作品タイトル不明
第三話「ドワーフの友」
トリア歴三〇一八年十二月三十日の午後六時。
アルスに到着し、そのまま鍛冶師ギルド総本部に連れていかれた後、挨拶を終えて宿である 金床(アンヴィル) 亭に入ることができた。別行動だったイグネイシャス・ラドフォード子爵は帝国の貴族として王宮に表敬訪問を行い、俺たちより少し前に戻っていた。
「驚いたことにすぐに終わったよ。今日は役人に言伝するだけのつもりだったのだが、まさかモンクトン公にまで会えるとはね。以前なら公爵クラスに会うには半日は掛かったのだが……」
子爵によれば、つい先日までは悪しき官僚主義のため担当の役人に会うだけでも大変だったらしい。しかし今回は手続きがスムーズに進み、カエルム帝国との外交窓口であるラディスラス・モンクトン公爵に一時間ほどで面会できたというのだ。
詳しい話は聞けていないが、国王の側近であるシャーゴールド侯爵が失脚し、オットー・エルウェス卿ら若手の官僚たちが台頭していることが主な要因だそうだ。
「その場にカトリーナ王妃殿下もおられて、今日の鍛冶師ギルドでの宴に出たいと、しきりにおっしゃっておられたよ。さすがに今日はお忍びでも参加できないのだろうな」
子爵が笑いながらそう教えてくれたが、あの王妃様が素直に王宮に篭っているとは、俺には思えなかった。
同じことを思ったのか、「本当にそうだろうか」という父の独り言が聞こえてくる。
王妃のことを頭から締め出し、子爵に今日の予定を伝えていく。
「ドレクスラー匠合長はイグネイシャス様の宴への参加を快く認めてくれましたよ」
子爵は「それはよかった。楽しみにしていたからな」と相好を崩して頷いている。
「ですが、お気を付けください」
「何をかね? ああ、飲みすぎるなということかな」
子爵にも俺の懸念が理解できているようだ。
「ドワーフたちのペースに巻き込まれると、イグネイシャス様といえども一時間ほどで潰されてしまいます。私が適度に解毒の魔法を掛けますが、充分にお気を付けを。命に関わることすらありえますので」
脅すつもりではなかったが、俺の言葉に子爵の顔から笑みが消える。
「そこまでとは……いや、ラスモア村での祭の話を聞けば分からんでもないな……」
子爵自身、酒には強い方だ。ワインならフルボトルを二本くらいは軽く空けるし、それでも呂律が怪しくなるようなことはなかった。
「特に蒸留酒には気をつけてください。人間がドワーフのペースで飲むことは自殺行為ですから」
俺が真剣な表情を崩さないため、子爵も真剣な表情で頷く。
「あい分かった。私とて無様に酔い潰れたくはないからな。それにザカライアス殿と同じく、蒸留酒はゆっくりと楽しむものだと思っておるよ」
それを聞き、俺はようやく表情を緩めた。
午後六時半。ギルド職員のジャック・ハーパーが迎えにきた。
「お待たせしました。お寒い中、申し訳ございませんが、徒歩でお願いします」
金床亭から総本部までは二百メートルほどであり、馬車で行くほどの距離ではない。皇帝の代理、つまり勅使である子爵に気を使っての発言だろう。
子爵もそのことが分かっているのか、爽やかな笑みを浮かべて軽く手を上げる。
「すぐ近くと聞いている。私は全く気にせんよ」
シム・マーロンとロックハート家の新たな従士、自警団員は明日の国王との謁見に備え、装備の手入れを行うことになっており、それ以外の者が宴に参加する。
ラドフォード子爵側も子爵に加えて護衛隊長のオズボーン・タワーディンと護衛の騎士が数名同行するだけだ。
宿の外は思いのほか冷える。アルスはラスモア村より南にあるものの、標高が高く、寒さが厳しい。
白い息を吐きながらアルスの街をのんびりと歩いていく。
木窓の隙間から漏れる光によって積もった雪が美しい陰影を作り、新年を迎える前の厳粛さがあった。その一方で漏れてくる声は楽しげで、厳粛さだけではない年末特有の独特の雰囲気も感じていた。
総本部が近づいてくると、徐々にドワーフたちの歌声と食べ物の香りが流れてくる。彼らは大晦日でも関係なく、いつも通り宴会を楽しむようだ。
門に近づくと以前と同じく道にまでドワーフが溢れ、ジョッキを掲げている。
「よく来た! ジーク、スコッチ!」
「友に乾杯じゃ! ジーク、スコッチ!」
といった声が頻繁にかかり、その都度大きく手を振って応えていく。
門から中庭に入ると、そこにもドワーフたちがひしめいており、アルス中のドワーフが集まっているかと思うほどだ。後で聞いてみるとほとんどのドワーフが集まっていたらしい。
「よく来た!」とウルリッヒが大声で叫び、「まずは酒じゃ!」と言ってジョッキを掲げる。
俺たちには麦酒が入ったジョッキが手渡され、ルナと弟たちには温かいミルクが入った陶器のカップが渡される。人間の子供に酒を渡さないという配慮を見せているが、ドワーフの子供たちは皆、麦酒のジョッキを握っていた。彼らに言わせれば、麦酒は酒ではないから飲んでもいいらしい。
成長期の身体への影響を考えてしまうが、大人のドワーフの肝臓の能力を考えたら、子供でも大丈夫なのだろう。
ちなみに麦酒は総本部で日常的に供されるエールタイプだ。乾杯用ということでドワーフたちが普段飲む物を手っ取り早く用意してくれたようだ。
全員がジョッキを持ったところで、ウルリッヒが「乾杯!」とジョッキを掲げ、それに俺たちも唱和する。
雰囲気に感化されたのか、ルナですらミルクの入ったカップを少し上げていた。
ウルリッヒが麦酒を飲み干すと、ラドフォード子爵が挨拶に向かった。
「ウルリッヒ・ドレクスラー匠合長とお見受けする。私はシーウェル侯爵の臣、イグネイシャス・ラドフォードと申す者。ロックハート家の方々とは懇意にさせてもらっております。以後、お見知りおきを」
そう言って優雅に礼をする。その仕草は気負いもなく、自然体だった。
「貴殿がラドフォード子爵殿か。ウルリッヒ・ドレクスラーじゃ。ザックから酒に拘りがある御仁だと聞いておる」
そう言ってウルリッヒは右手を差し出した。
「ザカライアス殿ほどの拘りはありませんよ」と苦笑いを浮かべる。
「まあそうじゃろうな。あれほどの酒好きが世の中にそうそうおるわけがない。ガハハハ!」
ウルリッヒがそう言って豪快に笑い、子爵も大きく口を開けて笑っている。周りではドワーフたちだけでなく、リディたちまでクスクスと笑っており、何となくいたたまれない。
「そこまで拘っているわけじゃないぞ……美味い酒をより美味く飲む努力をしているだけなんだがな」
俺がそう呟くと、その独り言が子爵に聞こえたようだ。
「その目指すレベルが違うのだよ、我々とは。私も美食を趣味と公言してはおるが、さすがに僅かな温度の違いや料理を出す順序と酒との微妙な相性にまでは気を使わんよ」
俺が反論しようとすると、ウルリッヒが「よいではないか。褒めておるんじゃからな」と言い、再び子爵に顔を向ける。
「儂のことはウルリッヒと呼んでくれ。儂も貴殿のことはイグネイシャス殿と呼ぶ。何といっても飲み仲間じゃからな」
子爵は驚きの表情を浮かべていた。
「まだ、一杯しか杯も交わしておりませんが、よろしいのですかな」
僅かに声が震えており緊張が窺える。
子爵がこれほどまでに緊張しているのは、ドワーフの鍛冶師たちに“飲み仲間”と言われる意味を理解しているためだ。
彼らの飲み仲間ということは、命を懸けても惜しくないと宣言しているに等しい。つまり、ロックハート家を守るために全てを投げ打ったように、子爵に何かあれば駆けつけると言っていることになる。
「確かに飲んだうちには入らんかもしれんが、すぐに分かる。 あの(・・) ザックが酒のことで尊敬しておるのだ。造り手はともかく、飲む方で尊敬できると聞いたのは初めてじゃ。ならば、儂らの仲間になる資格は充分にある」
聞いている俺の方が面映くなるが、子爵の拘りには一目置いているので異論はない。
ウルリッヒは更に、驚きで固まっている子爵に対し、
「儂らが思いつく限りのもてなしをするつもりじゃ。忌憚のない意見を聞かせてくれ」
そう言って樽に向かってズンズンと歩いていく。
「イグネイシャス様も大変ですね。いきなり、ドワーフフェスティバルの審査員になるなんて」
俺がそう言ってからかうと、子爵は真剣な表情で俺を見つめる。
「私をもてなすと聞こえたのだが、聞き間違いではないのか……」
豪胆な子爵が未だに呆然としている。
ドワーフの鍛冶師はどのような権力者であろうと媚びることがない。そんなドワーフの中でも最も権威があるのは鍛冶師ギルドの匠合長だ。その人物から初めて会ったにも関わらず同志であると言われ、更に酒を振る舞ってくれると聞けば、驚くのは当たり前かもしれない。
「いいじゃないですか。いつも通り美味い酒と肴を楽しみましょう」
そう言って彼の手を引き、ウルリッヒたちの後を追った。
ウルリッヒは中庭の北側にある倉庫の前で待っていた。倉庫の前には数十個の樽が並び、更には倉庫中にも数個並んでいる。
「済まんが、温度の調整を頼む。儂の白ビールはちょうどよいと思うんじゃが、いまいち自信がなくてな」
ウルリッヒがそう言うとゲールノートたちも「儂の黒ビールも頼む」、「儂のエールもじゃ」と言ってくる。
酒を前にしたドワーフに対して言うことではないが、着いて早々落ち着く暇がない。
「分かった、分かった。シャロン、悪いが手伝ってくれ」
「はい」と言ってシャロンが笑顔で頷く。
「あたしらは勝手に飲ませてもらうよ。あんたたちに付き合っているとゆっくり飲めないからね」
ベアトリスがそう言って離れていく。リディも同じように呆れ顔で別行動をすると言ってきた。
「私も焚き火の近くで飲んでいるわ。メルはどうするの?」
「私はザック様と一緒にいます。ルナさんも一緒にいましょう。見ているだけでも面白いから」
メルはそう言ってルナの手を引いて俺についてきた。
ルナはキョロキョロとしながらも温かいミルクのカップを大事そうに抱え、メルについていく。
酒の温度を確認するため、まずゲールノートの黒ビールの温度を確認した。しかし、雪が降るような真冬の屋外に置かれていたため、コクがなくなるほど冷え切っていた。
「黒ビールは香りと味のバランスが大事なんだ。これじゃ冷え過ぎだ」
「そうか? 儂にはちょうどよいように感じるんじゃが……」
ゲールノートがそう言って首を傾げる。その姿を見た子爵が小さく首を横に振って独り言を呟いていた。
「ゲールノート殿といえば、前匠合長にして伝説の防具職人だったはずだ……どれほど身分が高くとも自分の考えは曲げぬ職人と聞いたのだが……それがあのように……」
子爵の独り言を無視してシャロンに指示を出す。
「樽全体を二十秒ほど温めてほしい」
「分かりました。でも、二十秒もですか。大丈夫なんでしょうか」
二百リットル以上入る大きな樽とはいえ、擬似ペルチェ効果の魔法を二十秒も掛ければ結構温度は上がる。
「最後は俺が調整するから、ある程度大胆にやっていい」
俺の受けた感じだと、ピルスナーやラガーが美味く感じる五度か、それ以下になっている。ゲールノートの黒ビールは甘みが強いスタウトだから、少し温いと感じる十度以上、俺の好みとしては十三、四度がいい。
ゲールノートの樽はシャロンに任せ、次々と温度を確認していく。
外気温が零度近いためか、ほとんどの酒が冷えすぎだった。特に赤ワインは全く味が感じられないほどで、俺自身が温度を上げている。
十分ほどで温度を確認した後、次々と指示を出していく。
「外に置いてある樽は倉庫に入れるか、毛布か何かをかけてくれ! 今の温度から冷えてきたら、俺かシャロンに教えてほしい!」
俺の指示にギルド職員が走り出し、その様子にドワーフたちが呆れている。
「そこまでせねばならんのか……儂には充分美味いと思うんじゃが……」
ゲールノートの呟きが聞こえてきたので、
「なら、今の状態のものを飲んでみてくれ。格段に美味くなっているはずだ」
俺の言葉にドワーフたちが自分が持ち込んだ酒の味を確認し始める。
「……確かに美味くなっておる。儂の黒ビールはこれほど美味かったのか……」
ゲールノートが呟きながらジョッキを呷っている。
「このような姿を見れば、私が足元にも及ばんというのがよく分かる。これだけ高名な鍛冶師方が師と仰いでいるように見える。まさに酒神の申し子だな、ザカライアス殿は」
「イグネイシャス様でもこの程度のことは分かりますよ」
子爵が何か言おうとした時、ウルリッヒたちが自分の酒の味を確認し終わったのか、声を掛けてきた。
「さて、どれから飲んでもらうかの。既に料理の方も準備ができておるようじゃしの」
酒の確認で気づかなかったが、少し離れた場所でギルド職員たちが揚げ物や串焼きを用意していた。蒸留所探しの時に俺たちの担当になったジャック・ハーパーがその指揮を執っている。
「揚げ物もいつでもいけます! 匠合長の白ソーセージもそろそろ焼き上がる頃です! 乾き物は皿に準備してありますので、お好きな物をどうぞ!」
ジャックがそう言って俺たちに説明してくれる。
この場に並んでいる屋台は四月に行ったドワーフフェスティバルで出した物を再現しているらしい。
ゲールノートの黒ビールに合わせるドライフルーツと白カビのサラミや、オイゲンのブラウンエールに合わせるハード系のチーズなどは皿に盛り合せてあり、すぐに手に取れるようになっている。
更にウルリッヒが拘った白ソーセージが焼け、ミートローフは冷えすぎないように火の近くに置いてある。
「凄いな。本当にドワーフフェスティバルの再現じゃないか」
俺がそう言うと、ウルリッヒたちは満足そうに頷いている。
「特別に用意したものではないんじゃが、儂らもこれに嵌っておってな。まあ、ジャックがイグネイシャス殿のためにドワーフフェスティバルを再現してはどうかと提案してな。面白そうじゃと言って任せたら、こうなっておったんじゃ」
ウルリッヒが楽しそうに説明するが、子爵は自分のために準備してくれたことに、涙を流さんばかりに感激していた。
「私のために……ありがたいことです……」
「まあ、気にするな。さて、どれから飲むんじゃ。どれも美味いぞ」
ウルリッヒにそう言われて子爵は我に返るが、どれからいくべきか悩み始める。そして、結論が出ないためか、俺に意見を求めてきた。
「ザカライアス殿ならどのような順でいくかな。とりあえず、可能な限りいろいろと飲んでみるつもりだが、これだけの組み合わせがあると飲む順序でも味の感じ方が大きく変わる気がするのだ」
美食家だけあって、順序によって感じ方が変わることを懸念している。
「そうですね。私の考えでよければ」
そう言って酒と料理を見比べていった。