作品タイトル不明
第二十七話「騎士ハリソン・ガネル:前篇」
トリア暦三〇一七年七月十八日
夏の爽やかな早朝、澄んだ青空とまだ熱気を含んでいないひんやりとした風が頬を撫でていく。
昨日、デートの順番について話し合い、メル、リディ、シャロン、ベアトリスの順としてもらった。リディが不思議そうな顔をしたので、「メルが最初に言ったからな。まあ、あとは何となくだ」と言って誤魔化しておいた。
そのため、メルのテンションは朝から異常に高く、そわそわと落ち着きがなくなっていた。いつもの早朝の訓練にも全く身が入っていない。
俺はその様子に心に痛みを覚えていた。
(あんなに楽しそうにしていると心が痛いな。ガネルを 誘(おび) き出す罠だと知ったら、悲しむんだろうな……無事に終わったら埋め合わせでもう一回、やり直しをしよう……)
訓練を終え、朝食の時間となった。
メルは既に出掛ける準備を終え、宴会の時と同じブルーのワンピース姿になっていた。
朝食中も明るい笑顔を振りまきながら、「今日はどこに行くんですか?」と尋ねてくる。
「そうだな。メルが行きたいところならどこでもいいぞ」
そう言ったものの、一応行き先は考えてあった。
予想通り、メルからは「えっと、どこがいいんでしょう?」と戸惑ったような、それでいて何かを期待するような答えが返ってきた。
「じゃあ、大通りの商店を覗いたり、西地区辺りをぶらつこうか」
大通りは北方街道――カエルム帝国中央部の主要都市ネザートンからロークリフまでの街道――であるとともに、ウェルバーン市街のメインストリートだ。そのため、帝都プリムスや商業都市アウレラに本店を置く 大店(おおだな) の支店が多く並び、常に賑わいを見せている。
この大通りなのだが、非常に美しく、散策するにはもってこいの場所だ。
元々ウェルバーンの一般の建物は赤瓦を使ったオレンジ色の屋根に、白色か黄色の漆喰壁と黒く防腐処理された柱が使われており、建物の一つ一つが一幅の絵のような見事なコントラストを描いている。更に大通りの建物は居住面積を増やすという理由から、すべて三階建ての建物とされており、真っ直ぐな通りには三角形の屋根が同じ高さで続いていた。その建物の多くは商店であることから、何の店か一目で分かる看板が掛けられ、明るい原色系の布を使った美しい 庇(オーニング) が伸ばされていた。更に住居部分に当たる二階や三階の窓には色とりどりの花が飾られており、テーマパークにいるような錯覚に陥るほどだ。
一方の西地区はウェルバーン市の商業地区となっており、食料品から衣類、武器、アクセサリーと様々な商店が軒を連ねている。ここは大通りのような建築制限はないが、やはり赤っぽい三角屋根と白い漆喰の建物が並び、ヨーロッパの観光地にも似た美しさがある。
更に広場には 市場(バザール) が開かれており、様々な色のテントが立てられている。狭い路地のようなテントの間では、豊富な商品を売り捌く売り子たちの声が響いている。
どちらも活気のあるところで、ブラブラとウィンドウショッピングをするには絶好の場所だ。
俺たちも学術都市ドクトゥスという大都市に住んでいたが、さすがに世界一の大国、カエルム帝国の北部一の都市であるウェルバーンは街の規模が違う。ドクトゥスは人口一万五千人だが、商業地区となる新市街は一万人程度の街に過ぎない。一方、ウェルバーンは街だけで人口三万人、経済圏に当たる周辺の街や村を合わせると人口十万人を超える大都市だ。
そのため、商業地区の規模も大きく、商品も帝国南部のものから北方のサルトゥース王国や東方のカウム王国のものまでと、種類、量ともに豊富だ。
東京や大阪と言った大都市を知っている俺でも、ウェルバーンは十分に大都市だと思えるほどだ。
俺はいつもの黒一色の服装で、革のズボンに麻のシャツというラフなスタイル。念のため、バスタードソードは持っている。一方のメルはワンピースということもあり、剣は持っていない。いざとなれば、 収納魔法(インベントリ) から予備の剣を取り出すことは可能だが、いつもの動きは出来ないだろうから、相当危険な状況にならない限り、渡すことは考えていない。
俺たちは午前九時頃、ウェルバーン城から市街地に出ていく。
俺が左腕を差し出すと、メルは少し恥ずかしそうな表情を浮かべながら右腕を絡めている。傍から見れば、初々しいカップルに見えることだろう。
大勢の人で賑わう大通りを散策しながら、衣料品や小物を扱う店を覗いていく。
午前中は大通りを散策し、西地区に入ったところにあるカフェのような感じのおしゃれな食べ物屋で昼食を取ることにした。
そのカフェは道にはみ出すようにテーブルを出し、客たちはワインやビールを片手に楽しそうに食事をしている。
ウェルバーン市内の主要な道路は石畳になっており、土ぼこりが舞うこともないため出来ることで、これが他の街ならオープンカフェは難しいはずだ。また、主要な道路の幅は決められているようで、大通り以外の道でも道幅はかなり広い。そのため、少々はみ出ていても通行の支障になることはない。
俺がチーズとほうれん草と玉子を入れたガレット――そば粉をクレープ状に薄くのばして焼いたもの――を頼むと、メルも同じガレットを頼み、「飲み物は何が合うんですか?」と尋ねてきた。
「 リンゴ酒(シードル) が一番あうんじゃないか。この辺りの白ワインもいけるはずだ」
メルは俺の薦めた通り、やや甘口の リンゴ酒(シードル) を頼み、俺はライトな白ワインを選んだ。
香ばしく焼けたガレットを食べながら、他愛もない話で盛り上がる。
食事を終えると、俺たちは再び街に繰り出していく。
それまでは危険を感じなかった。だが、時々、俺たちを監視するような視線は感じていた。
(恐らく尾行されている。今日は襲ってこないと思うが、油断だけはしないようにしないとな……)
俺はメルに気付かれないように気を引き締め直した。
■■■
私――ハリソン・ガネル――は一昨日、七月十六日の夕方、ウェルバーン市内に潜入した。
既にハリソン・ガネルの名で手配書が回っているようで、髪を黒く染め、いつも使う偽名、ハロルドとしてウェルバーン市の城門をくぐっている。
ハロルドの名もロックハート家襲撃時に騎士団に伝わっているため危険だが、今回は準備期間もなく、それを使わざるを得なかった。
だが、全く勝算がない賭けというわけでもない。ハロルドという名は珍しいものでもなく、オーブ――身分を証明する魔道具――も正規のものとほとんど見分けはつかない。普通の兵士が相手なら発覚する恐れはほとんどない。
実際、城門で検問を行っている兵士たちはオーブによる犯罪履歴――オーブには作成時に行う誓約を破ると犯罪者として判る仕組みになっている――を確認するだけで、ほとんど警戒していなかった。
街の様子もそれを物語っている。
第四大隊による反乱騒動が終息し、ルークスとアウレラに対する不快感は残っているものの、数日後に行われる辺境伯家の婚姻の式典が予定通り行われると発表され、祝賀ムードが街を支配している。
そんな中、私は大恩あるデズモンド様――デズモンド・ゲートスケル准男爵――の無念を晴らすべく、行動を起こそうと考えていた。
まず考えたのがデズモンド様の救出だ。
だが、ラズウェル辺境伯の巧妙な策略を前に頭を悩ませていた。
辺境伯はデズモンド様がルークスに怪しげな技で操られ、自らの意志に反する行動をさせられていたと発表した。デズモンド様は不幸な被害者であり、憎むべきはルークスと手引きしたアウレラであるという趣旨のコメントも出している。
このため、私がデズモンド様を救出したとしても、それはルークスが証拠隠滅か、更なる悪巧みに利用するために行ったとしか見られない。
それ以前に救出すべきデズモンド様は辺境伯に自害を強要され、既にお亡くなりになっている可能性が高い。
まだお亡くなりになっておられず、万難を排して脱出に成功したとしても、デズモンド様が再起を図ることは困難だ。どこに行ってもルークスの更なる悪だくみの手先として見られるか、辺境伯の怒りの矛先を向けさせる手段に使われたと思われるのがオチだろう。
つまり、あの方を脱出させても無為に時を過ごすだけで、辺境伯の宣伝工作に利用されるだけだ。ここが辺境伯の巧妙なところだ。
そして重要なのは誇り高いデズモンド様がそれをよしとするはずがないということだ。説得するすべがあればよいのだが、私にはそれが思いつかない。
そこまで考えたところで、自分が先走っていることに気付く。
判断材料とすべき情報が少な過ぎるのだ。今考えたこともすべて私の想像にすぎない。
今は情報収集に努めるしかないと頭を切り替える。
情報を集め、救出の機会を窺う。そして、機会が巡ってくれば命を掛けてお救いする。それしかない。
だが、既にお亡くなりになっている可能性は高い。時を無為に使わぬため、別の策も検討しておくべきだろう。
そして、次に考えたのが報復だった。
デズモンド様を陥れたヒューバート・ラズウェル辺境伯に報復するのだ。
辺境伯は娘の結婚を利用し、政治基盤を強化しようとしている。私にはよく判らないが、デズモンド様のお考えはそうだった。
彼は今、政敵であるデズモンド様とタイスバーン子爵閣下――コンスタンス・タイスバーン子爵、ラズウェル辺境伯の弟――を排除し、我が世の春を謳歌している。だから、この機を狙って奴に一矢報いることで絶望を与えてやるのだ。
一昨日、その機会があった。辺境伯らは市外の演習場で鍛冶師たちと宴会に興じていたというのだ。私はその絶好の機会を逃したことに思わず天を見上げてしまったが、まだ機会は残っていると思い直した。そう、ロザリンド・ラズウェルとロドリック・ロックハートの婚姻の式典という絶好の機会がまだ残っているのだ。
噂では式典の最後にウェルバーン市街を 開放(オープン) 型の馬車を使ってパレードを行うという。そのパレードにはロザリンドらだけでなく、辺境伯本人と嫡孫フランシスも乗るのだ。
沿道には多数の警備が立つだろうが、近隣から来る見物人はそれ以上に多い。それに紛れ込めば、暗殺の機会は十分にあるだろう。
それまでは辺境伯とその家族が城から出てくることはない。さすがに城内に協力者を作ることは出来なかったから、城から出る機会を窺うしかない。
幸い、街には数人の配下が残っていた。信用できるかは微妙だが、私のことを恐れている以上、裏切る可能性は小さいと思っていい。
私は七月二十日を決行の日と決め、準備を始めた。
七月十七日は暗殺に使うクロスボウと毒薬の材料の手配に奔走していた。
その日の夜、城の周囲を探らせていた配下から、デズモンド様がご自害したという噂が流れていると報告があった。
「……何でも自白してからすぐ、十四日の夜には騎士団本部の地下牢で毒を飲まされたって話です。とりあえず公表は結婚の式典が終わってからってことらしいです……」
今のタイミングでデズモンド様のお命を奪っておくのは合理的だ。更にこのタイミングで公表しないことも。だとするなら、この噂通り、デズモンド様は既にご自害されている。
私の心が絶望に黒く染まっていく。間に合わなかったという悔悟の念が私を 苛(さいな) む。
(やはり間に合わなかったか……判っていたが無念だ……ならば、予定通り報復するのみ……)
翌七月十八日も私は準備に奔走していた。クロスボウと毒の材料を入手することに成功した。この毒はルークスのオウレットから製法を教えられたもので、比較的手に入り易い素材で作ることができる割に、オーガすら一撃で倒せるほどの威力を誇る。惜しむらくは劣化が早く空気に触れると数分で効果がなくなるという欠点があることだ。この特性のため、矢に塗布して使うにはある程度の距離まで近づく必要があること、塗ったらすぐに矢を射る必要がある。このため、狙撃という手段には使い辛いのだ。
パレードコースに関する情報は比較的容易に入手できた。
私が消えたことが知られる前の情報であり、確度は高い。もちろん、私のことに気付き、コースを変える可能性はあるが、それでもこのコースを大きく変えることは難しい。今からでは、精々時間をずらす程度しかできないだろう。
パレードコースでの襲撃に頭を悩ませていると、配下の一人からザカライアス・ロックハートが城を出て、街を散策していたという報告が上がってきた。
「……別嬪の娘と腕を組んで、楽しそうに街に繰り出して行きましたぜ。一応、つけてみたんですがね、小物屋や服屋に何度も入って……」
配下の報告ではザカライアスは同世代の少女、恐らくメリッサ・マーロンと街を散策していたというのだ。それも武装もほとんどせず、無警戒に買い物をしていたと言う。
私はその報告に耳を疑い、罠ではないかと考えた。
ザカライアスは私とデズモンド様に煮え湯を飲ませ続けた男だ。ロークリフ――帝国北部の宿場町――近くの森での襲撃、ウェルバーン城での第四大隊の反乱。いずれにおいても、私たちの策を覆し続けてくれた。
彼がいなければ、ロークリフ近くの森での襲撃に成功し、ロックハート家の持つ蒸留技術を手に入れていたはずだ。
デズモンド様の策である第四大隊の反乱も彼がいなければ成功していただろう。そうなっていれば、ラズウェル家はタイスバーン子爵閣下が掌握していたはずだ。
すべての元凶ともいえるザカライアスが暢気に街で遊んでいる。
だが、彼はデズモンド様が恐れるほどの天才だ。事実、鍛冶師ギルドと魔術師ギルドと言う二つのギルドに対し、多大な影響力を持つと言われている。
私が消息を絶ったと言う情報は既に伝わっているはずだ。ならば、私がデズモンド様を救い出すか、彼らに報復するか、いずれかの行動を起こすことは容易に想像できる。
それなのに、平気な顔をして街に繰り出していると言う。
これは明らかに罠だ。
私を誘い出すために、自らを囮とした罠に違いない。
「念のため噂話を仕入れてきたんですがね、どうやら、四人の女と一人ずつ街に繰り出すことを約束したらしいですよ……」
詳しい話は判らなかったが、城門の守衛から聞きだした話では、どうやらザカライアスはパーティメンバーの四人の女性と街に出かける約束をしているようだ。彼本人が守衛にそう話したと言うことだ。
そして、配下からの報告では少女のほうは非常に楽しげで恋人になりたての若者のように見えたと言うのだ。
私は未だに罠の可能性を疑っていた。だが、罠であってもこれは絶好の機会ではないか、そう考え始めてもいた。
今回の辺境伯襲撃計画だが、失敗する可能性が高い。
パレードコースを下見したのだが、狙撃に適した場所には既に騎士団員が配置されていた。更に沿道の家に忍び込み家人を脅して狙撃場所を確保しようとしたが、夜間の警備が異常なほど厳重なだけでなく、頻繁に異常がないか家の中まで確認に来ていた。
私に弓術の才能はない。
比較的取扱いが容易なクロスボウを使って、狙撃しようと考えているほどだ。更に一射目で失敗しても即座に二射目が撃てるよう複数のクロスボウを用意するつもりだった。
沿道に並ぶ民衆たちの中に紛れ込むことも考えたが、武器の持ち込みは制限されることになっており、特に狙撃に使える弓と魔術師の杖は、周囲の大衆に見られただけで失敗に終わるだろう。私はクロスボウでの狙撃を諦めようかと考え始めていたのだ。
そこに今回のザカライアスの話だ。
彼は魔術師として有名だが、剣術士としてもかなり優秀だ。調べた限りでは 斥候(スカウト) としての能力も高く、不意打ちを狙うのは難しいだろう。だが、そこに彼の油断があるのではないか。
私の能力は恐らく知られている。
私の剣術士レベルは五十五だ。一般的には達人と呼ばれる一歩手前、誰もが一流と認めるレベルだ。
だが、彼はロックハートだ。
あの家にはレベル六十以上が何人もいたはずだ。それに情報では超一流と呼ばれる二級冒険者と訓練を行い、互角に渡り合っていたそうだ。
つまり、私程度の実力では脅威にならないと思っているのかもしれない。
これは希望的観測と言う奴だろう。だが、私はこれに賭けることにした。
ラズウェル辺境伯家に一矢報いることはできずとも、我々がこのような状況に陥った直接的な原因であるザカライアスを倒せれば本望だ。彼にとっては逆恨みも甚だしいというのだろうが、今の私にとってそんなことは関係ない。
それにザカライアスを殺せば、ラズウェル家の有力な縁者を一人排除できることになる。私はこじつけのような理由でザカライアス・ロックハートを暗殺することに舵を切った。
今日がメリッサ・マーロンということは、明日はシャロン・ジェークス、リディアーヌ・デュプレ、ベアトリス・ラバルのいずれかだ。
もし、虎獣人のベアトリス・ラバルならば断念するしかない。私が調べた範囲では、彼女はレベル六十を超える猛者であり、本物の虎のように警戒心が強く、不意打ちは無理だろう。
明日の相手がシャロン・ジェークスであれば、成功する可能性は高い。彼女は優秀な魔術師だが、魔法を使う機会を与えるつもりはない。
シャロン・ジェークスであることが最も成功率は高いが、リディアーヌ・デュプレでも決行するつもりだ。
彼女は優秀な魔道弓術士だが、接近戦に入ってしまえば脅威とは成り得ない。四属性持ちであり、水属性や光属性を使えるため治癒師としても優秀だそうだが、今回使用する毒の場合、魔法で治療する前に終わるはずだ。私が使う毒は即効性が高く、帝都では治癒師がすぐ横に居ながらも、一度も解毒に成功したことはないのだから。
そして、七月十九日になった。
私は危険を承知でウェルバーン城の城門近くに潜んでいた。この辺りは役所や騎士団関係の建物が多く、私の変装が見破られる可能性がある。その危険を承知で機会を窺いにきたのだ。
私は賭けに勝った。
今日の相手はベアトリス・ラバルではなかったのだ。
ザカライアスの横にいるのはリディアーヌ・デュプレだった。
私は楽しそうに腕を組む二人の後姿を見つめた後、静かに後を付け始めた。