作品タイトル不明
第二十五話「シーウェル市」
一月二十七日の午後三時頃。
シーウェル侯爵領の領都シーウェル市に到着した。
シーウェル市は低い山や丘に囲まれた盆地の中心にある城塞都市だ。街の西側にはシーウェル河が流れ、橋を渡るとすぐに城門がある。
人口は周辺の町村を加えると一万人ほどになるが、街自体は人口四千人ほどの比較的小さな町だ。その四千人のうち、千人は帝国軍の治安維持部隊であるため、市民は三千人ほどしかいない。
この街の特徴的な点は、ここを囲む丘のほとんどがブドウ畑であることだ。野菜などを作る畑もあるが、丘の間にある集落の周辺に僅かに見える程度で、ブドウ畑に囲まれた街という印象が強い。
風がよく吹く土地なのか、丘の上に風車が回っている。もう少し季節が良ければ、緑豊かな丘になるのだろうが、葉が落ちた木が寒々しい感じを与えている。
シーウェル侯の話では街道に沿って流れていたシーウェル河沿いには、このような風景が続いているそうだ。
シーウェル市に入ると、仄かにブドウの香りがする気がした。窓から外に視線を向けると、道沿いに多くのテーブルが出されており、赤ワインが入ったゴブレットを傾けている労働者らしき人々がたくさんいた。
新酒ができたばかりの時期であり、祭のような感じで振る舞われているらしい。
彼らはシーウェル侯爵家の紋章が入った旗を見て、すぐに立ち上がり、「侯爵様、万歳!」とか、「侯爵様に乾杯!」と言ってゴブレットを掲げて歓迎している。
彼らの表情は明るく、心の底から歓迎していることが分かる。侯爵の統治が上手くいっている証拠だろう。
シーウェル市は主要街道であるラングトン街道の宿場町でもあり、街道が街の東西を貫いている。侯爵の居城であるシーウェル城は街の中心から見て北西に位置し、帝国の標準城塞都市の設計を 踏襲(とうしゅう) している。
城に着くと先に馬車を降りていた侯爵が「ようこそ、シーウェルへ」と言って歓迎の言葉を掛けてくれる。
侯爵の後ろには彼の家族や家臣たちがおり、その中に見知った顔が三人いた。
そのうち二人は昨年三月にラドフォード子爵と共にラスモア村を訪れた人物だ。一人はレドリー・サザーランドという文官で、ラドフォード子爵の下で内政全般を見ている人物。もう一人はバーナード・ダルントンで蒸留所の責任者候補と紹介されている。
三人目はシーウェル侯爵家の嫡男ジョナスだ。一昨年、兄ロドリックの結婚の式典後の舞踏会で泥酔し、ベアトリスに絡んだ少年だ。あの当時より背も伸び、以前より大人びた感じになっている。
ベアトリスが目に入ったのか、僅かに緊張した表情になった。廃嫡も辞さないという父親の言葉を思い出したのだろう。
俺もベアトリスも彼の表情に気づかない振りをして、にこやかに挨拶を交わしていく。
その日もいつも通り夕方の訓練を行い、シーウェル侯爵家主催の晩餐会となる。
エザリントン公爵家での晩餐ではロックハート家だけだったが、今回は従士や自警団員までもが招待されている。
招待する側のシーウェル侯爵家側も侯爵夫妻、嫡男ジョナス、まだ幼い二人の令嬢に加え、ラドフォード子爵夫人やサザーランド子爵夫妻など主要な家臣が三十名程度出席している。更にエザリントン騎士団の騎士も出席しており、八十人近くになっている。
この人数であっても百人以上入れる大きなホールであるため、窮屈な感じはしない。しかし、これだけ大規模な宴会が行われることに俺は驚いていた。
(公爵令嬢への歓迎の意味が強いんだろうが、シーウェル家とロックハート家の関係を示す意図もあるんだろうな。それにしては大掛りな気がするが……)
俺たちが席に着くと、クレメント・シーウェル侯爵が立ち上がる。
「今宵はローレンシア・エザリントン殿、プリムローズ・エザリントン殿、そして、マサイアス・ロックハート卿とその家族の歓迎の宴である。面倒な儀礼は抜きで、無礼講で楽しもうではないか!」
そう言って赤ワインが入ったゴブレットを捧げ持つ。
「では、皇帝陛下および帝国に乾杯!」と言って杯を掲げ、それに全員が唱和する。
無礼講の宴会と宣言されたが、安っぽさは全くなかった。
ワインの名産地であり、名門シーウェル侯爵家の晩餐と唸らせるだけの料理や酒が用意されていた。
更に手際もよく、これだけの数の出席者に対し、的確に料理と酒が供されていく。
料理は地元の食材を使っており、牛肉と根菜類が多い感じだ。また、内臓系の料理も多く、料理にも多くのワインが使われている。
宴が始まる前、うちの自警団員は侯爵家の晩餐会ということで緊張し、「大丈夫なんですかね。俺たちは晩餐会のマナーなんて知らないんですが」と言ってきたほどだが、さすがにその辺りも考慮されているらしく、シムとダンを除く従士と自警団員たちには村での宴会のような大皿で料理が出されていた。そのため、自警団員たちもいつも通りだと安心し、始まる前の硬さは取れている。
(もてなし上手だな。これはイグネイシャス様の指示なのかな?)
イグネイシャス・ラドフォード子爵はラスモア村にある三軒の居酒屋兼宿、 黒池(ブラックラフ) 亭、 蒸留釜(ポットスチル) 亭、 酒樽(カスク) 亭に出入りしており、村人とも交流もしていた。
子爵自身はまだ帝都から戻っていないが、その経験からこのような指示を出したのだろう。
父とシーウェル侯がにこやかに談笑し、母が緊張しながら侯爵夫人と話をしている。侯爵夫人の名はミルドレッドといい、母と同じくらいの年齢に見える。栗色の髪とややふくよかな体形で柔らかな雰囲気を醸し出しており、常に笑顔でいることから、母も次第に打ち解けていった。
侯爵夫人の横にはラドフォード子爵夫人であるヴィクトリアが座っている。
彼女は蜂蜜色の豪奢な髪と白磁のような白い肌、やや釣り目がちなサファイアのような蒼い瞳を持ち、すらりとしたモデルのようなスタイルの美女だ。白皙の肌と蒼い瞳のせいで一見すると冷たい印象を受ける。ただ、侯爵夫人は彼女のことを信頼しているのか、しきりに話を振っている。
俺の斜め前にはローレンシアたち公爵令嬢が座り、料理に舌鼓を打っていた。シーウェルまでの道中ですっかり打ち解けており、プリムローズが「この料理は何でできているのですの?」と質問してきたり、ローレンシアもワインを傾けながら、「この組み合わせはどうなのかしら?」と言ってきたりしている。
「あなたと一緒にいるとみんな料理とお酒に興味を持つようになるわね」とリディが笑い、
「全くその通りだね。あたしもこんなに食べ物に興味を持つとは思わなかったよ」とベアトリスが頷いている。
「そうですわね、お姉さま」とプリムローズがローレンシアに話しかける
「少し前までのお姉さまはあまり料理に興味を持っておられなかったですもの。甘いものの話をすると、いつも叱られていましたもの、フフフ」
「そ、そうかしら?」とローレンシアが誤魔化そうとするが、新たな料理が出てくるとすぐにそちらに意識が向いていた。
(美味いものを食べれば平和になるっていうのは真理だと思うな。美味い酒の方がもっとそう思うが……)
メルとシャロンはセオフィラスたちと一緒にテーブルを囲んでいる。そこにはルナも一緒におり、思ったより明るい表情で食事をしていた。
その日の晩餐は和やかな雰囲気のまま終わった。
翌一月二十八日。
今日の午前中は、近隣の村にあるブドウ畑とワインの醸造所の見学に行くことになっていた。
朝の訓練を終え、午前九時頃にシーウェル市を出発する。
今日の案内人は蒸留所の責任者候補ダルントンで、さすがにシーウェル侯本人は同行しない。
その彼だが、朝から緊張している様子だった。
挨拶をした後、「緊張しているようですが」と軽い気持ちで聞くと、
「ラドフォード閣下の代理を務めるかと思うと、それだけで気が重くなるのですよ。特にワインの品質向上についてザカライアス卿の意見を聞いておくようにと指示を受けておりますので、そのことが……」
元々線が細い感じの真面目な文官という印象だが、話をするうちに顔が青ざめて見えるほど思い詰めていることに気づく。
「ワイン造りについては素人ですよ。もちろん、長期熟成に関しては多少の知識はありますが、畑や醸造所のことは本当に何も知らないのですから」
気を使ってそう言うが、横からリディが「あなたが素人? 誰も信じないわよ」と言うので、ダルントンは更に青ざめる。
余計なことを言うなと目で伝えるが、彼女は素知らぬ顔をする。
更にベアトリスも、「あんたは酒神の申し子って呼ばれているんだ。もう少し自覚を持ったほうがいいね」と俺の背中を叩きながら、追い討ちをかける。
「私が感じたことは、後日必ずイグネイシャス様に伝えます。今日はその下調べみたいなものと考えてはいかがですか」
俺の言葉に少し安堵したのか、大きく頷くと馬車に乗り込んでいった。
この辺りの地形だが、シーウェル市は丘陵地帯からなる盆地の中心にある。その盆地には北から南西に掛けて弧を描くようにシーウェル河が貫いている。シーウェル河はファータス河やファネル河のような大河ではないが、日本の一級河川規模の水量豊かな川で、丘の間を蛇行するように流れている。
但し、橋はシーウェル市付近にしかなく、シーウェル領の東西は川で分断されている形だ。そのため大きな町はなく、転々と農村があるだけだ。人口が少ないためか、シーウェル領の南北方向には村々を繋ぐ道はあるが、街道というほど整備されていない。
ブドウ畑はシーウェル河沿いの丘に広がっていた。
シーウェル侯爵領は東西二十キロ、南北五十キロの領地を持つが、麦などの穀類の生産に向かない土壌であるため、開発が進んでいないらしい。そのため、ここからは見えないが、ブドウ畑の先は荒地と森が広がっているだけで村はないとのことだ。
今日の目的地はシーウェル市から一キロほど北にあるウィディアル村だ。
この村が選ばれた理由は近いということもあるが、ワインだけでなくシーウェル市に供給する野菜類を栽培していることから比較的道が整備されており、馬車での移動が楽なためだ。
俺たちだけならあまり気にしなかったのだが、ローレンシアたちがいるため、ダルントンが気を使ったようだ。
ロックハート家のメンバーは俺たちザックセクステットとセオとセラ、ソフィアの弟妹たち、更にルナも同行する。両親や兄夫妻はシーウェル侯の主要な家臣たちに挨拶があるため、同行していない。
護衛もロックハート家からは自警団から三名が付くだけで、エザリントン騎士団とシーウェル騎士団の騎士たちが守ることになっていた。
もっともこの辺りは非常に治安がよいところで、魔物や盗賊が出ることはないため、俺たちがいれば護衛の必要はない。
ちなみに自警団員が同行するのは護衛のためというより、村に戻った後の農業の発展のためだ。彼らは優秀な兵士であると共に農民でもあるからだ。
今日もローレンシアたちと馬車に乗っての移動だが、母がいないため、リディとシャロンが代わりに乗っている。更にラドフォード子爵夫人のヴィクトリアも乗っており、俺は六人乗りの馬車に五人の妙齢の女性に囲まれていることになる。ちなみにソフィアは母がいないため、最も懐いているベアトリスの馬に同乗している。
シャロンが同乗している理由はローレンシアに気に入られ指名されたからだ。メルも指名されたが、ルナと一緒に馬に乗るため断っている。
リディが乗っている理由は教えてくれなかったが、何となく分かっていた。最近、一緒にいる時間が少ないと言っていたから、一緒にいたいのだろう。
今日も天気が良く、風もそれほど冷たくないため、馬車の窓は全開にしてある。そのため、外の景色がよく見える。
シーウェル市の城門を出ると、すぐにブドウ畑が広がり、その広さにため息が出る。
畑には等間隔で植えられているブドウの木の列が並び、美しい幾何学模様のように見える。真冬ではなく、緑が豊かな夏ならもっと美しいのだろうが、それでも馬車の車窓を流れるブドウの木の列を見飽きることはなかった。エザリントン公爵領にも広大なブドウ畑はあったが、これほどきれいに並んではいなかった。
「手入れがしっかりしていますね」とヴィクトリアに話しかける。
「ええ、先人たちが手を入れて作ったものですから。古い木ですと百年以上前からあるものもあるそうですよ」
昨日は少し冷たい感じがしたが、話してみると話し方は柔らかいし、笑顔もよく見せる。更に意外なことに子爵夫人という貴婦人でありながら、ブドウ畑のことをよく知っていた。
俺がそのことを指摘すると、
「夫と一緒にいると自然と覚えますわ。 私(わたくし) も美味しいワインは大好きですし、帝都にいるよりシーウェルやラドフォードにいる方が気を使わず楽しいですもの。ホホホ……」
ラドフォード子爵領はシーウェル侯爵領の東、ラングトン大公領に近いところにあるそうで、シーウェル周辺と同じようにブドウの生産が盛んな土地だそうだ。但し、麦の栽培に適した土地も多く、作られる農作物は多岐に渡り、シーウェル市にも運んでいるらしい。
「 私(わたくし) はザカライアス卿がいらっしゃるのを楽しみにしていたのです。あの熟成させたシーウェルワインを作られた方ですし、今回はどのような奇跡を見せていただけるかと」
俺はその言葉に苦笑し、「奇跡など起こせませんよ」と答えた。
「あら、あのワインは奇跡以外の何ものでもありませんわ。口に含んだだけで幸せを感じる飲み物などございませんから」
「それはシーウェルワインが持つ 潜在力(ポテンシャル) のお陰です。私はそれに手を貸しただけに過ぎません」
長期熟成ワインについての思いは今言った通りだ。潜在力のないワインをどう手を加えてもあれほどの味と香りは出せない。
「そうおっしゃるのでしたら、 発泡(スパークリング) ワインはどうですの? 私はあのワインにも 虜(とりこ) にされましたわ。今までになかった新しいものだと思うのですけど?」
ラドフォード子爵の影響が大きいのだろうが、ヴィクトリアは思いの他、ワイン好きだった。そんな彼女の言葉にリディまで乗ってきた。
「そうね。私もそう思うわ。あの 発泡(スパークリング) ワインはあなたが成したことの中で一番素晴らしいことだと思うの」
そんな話をしていると、プリムローズまで加わってきた。
「私が思うザカライアス様の一番の奇跡は 冷菓(ジェラート) の発明ですわ。あれは帝都の女性を虜にしておりますもの。もちろん、私も……」
他にもいろいろとやった気がするが、酒や料理が一番と言われると少しだけ凹む。
(乳幼児の死亡率を下げたり、産業振興をしたりしたんだがなぁ……まあ、蒸留酒や発泡ワインは自分のためということもあったから、気合は入っていたが……)
俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。