作品タイトル不明
第二十九話 姫殿下へのもてなし
私がコルク蓋を開けると、一面の黄色味が強い濃厚なカスタードクリームが広がっていた。少しだけ隙間があったのか、コルク蓋にはほとんどついていない。
『ザバイオーネのトライフル』は、ここからだ。バスケットに入っていた銀の大スプーンを『気難しいご令嬢』へと差し出し、「どうぞ、お改めを」と勧める。
『気難しいご令嬢』は 躊躇(ためら) うことなく、真ん中へとスプーンを突き刺し、 掬(すく) い取った。
その感触で気付いたのだろう、現れたのは何層にもなったカスタードクリームと小さくちぎったスポンジケーキ、刻んだ新鮮な果物たちだ。
『気難しいご令嬢』はしげしげとスプーン上のひと掬いを眺め、まるで宝石鑑定士のように目線の高さまで上げて分析する。
「これは、 カスタードクリーム(ムハッレビ) と スポンジケーキ(パンディルーヴャ) ね。イチゴも見たことのないベリーも、レーズンも……葡萄もたっぷりだけど」
異国の言葉ながらも、おおよその意味は私にも分かる。
そして、当然だがその言葉の音や単語を聞いていれば、『気難しいご令嬢』の出身国も見当はつく。
しかし、私はあえて何も言わない。ウォルシャ伯爵夫人へ詮索しないと約束したのだし、焦る必要は何一つなかった。
私の知りたいことは、探ることなく現れるだろう。
ひとまず、スプーンを口に運ぼうとしている『気難しいご令嬢』へ、一応の確認を取った。
「侍女に毒見をさせずともよいのですか?」
「いいの。第一、スンビュルは毒に慣れているから毒味にならないもの」
「まあ」
『気難しいご令嬢』は、あっさりとスプーン上のトライフルを頬張った。
もぐもぐと味わう『気難しいご令嬢』は、彼女とスンビュルの関係はさしてよくはないことを示してしまった自覚はないだろう。同時に、自分の価値をそこまで重視していない——言い換えるなら、 自(・) 惚(・) れ(・) て(・) い(・) な(・) い(・) ことも判明した。
異国の姫がやってきた理由など、大方、アルソナ王国有力者への輿入れだろう。しかし『気難しいご令嬢』は、もったいぶって自分の価値を高めるような真似をしていない。
(普通であれば、他国から嫁入りする令嬢は従者をもっと連れてくるなり、世話を必要以上に焼かせたり、大事に扱うようにと招待主を困らせるようなことばかりするものだけれど……ここにはスンビュル以外の侍女はいなさそうね)
事前にウォルシャ伯爵邸の使用人へ話を聞いたところによれば、『気難しいご令嬢』の身の回りの世話は本国からついてきた侍女スンビュルに一任されているようだ。
生活習慣や文化の違うウォルシャ伯爵家としてもそのほうが気楽だし、令嬢と侍女一人で怪しげなことができるはずもない、と見られているのだろうが、気難しいと称される理由はそのあたりにもありそうだ。
ただ、複雑な事情であれ、無理にほぐして解明するばかりが最適解とも限らない。
一口食べ終えた『気難しいご令嬢』は、ほんの少し顔に喜色を浮かべていた。
「甘ーい。こちらでも新鮮な果物は手に入るのね。寒いからないのかと思っていたわ」
「南部沿岸ではブドウの栽培も盛んですわ。それに、東西大陸からいいワインが入ってきますから、どちらかといえば直接食べるデザート用の葡萄が好まれますの」
「へえ〜……この国の人たちは、デザートが好きなの?」
「ええ。アルソナ王国は他国よりも寒冷ですので、砂糖の代わりに輸入品の 琥珀酒(マルムジー) 、『ザバイオーネのトライフル』に使っているものは沸騰させてアルコールを完全に飛ばしてあります。国産では 甜菜糖(ヴェルジョワーズ) 、 干し葡萄(レーズン) 、それから 樹液蜜(メープルデュー) などを使っておりますわ」
「ねえ、 樹液蜜(メープルデュー) って何?」
「甘いカエデの木の樹液を集めて煮詰めたもので、こちらのファッジにも使っておりますけれど」
「樹液って甘いんだ。サトウキビみたいなのかしら」
『気難しいご令嬢』とここまで話してみて、少し返答に 辿々(たどたど) しいところはあれ、日常会話程度ならこちらの言葉で問題ないらしい。
では、と私は次に隣のガラス蓋を持ち上げる。ファッジ——クロテッドクリームと砂糖を煮詰め、四角形に切ったかけらには、砕いたアーモンドやレーズンが顔を見せている。
『気難しいご令嬢』はひょいと一つつまみ、小さな口へと放り込んだ。
じっくりと何度か噛んだあと、不思議そうに首を傾げる。
「これ、 キャラメル(ヘルヴァ) っぽいけど キャラメル(ヘルヴァ) じゃない」
「我が国のキャンディの一種ですわ」
ふーん、と気のない答えをしつつも、『気難しいご令嬢』は気に入ったのかファッジを次々と口へ放り込んでいた。
そこへ、スンビュルが爽やかな甘さをまとうティーポットとカップを運んでくる。
「姫殿下、 お茶(ウフラムル) をお持ちしました」
「スンビュル、これ美味しいわ」
「それはようございました」
「うん、あなたも食べなさい。スンビュル、お前も」
勧められたなら、と私もスンビュルもファッジを一つ手に取る。
スンビュルが取り分ける皿を持ってきて、トライフルもひと掬い分けてもらったが、『気難しいご令嬢』は上品ながらもどんどんと口へ甘味を突っ込んでいく。まさにその表現がピッタリで、私は彼女の取り分を減らすまいとゆっくり手元の分を食べることにした。
温かいお茶で砂糖を流し、またカスタードクリームを流し込む。次第に、『気難しいご令嬢』は柔和な笑みを湛え、年相応の少女らしい可憐さを見せている。
私は出された異国のお茶を少しずつ味わい、明るい日差しと満開のバラ、それに淡い色合いの家具や壁紙で統一された離れの絶妙な調和に、目を細めた。
この離れを建てた先代ウォルシャ伯爵夫人のセンスのよさは、時間を超越して洗練された憩いの空間を生み出しているのだ。自分の趣味だけでなく、心を豊かにする実益を意図したかはさておき、彼女の遺したものは後世へと美しい影響を与えつづけている。
ふと、『気難しいご令嬢』は、こんな問いを投げかけてきた。
「トリッシュ、あなた、私が食べる様子を嬉しそうに見るのね。どうして?」
このとき、私は指摘されて初めて気が付いた。
ここ数年、私は色々な手段で他人をもてなしてきたが、それは果たして実利だけを求めたものだっただろうか。
昼餐会然り、贅沢を知る貴族たちが美食を味わい無言になるほど夢中になる状態を、私はカルストン伯爵夫人の義務だけでこなしたわけではない。
はるか昔の私は、王宮の砂糖菓子を見ただけで機嫌を損ねる子どもだった。
だが、私は知ったのだ。たった一つの砂糖菓子が、誰かの楽しいお喋りを引き出し、幸せな時間を生み出し、他人同士をよき友人へと変化させることを。
高価な食材や珍味だけが美食ではなく、美味しい料理は努力と工夫によって生み出されることをトスティグに何年もかけて教わってきた今、どれだけ有効な政略の道具であるかを知ると同時に、どれだけ目に見えない感情や影響をこの世に溢れさせるかを証明してきた。
つまりは、私は、誰かをもてなすことが気に入っている。
『気難しいご令嬢』がどれほど気難しかろうと、今はカスタードクリームを唇の横につけた少女でしかなく、その機嫌も上々だ。
だから、私は嬉しいのだ。
「なぜでしょうね。誰かが目の前で幸せそうにしている姿は、いいものだと思うのでしょう」
そんなふうに、言葉を濁しておいた。
すっかり空になった二つの皿を、スンビュルがバスケットへと戻している。
『気難しいご令嬢』は、ようやく胸襟を開いて、自分の名を語った。
「そういえば、名乗っていなかったわね。私の名は、ニリュフェル・シリン・ベグム。ニリュフェルはこの国の人には呼びづらいらしいから、ニリと呼びなさい」
「承知いたしました、ニリ様」
「……うーん。どうしてもなら、さっきみたいに 姫殿下(ハイネス) って呼んでもいいわ。何だか響きがかっこいいもの」
そういうものだろうか。まあ、本人が気に入っているのならその呼びかけを使おう。
『気難しいご令嬢』こと『ニリュフェル姫殿下』は、続けて不満を漏らす。
「私、自分の名前が好きじゃないの。私がつけたわけじゃないもの、お祖母様が勝手に全部つけてしまったから」
やっと顔についたカスタードクリームを指先で取って、ニリュフェルは口を尖らせていた。
それまで黙っていたスンビュルが、すかさずたしなめる。
「姫殿下。皇太后陛下への苦言はお控えください」
「うるさい、お前はあっちに行ってなさい。どうせ 大宰相(サドラザム) の命令で私を見張っているだけのくせに」
ふん、とニリュフェルは顔を背けた。スンビュルは何か言おうとしていたが、諦めてサンルームから出ていった。
その去り行く背中を、ニリュフェルは険しい目で睨んでいる。
どうにも、彼女たちの間にもまた別の複雑な事情があるようだ。
ただ、初日から根掘り葉掘り聞き出すような無礼さは、ここでは求められていない。
しばしの歓談ののち、私は日が暮れる前にニリュフェルのもとを辞去することにした。
別れ際、ニリュフェルはこんなことを尋ねてきた。
「ねえ、また来る? 明日でもいいわ、今度は私の持ってきたお菓子を食べてほしいの」
そのときの彼女の瞳は、期待と、なぜか不安が入り混じっていた。
私がもう来ない、と言い出せば、幼くも怒りが込み上げてくるのではないだろうか、と思うほどに、真っ直ぐに見上げてくる。
「 姫殿下(ハイネス) のご招待なら、ぜひ。明日も同じ時間にまいりますわ」
私はもう一度、 膝折礼(コーツィ) を披露する。
大輪の花のような笑みのニリュフェルは、満足げに大きく頷いた。