軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第52話 モブ、学園アイドルに「本物にしたい」と言ったら泣いて飛び込んできた

六限終了のチャイムが鳴った。

ノートを見たら、白紙だった。

朝のことを覚えていない。

教室に来て、席に座ったのは覚えている。

弁当も食ったはずだけど、何を食べたかは出てこない。

手のひらが汗ばんでる。朝からずっとこうだ。

胸のあたりもずっと詰まってる。

もう放課後かよ。

一日が丸ごと消えた。

何のページが開いていたのかもわからないまま、教科書を閉じた。

「悠真くん、帰ろ!」

ドアのところに橘が立ってた。

カバンを肩にかけて、いつもの笑顔で手を振ってる。

返す言葉が、すぐに出てこない。

「……おう」

それだけ絞り出して、カバンを持った。

正門を出た。

四人で並木道を歩く。

銀杏の枝が白っぽい空に突き刺さっている。

空気が冷たい。

橘が何か喋っているが、内容が頭に入ってこない。

「ねえねえ、明日は何味がいい? 鮭? 昆布?」

「……ああ」

「ああってどっち?」

「……どっちでも」

うまく返事ができねぇ……。

「ね、悠真くん、聞いてる?」

「……聞いてる」

聞こうとはしてるけど、お前のほう見れないんだよ……。

見たら——なんか、全部こぼれそうだ。

ポケットの中で拳を握る。手汗がすごい。

矢野が前を歩いてる。ポテチを食って、いつもの音がしてる。

宮田がその横で「寒い」とぼやいてる。

矢野が少しだけ、こっちを見た気がした。

けど、すぐ前を向いた。

いつも通り。全部いつも通りだ。

俺だけが、いつもと違う。

喉の奥が乾いてる。さっきから、ずっと。

駅前で矢野が別れた。

「じゃな」

それだけ言って、西口に曲がった。

あいつは何も言わず、いつも通り帰った。

しばらく三人で歩いて、十字路で宮田が足を止めた。

「じゃあね」

宮田も何も聞かなかった。

橘に手を振って、こっちには少しだけ笑って、そのまま角を曲がっていった。

二人になった。

心臓の音がうるさい。

住宅街に入って、急に静かになったから余計に。

さっきまで混じってた車の音も人の声も消えて、橘の足音だけが、隣で鳴ってる。

ローファーが、コンクリートを叩く音。

やけに、はっきり聞こえる。

「ねえ悠真くん、今日なんか静かだね」

「……そうか?」

「うん。いつもはもうちょっと何か言うのに」

そうだな。

橘のほうに向く。

不思議な顔をしてこっちを見てる。

覚悟……決めろ、俺!!

深呼吸して、一言。

「紗月」

何とか絞り出した。

橘が目を丸くする。

それと同時に俺の手が、橘の手を掴んでいた。

冷たい。

なぜかそんなことを思ったが、あとは勢いだ!

「ちょっと、来てくれ」

ふと目についた、近くの公園に入る。

「え……ちょ、え?」

橘の声が裏返ってる。

何も答えられなかった。

公園のベンチの近く。

周りには誰もいなくて静かだ。

橘……いや、紗月を見る。

顔が赤い。

ついてきてくれた。何がなんだか分かってないだろうに。

俺、逃げるな!

「紗月」

さっきよりハッキリ言う。

紗月が、まっすぐこっちを見てる。

唇が乾いてる。

深く、息を吸った。

「——俺たち、嘘から始まった」

声が、震えてる。情けないくらい。

「でも——」

言葉が途中で止まる。

うまく出てこない。

けど、知るか、そんなこと!

コイツに伝えるんだろ!

「本物に、したい。紗月のことが、好き、なんだ……!」

言えた……!

膝から、力が抜けた。

言った。言っちまった。

紗月の顔が、目の前にある。

何も返ってこない。

風が吹いた。頭の上で、葉のない桜の枝が、かすかに鳴った。

それ以外、何も聞こえない。

自分の心臓の音だけが、やたらうるさい。

紗月が、動かない。目が大きく見開かれてる。

口が、少しだけ開いてるのが見える。

吐く息が、白く揺れた。

指先が、冷たい。

——怖い。

頼む。何か、言ってくれ——

——体に、衝撃が来た。

紗月が、飛び込んできていた。

俺の胸のあたりに、顔を押しつけるように。

腕が回ってきて、背中のコートを、ぐしゃっと掴まれた。

頭がパニックだったけど、俺の腕は紗月の背中に勝手に回っていた。

紗月の肩が震えてた。

背中が、手のひらの下で小刻みに揺れてる。

泣いてる。

紗月が、泣いてる。

「……す、き」

俺の胸元から、小さな声が聞こえた。

「……好き、好き! ずっと、なんだろうって……思ってたの……!」

紗月が勢いよく顔を上げた。目が濡れてる。なのに、笑ってた。めちゃくちゃ、笑ってた。

心臓がうるさい。頭が追いつかない。

なのに——

「——ゆう、ま」

気がついたら、唇が塞がれてた。

え、これ、キス——!?

俺は固まったまま何もできない。

紗月は唇を押し付けるようにしてくる。

心臓の音と、頭の混乱でさっきから何が起きてるのか分からない……!

「えへへ……しちゃった」

「おま……」

紗月が至近距離で、顔を真っ赤にしながら笑う。

「だって、うれしかったんだもん」

そう言って俺の胸に顔をうずめる。

「……お前、ほんと距離感バグってんな」

「……距離感とか、知らないもん……!」

俺の口元が、勝手に緩んだ。

なんだよ、それ。

知らないもん、じゃないだろ。

ベンチに座った。

隣には紗月がいる。

なんか、全身の力が抜けてる。

さっきまでの緊張が全部消えて、何も残ってない。

からっぽだ。

気持ちいいくらい、からっぽ。

公園、ベンチ。

何となく、紗月との出会いを思い出す。

あの日は、何が起きてるのかわからなかった。

心臓だけがばかみたいにうるさくて。

紗月は笑ってた。

全っ然悪びれないで、本当に楽しそうに。

あのときはこうなるなんて想像できなかったな……。

紗月は嬉しそうに俺の腕を掴んでる。

少し泣いてた跡が残ってる。

目もちょっと赤い。

「ねえ悠真、これから楽しみだね!」

いつの間にか、呼び方、変わってるな……。

いつも通りの顔で、笑ってる。

切り替えが早いのか、俺が戸惑ってるだけなのか……。

苦笑しながら紗月に返す。

「……おう、そうだな」

空を見上げたら、もう薄暗かった。

「そろそろ、帰るか」

「えー、まだいようよぅ」

腕を引かれる。

「もう暗いだろ、ほら」

引かれた手を、そのまま握り直す。

紗月がぱっと笑顔になった。

「うん……! じゃあ帰ろ!」

繋いだ手から、体温が伝わってくる。

明日からも、こいつに振り回されるんだろう。

だけど、それが楽しみで仕方ないと思っている時点で、俺の負けだ。

モブと、学園のアイドル。——だったのに、な。