作品タイトル不明
第235話 ~魔族領着陸?②~
数日経ち、勇者は上野と細山、和木を船で留守番させることに決めたそうだ。彼女たちが邪魔だとは感じたことはないが、それでもここからは対人間戦なため明確な弱点を突かれる恐れがある。三人は勇者の言葉で納得したのか素直に頷いていた。俺も同じ判断をしたが、それでも三人を傷つけずに納得させることはできなかっただろう。自分のコミュニケーション能力の低さについては若干諦めている。
「おい見えたぞ! 魔族領だ!!」
物見台で目を閉じて範囲を広げた自分の『危機察知』に集中していれば、いつの間にか甲板まで出てきていたノアがこちらを振り仰いで水平線の先を指差した。その声を聞いた船内にいた仲間たちも久しぶりの陸地を見るために続々と船内から出てくる。
ノアの小さな指先のその先、ずっと青い海原が続いている水平線に少しずつ陸地が見え始めた。はじめはポツンと点のようなそれは徐々に広がり、時間の経過とともに陸だと認識できるまでに大きくなる。
『ついに来たか、魔族領』
いつの間にか定位置の肩まで登ってきていた夜が感慨深く呟いた。
「……夜にとっては生まれ育った故郷だろ。帰ったじゃないのか」
アメリアがカンティネン迷宮から転送されてエルフ族領の象徴とも言うべき神聖樹を見たとき、恐れと同時にどこかほっとしたような表情を浮かべていたのを覚えている。誰もが持っている故郷への特別な感情だ。
『……主殿、俺は魔物だ。人間ではないのだ』
自分に言い聞かせるような夜の言葉に俺はその横顔を横目で窺った。
猫の表情は読みにくいというが、一緒に過ごしていれば何となく分かってくるようにもなる。だがあの表情は……。
『そろそろ交代の時間だろう。次は勇者のやつだったか?』
「……ああ。呼んできてもらえると助かる」
『任せておけ!』
どこか空元気のような無理をしているようにも聞こえる声と一緒に小さな体がひょいっと下に降りたのを確認して、俺は思わず呟いた。
「あれは、……怒りか?」
少しだけ見えた魔族領を見やる瞳には、故郷への特別な感情などではなく怒りを孕んでいるように見えた。
見えてきた陸地を見やり、大きくため息を吐く。
俺は俺と出会う前の夜のことをあまり知らない。
知っているのは人間の言葉を理解し話す特別な魔物で“アドレアの悪夢”、“魔王の右腕”などと呼ばれていたこと、そしてどうしてか捨て駒のようにカンティネン迷宮のボスとなっていたこと、性格はクソがつくほど真面目で一度決めたことは曲げないくらい頑固で人間を嫌っていることくらいだ。
今でこそ勇者たちとも自然に会話をしているがクロウの家で出会った当初は勇者たちが何をするにも突っかかっていた。エルフ族領ではできる限りエルフたちと顔を合わせないようにしていたし表面には出さないようにしているが、おそらく基本的には魔族以外の他種族が誰であろうと嫌いなのではないだろうか。
夜が死ねば従魔契約で繋がっている俺も死んでしまう。そのため最初こそおかしなことをしないか警戒と監視はしていたものの、獣人族領ウルクに辿り着いた頃にはその警戒はしなくなった。夜の実直な性格を把握したというのもあるが、俺と同じく“帰りたい側”だと感じたから。少なくとも魔族領へ帰るまでは裏切らないだろうと思っていた。帰りたい気持ちは本物だが、それ以上に迷宮から出れば破棄すれば良い従魔契約を生真面目に遂行する姿に絆されたとも言う。しまいには肩に重みがないと俺が寂しく感じるようになってしまった。
今までは俺のことを主人と立ててはいたが、魔王に対しても尊敬や親愛、帰るべき場所だと思っていることは把握している。おそらく魔王と対峙すればどちらにつくか迷うくらいには俺のことも慕ってくれているが、それでもやはり故郷や親には勝てないだろうと思っている。だから夜のためにも魔王とは会話で、俺たちを元の世界に帰すように協力してもらえないか交渉する予定だったのだ。だが夜のあの様子だと魔王と冷静に対話するのは難しいだろう。様子が変わったのはラティスネイルから魔王の野望について聞いてからだが、この世界において禁忌というのはそれほど犯してはいけないことなのだろうか。ともすれば殺人よりも忌避されているような気さえする。
それにしても、俺は魔物は神アイテルが生み出したとサラン団長から聞いていたが、夜は魔王が生み出したと言っている。一体どちらが正解なのだろう。
加えてラティスネイルと魔王の件もある。親子喧嘩はできればこちらの要件が済んでからにしてもらいたいものだ。
「どうしたものかな……」
「何がだ?」
ひょっこりと下から顔を出した能天気な顔の勇者に俺は思わずため息を吐いた。
あの夜以降、こうして勇者や京介たちの顔を見ると少し安心するようになった。こちらの世界に来てから戦いばかりだったから、俺にとってアメリアや夜がこちらの世界の象徴で、こいつや京介たちがあちらの世界の象徴なのだろう。
にしてもこいつの顔は本当に気が抜ける顔をしているな。
「お前は悩みがなさそうでいいな」
「はぁ!?」
女子にモテていた整ったイケメン顔に一瞬で青筋が浮かんだことに愉快な気分になってそのまま物見台から飛び出す。
「あ、おい! 晶!!」
「しっかり仕事しろよ~」
すたっと危なげなく甲板に降り立って、腕を上げて軽く背筋を伸ばした。ずっと同じ体勢でいると背中や肩が凝って仕方がない。小学生の頃はどれだけ同じ体勢で本を読んでいても足の痺れ以外の違和感を感じたことがなかったのだが。高校二年生にしてもう年だろうか? 身長はそのままであの頃の体に戻りたい。
ダリオン襲撃後、魔物の襲撃がぱったりと途絶えてから数日経ち、少し気が抜けてきたというか自然体になったような気がする。この船に乗ってから、いや“死の森”やノアのせいで乗る前からずっと気を張り詰めているような雰囲気だったのが良い意味でほぐれてきた。
「……アキラ様、今お時間いただいてもよろしいでしょうか? あ、一応アメリア様からアキラ様をお借りする許しは得ています」
アマリリスに声をかけられたのは大きく深呼吸をして空気の美味しさを堪能しているときだった。後ろから来ているのは分かっていたが、アマリリスも見えてきた魔族領の陸地が見たいのだと思っていたので声をかけられて少し驚いてしまった。
律儀にアメリアまでに許可を取るということは二人きりでの内緒話だろうか。
「ああ、いいぞ。……というかその口調どうにかならないか? 王女のアメリアならともかく、俺はただの人間だ」
「……しかし、アキラ様には捕らわれていたところを助けていただいた恩がありますし、生き方を示していただいた恩人です」
“死の森”の中では言う機会がなかったが、同い年くらいの女子から敬語を使われるのはどうもくすぐったいから早急にやめてほしい。
あと、牢屋内から聞こえた方言が上野のものとはまた少し違って聞き慣れなくて珍しいのでもっと話してみたい。西の方の方言に似ているだろうか。『言語理解』による翻訳のせいかもしれないが、世界が違うのに同じような方言を使うというのは大変興味深い。
「人族だったら外見年齢と同じくらいだろ。くすぐったいから敬語はやめてくれ」
「承知しました。……じゃあ、疲れとるとこ申し訳ないけど船内の調合室に準備しちょるから来てくれん?」
ぺこりと一礼して言葉遣いを聞きなれない方言に一変させたアマリリスは、俺が言うのもなんだがもう少し表情に変化をつけるべきだと思う。
ところで薬草室なんかこの船の中にあったのか。アマリリスは拠点にいた時からノアと話しているところをよく見かけていたから頼んで作ってもらっていたのかもしれない。
アマリリスの案内で立ち入ったことのない区画にある船内の一室に入った。
「一応触ったら危ないのもあるけぇ、あんまいらわんといてな」
「いら? 触るなってことだよな、文脈的に。……なんか魔女の部屋みたいだな」
室内は誰もが想像する魔女の部屋のそれだった。
寝室は別にあるのか部屋にベッドはなく、広く感じる部屋の中央には体を丸めた成人男性が入りそうなほどに大きい黒釜が設置されて、今も何やら緑色の液体が煮えていた。釜の下に敷かれた白い布は魔法陣が刻まれた魔法具だろう。同じものを船のキッチンで見たことがある。魔力を注ぐと簡易コンロのようになるものだったはずだ。
そして釜を中心に頭上には様々な薬草が吊るされていた。おそらく“死の森”でアマリリスがちょこちょこ採取していた薬草だろう。他にもテーブルには乱雑に積まれた紙と、理科の実験で見たことのある容器などが大量に置いてあった。吊るされている薬草は位置的にアマリリスが干したものなのだろう。気を付けなければ顔に当たりそうだ。
ノリがいいうちの妹ならきっと鍋をかき回しながら怪しい笑みでも浮かべてみせるだろうか。
「まじょ……? なんそれ」
「いや、なんでもない」
首を傾げるアマリリスになんでもないと手を振り、話を促す。
魔法があるからこちらにも“魔女”という言葉は通じるかと思ったが、そういえば“魔法使い”ではなく男も女も共通して“魔法師”だったな。ということは“魔女”という概念はないのだろうか。
「それで、俺になんの用だ?」
問いかけると、アマリリスは居住まいを正し黙って怪しげな緑色の液体が揺れている鍋の中を指差す。
「例のお約束、果たすことができそうなので。これが完成した“強化薬”の解毒薬。これを“強化薬”を投与された人間にどんな方法でもいいから摂取させることができれば理論上は元に戻るはず」
約束というと、アマリリスたちを牢屋から助ける時にしたものだっただろうか。
あれは無駄死にしようとしたアマリリスをこの世に繋ぎ止めるためのかなり一方的な約束だったと思うのだが、本当に叶えてくれたらしい。“死の森”から携帯用の小さな鍋で何か煎じているとは思っていたが、ずっと試作していたのだろうか。
咄嗟に言葉がでない俺をよそに、アマリリスは瞳を伏せて袖の中で手を結んだ。
「……そもそも、“強化薬”は体が弱い人が、弱くなった人が人並みに活動できるようにって思って作ったそ。例えば、老化が始まった獣人族の人でも飲めば寿命は伸ばせんくても命が尽きるその時まで自力で動くことができるような」
アマリリスが静かに零した言葉に息を呑む。
もしグラムが彼女を攫って悪用しなければ画期的な薬になっていただろう。きっと今のクロウのように少し前と今の自分の体のギャップに苦しむ獣人族の人を救っていたはずだ。
「やけど、原液を人族が飲めば人格を破壊して死ぬまで命令通りに動かせる薬になるとは思わんかった。正直、悪用されるのはぶち悔しい。でも、獣人族にも作用するように命令されてさらに強化したんは私やけぇ、責任取らんにゃーと思って」
俺は少し自分が恥ずかしくなった。
いや、牢の中での様子やここへ来るまでのアマリリスを見る限り好き好んで“強化薬”を製作したとは思っていなかったが、それでも“マッドサイエンティスト”という印象を撤回するには冒険者ギルドで見た“強化薬”の傭兵の印象が強すぎた。言われた命令を遂行するためなら自分の命すらも簡単に投げ出す虚ろな瞳をした人格のない人間。たった一つの薬を投与されただけでそうなるなんて、それもこんな少女が作っただなんて考えられなかった。
「必要な薬草が全て“死の森”で採集できたけぇ後は調合だけやったんよ。あと、残った材料で生命力回復用ポーションもできたけぇついでに持っていって。少量だけど市場に出てる上級ポーションと同等の効果はある」
アマリリスが指差した先には小さな密封された瓶が数本並んでいる。中身はかつてカンティネン迷宮に行ったときにサラン団長が自らの腕を斬りつけて実演してくれたポーションと同じ色の液体が揺れていた。
「これを対価にしてお願いします。私が作った薬で“強化人間”となった人を元に戻してあげてください。私に薬は作れても投与することはできんから」
「……ああ、任せろ」
後頭部が見えるほどに深々と頭を下げたアマリリスに頷く。
元々解除薬を作るように言ったのは俺で、ここまでアマリリスを連れてきたのも俺だ。ならば最後まで付き合わなければならないだろう。