作品タイトル不明
第四話「ベアトリス対剣聖」
五月十二日の十時過ぎ。
俺は傭兵ギルドの訓練場で、世界最強の傭兵と言われた“ 剣聖(ソードマスター) ”ギデオン・ダイアーと模擬戦を行うことになった。
唐突な流れだったが、ここ最近は満足に訓練ができていないことから、俺としてもやる気になっている。
ギデオンは俺とほぼ同じ身長で、金属製の 胸当(キュイラス) 以外は革製の防具で身を固めたオーソドックスなスタイルだ。身に付けている防具は訓練用らしく、質は悪くないものの一品物という感じはしない。
持っている木剣は長さ百二十センチ強の両手剣で、クレイモア型と呼ばれる幅広の 剣身(ブレード) のものだ。
「それにしても凄まじい防具だな。もちろん、その剣もなんだろうが」
ギデオンは俺の黒龍の防具を見て半ば呆れたような口調で褒める。
「ええ、私には過ぎた装備です。ですが、これのお陰で命拾いしていますので、作ってくれた鍛冶師方には感謝しかありません」
そんな話をしている間に準備を終える。
最初に俺が出ようとしたら、ベアトリスに肩を押さえられる。
「あたしに先にやらせておくれよ」
冷静な彼女にしては珍しく興奮気味だ。
「手の内を見せていない状態で戦ってみたいんだよ。こんな機会は滅多にないしね」
そんなことを言っているが、恐らく俺より先に戦って相手の実力を見せてくれるつもりなのだろう。
「俺はどっちでも構わんぞ」とギデオンが言ったので、俺はベアトリスに先陣を譲ることにした。
二人は訓練場の真ん中にゆっくりと進んでいく。
「ベアトリス・ロックハートだ。全力で行かせてもらうよ」
そう言って木槍を低く構えて獰猛そうな笑みを浮かべる。
「いつでも掛かってきな」とギデオンが言ったところで模擬戦は始まった。
ベアトリスは宣言通り最初から全力だった。
虎を彷彿とさせる俊敏さで一気に間合いを詰めると、鋭い突きを放つ。それも槍が残像を残すような鋭さで、後ろで見ていたセラが「凄い。こんな姉様初めて……」と思わず口にするほどだった。
確かに今まで見たことがないほどの鋭い突きで、泰然と待っているギデオンに有効な攻撃が入るかに見えた。
しかし、彼は平然としたまま両手剣で槍を弾くと、更に身体を回転させるようにひねり、水平に薙ぎ払うような斬撃を繰り出した。
その速度はベアトリスの突きを超えるほどで、攻撃を予想していたベアトリスが対応できないほど鋭いものだった。
次の瞬間、ベアトリスが横に吹き飛ばされる。
俺には何が起きたのか理解できなかった。
(何が起きたんだ? ベアトリスはまだ間合いにも入っていなかったはずだ。それが何で届くんだ……)
実際、二メートル強の槍のギリギリのレンジから攻撃を繰り出しており、百二十センチ強の両手剣では剣先がギリギリ届くくらいで、大柄な彼女を吹き飛ばすほどの威力はでない距離のはずだ。
体術で一気に距離を詰めたのだろうが、全くの予備動作なしで、いつどうやって近づいたのかすら分からない。
三メートルほど吹き飛ばされたベアトリスがゆっくりと立ち上がった。
訓練場のむき出しの地面に叩きつけられ、顔には泥が付き、口の端から血が流れている。
「ほんと、参ったね。何をされたのかすら分からなかったよ。これが実力の差って奴なんだね」
そう言いながらもニヤリと笑い、「まだ続けさせてもらうよ」と言って槍を大きく回す。
「さすがはロックハートだな。あの一撃を受けて笑いながら立つとは。では次はこちらからいかせてもらう」
そう言うと一瞬にして間合いを詰め、電光石火の突きを放つ。
ベアトリスはそれをのけ反るようにして紙一重で回避しながら、槍を低く薙ぐように振り、ギデオンの足を狙った。しかし、その攻撃は軽く足を上げることで避けられてしまう。
ギデオンは「あの姿勢から反撃するとはな」と楽しげに笑う。
体勢を立て直したベアトリスはそれに応えることなく、神速の槍を繰り出していく。
槍が空気を切り裂く、シュ、シュという鋭い音が訓練場に響く。しかし、その突きは掠ることすらなかった。
不思議なことに俺の目にはギデオンが避けているように見えなかった。弟たちも同じことを思っているのか、セオが「どうして?」と呟いている。
ギデオンは笑みを浮かべたまま、同じ場所に立ち続けていた。身体の軸をずらしているようだが、あまりの速さに残像すら捉えられない。
「凄いですね。あのベアトリスさんが手も足も出ません……」とメルが誰に言うでもなく呟き、リディが「ゴーヴィでもあれほどじゃないわ」と答えている。
彼女の言う通り、祖父とは次元の違う強さだった。
ベアトリスの槍術士レベルは六十四。超一流と言われる三級傭兵にあと少しで届くレベルだ。祖父と戦ってももう少し形になるのだが、今回は全くなすすべがないという感じだ。
ベアトリス自身もそれを感じているのか、強引に勝負に出た。
三連突きを放った後、身体を大きく回して石突部分で薙ぎ払う。本来なら槍で使う攻撃ではないが、彼女が持つオイゲンの神槍なら有効な攻撃手段で、初見なら面食らうはずだ。
しかし、ギデオンは「ほう」と感心したような声を上げるだけで簡単に三連突きを回避し、更に奇襲とも言える石突での攻撃をスウェイバックのように身体を反らすことで難なく避ける。
それだけではなく、反動で大きな隙ができたベアトリスの脇腹に鋭い斬撃を放っていた。
バン!という音が響き、ベアトリスは再び数メートル吹き飛ばされ、地面を削りながら止まった。
「ベアトリス姉様が全く歯が立たないなんて……」とセオが絶句している。それは俺も同じ思いだった。
いつもならすぐに立ち上がるベアトリスがなかなか起き上がらない。もしかしたら頭を打って気絶しているのかもしれないと思い慌てて近づいていく。
ギデオンはバツの悪そうな顔で頭を下げた。
「すまねぇ。少し熱くなっちまった。内臓がやられているかもしれん。誰か、うちの治癒師を呼んできてくれ!」
その声に若い傭兵が外に向かって走り出す。
「ベアトリス、大丈夫か?」と声を掛けるが、顔色は蒼く、目を開くことなく唸るばかりだった。
内臓の損傷の可能性を考え、治癒魔法を掛けていく。内臓を修復しつつ浄化するイメージを続けていくと、ベアトリスの顔色もよくなっていき、ゆっくりと目を開ける。
「全く歯が立たなかったね」とベアトリスが呟く。
「大丈夫か。まだ痛むところがあるなら、もう少し治癒魔法を掛けるが」
「大丈夫だよ。でも、はらわたが吹き飛ぶような一撃って奴を初めて食らったよ。これほど腕の差があると、ゲールノート殿の防具でも全く役に立たないね」
治療が終わったタイミングで、傭兵ギルドの治癒師が到着した。
三十歳くらいの男性で落ち着いた雰囲気があるが、「もう治っていますよ。重傷だと聞いてきたのですが」と言って首を傾げている。
更にその後ろから野太い女性の声が響く。
「あんた! またやっちまったのかい!」
そこにはギデオンと同じくらいの身長だが、恰幅がいい印象を受ける中年女性の姿があった。
よく日に焼けた化粧っ気のない顔で、笑顔なら気のいいおばちゃんという感じなのだろうが、無骨な金属鎧に長剣、大型の盾を持っており、更に怒りに眉を釣り上げているため、非常に迫力がある。
「ゲッ! フラン……い、いや、その……」と先ほどまであれほど堂々としていたギデオンの挙動が一気におかしくなる。
「そっちの獣人の嬢ちゃんは大丈夫なのかい。この子も腕のいい治癒師だが、もっといいのを呼んでくるよ」
ギデオンに対する言葉とは違い、ベアトリスに対しては気遣いが感じられる。ただ、横にいる治癒師の男性は、「それはないでしょう、フランチェスカさん」と苦笑していた。
「気遣いありがとうよ。まあ、嬢ちゃんと呼ばれるほど若いわけじゃないがね」
ベアトリスはそう言ってゆっくりと立ち上がった。
そして、ギデオンに向かって一礼し、
「世の中は広いと改めて思ったよ。もう少しやりたいところだが、この子たちも待っているんでね」
そう言って俺とメルにちらりと視線を向ける。
「いい突きだったぜ。それに獣人にしちゃ、基礎がしっかりしている。いい師についているんだろう。このまま精進すりゃ、二級に問題なく上がれる腕だぜ」
その言葉に若い傭兵たちが驚きの声を上げる。
彼らの反応は分からないでもない。二級傭兵といえば、レベル八十一以上。ロックハート家でいえば、祖父ゴーヴァンだけだ。それほどの腕の傭兵はフォルティスといえども、二、三十人いればいい方だ。
そんな連中と同じレベルになれると“剣聖”が断言したことに驚いたのだろう。
「折角だし、私も混ぜてもらおうかね。いいよね、あんた」とフランチェスカがギデオンを睨む。どうやら、彼の妻らしい。
気のいいおばちゃんという雰囲気だが、その動きはベテラン傭兵のそれで、ベアトリスに匹敵する腕があると感じさせる。
ギデオンが答える前にフランチェスカが、「あんただと、こっちの坊やや嬢ちゃんの相手は無理だろ」と言ってセオとセラを見る。
「ああ、そっちはお前に任せる」と言うと、セラが「私もギデオンさんに指導してもらいたい」と言った。
「ナマ言うんじゃないよ。あんたは私で充分だ。そっちの黒い兄さんや赤毛の嬢ちゃんくらいの腕になるまで我慢しな」
そう言われ、セラは少しむくれるが、セオが妹を宥める。
「そうだよ。ベアトリス姉様が手も足も出なかったんだ。僕たちじゃ、指導にもならないよ。それにフランチェスカさんも凄い剣術士みたいだし、僕はぜひともお願いしたいね」
「かわいい顔してよく分かっているね。じゃあ、二人して掛かってきな」
そう言ってセオ、セラの 双子組(ツインズ) 対フランチェスカの模擬戦が始まった。
直前までむくれていたセラだが、木剣を構えた瞬間、その表情を消した。そして、祖父の指導通りのきれいな型で剣を向ける。
セオも全く同じ形で構えると、フランチェスカが「いい構えだよ。じゃあ、掛かっておいで」と笑顔で誘う。
次の瞬間、二人が同時に動いた。
セオが右側に跳び、セラが左に跳ぶ。一瞬にしてフランチェスカの左右から挟み撃ちにする形になった。
双子だからか、長く一緒に修行しているからかは分からないが、本当に息の合った動きを見せる。
フランチェスカは先に攻撃する気がないのか、自分の左側にいるセオに対して盾を突き出し、右側にいるセラに軽く剣を向けるだけで止まったままだ。
セオたちはその構えに警戒するものの、仕掛けなければ始まらないと、再び同時に動いた。
今度はタイミングこそ同じだが、動きは全く別だった。
セオは盾の死角になるように姿勢を低くして足を狙い、セラはセオの攻撃が成功するようフランチェスカの攻撃を誘うように、フェイント気味に剣を突き出す。
その直後、不思議な光景を目にした。
掛かっていったはずの二人が同時に転ばされていたのだ。
フランチェスカは、フェイントとして軽く突きを放ってきたセラの剣を掻い潜り、胴を薙ぎ払うと、その勢いを利用し、大きく円を描くようにしてセオの踏み出した足を斬りつける。
傍から冷静に見ているから何とか理解できるが、その動きは素早いながらも洗練されており、美しい演武のようで現実感がなかった。
「いい動きだよ。だが、坊やの方は相手に当てることを意識しすぎだ。足を見ていちゃ、相手の攻撃を避けられないよ。嬢ちゃんの方は殺気がなさ過ぎだ。あれじゃ、フェイントだと言っているようなもんだ」
笑いながら欠点を指摘する。
セオたちにはダメージはなかったのか、すぐに立ち上がり、剣を構えて攻撃の意思を見せる。
「いいね。その根性が大事なんだ。どんな敵にも負けないっていう気概こそが生き残るのに一番大事なんだよ」
その後はセオたちが猛攻を仕掛け、フランチェスカがそれを凌ぐという展開が続いた。レベル差が大きいとはいえ、全く危なげがない。
「ニコラスといい勝負をするんじゃないか? メル、お前ならどう攻める?」
俺の問いにメルは悩んだ後、
「難しいですね。あれだけ防御が上手いと……私なら盾を壊しにいくことしか思いつきません」
「そうだよな。普通にやってもあの防御は崩せない。魔法で小細工しても駄目そうだし……」
そこにベアトリスも加わってきた。
「あたしより腕が立つことは間違いないね。あんたの言う通り、ニコラス殿と互角じゃないかね。あたしと大して歳は違わないのに、本当に世の中は広いよ」
あとで聞いたら、彼女のレベルは六十八だった。
四十三歳で、更に三人の子持ちだそうで、妊娠中や子育ての期間を考えると驚異的な才能だ。ちなみに村を出発する前に聞いたニコラスのレベルは六十九だ。
更に十分ほどセオたちの指導が続いた。
二人の息は既に上がり、動きが鈍くなっている。
それでも気合いを入れて攻め続ける。もうすぐ十二歳の少年少女にしては異常なほどの集中力だが、それでも基礎体力の低さはカバーしきれない。
「最後に死ぬ気で打ち込んできな!」というフランチェスカの一言で、二人の闘志に火が着いた。
二人は再び同時に上段から打ち込んでいく。それは防御を一切考えない愚直なまでの攻撃だった。
フランチェスカはセオの斬撃を長剣で、セラの斬撃を盾で受ける。
「最後のはいい打ち込みだったよ」とニコリと笑い、剣と盾を下げた。
セオとセラはそこでガクッという感じで膝を突くが、すぐに立ち上がって大きく頭を下げる。
「「ご指導ありがとうございました」」
フランチェスカは「お疲れ様。いい根性だよ」と破顔する。
息を整えたセラが、「あとでもう一回、稽古をつけてもらえませんか!」と頼むと、セオも「僕もお願いします!」と言って頭を下げる。
その姿に若い傭兵たちが「本気かよ。フランチェスカさんの扱きをまだ受けたいなんてよ」と小声で言っていた。
「構わないよ。でも、大丈夫なのかい」とフランチェスカの方が心配している。まだ身体ができていない二人に気を使っているようだ。
「大丈夫です! 村の訓練の方がもっと痛いですから」とセオがいい、セラもそれに同意する。
「村だと、あと二時間くらいは素振りと模擬戦をやりますから、全然大丈夫です!」
実際、ラスモア村の模擬戦より打ち込まれる数は少なく、小さな打ち身程度しかない。
「あんたたち、どんな訓練をしているんだい……」
フランチェスカは呆れたような表情でセオたちに話しかけていた。