軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十七話「アクィラの麓」

トリア暦三〇一八年三月十五日。

シーウェル侯爵家の一行がラスモア村を去り、再び館ヶ丘に静かな時間が流れていた。静かといっても、自警団の訓練は今までと同様に行われており、日常が戻ったというだけだが。

一行が出発する際、侯爵家の名代、イグネイシャス・ラドフォード子爵にあることを頼んでいる。それは定期的な情報交換を行うことだ。

方法としては熟成させたシーウェルワインを数ヶ月に一度、ラスモア村に取りに来てもらうことにし、その際に受け取りに来た人物と情報を交換するというやり方だ。

シーウェル家からは当然帝都の情勢についての情報を提供してもらうのだが、情報交換というからには、こちらからも何らかの情報を提供しなければならない。

こちらから渡す情報としては、学術都市ドクトゥスの情報屋サイ・ファーマンに定期的に集めてもらっている情報と 蒸留酒定期便(スコッチライナー) から得られるカウム王国の情報、更にはペリクリトルにスコッチを運ぶノートン商会のヘンリー・ノートンから得た情報を俺なりに整理し、渡すつもりでいる。

シーウェル家の情報は機微な情報が含まれている可能性があり、信頼の置ける人物に口頭で伝えてもらう。俺の集めた情報は酒と美食の情報に紛れ込ませることで、万一漏れたとしてもシーウェル家に迷惑が掛からないようにする。

俺の情報も口頭で伝えてもいいのだが、ラドフォード子爵と俺の関係が酒だけで繋がっていると思われた方が都合がいいので、酒の話を文書で伝えることにした。侯爵家の方でうまく漏洩させてもらえれば、ロックハート家がシーウェル家に必要以上に肩入れしていると疑われる心配は少なくなるはずだ。

あと五、六日でウェルバーンからデーゲンハルトら二十五名の鍛冶師たちが到着する。それまでに準備することがたくさんあり、結構忙しいのだが、今のような平和な時間が流れていると、忙しさを忘れられる。

そんな中、最も懸念されているルナの状況だが、相変わらず心を閉ざしたままだ。シーウェル家の使節が来たことすら、気付いているのか分からないほど無関心だった。

ルナについては時間を掛けるしかないと考えているが、彼女を守るための準備にあまり時間は掛けられない。防御施設と自警団の増強は着々と進んでいるが、やはり敵が何者なのかが気になる。今のところ、全く手掛かりがなく、焦りだけが募る。

そんな俺に気を使ってくれたのか、リディとベアトリスが森への偵察に行くことを勧めてきた。

「ドワーフたちが来たら、森に行く時間がなくなるんだよ。行くなら今のうちさ」というベアトリスにリディも「そうね。最近は塔を造ることと訓練、それにお酒の味見だけ。健康なんだか不健康なんだか分からないけど、少なくとも健全ではないと思うわ」と笑う。

一瞬、俺がいない時に敵が来たらという不安が頭を過ぎるが、それは割り切るしかないと、二人の提案に乗ることにした。

まだ肌寒い早春の朝、いつもより早く起きて、森に向かう。

俺の希望でシーリン湖の東まで足を伸ばすためで、総移動距離は二十キロ以上になるからだ。俺と共に偵察に行くのは、ダンとメル、ウェルバーンに一緒に行った自警団の若者、弓術士のマークだ。

本来、ダンとマークが偵察に向かう日だったため、彼らがいるのは当たり前なのだが、メルを連れて行くようにとリディとベアトリスが強く主張したので、彼女も参加している。

リディにメルを連れて行く理由を聞くと、「特に理由はないわ。何となくよ」とはぐらかされる。ベアトリスにも同じ問いをすると、「本当はシャロンも一緒に行かせたかったんだけどね。あの子のことがあるからねぇ」と答えてくれた。

どうやら、ストレス解消を兼ねて、久しぶりに“ザックカルテット”で森に行かせたかったらしい。ちなみにシャロンは自分からルナの世話があるからと断ったそうだ。

三月の中旬ということで空気はまだ冷たく、頬を撫でる風は冷たいものの、見上げる空は早春の透き通った淡い 青玉色(サファイアブルー) で、草原や森には草木に鮮やかな 翠玉色(エメラルドグリーン) の新芽が現れ始めている。

村の東の森だが、偵察の強化と魔物の討伐によって、以前に比べ魔物の数は格段に減っている。しかし、更に東のアクィラ山脈から絶えず、魔物が流入しており、西の森のような長閑さは未だにない。

久しぶりの森ということで僅かに緊張しながらも、シーリン湖に向かうため、村の北を流れるアーン川沿いを進んでいく。

「あの時と同じですね」とメルが話しかけてきた。彼女が指す“あの時”とはオークの群れを追い、ルナを助け出した時のことだ。

「そうだな。あの時より切迫はしていないけどな」

俺が明るくそう言うと、ダンも「そうですね」と言い、

「今回はあれほど強行軍で進まないんですよね。今日はどこまで行くんですか?」

「行ける所まで行ってみるって感じだな。久しぶりに野営になるが、いい野営場所を探すのも目的の一つだしな」

そうは言うものの、シーリン湖を越え、更にアクィラの山麓にまで踏み込むつもりでいた。今回は単なる偵察だけでなく、今後の広範囲の索敵に利用できる待機場所と緊急連絡用の狼煙台の設置場所の調査を行うことも目的にしている。

現在行っている村から半径五キロ程度の範囲の哨戒でも十分だという意見もある。祖父たちが村に来た三十年前に比べ、今では村が襲われることはほとんどなく、深い森の中を更に 哨戒(パトロール) する意味があるのかと思わなくもない。

しかし、十一年前のオーガとオークの群れ、昨年のオークの群れのことを考えると、僅か五キロでは村が奇襲を受ける可能性があると懸念している。

現在の索敵は扇形に行われている。といっても、 扇形(セクター) をくまなく探すのではなく、扇の外周を沿うような形だ。つまり、村から五キロほど真直ぐ進み、円弧を描くように移動した後、村に真っ直ぐ戻ってくるというルートになる。これを毎日二班が行っており、半径五キロの半円分が一日の索敵範囲になっている。

この範囲だが、仮に痕跡を見つけたとしても、比較的足が遅いと言われているオークですら、二、三時間で村に着いてしまう距離でしかない。つまり、発見できたとしても手遅れになる可能性が高いということだ。

これが平原にある村なら、接近する敵を視認できる可能性があるが、ラスモア村は深い森に囲まれており、村の周囲は見通しが利かない。すなわち、突然、森の中から襲い掛かられることになってしまうのだ。

これまでのように餌を探しながら森の中をうろつく魔物なら、今の体制でもそれほど問題はなかった。しかし、村を狙うという目的を持っていると仮定すると、今の範囲では圧倒的に不足している。

だからといって索敵範囲を簡単に広げることは難しい。今の半径五キロの扇形でも単純な移動距離だけで十八キロほどになる。十八キロという距離は街道や平地なら大した距離ではないが、深い森の中では移動するだけでも消耗してしまう距離だ。

大木に阻まれ真直ぐに進むことが難しく、起伏も激しい。このため、最大限に広げたとしても日帰りで行える範囲は精々七キロといったところだ。

それならばどこかに拠点を作り、そこで一泊ないし二泊することで索敵範囲を広げることができないかと考えたのだ。

拠点だが、俺の土属性魔法で簡単に作れる。保存食などの物資も俺が 収納魔法(インベントリー) を使って運べば、一度で相当な量を運び入れることができる。緊急の避難場所としても使えれば、索敵中に突発事故があってもそこで救助を待つことも可能だ。

問題は離れた場所に拠点を作り、索敵を行ったとしても連絡手段がないことだ。当然のことだが、この世界には無線も携帯電話もない。更にいえば、現在ではそれらに代替できる魔法もない。連絡手段としては 飛竜(ワイバーン) や 有翼獅子(グリフォン) に騎乗して飛行する方法が最も早いが、ここにはそんな便利なものはない。つまり、人が徒歩で伝達しなければならないのだ。

一応、伝書鳩という手段も考えてみたのだが、訓練方法を知らないことと、この世界の鳩が帰巣本能を持っているかが分からないことから断念した。更に言えば、仮に訓練ができたとしても、この世界には飛行型の魔物が多く、無事に辿り付かない可能性が高い。

そこで狼煙台を作ることを思い付いた。

狼煙の視認距離についての知識はないが、館ヶ丘はその名の通り丘であり、頂上付近に対空用の塔を建てていることから、六十メートルくらいの高さから周囲を見ることができる。

更に俺が作った望遠鏡があるから、条件がよければ十キロくらい、安全を見込むなら七、八キロくらいの距離にしておけば、実用に耐えると考えている。もちろん、設置前に実験して確認する必要はあると考えている。

狼煙台も土属性魔法で煙突状のものを作れば、それほど苦もなく作ることができる。後は薪などの可燃物と、煙に色をつける素材を保管する施設を作ればいい。

その索敵拠点と狼煙台の候補地だが、最も危険度が高い村の東側、特に二度も大規模な魔物の群れが通過したシーリン湖の東側から、アクィラ山脈沿いに南側に行った辺りを考えている。

四人で歩き始めるが、最年長のマークが遅れ気味になる。最年長といってもまだ二十二歳であり、弓術士レベル三十とこの歳にして 古参兵(ベテラン) と呼ばれても良いほどの技量を持っているのだが、俺たち三人の基礎能力値が高過ぎるのだろう。

俺を含め、冒険者としての経験があるリディですら気付いていなかったが、ベアトリスから言われたことがある。

彼女は俺、メル、ダンの三人に「あんたたちは凄いよ。剣術なんかを無視しても、一流どころの武芸者の力を持っているね」と言ったのだ。更に「シャロンも魔術師にしておくには惜しいくらいさ。まあ、もう少し力をつけなきゃ駄目だが」とシャロンの身体能力も褒めたのだ。

ステータスが確認できる俺を基準にすると、メルとダンは筋力が俺より上、敏捷性などが俺より少し下という感じで、反射神経や肉体制御能力が九十を超えている俺とそれほど遜色がないのだ。さすがに耐久力は特殊能力の“頑健”があるから、比較にならないが、それでも一般の村人より遥かに高い能力だと思っている。

遅れ気味のマークが「申し訳ありません」と頭を下げるが、俺が「いや、気付かなかった俺のミスだ」と謝罪する。

( ザックセクステット(俺たち) だけで行動することが多かったからな。そう考えると、シャロンも結構スタミナがあったんだな。いや、マークよりスタミナがあるってことはないはずだ。だとすれば、根性で付いてきていたのかもな……)

シャロンはお嬢様然とした雰囲気とは異なり、ほとんど弱音を吐かない。顔色が悪くなっても“大丈夫”と言って笑顔を見せることが多かった。

ベテランのベアトリスやリディも気付いても注意しないため、俺が気付くまでいつも無理をさせていた。

一度、リディたちに文句を言ったことがあるが、「シャロンはちゃんと分かっているから大丈夫よ」と言うだけで改めようとしなかった。

(次からもう少し気を付けたほうがいいな。それほどペースを上げたつもりはないが、大人のマークでもきついんだったら、シャロンはもっときつかったはずだ。それにしても、リディもベアトリスもどうして俺に教えてくれないんだろう……)

小休止を何度か入れ、午前十時頃シーリン湖の東に到着した。

この辺りは標高が僅かだが高く、冬の名残である残雪が木々の間に溜まっている。その溶けかけた雪の間から、新緑が出始めており、春の足音は深い森の中にも聞こえていた。

シーリン湖は非常に美しい湖で、白樺のような木が湖畔に並び、どこかの別荘地のような雰囲気すらあった。

しかし、そんな 長閑(のどか) な雰囲気もダンの鋭い警告によって一気に醒める。

「 雪狼(スノーウルフ) です! 右手奥に十頭! いえ! もっといます!」

ダンの指差した方向は湖畔の東側で白樺と楢の大木が立ち並ぶ深い森だった。そこから純白の狼が現れた。その美しい姿とは異なり、飢えた表情で口を開け、だらだらとよだれを垂らしている。

雪狼(スノーウルフ) は灰色狼や森狼より大型の狼で、普段はアクィラの山の中を縄張りとしているが、冬から春に掛けては餌を求めて麓に下りてくる。そのタイミングに当たったらしい。

「後ろの木を盾にする! マーク! ダン! 弓で牽制してくれ! 近寄ってきたらすぐに弓を捨てろ! メルは前に出過ぎるな!」

三人から了解の声が聞こえてくる。狼たちはゆっくりと近づいてくる。

その距離、およそ五十メートル。

俺はすぐに対集団用に考えた新魔法の呪文を唱えていく。

「世のすべての光を司りし 光の神(ルキドゥス) よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を固めし、意思を持つ光輝なる矢を、我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん……」

俺が呪文を唱え始めると、狼たちが一斉に警戒し始める。精霊の力の流れを感じているかのようだった。

狼たちが一斉に走り始めた。

それを見たマークが長弓を絞り、先頭の狼に矢を放つ。まだ、必殺の距離には遠いが、数を減らすことを優先したようだ。矢は狼の前足に吸込まれるように突き刺さり、ギャンという鳴き声を上げながら、つんのめるように倒れ込む。

狼たちは矢を警戒し、木々の間を散開していく。

マークに続き、ダンも矢を放ち、先頭付近にいた狼の首を正確に射抜く。

マークとダンが矢を放つ中、徐々に精霊の力が集まっていく。十秒ほどで右手に長さ一・五メートル、太さ二十センチほどの光の棒が現れた。精霊の力は十分ではないが、既に狼たちとの距離は二十メートルに迫っており、そのまま魔法を発動する。

「我が敵を貫け! 多弾(マルチプルガイデッド) の 光矢(シャイニングアロー) !」

その瞬間、太い光の棒が斜め上に飛び出していく。狼たちは一瞬、その光の棒に視線を送るが、危険が無いと判断し、そのままの勢いで突っ込んできた。

高さ五メートルほどの位置に上がったところで、光の棒は音もなく爆発する。

次の瞬間、十本の光の矢が爆発的に飛び出す。それは金色の光で描かれたユリの花のようにも見えた。

高速で放たれた光の矢は、狼たち目掛けて飛んでいく。頭上から襲い掛かる光の矢に狼たちは躊躇いを見せるものの、致命傷を避けようと本能に従って死に物狂いで身体を捻る。

しかし、狼たちの必死の動きをあざ笑うかのように、俺の光の矢は瞬時に軌道を修正していった。身体を捻ったものの、高速の矢は狼の動きに完璧に追従し、十本の矢は十頭の狼の首に正確に突き刺さった。

一瞬にして十頭の狼を無力化した。真直ぐに飛ぶ矢であれば、半数は回避できたはずだが、自律制御型の矢はそれを許さなかったのだ。

今回使った魔法は多弾頭ミサイル、いわゆるマーヴ――MIRV:Multiple Independently-targetable Reentry Vehicle――を模した光の矢だ。親ミサイルから分離した子ミサイルがそれぞれ独立した目標を狙うもので、以前、デモンストレーションで見せた“ 火炎の砲弾(ファイアキャノン) ”と同じイメージで作ったものだ。

火炎の砲弾(ファイアキャノン) は榴散弾をイメージしたものだが、この 多弾(マルチプルガイデッド) の 光矢(シャイニングアロー) も最初は同じコンセプトで作った。

しかし、光の矢では細分化が出来ず、二十本に分離するのが限界だった。

更に円錐状に飛んでいくため、攻撃範囲もそれほど広くなく、殺傷力でも劣っていた。そのため、誘導型にして命中精度を上げたバージョンにしてみたのだ。

マーヴのイメージのまま、それを誘導型に改良したものだが、これが思いのほかうまく行っている。

まず、俺のイメージどおり敵の急所――今回は喉――に正確に飛んでいく点がいい。 燕翼の刃(スワローカッター) と同じく自律制御型であり、イメージを与えると照準が不要であり、二十本であろうとそのすべてが正確に敵の急所に向かっていく優れものなのだ。

更に敵の手前で散開するため、速度が落ちにくい。 光の矢(シャイニングアロー) や 炎の太矢(フレイムボルト) のような魔法は基となった現象と同じ挙動を示す。つまり矢と同じように飛ぶ距離が延びればその分速度が落ちていくのだ。

しかし、この多弾の光矢は敵の十メートルほど手前で発動するため、至近距離から射た矢と同じく、ほとんどスピードは落ちない。このため、反射神経が良い獣系の魔物ですら、まともに反応できないことが多い。

但し、欠点が二つあった。

一つは消費する魔力が大きいことだ。この世界には存在しないものを模しているため、精霊がそれを理解できず、強引に魔法を形成していることが原因だ。

この一発で全魔力量の一割を消費する。発動時間が短いため、この程度で済んでいるが、 黒蝶の円舞(スパングルワルツ) と並び、消費魔力の多い魔法だった。

もう一つの欠点は名前が長いことだ。短くすることを考えたが、語彙が足らなかった。そのため、センスのない無駄に長い名前になっているのだ。実用上の問題にはなっていないので、欠点というほどではないかもしれないが、どうにも気に入らない。

名前のことはともかく、多弾の光矢の魔法で狼は五頭にまで減っていた。仲間を失い、戦意を喪失するかと思ったが、目には怒りの炎が見えるようで、仲間の仇をとるという意思を見せるかのように、更に速度を上げてくる。

「マーク! 俺たちの後ろから出るな! ダンは俺の右! メルは左だ! 行くぞ!」と叫ぶ。三人からも「了解!」という声が返ってくる。

前に出ながら、既に抜いていたアダマンタイトの魔法剣を構える。今回は格下の雪狼ということで魔力は通さない。

メルも同じように魔力を通さず、いつものようにきれいな構えで敵を待ち受けている。

ダンは弓を投げ捨て、地面に刺してあった長剣を突き出すように構えていた。マークは俺たちの間から攻撃しようと矢を番えた弓を構えたまま、狼たちを睨んでいた。

俺を牽制するためか、一頭の狼が飛びかかることなく、俺の目の前で止まり、姿勢を低くして足元を狙ってきた。メルにも同じように一頭が牽制しようとしている。そして、残りの三頭はダンに飛び掛かっていく。

小賢しいことに最も弱いところを的確に感じとっていたのだ。

しかし、ダンは冷静だった。三頭の狼が次々に飛び掛かってくることが分かると、すぐに魔法剣に魔力を通し、炎を纏わせる。

俺もダンの援護を行うべく、ダンに向かった三頭のうち、最初に飛び込んだ一頭に突きを放つ。だが、距離が遠く、狼の前足付け根付近に薄く傷を負わせただけで、致命傷とはならなかった。

逆に俺の隙を突くかのように、目の前にいた狼が脛を狙って飛び掛かってきた。

大型犬を二回りほど大きくしたような雪狼が地を這うように迫ってくる。だが、俺に焦りはなかった。こうなることは十分に予想できていたからだ。

俺はフェンシングのように右に放った突きから、右足を軸に強引に身体を回転させ、狼の大きな口を避けた。避けるだけでなく、その回転の勢いを使い、掬い上げるような感じで狼の首に斬り付ける。名工ウルリッヒの剣は分厚い狼の毛皮をいとも簡単に斬り裂き、動脈を切られた狼は血を噴出し純白の毛を深紅に染めていく。

左側からメルの「ヤァ!」という裂帛の気合が森に木霊する。どさりという音が聞こえ、メルの前の狼が倒されたことを確信する。

すべてを見ることはできなかったが、ダンは終始冷静だった。

俺が傷つけた一頭が怯んだと見ると、正面にいる狼に炎を纏わせた魔法剣を叩きつけた。名工ヨハン・ヴィルトのミスリルの 剣(つるぎ) は容易く狼の首を断ち切り、辺りに毛皮の焦げる嫌な匂いが立ち込める。もう一頭が怯むことなくダンを引き倒そうと大きく伸び上がった。ダンは狼を断ち切った勢いのまま、しゃがみこむように姿勢を低くする。

俺は一瞬、不味いと思った。

百キログラム近い体重を持つ狼が走り込んだままの勢いで圧し掛かるのだ。バランスを崩して転倒すれば、そのまま喉元に牙を突き立てられる。そう見えたのだ。

しかし、狼はダンに飛び掛ることができなかった。ダンの後ろにいたマークが至近距離から矢を放ったからだ。

ロックハート家の従士、ヘクター・マーロンに心酔しているマークはヘクターと同じ剛弓を使っていた。その弓から放たれた矢は至近距離なら金属鎧の 胸甲(キュイラス) すら貫通する威力を持っている。

その矢が何の防具も持たない狼の首の下に突き刺さった。狼は自ら矢に飛び込むことになり、心臓を刺し貫かれて絶命した。

俺の魔法で倒れた狼たちを含め、まだ十頭以上の狼が生きていたが、その全てが手傷を負い、痛みにのた打ち回っていた。ダンに周囲を警戒させ、俺とメルで止めを刺していく。

すべてが終わり、ようやく笑みが零れる。

「お疲れ様。結構血の臭いがしているな。魔晶石と死体を回収したし、移動しようか」

俺の言葉に全員が頷く。

本来なら、狼の死体は捨てていく。雪狼の毛皮は美しい上に丈夫であり、高く売れるのだが、毛皮を剥ぎ取っている間に血の臭いに誘われた他の魔物に襲われる危険があるためだ。しかし、俺の場合、毛皮の処理はせず、 収納魔法(インベントリ) に入れるだけでいい。

真っ白な残雪に深紅の斑点を残し、俺たちはその場を後にした。