軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第37話 モブ、「今日何も言わないの?」に何も返せない

さつまいもの甘煮を、タッパーに詰めていた。

木曜日。文化祭の片付けが終わって三日。

学校は通常授業に戻った。

弁当も、いつも通りに戻った。はずだ。

トングでさつまいもを掴んで、タッパーに並べる。

ちょうどいい量だ。橘は甘いの好きだから——

……いや。

安かったからだ。スーパーで安くなってたから多めに作っただけだ。

蓋を閉めた。弁当袋に入れて、カバンに放り込む。

大丈夫だ。いつも通りだ。

矢野と屋上に来た。

フェンス沿いに並んで座る。矢野はもうポテチを開けている。

弁当を開ける。卵焼きと、きんぴら。

タッパーは弁当袋の中に入れたままだ。

矢野がポテチを一枚つまんで口に入れた。

「今日橘来んの?」

「知らん。いつも来るだろ」

「そうだな」

矢野がスマホに目を落とした。

風が抜ける。十月の屋上は、少し寒くなってきた。

階段のドアが開いた。

「おつかれー!」

橘と宮田だ。

橘がカバンを抱えて、こっちに向かってくる。

俺の隣に座った。

「今日はおかずある?」

「あるに決まってるだろ」

「えへへ、よかった。はいこれ、おにぎり」

ラップに包んだおにぎりを差し出された。昆布。いつもの。

「さんきゅ」

宮田が座った。

自然な動作で矢野のポテチを一枚つまむ。

「勝手に取るなよ」

「減らないでしょ、一枚くらい」

「減るわ」

矢野が袋をずらした。宮田は気にしていない。

橘がカバンのチャックを開けた。

中から弁当箱と、もうひとつ——見覚えのある、いびつな猫のぬいぐるみが顔を出した。

宮田がカバンの中を見て言った。

「何それ。ぬいぐるみ入れてんの?」

「えへへ、見せたかったの! 名前決まったんだよ!」

橘がぬいぐるみをカバンから出して、両手で掲げた。

「みけ!」

「みけ」

宮田が繰り返した。真顔だ。

「三毛猫だから、みけ!」

「見りゃわかるけど。それ、どこで手に入れたの」

橘がにかっと笑った。

「悠真くんが射的で取ってくれたの!」

矢野のポテチの手が止まった。

「……へえ」

いや待て。

「取ってやったわけじゃ——」

「でも水野が当てたんでしょ?」

宮田が淡々と言った。

「当てたのは事実だろ」

矢野が乗っかった。

「お前が当てて、橘が持って帰って、名前までつけた。で、カバンに入れて学校に持ってきた」

事実の並べ方に悪意しかない。

「勝手にしろ」

「あ、水野もう諦めてんじゃん」

宮田がぼそっと言った。聞こえてるぞ。

橘が嬉しそうに言った。

「五日悩んだんだよ、名前。モモみたいにしっくりくるのがなかなかなくて」

「五日て」

「だって名前大事じゃん! 一生ものだよ?」

一生って。射的の景品だぞ。

「……好きにしろ」

橘がにこっと笑った。

ぬいぐるみを両手でそっとカバンに戻して、チャックを閉めている。

ラップを剥がして、おにぎりをかじった。昆布。うまい。

あ。

弁当袋の中のタッパーを思い出した。

さつまいもの甘煮。朝、詰めてきたやつだ。

タッパーを出した。

「ほら」

橘に差し出した。

「あ、ありがとう! 何これ、さつまいも? やったー!」

橘が蓋を開けた。

「おいしそう! 私さつまいも好きなんだよね」

知ってる。

……いや、今のは。

余っただけだと言おうとしたけど、なぜか出てこなかった。

黙っておにぎりに戻った。

「ん?」

橘がさつまいもを一切れ口に入れたまま、こっちを見た。

「今日何も言わないの?」

「……何が」

「いつも何か言うじゃん。余っただけとか、安かったからとか」

橘がきょとんとした顔で首をかしげている。

「……別に。言うことないだけだ」

「ふーん。まあいっか」

橘はそれ以上追わなかった。さつまいもを「おいしい」と言いながら食べている。

宮田が一瞬こっちを見たような気がしたが、何も言わなかった。

矢野はポテチの袋に手を突っ込んだまま、空の方を見ている。

放課後、矢野と並んで正門を出た。

橘と宮田は先に帰ったらしい。LINEに橘から『お先ー!!』が来ていた。

「コンビニ寄るか」

「おう」

いつものコンビニだ。

矢野がポテチの新味を手に取った。俺は麦茶を一本。

レジを済ませて外に出た。

秋の夕方は暗くなるのが早い。歩きながら矢野がポテチを開ける。

しばらく無言で歩いた。

「お前さ」

矢野がぽつりと言った。

思わず、足が止まりそうになった。

こいつがこういう切り出し方をするとき、大抵ろくなことにならない。

「……なんでもねえ」

矢野が視線を戻した。ポテチを一枚つまむ。

沈黙が落ちた。

「……何だよ」

「ポテチの新味、微妙じゃね?」

矢野がポテチの袋を振った。

「知らねえよ。お前しか食ってないだろ」

「一枚やるわ」

「いらん」

矢野がポテチを口に入れた。

それ以上は何も言わなかった。

駅前の交差点で「じゃあな」と手を上げて、矢野は右に曲がった。

俺はまっすぐ歩いた。

部屋に戻って、制服を脱いだ。

ベッドに腰を下ろした。

朝は「安かったからだ」が出た。

昼は「余っただけだ」が出なかった。

ぬいぐるみの話では「勝手にしろ」が出たのに。

……なんでだよ。

天井を見た。

……戻れると思ったんだけどな。

三日もあれば、いつも通りに戻れると思った。いつも通りのことを、いつも通りにやれば。

その先は、考えたくなかった。