作品タイトル不明
第十六話「帝国の内情(後篇)」
シーウェル侯爵家の名代、イグネイシャス・ラドフォード子爵から得た情報は帝国軍に関することだけではなかった。政治に関わる情報も入手していた。
特に知りたかったのは帝国の北方政策だ。
現皇帝ジークフリード二十一世は現在四十五歳。八年前のトリア暦三〇一〇年に即位したが、翌年には前皇帝が頻繁に行っていたラクス王国への侵攻作戦をやめている。
噂によると、皇太子時代に侵攻作戦の指揮を執らされたが、思った以上にラクス王国が手強かったことから、無駄な出兵を嫌ったらしい。
それ以外にも最も警戒すべき光神教の各国への浸透が予想以上に強かったことから、ルークス聖王国に戦力を集中させたとも言われている。但し、ラクス王国とは単に一時休戦状態というだけで講和に向けた協議が行われているわけでもない。
つまり、現在の帝国の北方政策は戦争という手段を取っていないが、さりとて交渉で何かを得ようとしているわけでもないということだ。ここまでは一般的な話として、庶民でも知りえる情報だ。
俺にとっての疑問点は帝国がラクス王国に対して何もアクションを起こしていない点だ。三十年近く続けた侵略戦争を一方的に休止しただけで、そこから何の果実も得ようとしていない。賠償問題などが発生することを懸念しているのかもしれないが、国力的には圧倒的に強大な帝国なら、要求されたとしても突っぱねればよいだけで、弱腰になる必要は無い。つまり、多少の譲歩は必要かもしれないが、大きな損失なく、講和することが可能なのだ。
講和すれば世界第二位の国と経済的交流が可能になるだけでなく、最大の敵であるルークス聖王国に対する牽制にもなる。ルークスにとってラクス王国及びラクスと連合王国を形成するサルトゥース王国は自国の特産物である南方の農産物を独占的に取引できる貿易相手だ。
帝国がルークスの資金源にダメージを与えるつもりなら、連合王国との交易を始めればよい。シェアの一部を奪うだけでも、独占的な商売をしていた状態から見れば、大きなダメージを与えることができるのだ。
この点についてラドフォード子爵にストレートに聞いている。
子爵は「帝国貴族の腐敗が原因なのだよ」とやや寂しげにいうと、「君も知ってのとおり、ルークスの 後ろ(バック) にはアウレラの商業ギルドがいる。ギルドはルークスを潰されないよう、帝室関係者や公爵たちに大量の賄賂を贈っているのだ」と苦々しい表情でいった。
それでも皇帝がラクスとの休戦を命じたのだから、やりようはあると思うのだが、そのことを聞いてみると、更に表情を曇らせ、
「皇帝陛下の力はそれほど磐石なものではないのだ。陛下は突然即位されたからな」
先にも言ったが、ジークフリード二十一世は八年前に即位した。当時、既に三十七歳であり前皇帝が五十代後半ということを考えれば、それほど違和感がある話ではない。
俺が知る話では前皇帝は心臓発作のような突然死を遂げ、当時は毒殺ではないかという噂が流れたそうだが、徹底的な捜査によってそれは否定されている。
また、当時の皇帝を暗殺して利益を得る者はラクス王国くらいであり、商業ギルドは自分たちの思い通りに動いてくれる皇帝の死を望むことはなく、当然、ルークスも無駄にラクスに攻め込む皇帝が変わることは望まない。
ラクス王国にしても本格的な侵略戦争を仕掛けてこられたのなら別だが、散発的な小競り合い程度の戦闘しか発生しておらず、暗殺という手段を取るほど切迫していない。
そして、当時皇太子だった現皇帝にライバルとなる皇族はおらず、皇位継承権で揉めているわけでもなかった。
「本当に自然に崩御されただけだったのだが、陛下にしてみれば突然の即位だ。その当時は第二軍団の一部を定期的に派遣するだけで、陛下自体は帝都から動いておられなかった。皇太子宮で多くの美姫に囲まれ、気楽に過ごされていたのだが……」
子爵の話では現皇帝は玉座にそれほど執着しておらず、面倒な政治や戦争にできる限り関わらずにいたらしい。そのため、有力な皇族や公爵らの微妙な力関係を見誤り、即位当初はかなり揉めたらしい。
「……ラクスとの戦争が放置されているのも、その一つなのだ……片方の派閥の意見を聞き、ラクスへの出兵を取り止めたのだが、別の派閥の突き上げで中途半端な状態のまま放置されている。今の帝国はこのような状況なのだよ……」
最後は自嘲気味に笑った。
(要は決められない政治って奴か。トップに決断力がないから、いろいろな連中が好き放題に言っている。カウム王国ほど酷くはないが、あまりいい状況じゃないな、帝国も。これならラクスやサルトゥースも同じような状況かもしれないな……)
更に帝国で力を持つ人物についても情報を集めていく。
帝国には元老院という皇帝の諮問機関のような組織がある。公爵以上の爵位を持つ十二人の元老が政策を提案し、皇帝が承認・決裁するというシステムだが、皇帝が政治に興味を示さないため、元老院が帝国を動かしているといっても過言ではない。
その中でも特に強い発言力を持つ者は四名。
前皇帝の弟であるトリストラム・ラングトン大公、宰相であり文官の代表格であるアービング・フィーロビッシャー公爵、第五軍団長であり武官の代表格であるローレンス・ケンドリュー公爵、商業ギルドとの繋がり強く帝国でも屈指の財力を持つチャールズ・インゴールスロップ公爵だ。
このうち、ラングストン大公とケンドリュー公爵がレオポルド皇子派、現皇后の兄であるインゴールスロップ公爵が皇太子派で、宰相のフィーロビッシャー公爵はどちらにも与せず、中立派と言われている。
この他には現皇帝のいとこに当たり、知将と名高い第四軍団長のアレクシス・エザリントン公爵、皇太子ジギスムンドの正妃の父、エドモンド・ギャビストン公爵などがおり、皇太子派、皇子派、中立派の三つに見事に分かれている。
「フィーロビッシャー公爵閣下は、長い帝国の歴史の中でも名宰相として名を残されるほどのお方だ。宰相閣下がおられなければ、帝国は立ち行かんだろう……」
子爵の話では宰相フィーロビッシャー公は元老の中にあって数少ない良識のある人物だ。今年六十二歳になるが、前皇帝時代を含め二十年にわたり宰相を務め、その間に浪費癖のある皇帝の手綱をしっかり握って帝国の財政を健全化させただけでなく、商業ギルドの干渉や軍部の暴走を防ぎ得たのは、ひとえに彼の手腕があってこそらしい。
「宰相閣下は北部総督閣下とも気脈を通じられている……」
ヒューバート・ラズウェル辺境伯が家督を継いだ頃、フィーロビッシャー公は宰相でこそなかったが、既に家督を継いでおり、元老院の中でも有能な若手政治家として帝国の屋台骨を支えていた。辺境伯が北部総督の印綬を受けるために帝都を訪れた際、若いながらも慎重な性格で家臣の言をよく聞く辺境伯と意気投合したとのことだ。
「……表立って友好的な関係を見せてしまうと陛下の不信を買ってしまうからな。宰相閣下も苦労されておるのだ。そこで我が主君、シーウェル侯爵閣下を通じて連絡を取り合っておる。お館様は総督閣下とは義兄弟。おかしな話ではないからな……」
子爵はさらりと重大なことを伝えてきた。確かにシーウェル侯爵は辺境伯の亡くなった妻の実弟であるため、義兄弟と言えるが、帝国のような大きな国ではそう簡単な話でもない。第一、俺が集めた情報にはそんな話は一切無かった。
(宰相は中央集権を強化していた。つまり、地方の有力な貴族は潜在的な脅威と認識しているはずだ。その宰相と北部総督が手を結んでいたとは……しかし、 ロックハート家(うち) はラズウェル辺境伯家の寄子と言ってもいいが、この話は機密情報なんじゃないのか? 特に宰相はどちらの後継者とも距離を取っている。一つ間違えば、宰相と北部総督が簒奪を目論んでいると言われても反論できない……皇太子派、皇子派のいずれも喉から手が出るほど欲しい情報だと思うのだが……)
俺は思い切ってそのことを告げた。
「迂闊に口にしていい話とは思えませんが? 先ほどの皇太子派と皇子派の話を聞く限り、宰相閣下は微妙なお立場では?」
俺がそう言うと子爵は大きく頷くが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「あの魔術師ギルドの敏腕ギルド長、ワーグマン議長と渡り合える君だ。ある程度情報を与えれば、教えなくとも勝手に結論に辿り付くだろう。なら、私が教えても問題ないということさ……」
俺は何と答えていいのか迷った。その間にも子爵は話を続けていた。
「今すぐどうこうなる状態ではないのだが、いずれ君の知恵を借りたくなる時が来るはずだ。その時のために正しい情報を与えておくのだよ」
俺は「私からその情報が漏れると思われないのですか?」と少し意地悪く聞いてみた。子爵はおやおやという感じで肩を竦め、
「君がこの村に混乱を招くようなことをするはずが無い。少なくとも北部総督に何かあれば、ロックハート家にも影響が出るのだ。正確には分からんが、君が守ろうとしているのは、酒ではないのだろう?」
子爵を見つめたまま言葉を失っていた。
(僅か三日だ。この人がここにいたのは……確かにここの防衛施設は異常だが、スコッチの貯蔵庫を守るためと言えば誰もが信じたのに……この人の洞察力を見誤っていたかもしれない……)
俺が黙っていると、「そのように警戒しなくてもいい」と笑い、
「第一、酒を守るためなら、この館ヶ丘に蒸留所も作るべきだ。だが、蒸留所はここにはない。ここにあるのは貯蔵庫だけだ」
俺が「原酒を失うと十年単位で時間が失われますから。蒸留所は職人さえ無事なら数ヶ月で何とかできます。それにこの場所は蒸留には不向きなので」と答えると、子爵は小さく頷く。
「もちろん、貯蔵されている原酒の価値は分かっているがね。しかし、貯蔵庫と並行して作っている校舎は緊急用の避難場所だ。つまり、村人を守るためにこれだけの防衛施設を整備したということだ」
俺は再び言葉を失った。子爵は少し真剣な表情に変え、
「ロックハート家が何に対して警戒しているのかは分からないし、聞くべきことでもないと理解している。しかし、そこから導き出されることは、少なくともこの村を守るために最大限の努力をしているということだ。つまり、新たな混乱を生じさせる事態を君が望むはずがないというのが、私の結論なのだよ」
俺が言葉を捜していると、子爵は「真面目な話、シーウェル家は味方を求めている。それも信頼でき、力のある味方を」と言って、俺の眼を見つめる。
「北部総督閣下が今回打った手は君の発案ではないのかね?」
突然変わった話題に俺は戸惑い、「い、いえ」と否定することしかできなかった。子爵は分かっているとでも言うように小さく頷くと、
「総督閣下は統治者として優れた方だ。補佐をするオールダム男爵も先を見通せる才を持っている……しかしだ」と言い、一旦言葉を切った。そして、俺から視線を外し、窓の外を眺めながら、
「今回のように商業ギルドを動かすことによって、ルークスの聖王府に打撃を与えるような策を思いつかれる方たちではない。私はそこに違和感を持ったのだよ。そして、お館様も同じことを感じられたのだ。後は簡単だったよ。以前、ルークスの支配者、総大司教の首を挿げ替えるという策を成功させた人物がいる。今回もその人物が裏で動いたのではないかとね……」
子爵の言葉に俺は戦慄していた。
(確かにあの時は俺の名前で鍛冶師たちを動かした。それも魔術師ギルドという普通では動かしえない組織を使って……だが、あれはルークスの支配体制にダメージを与える意図は微塵も無かった。単に結果がそうなったに過ぎない。しかし、それを参考にしたことは間違いない……)
今回の騒動の発端だが、ゲートスケル准男爵が起こした反乱事件の後、辺境伯の嫡男がルークスに利用されていたゲートスケルの配下ハリソン・ガネルによって暗殺されていたという事実が発覚した。
その事実に普段は冷静な辺境伯が逆上し、暴走しそうになった。
その時、俺がアウレラにある商業ギルドを脅し、ルークス聖王国との取引を禁止させ、ルークスが謀略に失敗しただけでなく、逆手にとってダメージを与えたことにしてはどうかと提案したのだ。
(それでも今回の件では、俺が関与したという証拠はない。被害者ではあったものの、すべては辺境伯たちがやったことになっているはずだ。それをこうも簡単に看破されるとは……)
俺がそんなことを考えていると、子爵はいつもの人好きのする笑みを浮かべていた。
「そんなに警戒する必要は無い。ロックハート家、そして、ザカライアス殿とは良い関係でいたいのだ。それも互いを利用する関係ではなく、手を携える関係を」
俺は率直に「確かにロックハート家は力を持ちましたが、シーウェル侯爵家ほどの名家がなぜなのでしょうか」と尋ねた。
子爵は再び真剣な表情に戻し、声を潜めて話し始めた。
「宰相閣下は一、二年で引退されるだろう。既に六十の齢を超えているからな。そうなれば、帝都に必ず混乱が起きる。次期宰相と目されるエザリントン公がすんなりと決まればよいが、あの方は武人だ。必ず横槍が入る……そして、混乱が起きればルークスとアウレラが必ず手を出してくる。そうなれば……」
子爵は語尾を曖昧にし、結論を言わなかった。
(今の口振りだと、最悪皇太子派、皇子派の間で内乱が起きるかもしれないということか。皇帝が優柔不断でなければ、宮廷内の問題で済むのだろうが……中立派であるシーウェル家は難しい選択を迫られることになるんだろうな……その時、鍛冶師ギルドに影響力を持つロックハート家の力を利用すれば、シーウェル家が生き残れる可能性はかなり上がる……)
俺にとっては迷惑な話だった。帝国内で内乱が起き、北部総督府にまで影響が及んだ場合、父や兄はウェルバーンに向かうことになるだろう。当然、主だった従士と自警団の中から選りすぐりの兵を引き連れて。それだけで済むならいい。
魔術師として、更には軍師として俺を呼ぼうとする可能性もある。断ることはできるが、辺境伯の娘婿である兄は苦しい立場に追い込まれるだろう。
(数年後には帝国で混乱が起きる可能性がある……これが神の敵の仕業でなければいいんだが……)
暗澹たる思いが俺の頭の中で大きくなっていった。