軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第45話 モブ、「なんでもない」と笑う手の震えに気づいてしまう

カーテンの隙間から、白い光が差していた。

目は覚めてたけど、起き上がる気にならなかった。

昨日の放課後のことが、まだ頭に残ってる。

ゴミ捨て場で柊に告白された。

迷うことなく、断った。

その瞬間、橘の顔が浮かんだからだ。

そのあと、昇降口で橘が待ってた。いつも通りに帰った。

当然、告白されたことなんて何も言えなかった。

ていうか、意識しすぎて何を話したのかも曖昧だ。

好きなのか——いや、だからってどうにもならないだろ。

俺はモブ、あっちは学園アイドル。

偽彼氏の役割がなくなったら——。

そんな事を考えてたら、枕元のスマホが震えた。

手を伸ばす。画面の光が眩しい。

橘。

『今日楽しみだね!! 12時に駅でいい??』

……ああ。約束してたな。

断る理由がない。ていうか断れるわけがない。

『おう』

送って、布団を蹴った。

改札の前で待ってたら、向こうから橘が手を振って走ってきた。

白っぽいコートに、チェックのマフラー。

私服だと相変わらず雰囲気が違う。

「悠真くん! ごめんね待った?」

「今来たとこだ」

「嘘だー、悠真くんいつも早いもん」

まあ、十分くらい早く着いてたけど。

それを言うと面倒なことになるから黙っとく。

「ねえ、こっちこっち!」

橘が先に歩き出した。マフラーの端が揺れてる。

俺はポケットに手を突っ込んだまま、その後ろをついていった。

駅の南口を出て、少し歩いたところにある小さな店だった。

窓に手書きで『パスタ&カフェ』って書いてある。

「ここ! ネットで見つけたの!」

「狭いな」

「狭い方がおいしそうじゃん!」

どういう理屈だよ。

中に入ると、カウンターが四席、テーブルが二つ。

テーブル席に向かい合って座ったら、思ったより膝が近い。

「ねえねえ、どれにする?」

橘がメニューを広げて、こっちに向けてきた。

「カルボナーラ」

「早っ! もうちょっと悩んでよ!」

「悩む要素ない」

「あるよ! ミートソースもおいしそうだし、明太クリームも気になるし——あ、キノコのも……」

「じゃあ好きなの頼めよ」

「悩んでるから聞いてるの!」

聞かれても困る。

「……ミートソースでいいんじゃないか。肉入ってるし」

「天才! それにする!」

天才は言い過ぎだろ。

なんで俺がこいつのメニュー選んでんだ。

水を持ってきた店員に、二つ注文した。

橘がマフラーを外して、膝の上に置いた。

テーブルの向こうで、にこにこしている。

「なに笑ってんだよ」

「だって休みの日にごはん食べに来るの楽しくない?」

「……まあ」

「『まあ』じゃないよ! 楽しいでしょ?」

「うるさいな」

橘がむっとした。

「悠真くんっていつもそう! 素直に言えばいいのに」

「何を」

「楽しいって!」

パスタが来た。ナイスタイミング。

助かった。

橘がフォークでミートソースを巻きながら、何か話している。みけに新しい服を作りたいとか、宮田に編み物教えてもらうとか。

俺は相槌を打ちながら、嬉しそうに話す橘を見ていた。

——ふっと、昨日のことが頭に浮かんだ。

告白を断った瞬間、こいつの顔が浮かんだこと。

なんとなく視線が、テーブルの上に落ちる。

水のグラスが目につく。

手が伸びて、水を一口飲んだ。

「……悠真くん?」

「なに」

「聞いてた? みけの——」

「服だろ」

「あ、聞いてた!」

まぁ、一応な。

「ねえ、一口ちょうだい?」

橘がフォークをこっちの皿に向けてきた。

「自分のを食え」

「ケチ! はい、代わりにこれあげる!」

ミートソースが乗ったフォークが目の前に突き出された。

「……いらない」

「おいしいのに! ほら!」

俗に言うあーんだろ、これ。

たまには自覚してくれねぇかな……。

橘はキラキラした目で俺が食べるのを待ってる。

どうせ、引かないだろうな、こいつは。

仕方なく口に入れた。甘めのミートソースだった。

「おいしいでしょ?」

橘が嬉しそうに笑ってる。

俺にはそんな余裕はない。昨日の夜に考えたことが、また頭をちらつく。

水を飲んで、落ち着こう。

「悠真くんさ、今日やたら水飲まない?」

「……喉渇いてんだよ。パスタがちょっとしょっぱいからな」

「えー、しょっぱい? おいしいじゃん」

橘が自分のフォークで俺のカルボナーラの端をつついた。そのまま、自分の口に運ぶ。

「あ、ほんとだ。ちょっとしょっぱいかも」

人の皿に勝手に手を出すな。

ていうか、それさっき俺が口つけたフォークだろ。

指摘したらもっと面倒なことになる。

橘が水を飲んで、「たしかに喉渇く」と頷いた。

……助かった。

店を出た。十一月の風が冷たい。

橘がマフラーに顔を埋めた。

「さむーい」

「だろうな」

「パスタおいしかったね!」

「まあ」

「また来たいな!」

「……勝手にしろ」

「やった! 一緒に来てくれるってことでしょ!」

そんなこと一言も言ってないが。

まぁ誘われたらそのとき考えるか。

駅が見えてきたあたりで、橘がふと声のトーンを落とした。

「ねえ、悠真くん」

「なに」

「今日、ちょっとだけ変だったよ?」

一瞬、足が止まった。

「……何が」

「わかんない。なんとなく」

橘は首をかしげただけで、それ以上は何もなかった。

すぐに、もう別の話をしている。

——変、か。

……そうかもな。

日曜は、結局一日中部屋でぼんやり過ごしてしまった。

そして月曜日。

今日も、何もなかった。——はずだ。

六限のチャイムが鳴って、ノートを閉じた。

カバンに教科書を押し込んでいるところに、廊下から声がした。

「悠真くん!」

顔を上げたら、教室のドアに橘が立っていた。

「帰ろ?」

「おう」

カバンを肩にかけて、廊下に出た。

西階段を降りる。橘が半歩前を歩いている。

制服の背中。髪が弾むように揺れてる。

階段の窓から、曇り空が見えた。

昇降口。

下駄箱の前で上履きを脱いだ。

外靴を取り出して、履こうとしたときだ。

「先輩」

声がした。この前から頭に残る、あの声。

顔を上げた。

柊だった。下駄箱の並びの端に、一人で立っていた。

背筋がまっすぐで、ショートボブが昇降口の薄い光に揺れている。

制服にカーディガン。カバンの持ち手を両手でぎゅっと握りしめていた。

俺を、待っていたのか。

——金曜のゴミ捨て場が、頭の中でフラッシュした。

「……先日は、ありがとうございました」

声は落ち着いていた。

何か言わなきゃいけない。口が開いた。

言葉が出てこない。橘がすぐ横にいるのに、俺は何もできなかった。

「先輩に会えて、よかったです」

小さい声だった。でも、真っ直ぐに届いた。

柊が腰から頭を下げた。

上げた。俺の顔は見なかった。隣にいるはずの橘のことも、一切見なかった。

踵を返して、正門の方に歩いていった。

歩幅は普通だった。背筋はまっすぐだった。

振り返らなかった。

——動けなかった。

靴を片手に持ったまま、あの背中を見てた。

あいつ、金曜に告白して、断られて。それで今日、いつ来るかもわからない俺を待って、あんなまっすぐ立ってた。

会えてよかったって——そう言い切って、振り返らずに歩いていった。

年下だぞ。俺より、よっぽど——。

ふと視線を感じて、横を見た。

橘がいた。

俺を見ていた。

いつもの笑顔はない。何か違う。でも、それが何なのか、俺には分からない。

じっと、目が合ったままだった。

何かが喉につっかえたみたいに、上手く息が吸えなかった。

「……行くか」

なんとかそれだけ絞り出して、俺は靴を履いた。

正門を出て、コートのポケットに手を突っ込んだ。並木道を歩く。銀杏が散っている。風が冷たい。

今日の橘は、やけに近い。

いつもなら半歩前を歩いて、こっちを振り返りながら楽しそうに喋るのに。

今はすぐ横を、ただ黙って歩いている。

たまに肩がぶつかっても、お互いに何も言わない。

一度だけ、橘が何か言いかけて、やめた。

俺は昇降口での橘の顔が頭から離れず、結局何も言えなかった。

空が暗くなり始めている。街灯がぽつぽつ点いていた。

このいつもと違う空気のまま、いつもの別れ道の角に着いた。

橘が足を止め、こっちを向いた。

「じゃあ——」

言いかけた言葉が途切れると同時に、手が、掴まれた。

橘の手が、俺の右手をきつく握っていた。

橘の目が、自分の手を見ていた。

自分が何をしたのか、本人が一番わかっていないような顔だった。

ふっと、指が離れた。

「……なんでもない。じゃあね、悠真くん」

橘が笑った。

無理に作ったような笑顔で、声にいつもの勢いがなかった。

坂の方に、歩いていく。

俺は立ったまま、その背中を見ていた。

手のひらに、橘の指の微かな震えと、熱が残ってる。

部屋のドアを閉めた。

コートも脱がないまま、ベッドの端に座った。

柊の背中が、まだ残ってる。

橘のあの時の顔と、手の熱が、まだ残ってる。

——答え、もうわかってんだろ、俺。

手、掴んじゃった。……なんでだろう。

悠真くんの顔。あの子が歩いていった後の、あの顔。

——見たことない顔だった。