作品タイトル不明
第44話 ひより、「嘘はつきたくなかったんです」と涙を一粒だけ落とす
昼。
いつもの四人で、いつもの屋上に来ていた。
「はい、おにぎり!」
橘がラップに包んだおにぎりを差し出してきた。
「さんきゅ」
タッパーを橘の前にすっと置いた。
なんかこのやり取りも違和感なくなっちまったな……。
「あ、かぼちゃ! 好き!」
蓋を開けて、もう箸が伸びている。
宮田は宮田で、自然な動作で矢野のポテチに手を伸ばしてる。
「はぁ……あんま持ってくなよ」
「わかってる」
三枚くらい持ってったな、宮田。
「……お前な」
「まぁまぁ」
矢野がため息をついた。こいつらも毎回これだな。
ラップを剥がして、おにぎりを一口かじる。
鮭の塩気がうまい。
橘がかぼちゃを一切れ食べて、ぱっと顔を上げた。
「ねえ、明日なんか予定ある?」
「ない」
「即答」
宮田がぼそっと言った。聞こえてるぞ。
「明日お母さんが出かけるから、お昼一人なの。どっか食べに行かない?」
「勝手に行けよ」
「一人だとつまんないじゃん!」
「矢野か宮田と行けばいいだろ」
「あたしは用事ある」
宮田があっさり言った。
「矢野くんは?」
「模型屋行く」
橘がこっちをじっと見ている。
「……考えとく」
「やった! 考えとくは悠真くん語でオッケーだもんね!」
「違う」
「違わないもん!」
まぁ、どうせ付き合わされるんだろうな……。
俺は諦めておにぎりを頬張った。
◇
放課後。今日は掃除当番だ。
じゃんけんに負けて、ゴミ出し担当になっちまった。
しゃーない……。
ゴミ袋を持って外に出る。
吐いた息がうっすら白い。
ゴミ捨て場がある、校舎の裏手に向かう。
こっちの方は人がいなくて静かだ。
と思ったら、先客がいた。
小柄で、背筋がいい、ショートボブ。制服にカーディガン。
ゴミ袋を両手で抱えて、ゴミ捨てのコンテナの前に立っている。
柊か。
あの蓋、確か割と重いし、蓋開けるのしんどそうだな。
「先、入れるぞ」
横に立って、コンテナの蓋を持ち上げた。
自分のゴミ袋を放り込む。
横を見た。柊がまだゴミ袋を抱えている。
「……入れないのか」
蓋を持ったまま待った。
柊がゴミ袋を持ち上げて、コンテナの中に入れた。
蓋から手を離す。
金属がぶつかる音が、校舎裏に響いた。
「……ありがとうございました」
柊が体をこっちに向けて、腰から頭を下げた。
寒いのか、声がかすれてる。
相変わらず真面目だな。
「お疲れ」
そう言って俺はいつも通りに帰ろうとした。
◇
お疲れ。
あの声だった。
装飾班の教室で聞いた、声。
三階の廊下で聞いた、声。
用具室の前で聞いた……声。
——あの時と同じトーン。同じ力の抜け方。
装飾班が終わってから、聞けなくなった、言葉。
足が止まっていた。
右足が地面について、左足が上がらない。
先輩の背中が見えている。
校舎に向かって歩いている。
近づかないと決めた。
ルールは守った。今日も声はかけなかった。
ゴミ捨て場に先輩が来たのは、私には、どうにもならない。
なのに。
「好きです」
溢れてしまった。
小さかった。息みたいだった。自分の耳にだけ届いた音。
先輩は止まらない。歩いている。聞こえていない。
取り消せる。今なら。誰にも聞こえなかった。
なかったことにできる。
——取り消したら、嘘になる。
口から出た。自分の声だった。
出たことは、もう消せない。
奈々にも、お母さんにも、嘘をついた。自分にも。
でもこの言葉だけは、嘘じゃなかった。
息を吸った。冷たい空気が喉を通った。
「先輩が——好きなんです」
声が出た。さっきより大きい。
校舎裏のコンクリートに当たって、少しだけ返ってきた。
先輩の足が止まって、体ごと振り返った。
目が合った。
先輩の目に、驚きがあった。
先輩が歩いてきた。ゆっくりじゃない。普通の歩幅で。
目の前で止まった。
見上げた。胸のあたりまでしかない身長差。
先輩の顔は薄暗い中でも見えた。
「迷惑なのはわかってます。でも、嘘はつきたくなかったんです」
声が、震えてる。
膝も、震えてる。
心臓が、うるさい。
でも、言葉は出た。言えた。
先輩の目が一瞬だけ、私ではないどこかを見た。
——分かってた。
「——ごめん」
いつもの先輩より、一段低い声だった。
「気持ちは嬉しい。でも、俺は——」
止まった。
その先は出なかった。
断ることに、迷いがなかった。
迷いのなさが、全部の答えだった。
目の奥が熱くなった。
自然とまばたきをする。
涙が一粒、落ちた。
温かいものが、頬を伝った。
「……嘘は、つきたくなかったので」
同じ言葉だった。さっき言ったのと。
でも違った。さっきは先輩に向けた言葉だった。
今は、自分のための、言葉。
頭を下げた。腰から。
頭を上げた。先輩の顔は見なかった。見れなかった。
胸のあたりに目を留めたまま、踵を返した。
無心で歩いた。
一歩目は重かった。
二歩目から普通の歩幅に戻った。
背筋はまっすぐにした。
振り返らなかった。
振り返れなかった。
◇
「ただいま」
自分の声ではないみたいに小さかった。
靴を脱いで揃える手は、感情から切り離されたように勝手に動いていた。
廊下の奥から聞こえるテレビの音を背に、階段を上がって自分の部屋に入る。
ドアノブを回して、静かに閉めた。
電気はつけない。部屋はもう薄暗かった。
肩から滑り落ちたカバンが床に当たって、鈍い音を立てる。
私はドアに背中を預けたまま、制服姿でゆっくりと座り込んだ。
涙が、出た。
声を出すまいと、意識して強く唇を噛みしめる。
下からは、颯太が何かに笑う声と、台所で何かを炒める音が聞こえてくる。
喉の奥がひどく震えているのに、私はそれを無理やり音の出ない場所に押し留めた。
暗がりの中、机の上にはいつもの問題集とシャーペンが横たわっているのがわかる。
いつもなら、ここで立ち上がって椅子に座り、ページを開く。
なのに今は、どうしても、手が伸びなかった。