作品タイトル不明
第二十九話「シーウェル家の晩餐」
一月二十八日。
夕方の訓練を終え、今夜のデザートとしてワインゼリーをルナと作った。彼女が転生者であることは神から聞いていたが、他の情報は皆無だった。しかし、今回のことで、料理を日常的に行っていた年齢だったことが分かった。
夕食の時間になったが、今日は宴会という感じではなく、落ち着いた雰囲気の晩餐だ。
出席者はシーウェル侯爵家とエザリントン公爵令嬢二人にロックハート家のみで、場所も大ホールではなく、侯爵家用の 食堂(ダイニングルーム) で、従士たちは使用人用の食堂に行っている。
既に午後六時を過ぎているが、まだラドフォード子爵は戻っていないらしく、顔を見ていない。
贅を尽くしたという感じはないが、手を掛けていると分かる食事が供されていく。肉は塩漬け豚を使い、野菜も保存が利く根菜類やこの時期に収穫できるクレソンやネギなどが多い。侯爵といえどもさすがに毎日贅を尽くした料理を食べているわけではないらしい。
誰もそのことを口にしていないが、侯爵本人が理由を説明してくれた。
「我がシーウェル家は質素を旨としているのでね。今でこそワインで潤っているが、昔は侯爵家としての最低の水準を維持するだけで精一杯だったのだよ。その時のことを忘れないように、今でもこうして当時の料理を食するようにしているのだよ」
俺を含め、ロックハート家の面々はその考え方に共感する。ロックハート家もスコッチで裕福になった今でも贅沢をすることなく、昔と同じような素材を使っている。
もっとも、スパイスなどの調味料は俺が拘っているので、昔とは比較にならないほど使っているし、栄養のバランスを考えてメニューを変えているが。
俺たちが感心していると、侯爵はニコリと笑い、
「というのは建前でね。こういった料理が好きなのだよ」と言い、更に付け加える。
「それにこの料理は街で評判の店のものを再現しているのだよ。イグネイシャスのように食べ歩きができればよいのだが、さすがに私の立場で気楽に出歩くことはできないのでね。今日の料理もイグネイシャスが見つけてきたものを料理長に伝えたものなのだ」
その言葉に笑いが漏れるが、俺は別のことを考えていた。
(帝都にシーウェル料理として出すことを考えているんじゃないのか? イグネイシャス様なら思いつくだろうし、“美食の街”として有名になったのもその戦略の一部のような気がする……)
シーウェル侯は明るい性格であるが、強かな一面も持っている。顕著な例は一昨年の兄の結婚式における嫡子ジョナスのトラブルの時で、泥酔し場をしらけさせたジョナスを叱責するだけでなく、ワインを使って見事に場を収め、家名と嫡男を守っている。
侯爵の言う通り、晩餐に出てくる料理はどれも庶民的だが美味い料理ばかりだった。何よりシーウェルワインに合う味付けにしてあるところが絶妙で、できたばかりの新酒から昨年から熟成させているものまで、どのワインに合わせるかまで計算し尽くされていた。
「美味しいわね。特に牛肉とネギのスープは新酒によく合うわ」とリディが言うと、ベアトリスも大きく頷いている。
「どうだね。中々のものだろう?」と侯爵が聞いてきたので、「さすがは美食の街だと感心しています」と答えた。
「これも君のお陰なのだ」と侯爵が真面目な顔で言ってきた。
その言葉の意味が分からず、首を傾げていると、
「昨年、イグネイシャスがラスモア村に行った時、君は酒と料理の絶妙な組み合わせを披露したそうじゃないか。あのイグネイシャスが“あれほどの料理は初めて食べた”と言っていたよ。それからワインと料理の組み合わせをどうするかという研究を始めたのだ……」
昨年の三月に詫びとして贈られることになったシーウェルワインを持ってきたのがラドフォード子爵だった。その時にいろいろと工夫をした料理を出したことが発端らしい。
「一つの料理では飽きられる。ならば、地元の料理で美味なものがあれば、その料理にワインを合わせればよい。そういう結論になったのだ。言っては悪いが、辺境のラスモア村で出せたのに、美食の街といわれるシーウェルで出せぬというのは私のプライドが許さないのでね」
なるほどと思うが、それほどの料理を出した記憶がない。
「よいお考えだと思いますが、それほどの料理を出した記憶がないのですが? あれは私の趣味で決めただけで、それほど拘って合わせたわけではないので……」
「だからなのだよ。今までイグネイシャスを含め、我らは漫然と料理を食べ、酒を飲んでいた。しかし君は違った。どうすれば限られた材料で、より美味くなるかを常に考えていたのだ。その考えこそ、私が一番感心した点なのだ」
ここまで持ち上げられると面映くなる。反論しようか迷っていると、ローレンシアが話しに加わってきた。
「クレメント小父様のおっしゃる通りですわ。鍛冶師ギルドの宴に参加させていただきましたけど、だからこそ、ドワーフたちがあれほど熱狂的に、貴方のことを支持するのだと思いましたわ」
その言葉に妹のプリムローズも頷いている。
「それほど大したことではないんですが……」と言うことしかできなかった。
その後、ルナと作ったワインゼリーをデザートとしてふるまった。
白い皿にハート型や星型など様々な形のゼリーが載っている。透明度はやや低いが、上にホイップした生クリームとミントの葉があしらってあり、見た目は充分に美しい。
その見た目に全員が驚きの声を上げる。
「これほど美しいデザートがあるとは」と侯爵が絶句し、隣に座る侯爵夫人ミルドレッドが「初めて見るのですけど、これは食べ物ですの」と侯爵に聞いている。
「新酒のワインを使ったワインゼリーです。 酒精(アルコール) は飛ばしてありますので、お子様が食べても大丈夫です。少し甘いかもしれませんが、どうぞご賞味ください」
説明を終えると全員がスプーンを動かす。
「お、美味しいですわ! それにルビーのように美しいし、香りも……」
甘味好きのプリムローズが興奮気味に声を張り上げている。
「はしたないですよ、ローズ」とローレンシアがたしなめるが、
「でも、これはローズの言う通り、本当に美味しいデザートですね。ザカライアス卿のオリジナルのものですの?」
「元になった料理はありますし、帝都ならありそうだと思ったのですが、見たことはありませんか?」
俺の問いに「いいえ」と答え、妹にも確認しようと視線を向けるが、プリムローズはワインゼリーに夢中になっており、姉の視線に気づかない。
「こいつはいけるね」とあまり甘いものに興味を示さないベアトリスまでもが絶賛する。
「これにはどんなお酒が合うの?」とリディが聞いてきたので、僅かに苦笑しながら、
「これは完全に菓子だからな。強いて言うなら 発泡(スパークリング) ワインかな」
俺の言葉にシーウェル侯が給仕に声を掛ける。
「スパークリングワインが冷えていれば持ってきてくれぬか。ロックハート家から贈られた物があったはずだ」
給仕は「直ちに」と言って下がっていく。シーウェル侯には熟成させたシーウェルワインと共にスパークリングワインも贈ってあった。
給仕がスパークリングワインの入ったワインクーラーを載せたワゴンを押しながら、急ぎ足で戻ってきた。
すぐに開栓し、グラスを配っていく。さすがにシーウェル家の給仕らしく、その手際は非常に良かった。
シーウェル侯がグラスを受け取り、ワインゼリーを食べながらグラスに口を付ける。俺のところにもグラスが回ってきたので、同じようにつまみにしてみるが、やはりあまり合うとは言えない。
(ワインゼリーよりババロアとかの方が合う気がするな。スパークリングワインの酸味とワインゼリーの酸味が少し喧嘩する感じだな……)
俺はそう思っていたが、侯爵は「うむ。これはよい」と満足げに頷いている。
リディも同じように気に入ったのか、「美味しいわね」と喜んでいた。他の面々も同じように頷いているが、一人だけ違った。それはプリムローズだった。
「残しておけばよかった……」と空になった皿を見つめ、涙目になっている。その様子に微笑んだ侯爵が給仕にもうひとつ持ってくるように命じていた。
プリムローズのところに二つ目のワインゼリーが届けられる。ローレンシアは非難の目を向けているが、目の前のデザートに夢中になっているプリムローズは気づかなかった。
「美味しい……とてもよく合いますわ……」と恍惚とした表情を浮かべている。ローレンシアはその表情に諦めに似た表情を浮かべ、「あとでお仕置きを……」と呟いていた。
「これを私に食べさせたのはワインを使った料理の提案の一環かね?」
侯爵の問いに「その通りです」と答えた後、
「ワインの街であれば、ワインを使ったデザートがあってもよいかと思いました」
「なるほど。味もさることながら、見た目の美しさがよいな。これもシーウェルワインの高級化戦略の一つということか……ますます、君を臣下に加えたくなったよ。もう一度考えてくれんかね」
その勧誘に心魅かれるが、もう一度きっぱりと断った。
■■■
晩餐を終え、客たちがそれぞれの部屋に戻った頃、イグネイシャス・ラドフォード子爵が帝都から戻ってきた。
彼は勅使としての報告を大急ぎで終わらせると、百三十 km(キメル) という距離を僅か二日で走り抜けた。エザリントンから帝都までの百五十キメルを加えると、二百八十キメルという距離を五日間で移動していることになる。
特にシーウェルに戻る行程では馬車を使うことなく、騎乗で移動している。文官が一日に六十キメル以上も馬に乗っていること自体異常だが、護衛の騎士がいるとは言え、暗闇の中、馬を走らせていたことは更に異常で、帝都で何かあったのではないかと噂が立ったほどだった。
ラドフォードは慣れない騎乗で腰に痛みを感じていたが、それを我慢して主君であるシーウェル侯に報告を行った。報告を終えると、すぐにザカライアスの視察結果についてバーナード・ダルントンに質問した。
「で、ザカライアス殿の意見はどのようなものだったのだ」
ダルントンはその性急さに心の中で苦笑するが、すぐに報告を始める。手元のメモ帳を見ながらまず醸造所と畑での提言について説明を行った。
「……ザカライアス卿は村ごとに醸造しているワインを畑ごとに細分化すべきと提案されました。また、樽は年代や素材ごとにどのような味になるのか確認すべきであると」
シーウェル侯は難しい顔をして頷き、ラドフォードは「なるほど」と言って頷いた。
「蒸留酒の管理と同じということか。樽については分からんでもないが、畑で変わるものなのだろうか? 確かに蒸留器の形や職人の腕で蒸留酒の味は変わるのだろうが、ワインはブドウを潰して自然に酒にするだけだ。それほど変わるとは思えんのだが。ザカライアス殿はその点について何か言っていたか」
ダルントンは「私も同じ疑問を持ちました」と言った後、説明していく。
「日当たり、土質、風通し、樹齢によって微妙に変わるそうです。それだけではなく、収穫のタイミングも大きな影響を与えるとのことでした。細分化した後も常に品質を確認し、よいものができた畑は何が違うのか、畑なのか作り手なのか、その要因を分析すべきとの提案も頂いております」
「なるほど。そう言われれば納得できるな。確かにブドウの作り手が違うだけでも味は変わるだろう……」
ラドフォードは更に「地下室での改善点はどうだ?」と尋ねる。ダルントンは必死に書きとめたメモを見た後、一度苦笑した。ラドフォードはその表情が気になった。
「何かあったのか?」
「いえ、よくあれだけのことを思いつくと思っただけです」
「確かにな。私も同じことを思ったよ」とシーウェル侯が同じように苦笑いを浮かべる。
表情を引き締めたダルントンがメモに書かれた内容を説明していく。
「まず、搬出入口から外の風が入り込まないように仕切りをつけるべきであると。また、光が当たらないように幕を張るか、貯蔵室も区切った方がよいと。ボトルは可能な限り振動を与えないようにするため、みだりに触らないようにすること……ボトルには簡単なものでよいので識別用のラベルを貼り、数量管理を行うこと……ボトルの洗浄時にはカビが生えないように煮沸を行うこと……」
その数の多さにラドフォードは「まだあるのか」と思わず呟いた。
「はい。本当に思いつくまま言われたので整理できておらず、重複しているものがあるかもしれませんが、十分ほど話し続けられました……」
ラドフォードは大きく目を見開くと、「ご苦労だったな」と労う。疲れきっていたダルントンは後の説明は明日以降で済むと安堵した。
しかし、ラドフォードの次の言葉が彼の希望を打ち砕く。
「今日のうちにすべて聞いておきたい。疲れているところすまんが、説明を頼む」
その無慈悲な言葉にがっくりと肩を落とすが、この上司は美食のためなら妥協しない人物だと思い出し、諦めに似た表情を浮かべた。
(ザカライアス卿も酒に妥協しない人物だが、ラドフォード閣下も美食には妥協しない方だった……何となくこうなるのは分かっていたが、お戻りになられてから視察をしてもらう方がよかったな……)
その後、深夜までダルントンの説明は続いた。