軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第七十八話:役員会

1983年12月。

東芝本社、役員会議室。

午後3時。

重厚な樫のテーブルに十数名の役員たちが並ぶ中、斎藤は目頭を指で押さえた。

昨日も、開発室に泊まり込み、夜明けまで検証結果と睨み合い、そのまま本社へ戻ってきたばかりだった。

「本日の議題、半導体事業に関する米国情勢について。山田常務、報告をお願いします」

議長を務める佐々木社長が、低い声で切り出した。

白髪の彼は、表情こそ穏やかだったが、指先で万年筆を何度も弄んでいた。

電子機器部門の山田常務が手元の資料を一枚めくり、重々しく咳払いをした。

「はい。SIA――米国半導体工業会の動きが、ここに来てますます活発化しております。先月の協議でも、彼らは『日本企業のダンピングと市場の閉鎖性』を強硬に主張してまいりました。特に、64K DRAMにおける我が社等のシェア拡大を明確に標的としております」

テーブルの端に座る斎藤が、険しい顔で目を細めた。

「数字としては、どの程度ですか?」

「米国市場における我が社のDRAMシェアは、前年比で約2ポイント上昇しております。問題は価格です。一部製品では、現地メーカーの製造コストを下回る水準となっております」

山田常務は資料へ目を落とした。

「もっとも、これは歩留まり向上と規模の経済による正当な結果です。しかしSIAは『不公正貿易』と決めつけ、ロビイストを通じて米議会への働きかけを強めています。来年には、通商法301条に基づく正式調査が入る可能性も出てまいりました」

一瞬、会議室に重たい沈黙が落ちた。

重電部門出身の老練な渡辺副社長が、太くしわがれた声で口を挟んだ。

「カラーテレビの時と似たような目に遭いそうだな。あの時は自主規制でさんざん煮え湯を飲まされた。ドル箱になりつつある半導体で、同じ轍を踏むわけにはいかんぞ。通産省とはどう連携している?」

山田常務が即答する。

「EIAJ(日本電子機械工業会)を通じて、情報共有を密にしております。通産省も『市場開放をアピールしつつ、過度な譲歩は避ける』という方針のようです。我々としても、米国現地法人を通じた価格の適正化を図りつつ、1MビットDRAMへの早期シフトで技術優位を維持する方向で動いています」

そこに、国際営業担当の吉川常務が、余裕のある笑みを浮かべて口を開いた。

「まあ、そう悲観したものでもありませんよ。現地の顧客は、高品質な日本製のDRAMを欲しがっています。インテルやモトローラなどが騒ぐのは、品質面で我々に勝てないから政治に頼っているだけでしょう。もし強引に関税をかければ、結果的に自身の首を絞めることになりますからね」

吉川の楽観的な意見に、何人かの役員が頷く。

しかし、佐々木社長はゆっくりと首を振った。

「確かに一理ある。だが、政治の力は時に経済の合理性をねじ伏せる。油断は禁物だ。……それで、足元の利益は出ているのか?」

斎藤が目の下の濃いクマを擦りながら答えた。

「はい。国内市場の安定したマージンと、大量生産による徹底したコストダウンにより、半導体部門全体としては黒字を維持しております。米国向けの輸出は薄利ではありますが、シェア獲得による長期的な戦略的利益は計り知れません。……ただ、万が一関税を課せられた場合、その影響は決して無視できるものではありませんが」

佐々木社長はふっと苦笑いをこぼした。

「我々が儲かっていて、なおかつ強すぎるからこそ叩かれる、ということか。出る杭は打たれると言うが、太平洋を越えて打たれるとはな。……しかし斎藤、お前のその目の下のクマは酷いな。ちゃんと寝ているのか?」

張り詰めていた会議室の空気が、少しだけ和らいだ。

斎藤は少し誤魔化すように頭を掻いた。

「……いえ。少し擬似SRAMの開発で立て込んでおりまして」

「ああ、擬似SRAMか。あの新規アーキテクチャだったな。進捗はどうだ?」

「現在、量産立ち上げのフェーズに入っております。このまま順調に歩留まりの改善が進めば、来年の四月か五月には本格的な量産を開始できる見込みです」

斎藤の言葉に、役員たちの間に期待のどよめきが走った。

佐々木社長は万年筆を置き、斎藤に力強い視線を向けた。

「そうか、頼もしい限りだ。斎藤、任せたぞ」

その夜。

開発室には、相変わらず煙草とコーヒーの匂いが充満していた。

「ふぅ……」

斎藤が力なく扉を開ける。

「あ、常務。役員会終わったんですか」

西村が振り返った。

斎藤はネクタイを緩めながら言った。

「ああ。ただ、社長に目のクマのことを突っ込まれてな。擬似SRAMで徹夜したと誤魔化したんだが、冷や汗をかいたよ」

西村が苦笑する。

「……こっちの件、まだ極秘ですもんね」

「ああ。下手に話が広がれば、今度は稟議だ説明だで身動きが取れなくなる」

斎藤は椅子へ腰を下ろした。

「それにしても、向こうも大変だぞ。アメリカがまた騒ぎ始めてる。ダンピングだ、市場閉鎖だってな」

「またですか」

関根が顔をしかめる。

「技術で勝てないからって、今度は政治ですか」

「まあ、まだ本格的な話じゃない」

斎藤はそう言って煙草に火をつけた。

だが。

忠夫だけは、静かに視線を落としていた。

(……この頃にはもう始まっていたのか)

後に、日本の半導体産業そのものを揺るがすことになる、日米半導体摩擦。

その足音は、すでにすぐそこまで来ていた。