作品タイトル不明
29-17 パンとバリエーション
凶魔海蛇(デス・シーサーペント) の騒ぎが収まった頃、ちょうど昼食の時間となった。
空には薄雲が広がり、日射しもそれほど強くなく、海風も弱いので、仁は『翡翠館』前庭で昼食会をすることにした。
テーブルと椅子が並べられ、日除けのパラソルやタープが、ゴーレムメイドたちによって張られていく。
「いや、壮観ですな」
「まったくもってその通り」
そんな声が聞こえてくる中、席の仕度は終了。
仁はエルザとマキナの3人でテーブルを囲んでいる。
今回は、4人掛けの丸テーブルを20程用意し、各国ごとに座れるようにセッティングしたのだ。
そして肝心の昼食は。
「……これはパン、ですかな」
「パン、ですわね」
切り分けられたパンが、籠に盛られて運ばれてきた。
少々拍子抜けした声が聞こえてくる中、仁は説明を始めた。
「このパンは、ただのパンではありません。独自の工夫が凝らしてあります。どうぞお試し下さい」
「ふむ、ジン殿がああ言うのだ、食べてみようではないか」
「そうですな」
そして一つ摘み上げて、
「おや? これは……」
「軟らかい、ですな」
と言いながら、それを口へ。
「こ、これは!」
「なんともいえぬ香りが!」
と、驚いた声が上がる。
「こ、このパンには何か入っている……甘くてほのかに酸味が……」
などと言う声も混じり、
「何も付けないのになんでこんなに美味しいの!」
という声が全員の気持ちを代弁してくれていたといえよう。
「ええと、今回のパンは3種類あります」
仁が説明を始めた。
「基本的に、イーストを使ったのでふっくらと焼けていると思いますが、そうしたパンは何も付けずとも風味がいいはずです」
列席者たちがうんうんと無言で頷く。
「そうしたパンをベースに、『メープルシロップ』で香り付けをしたパンと、干したビチス、つまりパッサを混ぜたパンを作りました」
「ほほう、これはパッサかね」
「メープルシロップというのは、メープルから採れる甘味料……でいいのかね?」
仁はそれらにも答えていく。
「はい。ですので、その手法自体は難しいものではありません」
「……一つ一つが洗練されていて、その組み合わせが目新しい、というのね?」
「その通りです」
パンをふっくらと焼き上げるため、パン焼き職人はいろいろと工夫を凝らしていた。
その一つとして、特定の地域で汲んできた水を使って焼く、というものが一般的であった。
実は、そうした水には僅かな重曹が溶け込んでいて、膨張剤の役目をしていたのである。
重曹……炭酸水素ナトリウムは、熱を加えられることで炭酸ナトリウム、炭酸ガス、水に分解され、その炭酸ガスがパン生地を膨らませるのである。
また、小麦粉の種類で焼き上がりが異なる事も知られてはいる。
これは含まれているグルテンと呼ばれるタンパク質の含有量の差で、ふっくら度合いが変わってくるのだ。
今のところ、『イースト』を使って焼かれたパンは、蓬莱島(崑崙島含む)にしか存在しないので、驚かれるのも無理はなかった。
また、『オーナット』というクルミによく似た木の実を混ぜて作ることで香ばしさを出したパンはあったが、それ自体はそれほど人気のない『パッサ』(干しぶどう)を入れたパンはここ以外に無いのも事実。
メープルシロップに至っては、ラインハルトの実家があるランドル領でようやく生産が始まったところであり、一般に流通していないのが現実である。
こうした背景により、今回の『パン』も、十分にお客たちの舌を楽しませていた。
「さて、パンをお楽しみいただいた後は、付け合わせです」
仁の指示で、幾つかの瓶が運ばれてきた。
「それぞれ、シトランとラモンのマーマレード、ワイリー(野苺)、ブルール(ブルーベリー)、フレープ(コケモモ)、ランベル(ツルコケモモ)のジャムです。ブルールとフレープはエリアス王国の山岳地帯で。ワイリーはクライン王国の北方でよく食べられていますね」
「おお、これは食べたことのない味だ」
「なんとなく懐かしい感じがしますね」
「ふうむ、ワイリーなんぞ酸っぱいだけで美味くないと思っていたが、こうしてみると意外なことに美味いものだな」
母国の味、異国の味、それぞれに楽しんでもらえているようで、仁も安心だ。
「ジャムは、元の果実に酸味があった方が美味しくなるようです。甘味は砂糖で調整できますから」
「なるほどなるほど、甘ければ美味いというものでもないのだな」
用意したパンは9割方食べ尽くされてしまい、その好評さがわかろうというもの。
飲み物としては各種フルーツジュースを用意していたが、こちらも好評。
一番人気は微炭酸のシトランジュース、二番はエアベール(苺)のジュースであった。
「さてさて、やや物足りないという方もいらっしゃると思いますので、そういう方にはこちらをどうぞ」
仁が合図をすると、五色ゴーレムメイドたちが、トレイに乗せた何かを持ってやって来た。
「これは?」
「パンの中に何か挟んであるな。野菜と……肉か?」
「そのままかぶりつくように召し上がって下さい」
仁の説明に少し面食らいながらもかぶりつく面々。
「……!?」
「これは!」
「ただの肉ではない! なんという軟らかさ、それに肉汁!」
仁が用意したのは『ハンバーガー』であった。それも、一口サイズ。
現代日本で見慣れたサイズでは、貴族・王族は行儀が悪いと言うだろうとのエルザからの助言により、女性でも二口ほどで食べられるサイズにしてみたのである。
「いや、堪能した」
「本当に。パンだけでこれほどのバリエーションを整えるとは、食とは奥が深いものだな」
「『崑崙君』の実力の一端を見た気がするよ」
「まったくもって。……食というものは、文化を表すといいますが、『崑崙君』のそれは、底が知れないですよ」
最後のセリフはクライン王国のアーサー王子であった。
「兄上、それはどういう意味です?」
質問したのは妹姫、リースヒェン王女。
「うむ、食というものは、生活に余裕がない限り、改善の対象になりにくい面があるのだ。それを考えると、『崑崙君』の出身地がどこなのかは知らないが、その多様性からして、相当に文化文明が発展しているのだなあ、と思ったのだ」
「なるほど、勉強になります」
アーサー王子は中々鋭い。その会話を傍聴していたゴーレムメイド、ルビー34はそのまま老君へと伝えたのである。
『 御主人様(マイロード) の出自を知られること自体は何の問題もないのですが、それに伴う混乱や余計な詮索が煩わしいですからね』
アーサー王子の言動にはこれまで以上に注意した方がいいかもしれない、と考える老君であった。
午後の時間をゆったりと過ごす各国首脳たち。
仁はこの後、更なる計画を立てていた。
「さて、皆様、この後は崑崙島をお楽しみいただけるよう、ちょっとした余興を考えております」
「ほほう?」
「『崑崙君』の余興とはなんであろうか?」
「興味深いですね」
「はい、それは……」
そして仁は、その説明を始めたのである。