軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

田村家の取り調べと到着する六三郎

黒脛巾組の5人が帰ってから氏顕は、捕獲された佐藤を大広間に連れて来ていた。この時点でおよそ午後4時頃、夕方になっていた

その時間になると流石に気を失っていた佐藤も目を覚ましていたが、大広間に到着した佐藤は

「儂は、確か戦場から逃げておったのじゃが、お主達が儂を捕まえたのか?」

前後の記憶が混乱している様で、自分が捕まった理由を尋ねていた。そんな佐藤に対して昌幸が

「お主は戦場から撤退して疲れ果て、行き倒れていた所を、領民が見つけて不憫に思い、田村様の屋敷まで運んで来たのじゃ!縛られていたのは暴れない為との事じゃ

ほれ、その証拠に田村様の横に、お主の甲冑と刀槍が置かれておるぞ」

嘘八百を並べて、佐藤が有利な情報を出す様に仕向ける。昌幸の意図を察した田村家の面々は何も言わずに頷くだけに留めていた

その様子を見た佐藤は、昌幸が本当の事を言っていると信じた様で

「敵兵の拙者を、領民の方が助けてくださったとは。それだけでも有難い事なのに、即刻斬首もせずに生かしていただき、誠に感謝しております」

昌幸達へ感謝の言葉を述べていた。それを聞いた昌幸は佐藤に対して

「若者よ、名と歳を教えてくれぬか?」

「 佐藤二郎義道(さとうじろうよしみち) と申します。今年で十八歳になります」

名前と年齢を質問すると、佐藤は正直に答えた。次に氏顕が

「それでは佐藤二郎よ、此度の戦の事でいくつか聞きたい事があるのじゃ、お主が正直に答えてくれるのであれば、命を取らないと保証しようと思う。正直に答えてくれるな?」

少しばかり恫喝の様な言葉をかけて、佐藤に色々な事を正直に話す様、呼びかける。氏顕の言葉に佐藤は

「は、はい!ちゃんと正直に答えます!」

少しばかり引いていたが、正直に答えると返答した。それを聞いて氏顕が取り調べを開始する

「期待しておるぞ。それでは先ず、針生平三郎が挙兵した理由を教えてもらおう」

「はい。針生平三郎が挙兵した理由ですが、「殺された蘆名家当主が弱腰だったから」と聞いております」

「どの様な事で蘆名平四郎殿が弱腰と見られたのか、分かるか?」

「はい。今年の睦月に織田右府様からの文にて、「伊達家に臣従するか否か」との内容が届いて、その事で蘆名様から「評定を開きたい」と針生家に文が届いたのです

その際、針生平三郎は「織田家にくだるならまだしも、何故伊達家にくだらないといかん」と怒りを露わにし、当主としての務めを弟の平四郎様に丸投げしておりました」

その説明を聞いた氏顕は

「ふむ。話を聞くに、自らの我儘から来る短慮で当主の役割を放棄しただけでなく、主家にあたる蘆名家をも乗っ取るつもりで動いた様じゃな」

盛春の謀反の原因を、盛春自身の我儘から来る短慮だと断定した。しかし佐藤が

「失礼ながら、田村様。針生平三郎が挙兵した理由として、この様な事を言っておりました

「偽物の蘆名家当主め」と。これは、拙者の祖父が針生家の創設当初から仕えていた曽祖父から代々、教えてくれた話なのですが、

針生家を立ち上げた蘆名出羽判官こと蘆名盛滋公が長男だったのにも関わらず、次男の蘆名盛舜公が家督を継いだ事は、「将来的に禍根になるだろう」と、

我々佐藤家は、針生家の家臣の中では序列は下でしたが、長く仕えておりました

ですが、此度の戦にて、一千人の軍勢で出陣したのにも関わらず、拙者と逸れた時点で百人以下になった軍勢の大将である針生平三郎が、例え蘆名盛滋公の血筋であろうとも、佐藤家の命運を託せませぬ!」

盛春が挙兵した理由を口にすると、田村家家臣達がざわつく。勿論、当主である氏顕自身も、こんな重い内容を聞かされるとは思っていなかった様で

昌幸をチラチラ見ながら、助け舟を求めていた。氏顕の視線から察した昌幸は

「田村様。此方の佐藤殿、針生とやらの挙兵理由を知っている生き証人として手厚くもてなした方が良いと拙者は思いますな

佐藤殿の話を聞くに、此度の挙兵は針生平三郎と一部の者達の暴走と見て良いかと。殿が佐竹家の方々を連れて来た際、全てを話してもらいましょう!如何ですかな?」

現時点で最良の手とも取れる方法を提案した。昌幸の提案に氏顕は

「そうですなあ。このまま針生平三郎の元に戻しても殺されるだけでしょうし、柴田様が佐竹家の方々を連れて来た際

今の話を佐竹家の方々の前で話してもらいましょう。佐藤殿、お主への沙汰じゃが、此方の真田殿の主君の柴田播磨守様が戻ってくるまでは

田村家屋敷内にかぎり、家臣の誰かしらと一緒ならば自由に過ごして構わぬ!甲冑や刀槍は全てが終わってから、返すと約束しよう」

かなり甘い沙汰をくだした。それを聞いた家臣達は

「殿!沙汰が甘すぎませぬか?」

「そうですぞ!斬首にせずとも、何かしらの処罰はくだした方が良いですぞ!」

至極真っ当な意見を口にする。しかし、そこで昌幸が

「はっはっは!田村様、お若いのに拙者の主君である柴田播磨守様も出した事もある沙汰を出すとは!やはり共に過ごした期間で、考えも似たのですな!」

「六三郎もその沙汰、出した事あるよ」と笑いながら伝えた事で、氏顕は

「皆も聞いたであろう!柴田様も同じ沙汰をくだした事があるそうじゃ!それに、此度の針生の挙兵による陸奥国の被害を小さく出来る数少ない証人なのじゃ!丁重に扱う事を命じる!」

「「「「ははっ!」」」」

「六三郎も出した沙汰」の一点を中心に家臣達を納得させた。こうして盛春が考えていた、「伊達家に罪をなすりつける」が嘘だと証明する手札を田村家が手に入れた

一方その頃、六三郎と真田兄弟は、遂に目的地に到着していた

天正二十三年(1595年)十一月十日

常陸国 水戸城

「佐竹殿!次郎殿!いきなりの申し出にも関わらず、場を整えていただいた事、誠に忝うございます!」

相馬家の湊を出発してから、約半月。六三郎と真田兄弟は水戸城の大広間に居たが、佐竹義重は

「柴田殿、もしや拙者の次男で蘆名家に養子に行った四郎に関係ある事なのか?」

いきなり踏み込んだ質問をして来た。義重の質問に対して六三郎は

「その通りです。これから嘘偽りなく、知っている範囲内で全ての事をお話しさせていただきます!」

そう言って、姿勢を正した。此処から六三郎の佐竹家を味方に引き入れる交渉が始まる。