軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

過去篇 壱  01 運命の出会い

昭和38年、東京は、来たるオリンピックに向けて開発が進められていた。

時代は高度成長期に入ったところ。至る所で槌音が響き、町は日々にその姿を変えていった頃。

東京都M区笄町にある下宿屋で、一人の青年が荷作りをしていた。

「ちょっともったいないが、さすがに医学部では使わないだろうしな」

モノは学術書である。

「えーっと、技術史総論、力学大要、初歩の有機化学、数列と行列、基礎数学、機構学入門、構造力学概論、材料科学、それに流体力学の基礎……っと」

それらを紐で束ねていく。

「……こんなもんかな。幾らになるか分からないが。ああ、こっちの雑誌も持っていくか」

独り言を言いながら、青年は荷作りを終えた。

風呂敷で包み、抱えて立ち上がる。

下宿前には1台の自転車が。

「大家さん、自転車ちょっと借ります」

青年が声を掛けると、中年女性が窓から顔を出した。

「ああ、筒井さんね、いいわよ。どこか行くの?」

その質問に、筒井と呼ばれた青年は返事をする。

「ええ。使わなくなった本を古本屋に持っていこうと思いまして」

「古本屋、というと……ああ、霞町交差点の向こうっ側にある本屋さんね」

「ええ、そうです」

「お医者さんになったんですものね」

「ええ、だからいろいろ物入りなんですよ」

「わかったわ。帰ってきたらお昼にするでしょう? 冷や麦作って待ってるから」

「ありがとうございます」

そして筒井青年は自転車を漕ぎ始めた。

東京都M区A山にある巨大な公園墓地、その裾野を、自転車を漕いでひた走る。

「ここも随分開発が進んだなあ……」

アスファルト舗装されてから、街中は格段に走りやすくなった。

「さて、これで幾らになることやら」

彼の通っていた大学では、1、2年が基礎教育課程ということで、学科によらず、広く学問を修めることになっていた。

そして3年以降は4年間、S町にある医学部に通うことになる。

彼、筒井修基は晴れてこの春、医学部医学科を卒業し、インターンになったのである。

その際、これから更に医学に専念するにあたり、必要がないと思われる学術書(教科書)を古本屋に売りにいこうとしているのであった。

笄町から裏通りへ出る。

裏通りとはいっても、去年から始まった工事のため、道幅は格段に広くなった。

いずれ『環状4号線』という扱いになるはずだ。

それまでは、墓地の際を通る、車1台がやっとという細い道だった。

夜などは、タクシーを頼んでも手前までしか行ってくれないという寂しい場所だったのである。

その新しくなった通りを行き、墓地下の交差点を右へ行けば、ほどなく霞町の交差点である。

余談だが、『霞町』という地名は、この頃整備された『霞ヶ丘団地』と混同されやすく、タクシーがしばしば間違えたらしい。

その霞町交差点目指して筒井青年は自転車を漕いでいた。

真横には都電の路線が通っている。7系統と呼ばれる、品川駅と四谷三丁目を結ぶ路線で、筒井青年も医学部へ通うため利用している路線だ。

交差点に差し掛かり、その後右へ曲がるために自転車を少し都電側に寄せた、その時。

轟音とともに、筒井青年の上に都電が倒れ込んできたのである。

原因は、右上の坂から暴走して来た信号無視のトラックが都電の横っ腹へ激突したことによる。

悲鳴を上げる暇もなく、筒井青年の意識は暗転した。

* * *

「……」

筒井青年は意識を取り戻した。

自分がまだ生きていることに驚くと共に、身体がどこも痛まないことを訝しむ。

そっと目を開けてみると、見知らぬ天井……というより、見たことのない部屋にいることが分かった。

見慣れた下宿の天井板ではなく、医学部のくすんだコンクリートの天井でもない。

「ここは……いったい?」

身体が痛まないのをいいことに、上半身を起こしてみる。

彼が寝かされていたのはベッドであった。敷かれているのはシーツではなく、毛足の短い動物の毛皮である。

起き上がり、部屋を見回す。窓はない。家具として、サイドボードと呼ばれるものが置かれており、病室にしてはおかしいな、と思う筒井青年である。

自分の身体を見ていると、着ているのは下着のみ。服はと見ると、ベッド脇の小テーブルに置かれていたが……。

「……ぼろぼろだな」

ワイシャツとズボンはところどころ破れたり裂けたりしていた。

改めて自分の下着を見ると、やはりかなり傷んでいる。

「血は付いていないな……だけど、この惨状はやっぱりあれは夢じゃなかったのか……」

自分の上に倒れ込んできた都電を思い出すと、身震いが出る。

その時、ドアが開いた。

「**、******?」

聞き慣れない言葉を発して、入って来たのは女性であった。

年の頃は10代後半くらいだろうか。明るい金色の長い髪を無造作に頭の後ろで束ねている。

瞳の色はエメラルドグリーン。鼻の頭にそばかすがちょっとだけ散っている。

身長は150センチより少し大きいくらいだろうか。小柄である。

「えーっと、貴女が助けてくれたのですか?」

「***? ****! *******」

「きゃにゅーすぴーくいんぐりっしゅ?」

「**。*********。*****?」

「かんすとでぅどいちゅしゅぷれっひぇん?」

「****? ***、********」

日本語、英語、ドイツ語が通じないようだ。筒井青年は途方に暮れた。

その時。

「『****。*****』!」

女性が何ごとかを唱えたようだった。

「!!」

その直後、筒井青年の脳に、膨大な情報が流れ込んでくる。

それはこの世界の言語に関する知識であった。

「……『 知識送信(センドインフォ) 』の魔法はうまくいったかしら? 私のいうことが分かる?」

「……あ、あ。わか、る。すこ、し、じかん、を、く、れ」

頭痛を伴うほどの情報量に面食らった筒井青年は、時間と共にその知識が定着し、己のものとなるのを感じた。

しかしそれと同時に、『 知識送信(センドインフォ) 』の魔法、という言葉に引っかかりを覚えた。

そして、ごく短時間に異言語の知識を与えることができるという事実に驚愕する。

が、筒井青年は何とか好奇心を抑えることに成功した。

「……ふう、おちついた。……ええと、言葉はこれでいいのかな?」

今覚えたばかりの言語を口にしてみる。どちらかというと日本語よりもドイツ語に近い感じがする言語であった。

「僕の名前は筒井修基という。君は?」

「チュツイ・シュウキ? 変わった名ね。私はアドリアナ。チュツイが名前、でいいのかしら?」

「ああ、そういう意味なら、名前はシュウキ。シュウキ・ツツイだ」

「シュウキ・ツュツィね。あれ? ……チュチュイ……チュツイ……ツチュイ……ツェツィ……ええっと、呼びにくいから、シュウキと呼んでいいかしら?」

「ええ、どうぞ」

「そう。あなたもアドリアナ、と普通に呼んでね。ではあらためましてシュウキ、あなたって何者?」

いきなり核心を突いた質問であるが、筒井青年……シュウキにも、その答えはわからない。

「僕は日本人で医学生。今年25になる」

そんなセリフしか言えないのであった。

「ニホンジン? イガクセー? 何、それ?」

やはり通じない。シュウキは改めて、自分のことを詳しく説明したのである。