軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十一話:二千万の衝撃

京都駅から乗り込んだ新幹線。

窓外を流れる景色を眺めながら、佳子は膝の上に置いた鞄を、壊れ物を扱うように両手で抱え込んでいた。中には、天童社長から手渡された二十枚の「任天堂・壱千株券」と判が押されたばかりの「ライセンス契約書」が収まっている。

「……ねえ、忠夫。これ、本当に私たちが持っていていいものなの? これ一枚で百万円以上なんて……夢を見ているみたいだわ」

佳子の声は微かに震えていた。

忠夫は、そんな母の横顔を穏やかに見つめた。

「母さん、それは夢じゃない。僕たちの技術に対する、任天堂からの『前払い』だよ」

千葉の自宅に戻った二人を待っていたのは、現金書留の山だった。だが、忠夫の目は迷いなく冴え渡っていた。

「母さん、届いている分はすべて捌こう。責任を持ってソフトを発送する。……それが終わったら、この事業は幕引きだ」

忠夫は、かつて広告を出した『月刊マイコン』の編集部へ電話を入れた。

「……佐伯技術研究所の佐伯ですが。月刊マイコン編集部の方に‥‥‥はい以前広告を載せたテトリスの件で‥‥はい次号の広告枠に。……新製品ではありません。『現金書留販売終了のお知らせ』を載せたいんです。」

「……はい、よろしくお願いします。失礼します。」

忠夫が静かに受話器を置くと、部屋には一瞬、奇妙な静寂が訪れた。つい一ヶ月前まで、家族総出でカセットテープを焼き、ラベルを貼っていたあの狂乱の日々。

「……終わったのね」

佳子の呟きに、忠夫は頷いた。それは単なる販売終了ではない。千葉の一軒家で行われていた「内職」が、名実ともに「企業」へと脱皮した、産声のような静寂だった。

夜、仕事から帰宅した和雄は、ネクタイを緩めながら、忠夫から『月刊マイコン』へ販売終了の連絡を入れたことを聞いた。

「……そうか、終わるのか。毎日あのピーヒョロロって音を聞きながら、家族でテープを焼くのも大変だったが、いざ終わりが見えると寂しいものだな‥‥まぁ、しばらくは続きそうだが」

和雄は、現金書留の山を見ながら少しだけ目を細め苦笑混じりに笑った。

「……それと、父さん。これを見てほしいんだ」

忠夫が鞄から取り出し、卓袱台の上に置いたのは、独特の重厚感がある深緑色の紙束だった。

「……何だ、これは。商品券か? ……いや、任天堂、千株?」

和雄は怪訝そうに眉を寄せ、紙束を手に取り。

一枚ずつ、丁寧にめくっていく。

十枚を超えたあたりで、和雄の指先がかすかに震え始めた。

「……おい、忠夫。これ、全部で20枚……二万株か」

和雄は弾かれたように立ち上がり、居間の隅にある整理棚へ向かった。そこには、一週間に150万円分の任天堂株を「佐伯技術研究所」の資産として購入した際の、あの日付の経済新聞が、折り目正しく保管されていた。

和雄は震える指で株式欄をなぞる。あの日、勇気を振り絞って投資した時の数字がそこにある。

「……任天堂、この時で1010円だ。二万株だと……」

和雄は、仕事鞄から使い慣れた電卓を叩き出した。

液晶に表示された数字は、『20,200,000』。

「……二千万」

和雄は椅子から滑り落ちるようにして畳に座り込み、そのまま天井を見上げた。

「……これ、はどうしたんだ? 忠夫」

掠れた声で、和雄は問いかけた。

「任天堂の新型機の、技術協力の報酬だよ」

忠夫は、動揺する父の目を真っ直ぐに見据えて答えた。

「テトリスのライセンス契約と、これから出るファミコンっていうゲーム機の心臓部に関するアドバイス。その対価だ。契約書も鞄に入ってる。……父さん、これは正当な『佐伯技術研究所』の資産だよ」

「……報酬。……資産、か」

和雄はしばらく俯き、膝の上で拳を強く握りしめた。

(……これは忠夫と佳子が、天童社長から真っ正面に勝ち取ってきた対価なんだ。……父親の俺が、ここで腰を抜かしてどうする)

和雄が顔を上げると、そこには狼狽えは消え、一人の父親としての覚悟が決まった顔つきがあった。

「……佳子。明日、朝一番にこれを持って証券会社へ行け。裏面の譲渡承諾書に判を捺して、株主名簿を『佐伯技術研究所』に書き換えるんだ。」

和雄は、絞り出すような声で続けた。

「……それから、帰りにホームセンターに寄って、一番重い『耐火金庫』を買ってくるんだ」

和雄は、熱い鉄板でも触るかのように慎重に、しかし力強く、株券の束を佳子の前へ押しやった。

「それで金庫が届いたら、押し入れの奥に据え付けるぞ。…… これからは、その金庫が『佐伯技術研究所』の心臓部だ」

和雄は、動悸を抑えるように自分の胸を叩き、忠夫と佳子を真っ直ぐに見据えた。

「……お前たちの勝ち取った『価値』は、俺が責任を持って守ってやる」

和雄は力強く頷くと、少しだけ背中を丸めながらも、確かな足取りで現金書留の山へ向かった。

一週間後。

佐伯家の押し入れの奥、名義が変更された「二十枚の株券」が届いたばかりの重厚な耐火金庫へと移された。