作品タイトル不明
第9話 モブ、アイドルに『お母さんが会いたがってる』と爆弾を投下される
昨日の放課後。
橘の兄に取り調べを受け、「……守ります」と口走り、「足りないな」と返され、矢野に高画質で撮影され、クラスメイトに質問攻めにされ、橘には花が咲くような笑顔で「嬉しかった」と言われた。
自分のことなのに実感がなさすぎる……。
モブには重すぎるイベントだらけだろ……。
朝から憂鬱な気分で教室のドアを開ける。
瞬間、クラス中の視線がこちらを向いた気がした。
……なんか、空気がおかしい。
「おはよー水野! 昨日の件だけどさ!」
教室に入ってすぐ、男子三人に囲まれた。
「昨日の件ってどの件だよ……」
「いやだから、『守ります』のやつ」
その単語を出すな。頼むから。
「あれ何? 本気のやつ? ネタ?」
「もう一回やってよ! 今度こそ録画するからさ!」
「やらねえよ! あれは事故だ事故!」
「事故で守りますって言うやつ初めて見たんだけど」
返す言葉がない。
席に逃げ込むと、今度は前の席の女子が振り返ってきた。
「ねえ水野くん、あの人ほんとに橘さんのお兄さん?」
「そうだけど……」
「えっと……いま付き合ってる、んだよね?」
「……まあ、一応」
一応って何だ俺。何に保険かけてんだ。
「へえ〜。じゃあ昨日の『守ります』って——」
「それ以上は聞かないでくれ!!」
ダメだ。どこに目を向けても昨日の話をしている。
教室のあちこちからひそひそ聞こえてくる。
「俺達のアイドルの彼氏が水野って、完全にバグってるだろ……」
「あのスーツの人、マジで怖かったな……」
「てか帰宅部で平均以下って自分で言ってたの、最高にウケる!」
最高じゃないんだけど。
耐えきれなくなって机に突っ伏した。
隣の席から聞き慣れた声がした。
「朝からお疲れだな、彼氏くん?」
矢野がスマホをいじりながら、一切こちらを見ずに言った。
「絶交。マジで絶交……!」
「お前、すぐ絶交って言うな」
「お前が言わせてんだよ!」
矢野がポテチの袋を開けた。
朝からポテチ食ってるやつに友情を期待した俺がバカだった。
「てかさ、まだ周りに質問攻めされてんの? 昨日あれだけ聞かれてたじゃん」
「まだまだ聞きたいことがあるんだとさ……」
「お前がビッグニュースだからだろ。帰宅部で平均以下の男が、学園のアイドルの兄に取り調べ食らって——」
「やめろ。読み上げるな」
「——最後に『守ります』で締めた。完璧な起承転結だな」
こいつマジで楽しんでやがる。
◇
昼休み。屋上。
午前中は質問攻めの嵐だった。
全部「まあ、その……いろいろあって」で押し通したけど、相当な体力を消耗した。
矢野と並んで弁当を開く。
今日の中身は普通だ。唐揚げと卵焼き、それにほうれん草の和え物。
——普通の量だ。今日も奴の分は作っていない。俺の分だけだ。
……作ってないからな。
「悠真」
「……何」
「お前さ、もう教室じゃ『橘の彼氏』で完全に定着したぞ」
矢野がポテチを口に放り込みながら、どうでもよさそうに言った。
「定着って……俺はただの偽の彼氏だろ」
「偽もクソも、あれ見たやつ全員本物だと思ってるだろ。『守ります』込みで」
「口が滑っただけだっつの」
「お前の口、よく滑るよな。いつも橘の前で」
……反論できない自分が恨めしい。
そこに、階段を駆け上がる足音が聞こえた。
「水野くーん!」
屋上のドアが勢いよく開く。橘だ。
今日も満面の笑みで弁当箱を持って突っ込んでくる。
「一緒に食べよ!」
「……勝手にしろ」
橘は当然のように俺の隣に座った。
近い! 相変わらず近い!
「あれ、今日は私のご飯ないの!?」
「俺のだっつってんだろ! なんで毎回あるのが前提なんだよ」
「えー、昨日おいしかったのに。唐揚げも食べたかったな……」
「図々しいにもほどがあるだろ」
「じゃあ明日は多めにお願い!」
「日課みたいにすんな!」
橘がにこにこしながら俺の弁当を覗き込んでいる。
もうこれが日常になりつつある。
偽の彼氏の、偽の日常が。
「——ねえ、水野くん」
橘がふいに箸を止めた。
いつもの笑顔がちょっとだけ真剣な顔に変わった。
「あのね、お兄ちゃんが昨日のこと、お母さんに報告したみたい」
「……は?」
「うん。で、お母さんが、会いたいって」
時間が止まった。
「会いたいって……誰に」
「水野くんに」
「なんで!?」
「だって彼氏でしょ? お母さんが彼氏に会いたいって思うの、普通じゃない?」
「普通かもしれないけど偽物だろ!」
声が大きくなったのを慌てて押さえた。
矢野がポテチの袋をガサガサ言わせながら、こっちを見もせずに呟いた。
「レベル上がったな」
「レベルってなんだよ!?」
「兄がレベル1で、母がレベル2なら、次は——」
「その先はない!!」
橘がきょとんとしてから、こてんと首をかしげた。
「大丈夫だよ? お母さん優しいから。お兄ちゃんより全然怖くないし!」
「いやそういう問題じゃなくて!」
「大丈夫だって。会えば絶対に『素敵な彼氏ね』ってなるから!」
出た。根拠ゼロの無敵理論。
「水野くんならいけるって。だってお兄ちゃんだって、ちょっと感心してたし!」
感心してたか……?
むしろ圧しか感じなかったんだが……。
「感心も何も……。あれは言葉のアヤというか、完全に俺がテンパって口走っただけで——」
「……でも、逃げなかったじゃん」
橘が、あの笑顔で言った。
昨日の「嬉しかった」のときと同じ、疑うことを知らない真っ直ぐな瞳。
箸を持つ手が、止まった。
……こいつ、無自覚に爆弾投げてくるのほんとやめてくれ。
「……足がすくんで、動けなかっただけだ」
「そう?」
橘が首をかしげる。信じてない顔だ。
「とにかく、近いうちにお母さんにも会ってあげてね!」
「勝手に話進めるな!」
「もうお母さんに水野くんの話しちゃったんだもん! 取り消せないよ!」
取り消せないのはわかった。
けど近いうちっていつだよ……。
矢野がポテチの最後の一枚を口に入れて、袋をきれいに畳んだ。
「まあ頑張れよ」
「お前は絶対に助けてくれないよな」
「俺は観戦席が好きなんだわ」
予鈴のチャイムが鳴った。
「じゃあ、午後も頑張ろうね!」
橘が満面の笑みで、手を振って屋上から去っていく。
物理的に去っていったはずなのに、俺のなかの嵐は一向に去らない。
というか、この嵐のほうが完全に俺の『日常』になりつつある。
俺の平穏な高校生活は、もう二度と戻ってこないんだろうか……。
矢野が立ち上がりながら、ぼそっと言った。
「——お前さ。文句言ってる割には、あいつの言うこと全部聞いてんな」
「……うるせえ」
精一杯の反論がそれだった。
二日連続で、矢野の最後の一言にまともに返せていない。
◇
水野くんのことを考えながら、私は自分の部屋でベッドに転がった。
守ります、って。
あのお兄ちゃんに向かって言ってくれたんだ。
いつも面倒くさがるのに。本当は逃げたかったはずなのに。
——変なの。なんで私、ずっと考えちゃってるんだろ。
また明日、お弁当もらいに行こう。