作品タイトル不明
第十五話「帝国の内情(前篇)」
トリア暦三〇一八年三月十三日。
シーウェル侯爵家の使節が 蒸留酒定期便(スコッチライナー) と共にラスモア村を出発した。
代表であるイグネイシャス・ラドフォード子爵とは良好な関係を築け、食材の調達を協力してくれることになっている。特に香辛料類やオリーブオイル、更には南方の柑橘類を送ってもらえることになった。
これらの商品は商業都市アウレラ経由でも手に入るのだが、非常に割高で、更に品質も良くない。その代わりだが、こちらからは瓶熟成のワインを送ることになっている。
こんな話をしていると、酒とつまみのことしか話していないように思われるが、帝国の情報などもきちんと仕入れている。特に帝都近くに領地を持ち、帝室とも縁戚関係にあるシーウェル侯爵家の重鎮である子爵はいろいろと裏情報を知っていた。
もちろん、無条件に開示してくれるわけでもないだろうし、向こうの思惑もあるのだが、それでも全く伝手がない帝都の情報が手に入ることはとてもありがたい。
今回入手した情報の中で、最も重宝した情報が上級貴族の派閥に関する情報だった。ロックハート家はラズウェル辺境伯家の傘下に入る騎士爵だが、なまじ名前が売れたため、辺境伯家以外からの引き抜き工作が結構ある。もちろん、父はその全てを断っているのだが、相手は侯爵以上の上級貴族であり、下手なことができない。
シャロンを秘書代わりに話に加え、子爵や文官のレドリー・サザーランドやバーナード・ダルントン、武官のオズワルド・タワーディンなどから貴族たちや軍上層部の話を多く聞くことができた。
帝国軍についてだが、四月に入るとルークスへの出兵があるため、特に興味があった。もちろん、学術都市ドクトゥスにいたから、彼らの話を聞く前から帝国軍の概要については知っている。しかし、軍上層部の構成やその人となりを聞くことは非常に為になる。
ちなみに帝国についての一般常識だが、人口は約一千万人で世界最大の国家である。帝国は大きく分けると、東西南北の各地域と中央の草原地帯の五つのブロックに分けられる。
そのうち、帝都プリムスのある南部域が最大の人口を誇り、約五百万人と人口の半数を占めている。ウェルバーンのある北部域は約二百万、カウム王国と国境を接する東部域が約百五十万、ルークスと国境を接する西部域が約百万、更に中央草原地帯に約五十万となっている。
南部域は帝都がある関係から、皇帝直轄領と皇室縁戚関係にある侯爵以上の上級貴族の領地で構成されており、ここにシーウェル侯爵家の領地もある。
北部域と東部域には総督府があり、侯爵と同等の権威を持つ辺境伯が総督として統治している。西部域についてだが、以前は総督府が存在していたが、ルークス聖王国建国の際に総督府が廃止されている。というより、西部総督府が光神教の独立運動に加担しており、当時の西部総督が世俗のトップである聖王家の基となっているため、西部総督府は帝国の歴史から存在ごと抹消された。
中央草原地帯だが、ここには自治権を持つ騎馬民族と、獣人に分類されるケンタウロス族が暮らしており、帝国政府もほとんど干渉しない。自治領ではあるが、皇帝に対しては南部域以上に忠誠心があると言われている。彼らは皇帝の勅命でのみ戦争に参加し、多くの武勲を挙げており、そのことを誇りに思っているのだ。
帝国軍の組織だが、正規軍は一個軍団二万人が最大の単位となっている。軍団は二千人からなる連隊十個で構成され、一個連隊は四個大隊、二十個中隊、百個小隊からなる。一個小隊は二十名で北部総督府軍のような軍属はいない。そのすべてが戦闘要員である。
基本的な連隊の構成は騎兵十個中隊千名、槍兵五個中隊五百名、弓兵二個中隊二百名、治癒師百名及び輜重隊二百名からなる後方支援部隊三個中隊である。
騎兵中心の強力な攻撃力が特徴である。但し、野戦には滅法強いが、騎兵中心ということで攻城戦は苦手としている。攻城戦においては破城槌や投石器を使う専門部隊の他に、宮廷魔術師隊が編成されることになっている。
帝都プリムスがある南部域の皇帝直轄領には皇宮を守る近衛騎士団と、正規軍である第一から第十までの軍団がある。
他には貴族領を守る直属の守備隊が存在するが、皇帝が反乱を恐れ、二十万人の人口がある公爵家ですら千名程度の兵士しかおらず、軍隊というより警察組織に近い。但し、交通の要衝となるような重要な都市には、正規軍の指揮下にある都市防衛隊が常駐している。
各軍団の特徴だが、第一軍団は帝都を守る精鋭で皇帝が直卒する。その他の正規軍の軍団長は皇室、公爵家、侯爵家から輩出され、皇太子が立てられるとそのまま第二軍団の長となる。第二軍団は攻撃軍として外征する軍であり、そのため皇太子が外征の指揮を執ることになる。
実戦経験の豊富な第二軍団は精鋭ではあるが、軍団長である皇太子の質が悪いとすぐに能力が落ちる。元々は実力主義が浸透しており、連隊長には平民もいたが、ここ数年も皇太子の能力が低く、優秀な人材が第二軍団を希望しない事態になっている。
他の皇子だが、彼らは実力で軍団長の地位を得る必要があるが、能力を示せば、無能な皇太子になり代わることができるらしい。
東部域は友好国カウム王国と永世中立国家である傭兵の国フォルティスと接しているため、比較的平和であり、北部総督府軍のような組織は存在しない。この地の軍隊は領地ごとに編成され、ファーフリー伯爵軍とか、パリスター子爵軍などと呼ばれ、主に治安維持活動を行っている。
現在、戦場に最も近い西部域だが、ここにはルークスの膨張を食い止めるべく、城塞都市が多数あり、都市ごとに防衛軍が組織されている。彼らは都市の名を取り、ラークヒル連隊とかサットン大隊という名称で正規軍から派遣された指揮官が指揮を執っている。
この城塞都市だが、帝国膨張期の城塞都市を基に拡張されているが、拡張部分の防御力が低い。これは土属性魔術師の能力が以前より低いためで、二重城壁となっているものの、外側の城壁は木製のところが多い。
ここで名前が出たラークヒルという都市はルークス聖王国への侵攻拠点となっている街で、険しいモエニア山脈の東にある城塞都市だ。今回もこの街に兵力を集め、再編成した後、ルークスに進軍する。
今回のルークス出兵だが、帝国北部で発生した謀略に対する報復だ。つまり、昨年九月に俺たちも巻き込まれたウェルバーンでの事件がきっかけということだ。
今回の公式発表では、タイスバーン子爵の部下であった、“ハリソン・ガネル”がルークスと共謀してラズウェル辺境伯を殺し、その混乱に乗じてアウレラを含めた都市国家連合ごと北部域を独立させようと画策したことになっている。
これに対し、皇帝とその取り巻きたちが帝国を分断しようとしたルークスに制裁を加えると息巻いた結果だという。実際には謀略の発生を未然に防げなかったラズウェル辺境伯に対し、出兵という罰を与えるためというのがラドフォード子爵の見解だった。
「面倒なことだよ。ルークスには実質的な損害が既に出ておる。それなのに今回の戦では北部総督府軍の実に七割以上が参戦せねばならんのだ。辺境伯閣下も広大な領地の治安維持に苦しまれるのではないかな。 傭兵の国(フォルティス) から多くの傭兵を雇い入れていると噂されているから、既に手は打たれているようだが、財政的にも苦しくなるはず……」
辺境伯の政敵たちは辺境伯の打った手――商業都市アウレラと商業ギルドがルークスに対し、非難声明を出したことと経済制裁を加えたこと――で辺境伯に対し、表立って非難することができなくなった。
実際、この効果が年明けに現れ、ルークスの行政府である聖王府で大規模な人事が行われたという情報が入っている。
厄介なことに北部総督は常に皇帝に反乱の嫌疑を掛けられており、上級貴族たちがそれに付け込んで、今回の出兵になったという。
「唯一の救いは第三軍が出ることだ。つまり、皇太子殿下が総司令官でないということだ……」
現皇太子ジギスムンドは二十六歳で、彫りの深い顔に黄金の髪、分厚い胸板で見た目だけなら、軍神と称えられる姿だが、無能な上、性格は残忍であり、人望が全くない。皇后の実家が有力な公爵家であるため、支持する貴族もいるが、既に何度も廃嫡の噂が出るほど危うい立場にいる。恐妻家の現皇帝ジークフリード二十一世が皇后に遠慮しているため、廃嫡されないだけと噂されるほどだ。
「第三軍の司令官はレオポルド殿下だ。殿下はお若いが、部下の言をよく聞かれる。此度の戦でも無駄に兵を死なせることはないだろう」
レオポルド皇子はジギスムンド皇太子とは異なり、身分の低い母から生まれた妾腹の子で、皇太子より一歳若い二十五歳だ。常に明るい表情の庶民的な風貌と、部下の進言をよく聞く度量の広さから、兵士や市民たちの人気が高い。
子爵はそう言いながらも不安そうな表情を一瞬だけ見せた。そのことを指摘すると、「此度の戦争でレオポルド殿下が勝ち過ぎねばよいが……」と呟いた。
(無能で人望の無い兄と有能で人望がある弟。皇太子派と皇子派で争う可能性を危惧しているんだろう。俺としては残忍な性格と言われると、レオポルド皇子が次期皇帝になってくれた方がいいが……まあ、ここまで火の粉が飛んでこなければ、どちらが皇帝になってもあまり影響はないが……)
そう思うものの、ロックハート家は俺のせいで無名な存在ではなくなっている。
(いつ何時、皇帝に目を付けられるか分からないからな。用心しておいた方がいいだろう。というか、それを暗に言いたいんだろうな、イグネイシャス様は……)
シーウェル家の発展のためとは言え、ラドフォード子爵が個人的に俺に気を掛ける必要は無いのだが、飲み仲間ということで個人的に助言しているのだろう。
本来なら身分の差、年齢の差が壁になるのだろうが、ラドフォード子爵とは共通の趣味、つまり“酒”を通じて友人関係と呼べるほどになっている。二日目までは“子爵閣下”と呼んでいたが、今では“イグネイシャス様”とファーストネームを呼んでいるほどだ。
子爵はワインを愛しているだけでなく、尊敬すべき美食家だった。帝都の有名レストランはもちろん、シーウェル侯爵の名代として様々なところを訪れ、その際には必ず名物料理を口にしているそうだ。
冗談交じりに「イグネイシャス様の感想を本にされてはいかがですか? きっと多くの人の参考になると思いますよ」と言ったところ、満更でもないようで、「それは面白いかもしれんな」と笑っていた。
(政治的にも俺と良好な関係を築くというのはありなんだが、この子爵様は本気で酒と美食を愛しているからな。こういう人物の方が信用できる……)
俺は子爵に「今回の戦いは聞く限りでは帝国が圧勝するでしょう」と言うと、子爵は「その理由を尋ねても良いかね」と先ほどまでの不安げな表情を明るくする。後ろにいる武官タワーディンも「私も聞きたいですな」とにじり寄ってくる。
俺は口が滑ったかなと思うが、すぐに頷き、理由を説明していった。
「まずは指揮官が有能なことですね。レオポルド殿下が噂通り有能な方なら、勝利しないまでも敗北するようなことはありません。そのような軍の士気は高いですから、それだけでも有利になります」
子爵とタワーディンはなるほどと頷く。
「それ以上に敵が混乱している点が有利ですね……」
俺の考えはこうだ。
今回ルークスの行政府である聖王府が混乱している。ルークス聖王国の基本的な戦術は農民兵の大量投入による物量作戦だ。そして、それを支えているのが軍組織、すなわち、聖騎士や聖職者以外の世俗の兵を管轄している聖王府ということになる。つまり、聖王府が混乱している現状では農民の徴兵および配備が円滑に行えない可能性が高いということだ。
「……この一点をとっても辺境伯閣下の謀略が成功していると言っていいでしょう」
子爵は頷いたが、「それだけではないようだが」と更に理由を聞いてきた。
「謀略という点では補給の困難さが致命的でしょう」
タワーディンが「補給の困難さと今回の謀略に何か関係があるのか?」と尋ねる。
「今回、アウレラが表立って支援できません。元々それほど裕福ではないルークスです。アウレラの支援が無ければ物資の確保にも苦労するはずです。更に言えば、海上輸送はアウレラの船が行っていますから、物資の輸送に支障が出るはずです……」
商業都市アウレラは自分たちに帝国の矛先が向かないよう、ルークス聖王国を利用している。表立った支援は元々行っていなかったが、商人たちは商業ギルドの支援を受け、ルークスに物資を供給していた。
今回の騒動でアウレラに属する商人たちはルークスとの取引ができなくなっている。少数ながらアウレラに属さない商人たちもいるが、大型船舶を保有しているのはアウレラの商人か、彼らのライバル、ペリプルスの商人たちだけだ。
ペリプルスはルークスと覇権を争っているわけではないが、海洋国家であるペリプルスは帝国が勝とうが、ルークスが勝とうが気にしない。それ以前に、ライバルであるアウレラが支援するルークスに肩入れする理由がない。
ルークスが金持ちで金払いがよければ顧客として取引を望むのだろうが、ルークスは基本的には貧乏な国であり、スポンサーである商業ギルドがいなければ旨みのある商売相手ではない。このため、ペリプルスがルークスを支援することは考えられないのだ。
「もうひとつ理由を挙げるなら、光神教団が戦争に口を出すことが勝因になるでしょう……」
光神教団には騎兵である聖騎士と魔術師部隊である聖職者部隊がいるが、まともな戦術思想もなく、好き勝手に魔法を撃ちまくるだけだ。実際に戦ったことがある祖父や兄は聖騎士にしても聖職者にしても全く脅威に感じないといっている。
もちろん、麻薬で恐怖心を失くした農民兵がいれば、適当に放つだけの魔法でも十分な脅威になるが、騎兵といっても馬に乗って移動する砲台に過ぎない聖騎士はカエルム帝国の精強な騎兵の敵にはなりえず、防御力が皆無な聖職者は肉の壁がなければ容易に蹂躙できるはずだ。
「……つまり、教団が口を出してくれば現場が混乱するだけでなく、自らの戦力を勝手に磨り潰してくれるのです」
子爵が「なるほど。では、此度は大勝利ということか」と呟く。
俺は思わず、「そこは分かりません」と言ってしまった。タワーディンが「卿の言葉を聞く限り我が軍が負ける要素はないが」と首を傾げる。
俺は 頭(かぶり) を振り、「帝国軍が一枚岩で、戦略目標をきちんと定めていればという条件が付くと思います」とその問いに答えた。
子爵が懸念している通り、皇太子派と皇子派があるのなら、皇太子派はレオポルド皇子が勝ちすぎることに対し、妨害を加えてくるはずだ。それ以前にどこまで攻め込むか、どの地点を占領するか、占領は恒久的か一時的かなどの戦略的な目標が定まっていなければ、一時的に勝利したとしても、最終的には敵国の中で孤立し、敗北するだろう。
「……レオポルド殿下の周りにそれを理解している方がいらっしゃればよいのですが。最悪、北部総督府軍が生贄にされることもありえます」
俺が危惧しているのは、今回の派兵は辺境伯の嫡男であったパトリックの敵討ちでもあると言う点だ。
辺境伯自身は俺の説得で割り切っているはずだし、そもそも優秀な統治者である彼が私怨で無理をすることはないはずだ。だが、今回の派兵は辺境伯自らが指揮を執っているわけではなく、第一騎士団長のマンフレッド・ブレイスフォード男爵が指揮を執っている。
(ブレイスフォード男爵はよく言えば実直な熱血漢、悪く言えば思い込んだらまっしぐらの猪武者だからなぁ。大きな損害を出さなければいいが……ゲートスケル准男爵辺りが参謀として同行すればいいんだが、恐らく無理だろう……)
今回の戦争で北部総督府軍が大きな損害を被った場合、ロックハート家にも影響が出る可能性が高い。最もありえそうなことは兄ロドリックがウェルバーン近郊に領地を得て、騎士団の要職に就くという可能性だ。
兄は二十歳前だが、既に“ 巨人殺し(ジャイアントスレイヤー) ”という二つ名持ちの英雄であり、更に辺境伯の愛娘と結婚している。功績だけ見ても男爵位は難しくとも准男爵くらいなら、すぐに得られるだろう。そうなれば、ここラスモア村の次期領主の座が空いてしまう。当然、次男である俺が筆頭候補となる。
(この村は好きなんだが、この先のことを考えると縛られるのは困る。もし、ルナを連れて逃亡生活に入らざるを得なくなった時、次期領主という肩書きは動きづらくするだけだ……面倒なことだ……)
自業自得とはいえ、好むと好まざるとに関係なく、政治に巻き込まれることに若干の疲れを感じていた。