作品タイトル不明
第二十六話「ワインの品質向上策」
一月二十八日。
今日も晴天に恵まれ、真冬とは思えないほどの陽気で、朝食前の訓練では夜明け前であるにも関わらず、すぐに汗が噴き出してきたほどだ。
朝食を摂った後、ブドウ畑と醸造施設を見学するため、シーウェル市の北部にあるウィディアル村に向かった。
ウィディアル村は北に僅か一キロと近く、シーウェル城を出発して二十分ほどで到着する。
馬車は丘の下で止まった。
馬車を降りると、周囲には広大な、そしてよく手入れされたブドウ畑が広がっている。
畑には剪定を行っている農夫がいるが、急ぎの仕事でもないのか、のんびりとした感じだ。彼らは俺たちに気づき、帽子を取って頭を下げている。
目の前にはオレンジ色の三角屋根の民家が二十軒ほど並んでおり、更に大きな平屋建ての建物があった。
「あの建物が醸造用の作業場です。まずはあそこから見にいきますか?」
今日の 案内役(アテンダー) であるバーナード・ダルントンがそう言って平屋建ての建物を手で指し示す。
俺に異存はないため、他のメンバーに確認し、醸造用の作業場に向かった。
俺たちが来ることは先触れで知らされていたのか、正装に身を包んだ村の人々が出迎える。これだけ見てもシーウェル領が豊かであることが分かる。辺境の農村では衣服に気を配る余裕などないからだ。
「この者はウィディアル村の長であり、ここの醸造責任者でもあるデリックです」
ダルントンがそう紹介すると、白髪ながらもガッシリとした体躯の初老の男性デリックが片膝を突いて大きく頭を下げる。
「ようこそお出でくださいました」
これはエザリントン公爵令嬢であるローレンシアとプリムローズに対するものだ。もちろん、シーウェル侯爵家の重鎮、ラドフォード子爵の夫人ヴィクトリアもいることもある。
ローレンシアが代表して「出迎えに感謝いたしますわ」とごく自然な感じで対応する。こういう姿を見ると、生まれながらにしてこういった生活をしているのだと改めて思う。
ウィディアル村は人口三百人ほどで、丘の中腹にある集落とシーウェル河に近い場所にある集落に分かれている。中腹にある集落が主にブドウ畑の手入れを行い、川に近い集落で醸造を行っているそうだ。更に川に近い低地には畑が広がり、ブロッコリーかケールのような濃い緑の葉野菜が作られている。
平和な土地なのか、集落の周囲には高さ一メートルほどの木の柵がある程度で防壁に当たるものがない。
ダルントンに聞いた話ではシーウェル市に駐留している帝国軍が定期的に巡回しており、治安を維持しているとのことだった。
シーウェル市にも冒険者ギルドの支部はあるが、冒険者の数は二十人ほどしかおらず、そのほとんどが狩人を兼ねている 斥候(スカウト) で、主として狩りをしながら森の中の偵察を行っているだけらしい。
醸造所の外にはきれいな小川が流れ、そこには大きな水車が回っており、大きな桶に水を汲み上げている。生活用水にも使うようで、醸造が行われていない時でも絶えず汲み上げられているようだ。
醸造所に向かうと、そこにもいつもより着飾った感じの職人らしき男たちが待っていた。この時期は出荷作業の真っ只中だが、収穫後のような時間を争う時期でもないので、その顔にも余裕がある。
ちなみにブドウの収穫時期は、畑のブドウが一斉に収穫のタイミングになるため、一日も無駄にできないと殺気立っているとのことだ。
醸造所の大きな扉が開かれる。
大きな木の桶や収穫用の背負い篭などが並ぶが、既に醸造作業の季節は過ぎているため、仄かにブドウの香りがする程度だ。
俺はその施設をゆっくりと見ていった。
建物自体は幅十メートル、奥行き三十メートルくらいで、中は大きな扉で三つに仕切られている。壁は石とレンガで作られたしっかりとした物だ。
一番手前の部屋で収穫したブドウを仕分けし、粉砕・搾汁する。次の部屋で果汁を発酵させ、ワインになったところで濾過を行い、樽に詰める。ワインが詰められた樽は地下にある ワイン貯蔵庫(カーヴ) に貯蔵される。
奥の部屋は出荷場所になっており、大きな扉とカーヴから樽を一階に引き上げ、更に馬車に積み込む揚重装置があった。
(規模はラスモア村より随分大きいな。まあ、これだけ広い畑があれば大きいのは当たり前か……)
設備を見ていくが、ラスモア村で知った程度の醸造の知識しかなく、ダルントンから「何か改善点は?」と問われても思いつくものはなかった。
樽の出荷場所に入っていくと、今の時期は新酒で出すものが地上部分にも積まれており、明り取り用の小窓から斜めに差し込む光が数十にも及ぶ大きな樽を照らしている。
ワインは三ヶ月程度の熟成で出荷されるものと、更に長く熟成させるものがある。長く熟成するといっても精々一年程度で、今の時期は昨年の秋に仕込んだ若いワインだけが保管されているだけで、一昨年の物はすべて出荷されている。
部屋の奥に地下に続く階段があり、全員で下りていく。
地下は灯りの魔道具で照らされ、百以上の樽がきれいに並べられている。樽は古いものから新しいものまであり、色はまちまちだった。
それまでの部屋と異なり、赤ワインの芳しい香りと若いワインが出す独特の酸のような香りで満ちていた。
「味を見られますか?」とダルントンが聞いてきたので、「お願いします」と言って味見をさせてもらう。
ここにはテイスティング用のグラスがない。そのため、俺が持ってきたグラスを渡す。
ダルントンから目で指示を受けたデリックが手近な樽に近づいていく。彼は樽の上部にある栓をキュッキュッという音をさせて回していく。
ポンという音と共に栓が抜かれると、微かだが、それまでより強い香りが漂ってきた。
小さな柄杓のような道具でワインを掬うと、緊張のため僅かに零しながらもグラスに注いでいく。ワインは濃い紫色で遠目に見ても濃さを感じるほどだ。
ローレンシアたちを含め、その場にいる全員にグラスが配られていく。受け取ったグラスを掲げ、灯りの魔道具に透かすようにして色を確認する。ルビー色の液体の中に、光を受けてキラキラと光る澱が見え、透明度が低い。
(やっぱり少し濁っているな。ろ過が完璧ではないってことか。まあ、樽で熟成している段階だからな……それにしてもいい色だ。美しい濃いルビー色……グラスの縁部分だけがうっすらと紫色に見える。これが透明になるくらいが飲み頃なんだが、今でも充分に力強い……)
全員にグラスが行き渡ったところで口を付ける。
新酒ということでまだブドウの果実香が強く残るが、土やキノコといった森を感じさせる香りもあった。
(美味いな! エザリントンで飲んだときも美味いと思ったが、輸送されていない分、こちらの方がいい……)
澱が回っていないためか、エグミがほとんどない。ただ、まだ若すぎるため、赤ワイン独特の芳醇さがなく平板な感じだ。
「どうですかな? うちのワインは」とデリックが聞いてきた。ただその顔には若造に分かるわけがないという侮りのような表情が浮かんでいる。
俺はそれを無視して感想を述べていく。
「いいワインですね。黒ブドウの果実香が強く、仄かに森の湿った落ち葉のような香りがします。味は若いだけにやや酸味が勝っている気がしますね。もう一、二ヶ月寝かせたら、味と香りにふくらみが出て、更に美味くなるのではないかと思います」
俺の感想にデリックが目を丸くしている。恐らく俺の言い回しに驚いているのだろう。その横にいたダルントンは俺の感想を手に持っていたメモ帳に勢い良く記載していた。
少し大袈裟に言い過ぎたかと思い、「素人の感想なので当てにならないと思いますけど」と付け加えておく。
「小僧に味が判るわけがない……」とデリックが小声で呟いているが、その表情に先ほどまでの余裕はなかった。
試飲を終えた後、ダルントンが質問してきた。
「改善点はどうでしょうか? 私にはこれで美味だと思えるのですが」
「このワインに関して言えば、改善点というほどのものはないと思います。ただ、もったいないなとは思いましたが」
「もったいない……ですか?」
「ええ、少し工夫をすれば更に美味いワインができそうなのにと思いましたね」
ダルントンは俺の言葉に「それはどのような」と食いつき気味に聞いてくる。
「それをお話しする前にデリックさんに聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
デリックは「どのようなことですかな」とやや構えている。
「ここにある樽なのですが、何の印もないですが、どのように管理しているのでしょうか?」
俺の質問の意図が読めないのか、「管理とは?」と聞き返してくる。
「いつ樽に詰めたものか、どの畑のものか、ブドウに種類があるなら、どのブドウを使っているか……そのような管理はなされていないということでしょうか」
デリックは俺の言っている意味が分からないのか目を丸くしている。そして、何とか考えをまとめたのか、ゆっくりとした口調で説明を始めた。
「……いつとおっしゃられても、収穫を始めてから一ヶ月ほどの間に樽に詰めてしまいますので、すべて十月頃のものです。それに畑と言っても、このウィディアル村の畑に決まっていますし、ブドウはほとんど同じ品種ですから……ロックハート様はワインの作り方をご存じないのではありませんか?」
最後には何をおかしなことを聞くのだという感じだった。
「ええ、私は実際に作ったことがありませんから、皆さんより詳しくはないと思います。ですが、ラスモア村のスコッチの貯蔵庫を見られたダルントン様なら私の言う意味が分かるのではありませんか?」
ダルントンは話についていけず、「えっ?」と首を傾げている。
「では、この話は後にして、畑を見せていただけないでしょうか」
俺の後ろではベアトリスが「どういうことなんだい?」と小声でシャロンに聞いている。しかし、シャロンも俺の意図を掴めていないのか、
「品質に関することだと思うんですけど、よく分かりません。もしかしたら、畑でブドウの木が違うとかがあるのかも……」
さすがにシャロンはいい線を突いていた。しかし、ここでは種明かしをせず、畑に向かった。
横にいるローレンシアが「 私(わたくし) にこっそり教えていただけませんこと?」と耳打ちしてくるが、「すぐに分かりますよ」と言って答えない。
「意外と意地悪なのですね」と言うが、別に意地悪をしているわけではない。
そんな中、リディだけは俺の意図に気づいたのか余裕の笑みを浮かべている。
(そういえば昔、前の世界の話をせがまれたな。その時に話したことがあったかもな……)
魔法を習い始めた当初、リディの部屋に行って日本のことをよく話していた。その時に酒の話になることが多く、ワインの話もした気がする。
手近な畑に入ると、無造作にその場所の土を掴む。そして、小石が混じった白っぽい土を見ながら、水分量を確かめるように指で崩していく。
(やっぱり水はけが良さそうな土質だ。石灰質なのかな……)
ポロポロと土を崩した後、手をパンパンと鳴らし土を払う。
「この畑の土はいい土ですね。水はけが良さそうです。土はどの畑もこんな感じなのでしょうか」
俺の問いにデリックが「その通りです」と大きく頷く。
「ブドウの木はいつ頃に植えたものなのですか? ヴィクトリア様から百年以上の樹齢のものもあると聞きましたが?」
デリックは大きく手を動かしながら、説明していく。
「おっしゃるとおり、この辺りは何百年も前から畑になっとります。ただ、東側は儂が若い頃に植えられたものですので、三十年くらいですかな。他にも畑によっては枯れたため植え替えておるところもありますが。ですが、元になる苗はここのブドウのものですので、同じものです」
「つまり、ここは百年以上の古木で、東側は三十年くらいの比較的若い木だと。他にも年代が違うものもあると……それで収穫量や味は変わらないのですか?」
ここまで来てデリックにも俺が何を言いたいのか分かってきたようだ。
「……確かに畑によって収穫量は違いますが……味は変わらんと思います」
「本当にそうでしょうか? この場所は南側に向いた日当たりのよい場所です。一方の東側は丘の陰に入りやすく、ここに比べて日の当たり具合は少し落ちるのでは? 日当たりがよい方が生育はよくなると思います。生育がよくなれば、収穫量は増えますし、一粒一粒の甘みもよくなるのではないでしょうか。それに斜面の角度で水はけも変わりますし、風が当たるかどうかでブドウの実の水分も変わると思います」
ダルントンは「なるほど」と呟きながら、必死にメモを取っている。
「確かにそうかもしれんが、同じ場所でも全部のブドウが同じように美味くはならん。そんなものは素人の浅知恵に過ぎん」
デリックはやり込められたことに腹を立てたのか、口調まで荒くなっている。
「確かに一つ一つの房で見れば、ばらつきはあるでしょうが、全体としては必ず質に差は出ます。当たり年と外れの年ほどの差が出るかは分かりませんが、多少は差が出るでしょう。ならば、よい品質のブドウだけを集めてワインを 醸(かも) せば、よりよい品質のものができるのではないかと思います」
デリックは黙ってしまったが、代わりにダルントンが質問してきた。
「つまり、どの畑のブドウで造ったかをきちんと管理すべきだと。それが分かるように樽に印を付けるということですね。そこまでは分かったのですが、いつ醸造したかを記録するのはなぜでしょうか? ブドウが同じで畑が同じなら、その年の品質は変わらないのでは?」
「もっともな質問です。ここから先はデリックさんに聞いたほうがいいと思うのですが、収穫期に雨が降った場合、どうされますか?」
「雨が降ったら収穫はできません。晴れるまで待つしかありませんな」
当たり前のことだと言わんばかりにそう答えた。
「ブドウの成熟で数日の差はどの程度影響が出るのかは知りません。ですが、雨が降った後に収穫したものと雨が降る前に収穫したものではどうでしょうか? 多少の影響はあると思うのですが」
俺の問いにデリックは答えることができなかった。
これは仕方がないことだと思っている。ここまで見てきたとおり、村単位で収穫してワインを造っているが、細かい品質管理まで行っていない。そのため、感覚的には雨の後の方が水分が多くなり、薄くなると考えられるが、実際にデータを取っているわけではない。
「これは私の単なる思い付きです。実際にはほとんど変わらないかもしれません。ですが、本当に変わらないかを確認するには、きちんとした管理が必要なのです。その上で合理化を図ってもいいと思いますが、今のワインを超える物を造るためには一度しっかりとしたデータを取るべきだと思います」
この後、畑の細分化を行い、番号を振るなどのアイデアを説明した。
更に貯蔵庫で気になったことを付け加えていく。
「ワインも蒸留酒と同じで樽で大きく味が変わります。出荷の時に確認されているのでしょうが、きちんとした管理を行い、樽によって香りや味にどんな影響があるのかを確認しておくべきでしょう」
ダルントンはそのすべてを記録していった。
だが、デリックはまだ納得していないのか、憮然とした表情をしていた。
「ここのワインは非常に美味しいと思いますが、それ以上に美味いワインがあります。少し待っていていただけますか」
そう言って馬車に向かう。馬車の中に入り、何かを探すふりをしながら 収納魔法(インベントリ) から熟成させたワインのボトルとグラスを取り出す。
そして、デリックたちのところに戻り、
「これは私が熟成させたシーウェルワインです」
そう言って栓を開け、グラスに注いでいく。
「これを味わってみてください」と言ってデリックに渡す。最初は訝しげな表情をしていたが、グラスに口を付けるとその表情が驚愕に変わった。
「こ、これがワインだと……」
そして口に含むと更に表情が変化する。驚愕から困惑に変わり、更には怒りのようなものに変わった。
「これはシーウェルのワインじゃねぇ……」
「いいえ、昨年のシーウェルワインです。ダルントン様、間違いないですよね」
俺の言葉に大きく頷く。
「ザカライアス卿のおっしゃる通りだ。私も輸送に同行したから間違いない」
それでも納得できないのか、「ですが、こいつは全然違う……」と抗議する。
「いいえ、あなた方が作ったワインも更に美味しくできるのです。特に先ほど試飲した物はこれと同等の味になる可能性を秘めています」
デリックは信じられないという顔をする。
「それほどまでによいワインができているのですが、更に上を目指せるのです。今は運に任せていますが、それを人の手によって味をよくできるのです。それが先ほど私が言った方法なのです」
「ほ、本当にこいつみたいに美味くなるんですか。さっきの方法で」
「ええ。ここのワインには無限の可能性があります。それを職人の手で更によいものにしてほしいのです」
俺の言葉に「分かりました。こいつのような酒ができるなら何でもやります」とやる気を見せた。彼もより良い物を作りたいという思いを持っている職人だったようだ。