作品タイトル不明
第7話 宮田、アイドルが彼氏にだけ見せる特別扱いに気づく
紗月の彼氏は、びっくりするくらい普通だった。
夜。自分の部屋のベッドに転がって、今日の偵察を振り返る。
水野悠真。黒髪。中肉中背。
制服はヨレてないけど着こなしてもいない。
顔は——まあ、悪くはないんじゃない?
でも廊下ですれ違っても記憶に残らないタイプだろうな。
要するに、普通の人。
学年で一番目立つ女子の隣に立つには、あまりに普通すぎる。
でも、面白かった。
あたしがちょっとマジ顔したら「はい……」って即敬語になってた。
あのビビり方は嘘がつけないやつの反応だ。
取り繕える男なら、もうちょっとうまくやる。
あと、紗月。
あの紗月が、あたしの後ろに半分隠れてそわそわしてた。
あんな顔、初めて見たんだけど。
——紗月が人の顔色うかがうの、あたしの知るかぎり一回もなかったんだよね。
誰の目線も気にしない子が、あたしの目線だけ気にして縮こまってた。水野のことで。
隠せてないのは相変わらずだけど、そもそも隠そうとしてる時点で別人なんだけど。
だから今日、とりあえず『合格』って言ってやった。
紗月がここまで誰かに懐くの、マジで初めてだったから。
スマホを枕元に放って、天井を見た。
あの紗月がねえ……。
あいつをあんなふうにさせるやつが、ほんとにいたんだ。
紗月のことを考えると、どうしても中学から始まる。
◇
中2の春。
やたら距離が近い子がいた。
明るめの茶色の髪をゴムで雑にひとつ結び。
背も低くて、子供っぽい体型。
女子が見れば可愛い顔してたけど、男子の目に留まるタイプじゃなかった。
一ヶ月もしないうちに「あの子ちょっと距離近くない?」って陰で言われ始めた。
「ねえ宮田さん、そのバンド好き? 私も聴くよ!」
あたしがバンドのキーホルダーを眺めていたら、いきなり噂の紗月が来た。
何も気にせず隣に座って会話が始まる。
近い。顔が近い。
「近いんだけど」
思ったまま言った。
引き笑いで流すのは性に合わないし。
紗月はきょとんとした。
「そう?」
首をかしげて、本気でわからない顔。
——マジで、一ミリも自覚がないらしかった。
でもあたしは、そのまま話を続けた。
おかしいけど、面白いと思ったし、実際はどんな子なのか気になってたから。
「で、そのバンドの何が好きなの?」
そう言ったとき、紗月の表情がぱっと明るくなった。
——別にそのことを感動的に語る気はないけど。
事実として覚えてる、ってだけの話。
あたしのやり方はシンプルだった。
近いものは近いと毎回言うだけ。
あたしが「近い」と言うと、紗月は「そう?」って首をかしげてちょっとだけ離れる。
で、五分後には元に戻ってるから、あたしがまた「近いんだけど」と突っ込む。
紗月は「ごめん」と言いながら、全然ごめんじゃない顔で笑う。
その繰り返し。
中3になる頃には、もうそれが二人の日常になってた。
文句言って離れなかったの、あたしだけだったらしいけど。
中学時代、紗月に告白した男子なんて、片手で数えるくらいしかいなかったはずだ。
あの可愛さに気づいてた男が、そもそもほとんどいない。
気づいてたとしても、距離の近さで「変な子」が先に来て、恋愛の対象にならなかったんだろう。
——それが、高校で全部ひっくり返った。
高1。
紗月が変わった——いや、見た目が変わった。
背が伸びた。体型がモデルみたいになった。
顔立ちも大人びて、中学のときの子供っぽさが嘘みたいに消えた。
ちょっと成長しすぎだろと思ったけど……。
髪は相変わらず結んでるだけだし、顔もすっぴん。もったいなさすぎた。
「紗月。その髪、巻いてみなよ。あとファンデくらい塗りな」
って言って、内巻きのやり方と、最低限のメイクを教えた。
紗月は一週間で全部覚えた。しかもあたしよりうまくなった。
……腹立つんだけど。普通に。あたしが教えたのに。
明るめの茶色の髪がゆるく内巻きに跳ねて、制服の着こなしにもちょっとだけ個性が出て。
紗月が廊下を歩くだけで、すれ違う男子がみんな振り返るようになった。
女子としてはやや高めの身長。
細身だけどスタイルがいい。
周りから「モデルみたい」ってチヤホヤされても、本人は『何が?』って顔をしてた。
中身は何も変わってないのに。
あの近さ——誰にでもためらいなく入っていくあの距離感。
中学で「近すぎない?」って引かれてたそれが、高校では「壁がなくて気さく」「分け隔てなく明るい」って好意的に読み替えられた。
男子は、そんな紗月の近さを好意だと勘違いして告白してきた。
高1だけで何件あったか……。
紗月は毎回「え、なんで? 普通にしてただけなのに」って本気で困ってた。
普通って何だよ、あんたの普通が普通じゃないんだよ。
女子は「可愛くて壁がない子」に好感を持った。
嫌味がないから敵を作らない。
結果が『学園のアイドル』。
あいつ、中学と何一つ変わってないのに。
変わったのは見た目と、周りが勝手に書き換えた評価だけ。
告白が増えすぎて紗月が困り出したとき、あたしは言った。
「あんた、距離近いからだよ」
「……そうなの?」
中学のときとまったく同じ顔で首をかしげてた。
やっぱなんか抜けてるんだよな……。
で、紗月なりに考えた結果が、『男子に自分からは近づかない』。
——対策が雑すぎるだろ。
近さのおかしさ自体は何も直ってない。
ただ自分から行かなくなっただけ。
でもそのせいで『高嶺の花だけど話すと気さく』っていう最終形態が完成しちゃった。皮肉だよね。
——で。最近の紗月。
男子に近づくのをやめてたはずの紗月が、水野のクラスに毎日乗り込んでる。
腕を掴んで走って、屋上まで追いかけて、自分からお弁当をもらいに行って。
高1の途中から封印してたことを、全部やってる。
しかも一人の男にだけ。
まさか自分から告白したのか、あいつ。
今まで全部断ってきたくせに。
紗月は「彼氏だから当然でしょ」って顔してる。
週末もLINEのテンションがおかしかった。
水野の話ばっかり。
お弁当がおいしかったとか、キーホルダー買ったとか、画面越しにニコニコが透けて見えて、あたしはスマホに向かって「はいはいごちそうさま」と、一人で呆れ声を出した。
聞こえてないけど。
紗月が男子に自分から会いに行くの、いつぶりだろ。
面白い。
すごく面白い。
……面白いんだけど、一個だけ引っかかってる。
今まで紗月に寄ってきた男は、全員『学園のアイドルの橘さん』目当てだった。
中学からの紗月を知ってるのは、あたしだけだ。
近すぎて引かれてた頃の紗月。
何がおかしいのかわかってない紗月。
セーブなしで突っ込んでいく、全開の紗月。
それを知ってる男は一人もいなかった。
じゃあ、あの水野って男はどうなんだか。
今日見たかぎり、悪くはなさそうだった。
ビビりで、正直で、紗月の前で取り繕えない。
でも、それだけじゃまだわからない。
あいつは紗月のどこを見てる?
『学園のアイドル』の後光に目がくらんでるだけなら、いずれボロが出る。
紗月が全開になったとき。
あの子の近さが全部出たとき——あの男は、引かずに隣にいられるのか。
今日の合格は、あくまで仮。
本試験はまだこれからだ。
あたしはスマホをベッドに放って、電気を消した。
——まあ、面白くなってきたのは間違いない。