度ではないことを示している。
ひとまず、私はこれ以上の詮索は避けることにした。ウォルシャ伯爵夫人、そして『気難しいご令嬢』の手前、今更彼女の過去を蒸し返しても何ら利益はない。
「ご令嬢はこちらの言葉に不自由をなさっているの?」
「少しばかり。ただ、語学の素養はおありですので、すぐに覚えてしまわれることでしょう」
「それならいいけれど」
話していて分かったのは、スンビュルも少しは動揺しているということだ。語調を固く澱みなく喋ろうとしても、わずかに声が揺れている。
まさか私がここにやってくるとは思ってもみなかったのだろう。アルソナ王国を再訪しても、せいぜいがプルケリアとその元婚約者を避ければ問題ない、程度に思っていたに違いない。
スンビュルはきっとまた何か企んでいるのだろうが、それはそれ、これはこれ。警戒はしておくが、私に今できるのはそれだけだ。
第一、スンビュルもまた侍女としての役目を果たそうとしている。
「お会いになる前に……姫殿下は、 帝(・) 国(・) 皇(・) 太(・) 后(・) ギ(・) ュ(・) ル(・) フ(・) ェ(・) ム(・) 陛(・) 下(・) のお気に入りです。他の娘孫を差し置いて、唯一手元で育てられた姫となります。ただ、それゆえにお立場が難しく、気の休まらない日々を過ごしておられます」
警告はしたぞ、とばかりにスンビュルはそれきり黙った。
ふむ、と私は考える。
(やはりか。『気難しいご令嬢』は異国の、それも『帝国の姫』。真贋はさておき、ウォルシャ伯爵夫人は異国からの賓客を密かに屋敷へ上げ、世話をしている……当然、王宮の上層部の誰かが手引きしたのだろうけど、公式には何ら発表されておらず、噂にもなっていないほど慎重に事を運んでいる)
一歩、また一歩と私は答え合わせのためにも、バラ園を進む。
(これは、王宮の内部事情を知るためにも絶好の機会だわ。ただし、一度たりとも間違えることを許されない大博打でもあり、私は何を賭けて何を守るかの線引きをしなくてはならない。今の私はイヴェルタリーの娘であり——同時に、カルストン伯爵夫人なのだから)
じきに私は白と淡い青のタイル張りの家の玄関に立ち、黄色味がかった赤の扉に付いた真鍮製のベルを鳴らす。
澄んだ高い音が二回、家の主人へ来客を知らせた。
私はそのまま待つが、なかなか扉は開かない。
それどころか、扉の向こうから叫ばれた。
「誰よ! ここまで来るなんて、失礼よ!」
突っかかるような叫びは、声の主が幼いせいかいまいち迫力がなかった。
私は声の主の体面を損ねるまいと、合わせた。
「それはご無礼仕りました、 姫殿下(ハイネス) 。どうかお許しを」
予想外に礼儀正しく返されて困惑したらしく、声の主は扉の向こうでウロウロ、テチテチと歩き回り、やがて決意して問うてきた。
「……誰?」
「私は、カルストン伯爵夫人トリッシュですわ」
「えっ……ああ! そういえば、そうだった」
何かの行き違いくらい、些細なことだ。
声の主は『やらかしてしまった』と思ったのか、先ほどまでの勢いはすっかり失い、あっさりと赤い扉を開ける。
姿を現したのは、十五、六歳くらいの少女だった。艶のある黒髪は腰より長く、目鼻立ちがくっきりしており、美少女というより美人の類だ。
何より、彼女の服は豪奢そのものだった。東の大陸風のドレスは鮮やかで精緻な花柄の生地をふんだんに使い、肩から袖にかけてすぼめられることなく広いデザインだ。襟や腰の帯、それにスカートの中はズボンで裾を革靴にしまっている。
それよりも、頭から被ったきらめく絹のショールには、びっしりと金糸の刺繍が施されている。
一瞬だけ翻って見えた、私にとって見知った国の国章たるチューリップと開かれた巻物の柄が、これほどまでに彼女の背中に大きく透けるように配されているのは、姫殿下という身分の高さを物語る。
目の前の少女は、ウォルシャ伯爵夫人曰く『気難しいご令嬢』だ。
しかし、ウォルシャ伯爵夫人はその素性を私に話さなかった。詮索しないと私は約束したからこそ、素直に『虎穴に入り虎児を得る』ことを選んでここへ来た。
そして見事、 虎児(トロフィー) を引き当てたようだった。
「こほん。どうぞ、お入りなさい」
「ありがとうございます、お優しい 姫殿下(ハイネス) 」
私が深々と膝を曲げ、丁寧に 膝折礼(コーツィ) を示してみせると、『気難しいご令嬢』はすっかり機嫌を直して私を中へ招いてくれた。
後ろにいた侍女スンビュルへ、『気難しいご令嬢』は慣れた様子で客へのお茶出しを命じる。
「スンビュル、お茶を淹れて。持ってきた茶器で、 チューリップ(ラーレ) 柄の一番綺麗なやつを使って」
どうやら、私は『気難しいご令嬢』のお眼鏡に適ったようだ。
『気難しいご令嬢』は、てくてくと採光用窓の大きな明るい家の奥へと進んでいく。スカイブルーのタイル張りの部屋は可愛らしく、家具も南の国らしい異国情緒ある、それでいて私たちアルソナ王国人にも馴染みある形のテーブルや棚が多い。
家の奥にはガラス扉のサンルームバルコニーがあり、美しいバラ園を一望できた。客間としても使えるよう、小さめの一人がけソファが二つ、それにテーブルも用意されている。
そこでようやく、一人がけのソファにぽすんと座った『気難しいご令嬢』へ、私は改めて自己紹介と挨拶をする。
「お初にお目にかかりますわ、 姫殿下(ハイネス) 。私は、ウォルシャ伯爵夫人より 姫殿下(ハイネス) のお話し相手にと推挙されました、トリッシュと申します。国許を離れ、遠く異国であるアルソナ王国へはるばるお越しくださいましたこと、大変なご苦労であったかと思われます」
『気難しいご令嬢』は、やはりまだ機嫌がよかった。ほんの少し口角を上げて、私の腕から下がるバスケットへ視線を向ける。
「苦労なんてしていないわ。それより、そのバスケットは何?」
「 姫殿下(ハイネス) への贈り物ですわ。 つ(・) ま(・) ら(・) な(・) い(・) も(・) の(・) ですが、お口に合えばよろしいのですけれど」
近くにあった木製のビストロテーブルへバスケットを置き、私は中身を取り出す。
一つは、丸く分厚いコルク蓋でしっかりと陶器製の深皿は塞がれ、ホールケーキほどの大きさがあった。
もう一つは、蓋もガラスでできたガラス皿をキルト生地ですっぽり包んでいた。割れないようバスケットに手製の細長いクッションがいくつか配置され、無事料理を届けるための料理人たちの工夫が見て取れる。
私は、『気難しいご令嬢』の前へ、その二つを並べた。
蓋を開ける前に、それらの紹介をしておく。
「『ザバイオーネのトライフル』と『クロテッドクリームのファッジ』ですわ」
見知らぬ何かの名前への好奇の視線を確認してから、私はまずコルク蓋を引っ張った。