軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十一話「蒸留技術の守り方」

八月十五日

ラスモア村に里帰りしてから一ヶ月。

ドクトゥスでの学院と森を交互に訪れていた時と比べ、村ではゆっくりとした時間が流れていた。

そうは言っても、夜明けと共に朝の鍛錬を行い、午前中はほぼ自警団の訓練に付き合っているから、普通の人から見ればそれほどのんびりとしているようには見えないだろうが、やはり住み慣れた家で過ごす時間というのは違うということなのだ。

最もこの村に馴染みのないベアトリスだが、彼女は日に日にここに馴染んでいった。彼女自身、この村を非常に気に入ったようで、「ドクトゥスからここに移り住んでもいいね。何と言っても大きな風呂に旨い酒。この二つがあれば……」と言っていた。

俺は小さく首を振りながら、心の中で思っていた。

(おいおい会津の小原さんちの庄助さんじゃないんだから……まあ、朝寝はさせてもらえないから身上を潰すことはないか……)

メルとダンのドクトゥス行きも思ったよりあっさりと許可が出た。

俺とシャロンが冒険者としてある程度稼げていることで、金銭的な問題はないと判断されたこと、ベアトリスというしっかりとした大人の保護者がいるということが決め手となった。保護者といえばリディが最初からついているのだが、信用度の点から言うと付き合いの短いベアトリスの方が圧倒的に評価されているようだ。理由については、俺から言うべきことは無い。

更に言えば、メルの精神状態のこともあった。

メルの父ヘクターと母ポリーにメルをドクトゥスに連れていくことについて、話をしに行った時、ヘクターが教えてくれたのだ。

俺が学院に入学するために村を発ってから、メルの感情の起伏が激しくなった。ちょっとしたことで怒りを見せたり、笑ったり、泣いたり……どうやら、思春期の体の変化と俺の不在という心の負担が重なり、かなり不安定になっていたらしい。

特に心配したのは、無茶な剣の修行のことだったそうだ。

シェハリオン山に入っての修業も当初は断固として反対したそうだが、許可しなければ心が壊れそうだと仕方なく許可したそうだ。

表面上はダンとメルの二人だけで山に篭ったことになっているが、実際にはヘクターやダンの父ガイが常に気にかけていたそうだ。

そして、俺が帰って来てからの彼女の変わりようを見て、ドクトゥス行きを反対するよりは、俺に預けた方が彼女にとって良い方向に向かうと考えた。

「ザック様にはご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ないと思っているのですが、娘のことを想うと……」

いつもは陽気な笑顔のヘクターが憂いを帯びた顔でそう言い、夫婦で頭を下げた。

ヘクターは「年頃の娘というのは難しいものです」と苦笑交じりに付け加えた。

(年頃の娘ね……思春期か。そんな時代もあったような気がするが……さて、どうしたらいいんだ……)

俺は途方に暮れるが、とりあえず、彼女ときちんと向き合うことしかないと考え直した。

そんなことがあったが、気心の知れた仲間が増えるのはやはり楽しいものだ。

俺はドクトゥスに行ってからのことを考え、 俺たち四人(ザックカルテット) +リディ、ベアトリスの六人で森に入り、連携などを確認していった。

話は変わるが、当初、迷彩柄のマントの効果を信用していなかったダンだが、実際に森に入って使ってみて、その効果に驚いていた。そして、大層気に入ったようだ。

ダンだけではなく、ベテランのガイやヘクター、猟師のロブなど森によく入る男たちの評価が高かった。本気でロックハート家の正式装備になりそうな勢いだ。

みんなで森に入って感じたことは、やはり平和だと言うことだ。

ドクトゥスなら、北の森に入った瞬間、殺気のようなものを感じる。だが、村の近くの森ではそんなものはほとんど感じない。ピクニックでもできそうな日本の 長閑(のどか) な森と言っても差し支えないほど、危険を感じない。

そんな森も村から離れるに従って、雰囲気が変わってくる。特に村の北にあるシェハリオン山では、ドクトゥスの北の森のように魔物が頻繁に現れてくる。

メルとダンはこの危険な山に一ヶ月も篭っていた。

確かにこの山にいれば、魔物との 遭遇(エンカウント) は頻繁だし、レベルアップには都合がいいだろう。だが、たった二人で野宿をするとなると、話は変わってくる。隠れてヘクターたちが見てくれていたとはいえ、二人はその事実を知らない。

交替で不寝番をするにしても、疲労が蓄積されていくはずだ。

夜に溜まった疲労が抜けない状態が続けば、格下の相手でも後れをとる可能性は否定できない。そんなギリギリの状態で俺たちに匹敵する数を狩っていたのだから、実力もさることながら、運も良かったのだろう。

そのことはベテランであるベアトリスも言っており、よく無事でいられたものだと呆れていた。

その点について、メルはともかく、ダンの方はかなり頭を悩ませていたようだ。

彼なりに万全を期したようで、山での野営場所は見晴らしのいい岩場の小さな洞窟を利用し、更に警戒用の鳴子も配置していたそうだ。

そのことも関係あるのだろう。驚いたことにダンの 斥候(スカウト) としての能力が飛躍的に上がっていた。

俺自身も村にいる頃から猟師たちと森に入っていたし、ドクトゥスに行ってからもベアトリスの指導を受け、気配察知や隠蔽などのスキルはかなり高いと自負していた。だが、ダンは僅か一年で、その俺より優秀なスカウトになっていたのだ。

ダンは何も言わないが、自分の愛する少女、メルを守るため、常にギリギリの状態でいたのだろう。その結果が一般の冒険者の数倍の効率でスキルレベルを上げることに繋がったようだ。

これにはベテランのベアトリスも驚いており、「この子たちは本当に天才ばかりだわ」と呆れながらも、ダンの力量を認め、この子に斥候を任せても問題ないとのお墨付きを与えていた。

そんな夏の日が過ぎ、俺たちはドクトゥスに向けて出発する。

ドクトゥスからの旅と同じく、従士たちが護衛につくことはなかった。実際には父が遠慮気味に提案してきたが、俺が断っていたのだ。

往路に比べ、メルとダンという子供が増えているが、俺たち六人の戦闘力は同人数の三級クラスの冒険者パーティに匹敵する。特に遠距離攻撃力に限れば、二級冒険者のパーティにも引けは取らない。

なにせ、魔術師が俺、リディ、シャロンの三人で、更に弓を使えるダンもいる。六人中四人が遠距離攻撃手段を持っているパーティというのは、ベアトリスに言わせると異例というより異常だそうだ。

だからと言って接近戦が苦手ということもない。

三級のベアトリス、五級の俺に加え、実力なら五級相当のメル、七級相当のダン、防御に徹すれば五級相当の腕を持つリディがおり、十匹程度のオークなら接近戦だけでも十分に対抗できる。

更にベアトリスが「優秀な治癒師二人がいるっていうのが一番だね」と感想を述べていた。治癒師である俺に実感はないが、救急医療機関などないこの世界では、治癒師が一緒にいるというのは非常に心強いそうだ。

確かに救急車を呼ぶなんてことはできないし、ひとたびケガをすれば、安全なところに移動するだけでも一苦労だ。簡単な止血ができる程度の治癒師でも戦力低下の観点からは貴重だそうで、骨折程度なら簡単に治せる俺やリディがいる俺たちのパーティは、継戦能力の点で他のパーティとは比較にならないほど優秀だ。

そして、出発の日、八月十五日になった。

メルやダンにとっては初めての旅だが、親元から離れる不安より、この先の期待の方が勝っているようで、昨夜は遠足前の子供のようにソワソワとしていたようだ。

今日は二十五kmほどの距離にあるキルナレックの街が目的地だし、天気も雲ひとつない夏晴れということもあり、出発は午前十時頃にしていた。

早朝の鍛錬と朝食を終え、家族と別れの挨拶をする。

さすがに大人たちは笑顔でいるが、弟や妹たち幼い子供は俺たちがいなくなると聞いて泣き出してしまった。

小さな子供たちをなだめすかしてから、馬に乗り、館が丘を下っていく。

村人たちも俺たちの出発を知っており、丘の間を通る道に並んで手を振って送り出してくれた。

俺は再び故郷を後にした。

ドクトゥスへの旅は往路と比べ、平和そのものだった。

危険なカルシュ峠でも魔物や野盗の襲撃はなかった。

ただ一点、俺の平和な心をかき乱したのは、冒険者の街ペリクリトルで聞いた鍛冶師ギルドの緊急声明の話だけだった。

ペリクリトルで定宿としている“荒鷲の巣”亭に入り、主人のヨアンから「凄ぇことになっているみたいだな」と笑われた。

最初、何の話か判らず首を傾げていたら、ヨアンが鍛冶師ギルドが声明を出したことを教えてくれた。

そして、ヨアンから概要を聞いた時、俺は左手に持っていた剣を取り落とすほど衝撃を受け、一旦村に戻ろうかと考えた。

ベルトラムに相談に行った後、村と蒸留所を守る方法について、父や内政担当のニコラスに伝えてあった。だが、ここまで 大事(おおごと) になると、俺の考えた策で十分なのか不安になったからだ。

俺が考えたことは、蒸留技術の普及だ。

但し、石鹸の時のように技術自体を売りつけるのではなく、職人を育てて各地で蒸留所を立ち上げて貰うという気の長い計画だ。

俺がなぜ石鹸と同じことをしないと決めたのか。

石鹸に思い入れはないが、酒には思い入れがある。ただそれだけの違いだ。

俺はこの蒸留酒造りという技術を、金のことしか考えない連中に売りたくなかった。少なくともうまい酒を作ろうという気概のない大手の商人や貴族に売るつもりはない。

日本にいる頃にも良く思ったのだが、資本が小さな蒸留所や酒造メーカーを買収すると途端に魅力が無くなる。もちろん、不味くなるわけではない。その中小メーカーの個性を残しつつ一般受けする味にしているだけなのだが、俺にはそれが気に入らなかった。

確かに大資本が買収すると、大外れはもちろん、首を傾げたくなるような微妙な味の酒は無くなる。

だが、外れがあっても大当たりがあるのが、小さなメーカーのいいところだ。よく日本酒の試飲会などに行っていたが、小さな酒蔵では“なぜこんな酒を造ったんだ!”と叫びたくなるほど不味い酒に出会うことがある。

俺の味覚が普通なら、十人いれば九人までが不味いというような酒だ。

小さなメーカーの場合、残りの一人が旨いと言えば、それを商品として出すことができる。だが、大資本にはそんな真似はまずやらないし、評判を落とすような冒険は提案すら出されることはないだろう。

更に言えば、この世界で蒸留酒の何たるかを理解している者は俺くらいだ。長期熟成の重要性を理解しない大手の商人や貴族が蒸留酒を作り始めれば、効率だけを優先して、ニューポット、つまり“麦焼酎”状態で出荷するはずだ。それはそれで飲めないことはない。

つまり、味の向上を目指さなくとも売れると言うことだ。

それが主流となればどうなるか。

俺が目指すウィスキーという酒が駆逐される恐れがある。

誰も短期間で収益が上がるのに、長期間在庫を抱えておきたいとは思わない。これは商売をする者ならごく初歩の常識だ。

そして、長期熟成した本物のウィスキーが世に出るには最低十年は掛かる。飲んだこともなく、味も理解できない者はそんな時間を掛ける必要はないと考えるだろう。

その結果、俺が目指す本物は世に出る前に葬り去られてしまうのだ。

だから、少なくとも長期熟成のスコッチが流通し、味が認知されるまでは、無闇に蒸留技術を拡散させたくない。そう言うことだ。

前置きが長くなったが、俺が考えたのは、やる気のある職人がスコットの蒸留所を訪れたなら、受け入れ、酒造りの技術を教えるということだ。

但し、それには三つの条件を付けた。

一つ目は下積みの仕事を少なくとも三年以上積ませること。

二つ目はベルトラムと酒の話ができるようになること。

三つ目はスコットの酒を超えるものを作る夢を持っていること。

以上の三つが俺の付けた条件だった。

一つ目は樽の管理や原料の管理を覚えさせることで品質を維持することが目的だ。三年目なら自分が一から関わった酒が飲めるようになっている。この時間がいかに重要かを理解できれば、下手な酒は作らないだろう。もちろん、蒸留技術だけを盗みに来た奴や、下積みを馬鹿にするようなやる気のない奴を排除する目的もある。

二つ目は簡単だ。酒好きかどうかを見るだけだ。酒に対する情熱がなければベルトラムが見切ってくれるだろうし、情熱がある者なら、顧客であるドワーフの意見を直接聞くことは非常にためになる。

三つ目も酒に対する情熱があるかを見るだけだ。未だ発展途上のスコットの技術の縮小再生産をしても意味がない。改善の努力をしない技術者が 一流(プロフェッショナル) になれるわけがないからだ。

うちの村の蒸留技術を覚えてから、大商人にヘッドハンティングされようが、独立しようが、とやかく言うつもりはない。

俺の付けた条件をクリアできる職人が蒸留技術を広めてくれるなら、俺にとっても歓迎できる話だからだ。

まあ、今から始めたとしても、その職人たちが作る蒸留酒が、俺を満足させるのは三十年以上先になるだろうから、気の長い話ではある。

ここまでが俺の考えた計画だったが、鍛冶師ギルドの宣言で話は一気に変わった。

鍛冶師ギルドが全世界に向けて声明を発信したと言うことは、全世界がラスモア村の蒸留技術に注目すると言うことだ。当然、その中にはカエルム帝国も含まれる。

一応(・・) ロックハート家はカエルム帝国に忠誠を誓う騎士だ。実際にはロックハート家は小さいながらも独立国のような存在であり、帝国の庇護の下にはない。だが、帝国政府が何か言ってきた場合、やはり断りにくい。

これについては、以前から祖父も父も「騎士の位など返上すればいい」とこともなげに言っている。特に父は元々拘りが無いのか、実に合理的な考えを持っていた。

「騎士とは言っても、義務もなければ恩恵もない。それに父上が良いと言うなら、私の功績でもない騎士の位など無くても構わんよ」

このラスモア村は元々自由国境地帯の開拓村のようなものだ。

実際、ロックハート家が独立したとしても、カエルム帝国が軍を派遣する場合、どのルートを取ろうが、他国を通らないと、この村に辿り着けない。当然、そうなれば、武具の手入れをする鍛冶師ギルドの耳に入る。

唯一、噂に聞く飛竜部隊なら、直接辿り着けるだろうが、虎の子の精鋭部隊をたかが辺境の小さな村に派遣するとは考えにくい。

だが、それでもカエルム帝国が興味を持つと言うことは、あまりいい状況ではない。

更に鍛冶師ギルドと 誼(よしみ) を通じたい、又は従わせたいと思っている商業都市アウレラなどは、財力にものを言わせて何をしてくるか判らない。

そう考えると、俺が村に戻った方がいいのではないかと思ったのだ。

(しかし、ドワーフたちの執念を考えたら、このくらい予想しておくべきだったな。鍛冶師ギルドの庇護という思ってもみない強力な後ろ盾を手に入れたが、ことが大きくなりすぎた……)

結論を言えば、俺は村に戻らなかった。

理由は俺が村に戻ったとしても、それほどできることはない。父やニコラスは大変だろうが、基本方針として蒸留技術を売らないと公言しておけば、鍛冶師ギルドを敵に回したくない連中が強引な手に出ることはないだろう。

後は絡め手を使ってくる連中をどうするかだが、何があっても売らないと宣言しておけば、自給自足が可能なラスモア村なら、経済的な締め付けは効かないし、権力にも屈しないから、それほど問題はないはずだ。

俺がいるより、剛毅な父と実直なニコラスが断る方が下手な手は打ちにくいだろう。

(ニコラスが苦労する姿が目に浮かぶんだが……すまん……)

俺はラスモア村の方に頭を下げ、心の中でニコラスに手を合わせて謝罪した。

再び、ドクトゥスに向けて旅を続け、悪天候で何日か足止めを食らったものの、八月二十八日にドクトゥスに無事到着した。