作品タイトル不明
第八十六話「北部域へ」
四月一日の午後四時頃。
ソレル族に招かれ、彼らの野営地で祭を楽しんだ。人馬族だけでなく、遊牧民たちのところも回り、独特の文化に触れることができた。
面白そうなものがいくつかあったので購入し、土産にしている。といっても酒ではない。
干し肉や独特の風味の岩塩、乾燥ハーブなどだ。
夜までいたかったのだが、今日は鍛冶師ギルドでザックコレクションの試飲会がある。そのため、祭の会場を後にし、ギルドに向かっている。
歩きながら、ソレル族の前族長から聞いた伝承について考えていた。
(神からの言葉が気になる……将来に何が起きるのか、何を命じたのか……ルナに関わってくる可能性が高いことは分かるんだが……今は考えても仕方がないんだが……)
俺がそんなことを考えていると、シャロンが横に並ぶ。
「ルナさんは将来ここに来るかもしれませんね」
俺の考えを読んだかのような言葉に思わず彼女の顔を見つめてしまう。
「ドワーフの皆さんにも積極的に関わっていただいた方がいいかもしれません。鍛冶師ギルドは世界中にありますから。アルスに寄ったら、ウルリッヒさんたちに料理を振る舞うように言ってみてはどうでしょうか」
彼女の考えは何となく理解できる。
ルナが神々の敵と戦うなら、少しでも味方が多い方がいい。しかし、多いだけでは駄目だ。敵は神々が恐れるほどの存在だ。だから、絶対に信用できるという条件が必要になる。
その点ドワーフは安心だ。彼らが友人を裏切ることは考えられない。
そして、鍛冶師ギルドのネットワークも魅力だ。常時、業務情報をやり取りし、ロックハート家に関わることはこの世界の最速レベルで伝達されている。
更に情報管理という点でも商業ギルドや魔術師ギルドより遥かに信用できる。
「そうだな。だが下心は持たない方がいい。ただ美味いつまみを食べてもらいたいからと考えた方が結果はよくなるだろう」
「そうですね。ルナさんの料理ならウルリッヒさんもゲールノートさんも他のドワーフの皆さんも絶対に気に入ると思います。それでいいということですね」
「そうだ。それでいい」
そんな話をしていると、ルナが「何を話しているんですか?」と聞いてきた。
「この間作ってくれた肉じゃががあっただろう。あれを鍛冶師ギルドで披露したらみんな喜ぶんじゃないかって話だ。あれはビールによく合うつまみだからな」
「そうなんですか?」とルナは首を傾げるが、
「皆さんが喜んでくれるなら作ってみたいです。でも、本当に喜んでいただけるんでしょうか」
「それは俺が保証するよ」というと、シャロンも「ザック様が言うんですから絶対です。何といってもドワーフのことを一番知っている方なんですから」と付け加える。
「分かりました。他にも何か作れないか考えてみます……何がいいかな……」
そう言って顎に指を当て考え始めた。
ギルドの支部に到着し、いつも通りの試飲会が行われる。
予想通り、彼らはザックコレクションを飲む作法?をしっかりと身に付けていた。やはりギルドのネットワークは侮れないと心の中で感心する。
一連の儀式?が終わると、涙と鼻水を流し、未だに興奮が冷めないドワーフたちに囲まれる。
「夢のようじゃ! これほどの酒が飲めるとは……」
これと似た感想が何度も出てくる。
支部長のカール・クリューツから聞いたのだが、スコッチの話を聞いてから、ネザートンを離れようか悩んだそうだ。
「……これがここでも飲めるようになるんじゃなぁ……一時はアルスに引き上げようかと考えたこともあったんじゃ……」
ネザートンには定住するドワーフは少なく、若手の鍛冶師が修行のために十年ほど工房を開くケースが多いそうだ。
これは帝国の地方都市に多く見られる傾向で、北部の主要都市ウェルバーンでも同じらしい。実際、ラスモア村の鍛冶師ベルトラムは生まれ故郷のアルスで修行し、ウェルバーンで修行がてらに工房を開いていたが、祖父に誘われ、ラスモア村に来ている。
これは元々ドワーフという種族が一つの町に留まりたがらないという習性に基づいている。
彼らの場合、いろいろな土地の酒を飲みたいという欲求があり、十年から二十年くらいで別の町に移動することが多いそうだ。もっとも帝都プリムスやアウレラなどの大都市は別で、その土地だけで充分に多くの酒を味わえるため、何十年も住み続け、最後には定住してしまうそうだ。
カールもアルス出身であり、そろそろ故郷に工房を立ち上げてもよい時期になっていたことから、そんなことを考えたそうだ。
「ここでしか飲めん蒸留酒ができるなら、アルスにいくわけにはいかん。何としてでも成功させて浴びるほど飲まねば……」
トウモロコシの蒸留酒の話をしてから、ドワーフたちのやる気が見違えるほど上がっているらしい。職員は大丈夫なのかと気になるが、鍛冶師ギルドの職員になるくらいだから、何とかなるだろう。
「酒造りの職人たちを派遣することになった。帰りもここを通るのなら、すまんが一緒に連れていってくれんか」
そう言って頭を下げる。
「別に父も反対しないと思うが……まっすぐ帰るとは限らないがいいのか?」
今のところ、帰りはフォルティスを通ってアルスに入るが、アルスでは蒸留器の設置のタイミングであり、スレイ川沿いの蒸留所に行く可能性があるからだ。
「構わぬ。この辺りにはよい傭兵が少なくての。満足な護衛をつけられんのじゃ。少々遅れても職人たちが安全ならそれでよい。その点、ロックハートと一緒なら安心じゃ」
中部域の草原地帯は遊牧民と人馬族が治安を守っているため、非常に安全な土地だ。また、北部や南側の帝都方面も治安はよく、商人たちが雇う護衛の質は大したことはなく、絶対数も少ない。
しかし、フォルティスに向かうとなると話は変わってくる。
フォルティスは永世中立を宣言した傭兵国家で国自体の治安はいいのだが、帝国との国境地帯だけは別だ。
帝国側は国境地帯の治安に興味はないし、フォルティスは自国の兵を差し向けて帝国との関係をこじらせたくないと思っている。そのため、ポルタ山地からテスタ山地に掛けて、魔物や盗賊が多くはびこる土地になっていた。
更に満足いく優秀な傭兵を雇うにはフォルティスに依頼しなくてはならないが、現在、帝国とルークス聖王国との戦争の影響で優秀な傭兵を確保しづらい状況になっている。
職人を大切にする鍛冶師ギルドとしては、万全を期したいと依頼してきたのだ。
父に話すと即座に了承され、ウェルバーンからの帰りに合流することが決定した。
「それにしてもさすがはロックハートじゃな」とカールが言ってきた。何のことかと思ったら、人馬族との話だった。
「儂もこの町に二十年ほどおるが、人馬族から馬を贈られたという話は初めて聞いたぞ。それを言ったら、人馬族が人族に手合わせを願うというのも初めて聞いたが」
「馬のことは驚いているよ。手合わせの賞品とはいえ、俺の作ったボトルじゃ釣り合わないからな」
「さっきのボトルなら充分に釣り合うと思うんじゃが?」と首を傾げる。
確かに見た目だけなら水晶を削り出したといっても通用するほど美しいが、原材料費は五クローナ、日本円で五千円も掛かっていない。そう考えると一頭一万クローナはするカエルム馬をもらってもいいのかと思ってしまう。
「何にせよ、これでロックハートの名は更に上がったことは間違いない。特に中部域では誰からも尊敬されるはずじゃ」
カールの指摘は俺も感じている。
この話が町に伝わった後、商人たちの態度が一段階以上上がった感じなのだ。それまでも帝国子爵ということで恭しさは感じていたが、そこに尊敬の眼差しが入るようになった。
ロックハート家に近づきたいと考えたのか、贈答品を持ってあいさつに来るものすらいた。贈答品は受け取らなかったものの、必要なことができたらいつでも声を掛けてほしいと何人もの商人に言われている。
鍛冶師ギルドでの試飲会と宴会を終え、これでネザートンでやらなければならないことはすべて終了した。
翌四月二日に北部に向けて出発する。
昨日の長時間に渡る宴会で大人たちは疲れ気味だが、セオとセラは異常に元気だった。
昨日ソレル族からもらった馬に乗れることがうれしくて仕方ないらしい。
ルナも一人で馬に乗ることになり、それでテンションが上がっている。ただ一人、末の妹のソフィアだけは不満顔だった。
「セオ兄様とセラ姉様だけずるい! ルナ姉様も馬に乗るなら私も乗りたい」と不満を露わにしていた。
ソフィアも一人で乗れる程度の馬術スキルは持っているし、体力だけならルナよりあるから問題はないのだが、彼女に合う馬具がなく、一人で乗ることは許されなかった。
「仕方がないね」と言ってベアトリスが自分の馬に乗せることを提案し、それで何とか機嫌を直している。
九歳の少女とはいえ、大柄なベアトリスと長時間一緒に乗ることは馬に負担が掛かりすぎる。そのため、今まではできなかったのだが、ベアトリスが乗る馬も大型のカエルム馬になっており、それで許されたのだ。
セオとセラの馬を合わせて十七頭を贈られたことになり、最初からいた四頭を加えるとカエルム馬は二十一頭になる。
馬車が四輌あるため、騎乗するのはソフィアを含め、二十一人。
ロックハート家の一行はルナ以外、全員がカエルム馬に騎乗するという信じられない状況になっていた。
ちなみに贈られた馬だが、セオたちの若駒を含め、きちんとした調教がなされている。
人馬族は馬を育てることはできるが、騎乗できないので不思議だったのだが、話を聞いてみると、友好関係にある遊牧民に軍馬としての調教を委託しているそうだ。
宿の前で出発の準備をしていると、鍛冶師たちが見送りに来てくれた。
「帰りにも宴会じゃ! ジーク・スコッチ!」という声が響く。
それに応えながらネザートンの町を出発した。
町を出て北方街道に入ると、まだ昨日の祭の余韻が漂っていた。遊牧民や人馬族のテントが何百も立っており、彼らも出立の準備を始めている。
遊牧民たちの野営地を抜けると、それまでと同じ広大な草原が広がっていた。
これでようやく出発だと思ったら、今度はソレル族が総出で見送りに来てくれた。彼らの場合、少し離れた丘の上から見送るようで、槍を振り上げて大きく振っている。
俺たちもそれに応えるように手を大きく振り、馬を進めていった。
ネザートンから目的地であるウェルバーンまでは二百五十キロメートル。そのうち、百キロメートルほどは草原地帯であり、それを抜けると北部域に入ることになる。
草原地帯では魔物や盗賊に襲われることなく、三日で抜けた。
北部域に入るが、風景に大きな変化はなく、緩やかな丘の草原が続いている。ただ、違う点は小さな集落と畑が見え始めたことだ。
「ここから治安が悪化している可能性がある。すぐに戦闘に移れるように気を配っておけ! ダン、リディア、ベアトリスは周囲の警戒を頼む」
父が懸念しているのは長期に渡る北部総督府軍の不在だ。
本来なら北部域、特に北方街道沿いは非常に安全な土地なのだが、治安を維持していた軍の不在でどうなっているのか不安が残る。
北部総督であるラズウェル辺境伯も市民からなる義勇兵やフォルティスから招いた傭兵を使って治安維持に腐心しているようだが、一万五千の正規軍を埋めることは現実的には不可能だ。
恐らく重点的に守るところを決め、パトロールを密にすることで対処しているはずだ。
そう考えると、街道の途中で襲われる可能性は充分にあった。
馬に不慣れなルナとソフィアは馬車に乗ることにし、北部域南部の町、ディラックに到着した。
ディラックはこの周辺の主要都市で帝国標準の城塞都市だ。久しぶりに見る城壁に懐かしさを感じる。
(“草の海を往く”という感じは嫌いじゃないが、そろそろ飽きてきたからちょうどいいな……)
ディラックの城門では黒髪に整えられた口ひげの三十歳くらいの男性が待っていた。青を基調にした服を着ており、背筋を伸ばした美しい姿勢が貴族であることを感じさせる。
「お待ちしておりましたぞ。ロックハート子爵閣下!」
馬に乗る父にそう言って歓迎の言葉を掛ける。父は慌てて馬を降り、俺たちも慌てて同じように降りる。
「マサイアス・ロックハートです」と言って右手を差し出す。
「この町の領主、オーウェン・ディラック男爵です。心より歓迎いたします」
ディラック男爵が父の右手を取り、あいさつを終えたところで、兄嫁のロザリーが男爵に声を掛けた。
「お元気そうですね」
辺境伯令嬢だけあり、面識があるようだ。
「お嬢様もご壮健そうで何よりです。それにますますお美しくなられた。ロドリック卿が羨ましく思いますよ」
後で聞いた話だが、男爵はロザリーの兄であるパトリックの学友だったそうで、ウェルバーン城で何度も顔を合わせていたらしい。ただ、パトリックが亡くなってからはほとんど会っていないということだった。
「では、我が城にご案内いたします。それにしても見事な馬ですな」
俺たちのカエルム馬を見て感歎の声を上げる。北部域は草原地帯に近く、カエルム馬は見慣れているはずだが、その彼が見てもいい馬らしい。
ディラックは標準的な城塞都市だが、人口は二千人ほどしかいない。そのため、帝都付近から来た俺たちにはやや寂れているように感じる。
そのことに気づいたのか、先導する男爵が現状について説明してくれた。
「北方街道を行き来する商隊の数が減っておるのですよ。我が領内でも商人たちから悲鳴が上がっております……」
北方街道自体の治安低下もあるが、それ以上に大きな影響があるのがアウレラ街道が麻痺していることだ。
北方街道はアウレラ街道に繋がるロークリフが基点となり、ラクス王国やサルトゥース王国との貿易で栄えていた。
しかし、治安低下によってアウレラ街道が完全に麻痺したため、帝国南部の物産を運ぶ商人たちはカウム王国を通るアルス街道にシフトしてしまった。
また、中部域の物産を取り扱う商人たちもフォルティス経由のルートを選択するしかなく、北部域は不景気に喘いでいるそうだ。
そんな話をしているが、町の人々からはロックハート家に対する歓迎の声が上がっていた。
特にロザリーには「姫様、お帰りなさい!」という声が多く掛かっており、彼女はそれに手を振ることで応えている。
隣にいる兄にも多くの声が掛かっており、北部域での人気の高さは未だに健在のようだ。
そんな町を歩きながら、ディラック城に到着した。