作品タイトル不明
第三十話「帝都の情報」
一月二十九日。
昨夜遅く、勅使であったイグネイシャス・ラドフォード子爵が戻ってきた。エザリントンから帝都プリムス、そしてシーウェルまでの約二百八十キロを僅か五日で走り抜けて戻ってきたのだ。帝都での報告まで考えると、その速度は早馬と言っていいほどだ。
(イグネイシャス様は文官だったはずだよな。俺のために申し訳ない気がする……)
彼が急いで戻ってきたのはワイン造りと蒸留酒造りに関して、俺と協議する時間を確保したいためだ。
といっても、時間が少ないわけではなく、シーウェルには十日ほど滞在する予定であるため、一日や二日短くなっても問題はないと俺は思っている。
訓練を終え、朝食に向かうと、少し疲れた表情のラドフォード子爵が座っていた。
挨拶を終えた後、「お疲れのようですが」と声を掛ける。
「いや、少し寝不足なだけだ。昨夜もワインの品質向上のことで御館様とダルントンを交えて夜中まで協議していたのでね……」
話を聞くと醸造所や畑、貯蔵庫で俺が指摘した事項について、具体的にどうするかをシーウェル侯たちと日付が変わる頃まで協議していたらしい。
強行軍の疲れを忘れるほどの情熱には脱帽するが、俺の無責任な意見で体調を崩されたら申し訳ないと思ってしまう。
「今日の午前中にサザーランドとダルントンが計画をまとめる予定だ。午後からその計画を聞いてもらえないか」
二人の文官に同情するが、了解以外の答えを出せる雰囲気ではなかった。
「午前中だが、帝都で仕入れた情報を伝えた上、今後のロックハート家の行動について話し合いたいのですが、よいですかな」
これは父マサイアスに向けた言葉だ。父は「我々に問題はありませんが」と了承するが、それほど急ぐ理由が分からないため、戸惑いが見える。
「急いで戻ってきたのはザカライアス殿と酒造りの話をしたいこともあるが、急ぎ伝えねばならん情報があったためだ」
あまり良い話ではないらしい。
ロックハート家からは父、兄ロドリック、俺に加え、シャロンが参加することになった。
シャロンの参加は「シャロン殿の知恵もあった方がよい」というラドフォード子爵の意見が採用されたためだ。子爵は彼女のことを買っているらしい。
俺たちは朝食後に侯爵の執務室に向かうが、他の面々は自由行動ということで、何組かのグループに分かれ、街に繰り出すことになった。但し、出不精のリディだけは城に残り、「あなたが行かないなら、本を読みながらワインでも飲んでいるわ」と言っていた。
母ターニャと義姉ロザリーはアンジー、エレナの侍女コンビと共に、街を見学しながら商業地区にいく。護衛兼荷物持ちとしてシム率いる従士・自警団員五名が付いていく。
ベアトリスとメルはセラ、ソフィアの妹二人とルナを引き連れ、商業地区に向かう。こちらも荷物持ちとして五名の従士たちが付き従う。
ダンは弟セオと共にヴィクトリア・ラドフォード子爵夫人に誘われ、食事に行くらしい。ダンにそのことを聞くと、
「女性だけで行きたいところもあるでしょうから、男性は遠慮するものですよってヴィクトリア様に言われて……どういうことなんでしょう?」
俺にも「服でも買いに行くのかな」と思う程度で、理由が思いつかなかった。
昨日からダンはヴィクトリアに妙に気に入られているので、何か別の意図があるのかもしれない。セオが一緒だから“ 恋の冒険(アヴァンチュール) ”ということでもないのだろうが、いまいち彼女の意図が読めない。
ちなみにローレンシアたちは、ミルドレッド・シーウェル侯爵夫人らシーウェル領の貴婦人たちと茶会を開くらしい。
ベアトリスたちが出発する前、ルナに一つ頼みごとをしておいた。
「何か面白そうな食材があったら買ってきてほしい。そのためのお小遣いを渡しておくから」
そう言って銀貨を二枚、二十クローネ分渡す。日本円で言うと二万円ほどになる。
頼んだ理由だが、彼女の出自のヒントにならないかと考えたためだ。
昨日ワインゼリーを一緒に作った時に、転生前は料理を日常的に行う年齢だったことが分かったが、この世界の人とは違う考え方で何かを選べば、他にも情報が得られるのではないかと考えたのだ。
(まあ、情報が蔓延している時代に生まれていたら、地域なんかは分からないかもしれないが、それでもヒントの一つくらいは見つかるだろう……)
それだけではなく、もうひとつ考えていることがあった。
彼女は小遣いというものをもらったことがない。村にいる時は外に出ることはなかったし、この旅行に出てからも俺と一緒にいることが多かったから、何かほしそうにしたら買ってやることもできた。
そのため、現金を持たせていなかったのだが、少し明るくなってきたので、気晴らしに買い物もいいだろうと思ったのだ。
部屋でみんなと別れると、父たちと一緒に侯爵の執務室に向かった。案内の騎士がいるため、どのような話なのだろうかという会話もなく、部屋に到着する。
部屋で待っていたのはシーウェル侯とラドフォード子爵の二人だけだ。内密の話がしたいためか、普段なら控えているだろう文官もおらず、扉の前に立つ護衛すら遠ざけられていた。
俺たちが応接用のソファに座ると、シーウェル侯が目で子爵に合図を行った。それを受け、子爵が 徐(おもむろ) に口を開いた。
「帝都で得た情報ですが、良いものと悪いものが一つずつありました。まずは良い方からお話します……」
そう前置きして話し始めた。
「……宰相閣下より伺った話です。ラングトン大公閣下とインゴールスロップ公爵閣下はいずれも貴家の勧誘を諦めたとのことです。エザリントン公爵閣下がご令嬢二人を連れてエザリントンに戻られたということで相当悔しがられたということです」
「それで本当に諦められたのでしょうか?」と父が確認する。
「私もそのことが気になり、宰相閣下に直接確認しました。閣下は“抜け目のないアレクシス殿がミスを犯すはずはない。我が陣営に加わったも同然”と大公閣下らに直接伝えたそうです。大公閣下も慎重な宰相閣下にそこまで断言されては諦めざるを得なかったようです。恐らくですが、ザカライアス殿とローレンシア様たちの噂が帝都に流れれば、お二人も諦めざるを得ぬかと」
なし崩しに中立派に加えられた形になり、父が「それはおかしいのではないでしょうか。我らはどの陣営にも加わるつもりはありません」と口にする。
「もちろん、宰相閣下にそのことは伝えております。閣下も最初は驚かれましたが、“アレクシス殿が認めたのなら自分たちに不利になることはあるまい”とおっしゃられ、そこで話は終わりました。公爵閣下が帝都にお戻りになれば、状況は変わると思いますが、今はこれが最善の状況ではないかと」
子爵の考えに俺も賛同する。
「イグネイシャス様のおっしゃる通りです。今は皇太子派、レオポルド皇子派のいずれもが中立派に入ったと思ってくれる方が我々にとっては有利です。エザリントン公爵閣下は我々の思いを受け止めてくださいました。閣下にお任せするのが今は一番良いでしょう」
俺の言葉に父と兄が頷く。
「では、悪い方の情報ですが、商業ギルドの動向です。商業ギルドは貴家の帝都での行動についてしきりに情報を集めているとのことです。また、鍛冶師ギルド、魔術師ギルドにも接触し、何やら画策しているとのこと。更に気になるのは魔術師ギルドです。支部長であるマイルズ・イシャーウッドが動き始めたという話があるそうです……」
商業ギルドが動くことは想定していた。しかし、鍛冶師ギルドはともかく、魔術師ギルドにまで手を伸ばすとは思っていなかった。
(イシャーウッドか……こんなところでも関係してくるとはな……)
イシャーウッドは六年前、ギルド内での出世のために俺たちを出汁に使った謀略を画策した人物だ。
当時、首席であった俺と次席であったシャロンを追い出し、第三席であり教育研究委員長の息子であるクェンティン・ワーグマンを首席にすることで、父親であるピアーズ・ワーグマンを社会的に葬ろうとした。
この謀略については未然に防ぐことができ、彼自身はワーグマンを敵に回したため、帝都プリムス支部長への栄転という名目でギルド中枢から放逐された。五年経った今でも本部に戻ることができず、燻っているらしい。
「帝国において魔術師ギルドの力は大したことはありませんが、イシャーウッドは油断ならぬ人物と聞きます。思いもよらぬところから何を仕掛けてくるか分からぬ以上、警戒しておいた方がよいのではないかと。無防備に帝都に入り、足を掬われることもあります。貴家の判断を仰いだ方がよいと思い、急ぎ戻って来ました」
彼の言う通り、帝都においてイシャーウッドの権力はないに等しいが、謀略家としての能力は侮れない。そのことを子爵も感じ、俺たちに急いで情報を持って来てくれた。
単なる噂で子爵がここまでの話をするとは思えないが、念のため情報の信頼度を確認する。
「その情報源は宰相閣下でしょうか?」
「ああ、宰相閣下から得た情報だよ。閣下から直々に伝えるよう言われたものだ。もちろん、私も裏は取っている」
名宰相と名高いフィーロビッシャー公の情報なら確度は高い。宰相相手にイシャーウッドが相手になるとは思えないが、彼も五年もの時を無為に過ごしているわけではないだろう。だから、警戒しておくに越したことはない。
俺たちに手を出したとして、魔術師ギルドの本部に返り咲くことに繋がるのかという疑問は残るが、俺とワーグマン議長の関係を考えれば、議長の失脚に利用することもできなくもない。
商業ギルドの目的が鍛冶師ギルド絡みなら、それほど問題にはならないと思うが、もし、別の思惑、例えば皇太子派への強引な勧誘であれば何をしてくるのか想像できない。
「今は情報収集しかありませんね。父上、どうされますか?」
父にそう確認するが、
「今は動きようがない。新たな情報が入るまでは侯爵閣下、イグネイシャス殿に情報収集をお任せするしかない」
兄も頷くが、シャロンが「よろしいでしょうか」と発言を求めた。父がそれに頷くと、彼女は自分の考えを話し始める。
「独自に情報を収集すべきです。特に魔術師ギルドは普通にしていては情報が入らないと思います」
それに対し、父が「具体的にはどうするのだ」と確認する。俺には何となくシャロンが言うことが分かっていた。
「私が帝都に行って情報収集を行います。これでも魔術師ギルド員でもありますし、帝都支部に知っている方がいるかもしれませんから」
予想通りだった。確かにシャロンが情報を集めた方がシーウェル家に任せるより確実だ。
「しかし、危険ではないのか?」
それに対し、俺が答える。
「情報収集だけなら危険はないと思います。私ならともかく、シャロンに何か仕掛けても魔術師ギルド本部は何の痛痒も感じないでしょう。あのイシャーウッド氏ならそのような無駄なことはしないはずです」
「なるほど。しかし、一人で行かせるわけにはいかぬが」
「兄と一緒に行けばよいと思います。私に注目している人はいないと思いますが、私と兄ならザック様から何か頼まれたと思ってくれると思いますし、私たち二人なら多少のことは切り抜けられると思いますから」
父はそれでもシャロンを見知らぬ土地で情報収集をさせることが気がかりなのか、「しかしだな」と渋る。
「ロックハート家の関係者としてではなく、冒険者として動く方が目立ちません。お任せください」
シャロンの説得に父も渋々頷いた。
二人のやり取りを聞いていたシーウェル侯が、俺たちがイシャーウッドについて知っていることに疑問を持つ。
「イシャーウッドのことを随分と知っているようだが、いかに魔術学院の学生であったといってもあまり接点が無さそうなのだが?」
「通常ならその通りです。彼とはちょっとした因縁と言いますか、関わりがありましたので……」
そう言ってから六年前の魔術師ギルドでの陰謀について概略を説明する。もちろん、俺たちが積極的に動いたことは伏せておく。あまりに不自然だからだ。
俺の説明に「君は十歳でそのような陰謀に巻き込まれたのかね」と驚いていた。
「巻き込まれたといっても一方的に謀略のネタにされただけですし、解決したのはワーグマン議長ですから」
シャロンとダンが先行して帝都に向かうことが決定した。
本来なら俺自身が行きたいところだが、俺が動くと目立つし、ローレンシアたちのこともある。
シーウェル侯たちとの会談が終わると、彼女が皇太子派や皇子派に独自に接触し、情報を得ようとするのではないかと危惧している。そのため、一応釘を刺しておく。
「シャロンなら大丈夫だと思うが、無理はするな。魔術師ギルドや商業ギルドだけならいいが、皇太子派や皇子派には接触するな」
そして、問題が発生した場合についても念のため伝えておく。
「分かっていると思うが、もし何かあったら鍛冶師ギルドに助けを求めるんだ。彼らだけは間違いなく信用できる」
俺の懸念に笑顔で頷く。
「はい。多分そんなことにならないと思いますけど、何かあったら鍛冶師ギルドのギュンターさんに助けを求めます。でも一つだけ残念なことがあるんです」
「何かあったか?」と聞くと、少し寂しげな表情を浮かべ、上目遣いで話し始めた。
「ザック様と離れ離れになることです。生まれてから今まで一度も離れたことがなかったので……」
確かにその通りだった。メルやダンとは一年間別々に暮らしたが、シャロンだけはラスモア村でもドクトゥスでも一緒で、離れたことがあるのは村の東の森に偵察に行く時くらいだから、三日以上離れていたことがない。
それよりも先ほどまでの冷静な表情から一転して寂しげな表情を見せたことにドキッとしてしまった。
未だにこういうギャップに慣れず、「ああ、そうだな」としか言えなかった。