作品タイトル不明
第五十九話「帝都支部への提案」
二月十一日の夕方。
午前中に宰相フィーロビッシャー公爵と面談し、その後に元老であるアレクシス・エザリントン公爵と話をするなど、濃い時間を過ごした。
午後はその反動もあり、リディたちと近くにあるジェラート屋に行って、小さな公園でのんびりとした時間を楽しんだ。
午後四時からいつも通り訓練を行ったが、宰相府での一連の出来事でストレスが溜まっていたのか、父と兄の気合の入り方が異常だった。
いつもなら父は教官役として模擬戦はそれほどやらないのだが、今日に限っては俺やメルと激しい模擬戦を繰り返した。
兄も同じようにベアトリスを指名して戦い、更には従士たちと五対一の模擬戦までやっている。
二人ともボロボロになったが、午前中の疲れ切った表情とは打って変わり、清々しい顔になっていた。
訓練を終え、汗を流した後、シーウェル家の用意した馬車で、南地区にある鍛冶師ギルドのプリムス支部に向かう。
そう、今からドワーフたちとの宴会なのだ。
今日はロックハート家の関係者だけでなく、シーウェル侯爵とラドフォード子爵も参加することになっている。
蒸留所の建設の準備として、シーウェル市に鍛冶師ギルドの支部を設立してもらうためだ。
「私が行っても受け入れられるだろうか? 私にはアレクシス殿ほどの胆力はないのだが……」と珍しく侯爵が弱気になっている。
彼の言う通り、エザリントン公爵はギルド支部の宴会に参加し、ドワーフたちが喜びそうな演出をしたことから、今では良好な関係を築いている。しかし、これは公爵の人柄が大きく影響しているため、シーウェル侯は自分では難しいと弱気になっているのだ。
「イグネイシャス様もいらっしゃいますし、私も全面的にサポートしますから問題ありませんよ」
これは侯爵を励ますために気休めで言っていることではない。実際、俺自身はそれほど心配していない。
なぜなら、シーウェル侯自身がワインを、つまり酒を愛しており、ドワーフたちがそのことを感じることは間違いないためだ。
「御館様なら大丈夫です。酒の話をしに行くだけと気楽にお考えください」
ラドフォード子爵も俺と同じ考えのようだ。
俺たちの言葉を聞き、侯爵も少しだけ気が楽になったのか、僅かだが笑みが戻っている。
一時間ほどで南地区のギルド支部に到着した。
さすがに帝国の鍛冶師を統括しているだけあり、総本部に匹敵する建物だ。
そしていつもの通り、正門の前はドワーフたちで溢れ返っていた。その数は百人を軽く超え、帝都にあるすべての工房の親方と主要な鍛冶師が集まっているようだ。
「よく来た! 歓迎するぞ!」
支部長のギュンター・フィンクが大声で俺たちを歓迎する。
父が代表して彼と握手をし、「歓迎に感謝する」と言って肩を叩きあう。
本来なら代表者は父ではなく、爵位が上のシーウェル侯爵なのだが、今回はロックハート家を歓迎する宴であることから父があいさつを受けたのだ。
建物に入っていくと、更に多くのドワーフがおり、俺たちが通るたびに「よく来た!」、「ジーク、スコッチ!」という声が掛かる。
その熱気に、侯爵は「これほどまでとは……」と横を歩く子爵に話している。
集会室も建物の規模にふさわしく、総本部と遜色のない大きさだった。
俺たちが中に入っていくと、すぐに職員たちが席に案内する。ここでもギルド職員の有能さは変わらないらしい。
既に多くの樽が運び込まれており、その中にはロックハート家が贈った三年物のスコッチのクォーター樽もあった。
俺たちに続いて、ドワーフたちが席に着いていく。
しかし、彼らの視線は従士であるルークたちが運んでいるステンレスの容器に釘付けだった。本能的にザックコレクションが入っていることを理解しているのだろう。
父から目配せで合図が届く。これもいつものことなので小さく頷いてから立ち上がった。
「それでは宴会の前にザックコレクションの試飲会を始めたいと思います……」
既にリディたちが準備を始めており、用意されたグラスにスコッチを注いでいく。
「説明は不要かと思いますが、念のため注意事項を伝えておきます。まず……」
いつも通りの説明を行うが、支部長のギュンターなど昨年のドワーフ・フェスティバルに参加したドワーフたちから聞いているためか、メルたちが運ぶグラスに釘付けになっている。これもいつものことだが、説明を聞いているとは思えない。
それでも一応説明は行っていく。
「今回のザックコレクションは三種類の原酒を 混ぜ合わせた(ヴァッティングした) ものです……」
そこまで説明したところで全員にグラスが行き渡った。俺は説明を止め、グラスを持ち上げる。
「それでは皆さん、まずは香りを楽しんでください……」
ここから先はいつもと全く同じだった。話を聞いているとしても、リアクションが全く同じということに、どうしても驚いてしまう。
(本能に従った動きというか、条件反射のような無意識の動きなんだろう……ドワーフ族には謎が多いが、これもその一つということだな……)
そんなことを考えながら、リディたちに目で合図を送る。
俺自身も耳栓をして準備を行うが、これもいつも通りなので割愛する。
俺たちの中ではシーウェル侯だけが初めて見るため、その光景にあんぐりと口を開けて驚いている。
ギュンターはドワーフ・フェスティバル以来だが、他のドワーフは初めてということで、なかなか落ち着かない。もっともギュンターも涙を流しているから、大きな違いはないのだが。
ドワーフたちの賞賛の声が十分ほど続いたところでようやく落ち着きを取り戻す。
そこで父が立ち上がり、「此度は我らの歓迎の宴を開いていただき、感謝します」とあいさつをする。
その頃には職員たちの手で料理が並べられ、ドワーフたちのジョッキに酒が満たされていく。最初は三年物のスコッチのようだ。
俺たちのところにも飲み物の注文を取りに来る。最初の一杯を何にするのか確認するためのようだ。この辺りのこともギルドの間で情報共有されているらしい。
「一杯目はラガータイプのものを」と頼むと、すぐに黄金色のビールが満たされた木製のジョッキが届く。
「外においてありますので、充分冷えておりますが、温度は問題ないでしょうか?」
俺が酒の温度に拘ることも情報共有されていた。その事実に苦笑しながら、
「多分大丈夫だと思いますが、乾杯の後で自分で調整しますよ」
ロックハート家側はセオたち以外、俺が選んだラガータイプにしたようだ。ちなみにセオたちには温かいハーブティか、柑橘系のジュースが用意されている。
全員に配り終えたところで、ギュンターが立ち上がる。
「では、我らとロックハート家の友情が更に深まることを祈念して、乾杯!」
「「乾杯!」」という声が木霊し、宴会が始まった。
出てくる料理だが、ドワーフ料理と呼ばれる揚物が中心だ。しかし、使われている素材の種類は多く、鶏肉や切り身の魚だけでなく、タコやイカ、貝類などの魚介類も豊富だった。
更に子羊の丸焼きや大きな豚のバラ肉を焼いたものなど、豪快な料理が次々と出されていく。
「凄いものだな」とシーウェル侯が感心している。これは量だけでなく、味がよいことにも驚いているようだ。
「さすがは帝都の支部だな。これだけの素材は総本部やウェルバーンでも揃わないよ」
ギュンターに向かってそう言うと、彼は豊かな髭を扱くようにして、満足げに頷く。
「宴会の料理は鍛冶師ギルドで一番じゃと思っておる。昨年のドワーフ・フェスティバルで優勝できなかったのは悔やまれるが、次は必ず優勝する!」
昨年の春に行われたドワーフ・フェスティバル、正式名称“酒類品評会”で三位だったことから、その雪辱を果たしたいらしい。
「あの時の 大角牛(グレートホーン) の香草焼きはないのか」
「そろそろ焼ける頃じゃ。あれは焼き立てに限るからの。儂のブラウンビールも用意してあるぞ」
「それが三位になった組み合わせかな?」とラドフォード子爵が話に加わってきた。
「その通りじゃ。イグネイシャス殿に食わせてやりたいと思って準備させておる」
「わ、私のために……」
「そうじゃ! あの祭に参加できず、血の涙を流した話は有名じゃ。それにアルスではウルリッヒたちの酒と料理を味わったのであろう? ならば儂らの酒も楽しんでもらわねばの」
ラドフォード子爵がドワーフ・フェスティバルに参加できず、血涙を流した話はドワーフたちの間で知らぬ者はない。
エザリントン支部のイヴァンなどは「儂も同じ思いじゃ」と言って共感しており、参加できなかったドワーフたちはその一点をもって彼のことを友と呼ぶほどだった。
「イグネイシャスはこれほどまでにドワーフたちと……」
彼の主君であるシーウェル侯は話に聞いていたものの、実際に目の当たりにして驚きを隠せないようだ。
宴会は盛り上がり、いつも通り乾杯の歌が何度も集会室に響いていた。
ある程度落ち着いたところで、俺は立ち上がった。
「何じゃ?」とギュンターが聞いてきたので、「みんなに話があるんだ」と言い、
「皆さんにお話があります! 酒の話です!」と叫ぶ。
次の瞬間、あれほど騒がしかった集会室が一瞬にして静まり返る。
ドワーフたちだけでなく、職員たちも俺に注目していた。
「皆さんに協力していただきたいことがあります! まず、一つ目ですが、シーウェル市でワインの祭を行いたいと考えています。その手伝いをギルドにお願いしたいのです!」
「手伝いじゃと? 何をすればよいんじゃ?」
「ギルドの職員の皆さんは宴会の 達人(プロフェッショナル) です。千人規模の祭になるのですが、シーウェル家には大規模な宴会や祭を実行するノウハウがありません。シーウェル家の文官たちが慣れるまで、その手伝いをお願いしたいのです」
「私からもお願いしたい。ザカライアスのいう通り、我らにはワインはあるが、どう振る舞ってよいのか分からぬのだ。よろしく頼む」
シーウェル侯も立ち上がってから頭を下げる。上級貴族である侯爵が平民である鍛冶師に頭を下げたことに、剛毅なドワーフたちも驚いている。
「どんな祭かは知らんが、ザックに頼まれた以上、喜んで手伝いはさせてもらう。無論、儂らも参加してよいのじゃな?」
「もちろん。酒の祭にドワーフがいないのでは格好がつかぬよ」
一つ目の頼みはすんなりと了承された。
ワインの名産地シーウェルで祭が行われるということで、ドワーフたちは楽しげに「どんな祭になるんじゃろうな」と隣の者と話している。
このいい雰囲気を利用し、頼みごとを終わらせてしまおうと考えた。
まず、「二つ目の依頼です!」と言って、再び注目を集める。
「シーウェル侯爵領で蒸留酒を生産することが決まりました!」
「「オオ!」」というどよめきが起きる。シーウェルで蒸留酒が作られれば、間違いなく帝都で売られることになるからだ。
ここで侯爵に代わる。
「我がシーウェルには鍛冶師ギルドの支部がない。つまり、蒸留器を作る職人がいないのだ。そこで頼みなのだが、シーウェルに新たな支部を作っていただきたい。この支部は武具の生産ではなく、蒸留器の製造が主となるのだが……」
最後の方は鍛冶師たちに反発されるのかと思ったのか、声が小さくなる。
「蒸留器の製造だけなら、プリムス支部が出張ればよいのではないか? 支部を作ってもすぐに仕事がなくなる気がするんじゃが」
ギュンターが俺に質問してきた。
「いや、シーウェルではこれまでにないほどの大規模な蒸留所が造られる予定だ。それも一箇所や二箇所ではなく、現在の計画では最低五箇所だ。生産量もラスモア村の数倍、恐らく五倍以上の規模となるはずだ。それだけの規模だと相当な数の蒸留器が必要だ。その 保守(メンテナンス) も必要だし、蒸留器の更新も定期的に必要になる。だから、少なくとも十人程度は常駐して欲しいんだ」
「それほどの蒸留所を作るつもりなのか……」
ドワーフたちは聖地ラスモアの五倍以上の生産量と聞き、驚きを隠せない。
その言葉を聞き、侯爵が話を引き継ぐ。
「我がシーウェル領は赤ワインと共にブランデーで世界一を目指す。これは味だけでなく、量も含めてだ」
「儲けるためにということか?」とギュンターが顔を歪めて口を挟む。彼は量という言葉に引っ掛かったようだ。
「言い方を間違えたようだ」と侯爵は苦笑するが、すぐに真剣な表情に変え、
「我がシーウェル領はすべての愛飲家に酒を提供したいと思っている。皆も美味い酒を制限なく飲みたいと思っておるのではないか? 私も同じだ。もちろん、味を落とすつもりなどない。そんなことを考えておれば、ザカライアスが協力するはずがないのだからな」
「確かにそうじゃ。ザックが酒の味に妥協するはずがない!」
ドワーフたちはそれで納得したのか、笑い声が上がる。
「それで頼みの方はどうなんだ? 最初は二十人ほどで立ち上げてもらいたいんだが」
「そうじゃな。蒸留器ならば手を上げる者はいくらでもおろう。エザリントン支部にも声を掛けて早急にラスモア村に送り込む」
これでシーウェル領の蒸留所の方は目途が立った。
「もう一つ頼みがあります」と言うが、「お前の頼みならいくらでも聞いてやるぞ」という声が上がる。
「フィーロビッシャー領も同じように支部を立ち上げていただきたいのです」
突然、フィーロビッシャーという名が出たため、ドワーフたちの顔に疑問が浮かんだ。