作品タイトル不明
26-30 湿原角鹿の話
「ふうん、そんなことが……」
ハンナは部屋に戻ると、今聞いたばかりの『 賢者(マグス) 』の情報を仁に伝えた。
「参考になったよ、ハンナ、ありがとう」
「うん!」
仁に礼を言われて、ハンナはご機嫌だった。
そこへエルザも帰ってくる。
「お帰り、エルザ。お手伝いご苦労さん」
「ん」
仁が労い、エルザが短く答える。
「くふ、エルザは貴族らしくなくなったね。もう立派なおかみさんだ」
「サ、サキ姉」
サキにからかわれて赤面するエルザ。だが、庶民的になってきたのは事実であろう。
サキも侯爵家の血筋ではあるが、貴族には否定的な考えだから、エルザへの言葉は皮肉というよりも称賛が多く含まれていた。
「アアルがいれば、代わりに手伝ってもらったんだけどね」
この場に礼子やアアル、エドガーがいないのはグースの助言である。
曰く、『 自動人形(オートマタ) なんて見たこともない人たちだから騒ぎになるといけない』とのこと。
なので、エドガーとアアルは自動車の中。
そして礼子は『 不可視化(インビジブル) 』で姿を消して仁に付いているのであった。
「ところで、この家のご家族で、息子さんの顔だけ、まだ見てないよね?」
息子、というのは村長の息子の意味であろう。要はセパレィのご亭主、ということだ。
「えっとね、狩りにいってる、ってきいたよ?」
それについてはハンナが聞いていたようだ。
「あのね、このあたりには『しつげんつのじか』っていうのが多くてね、ときどき畑をあらすから、それを狩りにいってるんだって」
それを聞いたグースは、補足説明をはじめた。
「『湿原角鹿』っていうのはこのあたりの湿原地帯に住む動物で、冬に番を作って、今頃子供を産むんだ。そうすると、収穫前の麦を荒らされるから、退治しに行くんだよ」
春に子供を産み、育てるのは草食動物にとっては理にかなっている。
「繁殖力が強いんでね、ほっておくと3年で倍に増える。そうなると自分たちの食べる草まで食い尽くしてしまうんだ」
「だから、適当に狩ってやるとちょうどいいのか」
仁が合いの手を入れると、グースは頷いた。
「そうそう、そういうことさ」
「……でも、ちょっとおかしいんじゃないか?」
サキが口を挟んだ。
「確かに、餌になる草の量で、その種が生存できる上限があるのはわかる。だが、この湿原角鹿、だっけ? ……は、人間が狩ってはじめて数が安定するのかい?」
そこまで一気に喋った後、うまくいえないけど、とサキは口籠もった。
仁はその意図を察し、自分なりの意見を述べた。
「それはやはり、人間がバランスを崩したからなんだろうな」
仁が知っている限りでも、日本の中部山岳で鹿が増え過ぎて貴重な高山植物を食い荒らしたり、関西で猪が住宅街に出没したり、というニュースを耳にしたことがあった。
おまけとして、観光地で傍若無人に振る舞うニホンザルもある。
「ふん? 仁は面白いことを言うな。俺もそれには、まあ賛成だな」
グースがいつもの口調で仁の意見を後押しした。そして経緯を説明してくれる。
「この西にシクロ湿原があるだろう? そこは、大昔はもっと広かったんだ。埋め立てて今の広さになったんだよ」
「ああ、生存圏が狭まったのか」
仁がその説明に理解を示した。
「そう。だが、それに加えて、冬も緑の畑……麦畑が出現した」
「それを狙ってやって来るのか!」
「仁、そうなんだよ。麦畑なんかない頃には、シクロ湿原に流れ込んでいる川の源流域まで移動していたはずなんだ」
「そこに何かあるのか?」
源流域ということは山岳地帯だろう、と仁は推測した。つまり標高が高く、草などは生えていないのでは、という意味が含まれている。
「ああ。『温泉』が湧く場所があってな、冬でも凍らない場所があるんだよ。そこで多くの動物が越冬するんだ」
これにサキが意見を言う。
「ということはその草食動物を狙って、肉食動物も来るんじゃないのかい?」
グースは頷いた。
「その通りさ。だが、草食動物を食い尽くすようなことない。むしろうまく間引いてくれていたんだよ」
「ああ、そこへ、冬でも枯れない食物がこっち側にあることを知ってしまった湿原角鹿が……」
「そういうこと。冬になっても移動せずに残っているんだ。で、冬から春にかけて畑を荒らしに来る」
「で、定期的に狩りに出掛けているわけか」
これで事情がよくわかった。
「柵をするのは駄目なの?」
エルザからの質問だ。湿原角鹿が入れないような柵を作ることはできないのか、という意味だ。
「湿原角鹿の跳躍力は2メートルの柵も跳び越えるんだよ。それ以上の柵を作るのは現実的ではないというわけさ」
「なるほど……」
仁のいた現代日本でも、電気柵や網を張って対策をしていたが、なかなか効果が上がらなかったり、人間が事故を起こすこともあったりしたものである。
「難しい問題だな……」
ここで仁は、カイナ村で使われている『獣除けの鈴』を思い出した。
要は、獣にしか聞こえない超音波を出す鈴である。
効き目ははっきり言って怪しい。
「うーん、カイナ村にはゴンとゲンもいるし、庚申を設置したからそっちの研究ってしなかったなあ……」
獣除けの魔導具ができれば、人にも獣にも優しい区分けができるかもしれない、と仁は思った。
今のところ、湿原角鹿を初めとする動物たちの居場所が奪われたとかではなく、冬の食糧事情がたまたま改善されたと勘違いした個体が害をしているということだから、棲み分けがはっきりすれば問題はなくなりそうである。
これは他の地域でも言えることなので、仁は少し真剣に考えてみた。
「グース、動物が嫌う物って何があるか知っているかい?」
併せて、博物学者であるグースの意見も聞いてみた。
「匂いや……夜行性の動物だと光かな」
「なるほど」
仁も、ライオンの尿を撒いて猪が近寄らなくなったという話はニュースで聞いた覚えがあった。
また、ネコ避けにいらなくなったCDや水を入れたペットボトルを置くという話も。
「だけど実用的じゃないな……」
考え込む仁であった。
「仁、君は、湿原角鹿を追い払う何かを作ろうとしているのかい?」
そんな仁の様子を見たグースが尋ねた。
「そうなんだ。湿原角鹿を狩る手間も省けるし、被害もなくなるだろう?」
「それはわかるが、村人が喜ぶかな?」
「え?」
グースの言い分はこうである。
農耕だけでは肉が手に入らない。特に雪の残る冬から春先、近くで狩りができるというのはそれはそれでありがたいことなのだ、と。
「うーん……」
仁は部外者である。
カイナ村のように、村人の一員ではない。事情も背景もよく知らずに、お節介をするのが果たしていいことなのか。
「わかった」
確かに、『作ってみたい』という思いだけで魔導具を作るのは、時によりけりだろう、と、認識を新たにした仁であった。
「グースの言う通りかもしれない。ありがとう」
「……どういたしまして?」
なぜか疑問形で返すグースであった。
「……ジン兄が作りたい物を作らずに引き下がるなんて」
「くふ、明日は雨だね」
「お前ら、容赦ないな」
エルザとサキに言われた仁は2人を睨み付けた。が、それは照れからである。
「おにーちゃん、照れてる」
ハンナは分かっているようだ。
「……はあ、敵わないなあ」
「はは、仁、いい仲間じゃないか」
そう言って笑ったグースに、仁が意見を述べた。
「だけどな、グース。湿原というものは繊細なものだと聞いている。踏みつけたりしただけで植物が枯れることもあるそうだが?」
尾瀬などの高層湿原では、観光客の踏みつけを避けるため、木道が整備されていることを仁は思い出した。
「ああ、その辺は、ここの人たちも分かっていると思う。埋め立てはもう何百年も昔だし、その影響で一時は周辺の植物が枯れたらしいことも承知している」
だから今は、自然と共生する道を選んでいるんだ、とグースは締めくくった。
「それならいいんだが」
仁もそれを聞いて少し安心したのであった。