作品タイトル不明
第37話 モブ、「今日何も言わないの?」に何も返せない
さつまいもの甘煮を、タッパーに詰めていた。
木曜日。文化祭の片付けが終わって三日。
学校は通常授業に戻った。
弁当も、いつも通りに戻った。はずだ。
トングでさつまいもを掴んで、タッパーに並べる。
ちょうどいい量だ。橘は甘いの好きだから——
……いや。
安かったからだ。スーパーで安くなってたから多めに作っただけだ。
蓋を閉めた。弁当袋に入れて、カバンに放り込む。
大丈夫だ。いつも通りだ。
◇
矢野と屋上に来た。
フェンス沿いに並んで座る。矢野はもうポテチを開けている。
弁当を開ける。卵焼きと、きんぴら。
タッパーは弁当袋の中に入れたままだ。
矢野がポテチを一枚つまんで口に入れた。
「今日橘来んの?」
「知らん。いつも来るだろ」
「そうだな」
矢野がスマホに目を落とした。
風が抜ける。十月の屋上は、少し寒くなってきた。
階段のドアが開いた。
「おつかれー!」
橘と宮田だ。
橘がカバンを抱えて、こっちに向かってくる。
俺の隣に座った。
「今日はおかずある?」
「あるに決まってるだろ」
「えへへ、よかった。はいこれ、おにぎり」
ラップに包んだおにぎりを差し出された。昆布。いつもの。
「さんきゅ」
宮田が座った。
自然な動作で矢野のポテチを一枚つまむ。
「勝手に取るなよ」
「減らないでしょ、一枚くらい」
「減るわ」
矢野が袋をずらした。宮田は気にしていない。
橘がカバンのチャックを開けた。
中から弁当箱と、もうひとつ——見覚えのある、いびつな猫のぬいぐるみが顔を出した。
宮田がカバンの中を見て言った。
「何それ。ぬいぐるみ入れてんの?」
「えへへ、見せたかったの! 名前決まったんだよ!」
橘がぬいぐるみをカバンから出して、両手で掲げた。
「みけ!」
「みけ」
宮田が繰り返した。真顔だ。
「三毛猫だから、みけ!」
「見りゃわかるけど。それ、どこで手に入れたの」
橘がにかっと笑った。
「悠真くんが射的で取ってくれたの!」
矢野のポテチの手が止まった。
「……へえ」
いや待て。
「取ってやったわけじゃ——」
「でも水野が当てたんでしょ?」
宮田が淡々と言った。
「当てたのは事実だろ」
矢野が乗っかった。
「お前が当てて、橘が持って帰って、名前までつけた。で、カバンに入れて学校に持ってきた」
事実の並べ方に悪意しかない。
「勝手にしろ」
「あ、水野もう諦めてんじゃん」
宮田がぼそっと言った。聞こえてるぞ。
橘が嬉しそうに言った。
「五日悩んだんだよ、名前。モモみたいにしっくりくるのがなかなかなくて」
「五日て」
「だって名前大事じゃん! 一生ものだよ?」
一生って。射的の景品だぞ。
「……好きにしろ」
橘がにこっと笑った。
ぬいぐるみを両手でそっとカバンに戻して、チャックを閉めている。
ラップを剥がして、おにぎりをかじった。昆布。うまい。
あ。
弁当袋の中のタッパーを思い出した。
さつまいもの甘煮。朝、詰めてきたやつだ。
タッパーを出した。
「ほら」
橘に差し出した。
「あ、ありがとう! 何これ、さつまいも? やったー!」
橘が蓋を開けた。
「おいしそう! 私さつまいも好きなんだよね」
知ってる。
……いや、今のは。
余っただけだと言おうとしたけど、なぜか出てこなかった。
黙っておにぎりに戻った。
「ん?」
橘がさつまいもを一切れ口に入れたまま、こっちを見た。
「今日何も言わないの?」
「……何が」
「いつも何か言うじゃん。余っただけとか、安かったからとか」
橘がきょとんとした顔で首をかしげている。
「……別に。言うことないだけだ」
「ふーん。まあいっか」
橘はそれ以上追わなかった。さつまいもを「おいしい」と言いながら食べている。
宮田が一瞬こっちを見たような気がしたが、何も言わなかった。
矢野はポテチの袋に手を突っ込んだまま、空の方を見ている。
◇
放課後、矢野と並んで正門を出た。
橘と宮田は先に帰ったらしい。LINEに橘から『お先ー!!』が来ていた。
「コンビニ寄るか」
「おう」
いつものコンビニだ。
矢野がポテチの新味を手に取った。俺は麦茶を一本。
レジを済ませて外に出た。
秋の夕方は暗くなるのが早い。歩きながら矢野がポテチを開ける。
しばらく無言で歩いた。
「お前さ」
矢野がぽつりと言った。
思わず、足が止まりそうになった。
こいつがこういう切り出し方をするとき、大抵ろくなことにならない。
「……なんでもねえ」
矢野が視線を戻した。ポテチを一枚つまむ。
沈黙が落ちた。
「……何だよ」
「ポテチの新味、微妙じゃね?」
矢野がポテチの袋を振った。
「知らねえよ。お前しか食ってないだろ」
「一枚やるわ」
「いらん」
矢野がポテチを口に入れた。
それ以上は何も言わなかった。
駅前の交差点で「じゃあな」と手を上げて、矢野は右に曲がった。
俺はまっすぐ歩いた。
◇
部屋に戻って、制服を脱いだ。
ベッドに腰を下ろした。
朝は「安かったからだ」が出た。
昼は「余っただけだ」が出なかった。
ぬいぐるみの話では「勝手にしろ」が出たのに。
……なんでだよ。
天井を見た。
……戻れると思ったんだけどな。
三日もあれば、いつも通りに戻れると思った。いつも通りのことを、いつも通りにやれば。
その先は、考えたくなかった。