作品タイトル不明
過去篇 肆 アドリアナの冒険 006 ステンレスの加工
翌朝、アドリアナは、バイセが起き出した音で目を覚ました。
「あら、アドちゃん、目を覚ましちゃった? ごめんね」
「いえ、いつも朝は早いので」
クルルとマルルはまだ眠っているようである。
土間に設けられた井戸で顔を洗ったアドリアナは、昨夜持って来させていた魔法工学の素材をFー002から受け取る。
「多分、できるはず。ここを、こうして……」
アドリアナは、バイセが朝食の仕度をしている間中、その作業に没頭していた。
「じゃあ、これをお願い」
そして、出来上がった魔導具をFー002に託した時、バイセから声が掛けられた。
「アドちゃん、朝食ができたわよ」
「お父さんお母さん、お早うございます。アドちゃん、お早う」
「んう……お父さん、お母さん、アドちゃん、お早うございます……」
クルルとマルルはつい今し方起きたようで、特にクルルはまだ眠そうに目蓋をこすっていた。
「いただきまーす」
朝食は麦粥。ここでも、香草入りの塩が使われていて、なかなか美味しい。
「いただきます」
「いただきます」
クルルとマルルも、アドリアナに倣って『いただきます』といって食べ始めた。
香草入りの塩を振るとお粥も美味しくなり、アドリアナは2杯お代わりをした。
「ごちそうさまでした」
シュウキとの生活で身に付いた食後の挨拶をするアドリアナ。
クルルとマルルも同じようにごちそうさまを口にする。
アドリアナにはこれが定着するかどうかはわからないし、定着させようとも思わないが、地方の習慣に一石を投じたことは間違いないだろう。
* * *
「アドちゃん、今日は何するの?」
食事後、クルルがアドリアナに尋ねる。
「昨日の続きをします?」
マルルは、今日も石探しをするのかと尋ねてきた。
「ううん、今日はもう一度親方さん……ファイトスさんの所に行こうと思って」
昨日、少量だがニッケルとクロムは手に入ったので、試作なら作れるだろうと思ったのである。
クロム5グラム、ニッケル2グラム。フォークの重さが25グラムとして、クロム18パーセント、ニッケル8パーセントのいわゆる18ー8ステンレスならなんとか1本作れるだろう。
そうこうするうちに鍛冶屋ファイトスの工房に着いた。
工房からはもう煙が上がっており、ファイトスが炉に火を入れて仕事を始めたのがわかる。
「お祖父ちゃーん!」
鉄の塊を手に、今にも仕事を始めようとしていたファイトスが振り返った。
「おお、クルル。……と、マルル、それに嬢ちゃん。今日はどうした? これから、鉄でフォークの試作を作ってみようと思っておったところだ」
まず鉄を熱し、平たく叩き伸ばし、タガネやヤスリで形を整えていく、というのが一般的な鍛冶屋の作業方法となるようだ。
「はい、それなんですが、鉄に混ぜると錆びにくくなる金属が手に入ったので持って来ました」
「何!? そんなものがあるのか?」
驚くファイトス。クルルとマルルも驚いてはいるが、専門家ではないので、『そんなことができるんだ』くらいにしか思っていない。
だが、ファイトスは、
「そ、そんな鉄ができたなら、一大革命になるぞ!」
と、興奮気味。
だがアドリアナは済まなそうに首を振った。
「そううまくは行かないんです。なにせ、これしかないんですから」
と言いながら、手にしたクロムとニッケルを見せた。
「なんだあ? これっぽっちか……」
がっくりと肩を落とすファイトス。だが、それを見たクルルが、
「お祖父ちゃん、昨日あたしたち3人で一所懸命探したんだよ!」
と、すこし膨れ顔で言ったので、慌てて謝った。
「おお、クルル、そんなつもりじゃないのだ。そんな素晴らしい鉄を沢山作れたら、と思っただけでな」
「まず、試作を作ってみましょう。量産の工夫はそれからということで」
アドリアナが割って入る。
「まあ、それもそうだな」
手にした鉄の塊を床に下ろしながらファイトスが言った。
「それで、どうやって鉄に混ぜればいい?」
一口に鉄と言うが、鉄というのは元素名で、実際には純粋な鉄は市場には出回っておらず、炭素との合金である『 鋼(こう) 』である。
鋳物用の『 鋳鉄(ちゅうてつ) 』( 銑鉄(せんてつ) )は鉄と名が付いているが、含まれている炭素量が2から6.7パーセントもあり、鋼に精錬する前の段階の状態である。(ゆえに銑鉄は金へんに先、と書く)
広義の鉄の中では比較的低温で溶け(それでも摂氏1200度程度)、流動性もいいので鋳型に流しこむ用途に用いられる。
また、『 鋼(はがね) 』は熱処理で硬化できる。元の意味は『刃金』ともいわれるくらい、刃物を作ることに適している。
閑話休題。
アドリアナは、炭素量の低い、比較的軟らかい『鋼』に、クロムとニッケルを添加するつもりだった。
「ええと、この鉄を少し使ってもいいかしら」
ちょうどファイトスが用意していた鉄塊を調べて、アドリアナが尋ねた。
「ああ、いいとも。元々そのつもりだったしな」
ファイトスも、食器用なので、使う鋼もあまり硬すぎなくていいと思ったようだ。さすがである。
「じゃあ、ええと……『 分離(セパレーション) 』」
「ほう?」
18グラムほどの鉄を分離したアドリアナは、続けて工学魔法を使っていく。
「『 融合(フュージョン) 』『 合金化(アロイング) 』」
クロムとニッケルを加え、合金化した。
「これで、この鉄はステンレスになったはずよ。あ、ステンレス、っていうのは『ステン』が錆で、『レス』が『ない』って意味だったかな? ……合わせて『錆びない』っていう意味」
「ステンレス……『錆びない』鋼か。興味あるな」
「それじゃあ、ファイトスさん、これをおおまかなフォークの形にしてみてくれます?」
アドリアナは興味津々のファイトスに、25グラムの18ー8ステンレスの塊を渡した。
「おう、ありがとうよ、嬢ちゃん。さっそくやってみるか」
ファイトスはその塊を炉の中に入れ、 鞴(ふいご) を動かし始めた。
火がごうごうと燃え上がり、小さな塊はあっという間に真っ赤になる。
それを鉄の 火鋏(ひばさみ) で挟んで取りだし、金床の上に乗せると、大きなハンマーで叩き始めた。
「んん……?」
叩きながら、首を傾げるファイトス。
「どうですか?」
アドリアナが尋ねる。
「多少、粘りを感じるくらいかな」
事も無げに言い、2度ほどの再加熱で、ファイトスはフォークのおおまかな形をハンマーだけで作り上げていた。
「あとはタガネで刃を切り出すかな」
小さめのタガネを出してきて試作品にあてがい、切り始める……が。
「なんだこりゃ!?」
思わぬ抵抗を感じ、つい声をあげてしまうファイトス。
ステンレスは非常に粘りがあるため、切削系の加工がしづらいのである。
実際に、シュウキと共に何度かこうした作業は見ているので、ファイトスがどう感じるかは薄々見当が付いていたアドリアナである。
「硬いわけでもないのに、切り辛え……」
「ええ、それがステンレスの長所でもあり、短所でもあるんです」
「確かにな。丈夫なのはいいが、加工しづらいのはいただけねえ」
「研ぐのも大変なんですよ」
普通の砥石では研ぎにくいため、現代日本ではセラミック砥石やダイヤモンド砥石を使うことが多い。
「そうか……確かに、たくさん作るには向かねえな」
残念そうな顔をするファイトスであった。