作品タイトル不明
第34話 モブ、メイド服の学園アイドルに文化祭を振り回される
焼きそばを買いに行こうと思ったのに、結局D組の前から動けていなかった。
……なんで俺、まだここにいるんだよ。
橘がもうすぐ終わると言ったのが引っかかって——いや、たまたまタイミングを逃しただけだ。
ポケットのスマホが震えた。
『終わったよー!!』
返す間もなく、D組のドアが勢いよく開いた。
黒いワンピースに白いエプロン。フリルのヘッドドレス。
メイド服のまま飛び出してきた橘が、肩にポーチだけかけて、廊下の視線を片端からかっさらっていくのが見えた。
「あ、いた! おまたせ!」
「ちょ……お前そのままかよ」
橘がぱっと笑った。メイド服のスカートがふわっと揺れる。
周りの視線がこっちにも集中してるのがわかる。
「着替える時間もったいなくて!」
D組のドアから、宮田が顔だけ出した。
「あんた、着替えないの?」
「いいの! 時間もったいないから!」
宮田が俺の方をちらっと見た。
「……ふーん。楽しんできなよ」
それだけ言って、D組に戻っていった。
今の「ふーん」に何が込められてたか、深く考えたくない。
「汚れたらどうすんだ、それ。レンタルだろ」
「気をつけるから! ほら、行こ!」
聞く気ゼロだった。
◇
中庭に出た。
B組の焼きそば屋台がテントの下に出ていて、鉄板がじゅうじゅう音を立てている。ソースの匂いが中庭に充満していた。
メイド服の橘が隣にいる状態で中庭を横切ったせいで、すれ違う人間の視線がごっそり持っていかれる。
「あ、橘さんだ!」
「メイド服のまま!?」
ざわつきが広がるのが聞こえた。橘は全く気にしていない。
少しは気にしてくんねぇかな……。
B組の屋台に、エプロン姿の矢野がいた。
矢野の目が、俺を見て、隣のメイド服を見て、もう一回俺に戻った。
「…………へえ」
「何」
「いや、別に」
この「別に」、裏ありすぎだろ。
「焼きそば二つ」
「はいよ」
矢野がヘラで焼きそばを盛りながら、ぼそっと言った。
「なんだ、周りに見せつけてんのか?」
「うるせえ。なりゆきだ」
「なりゆき?」
「……黙って焼け」
矢野がヘラを返しながらこっちを見ないふりをしているが、口元が完全にアウトだ。
「ねえ矢野くん、焼きそばおいしそう!」
「どうも。彼氏に焼いてやったぞ」
「やめろ!」
パックを受け取って、矢野から離れた。
中庭のベンチに並んで座って食べる。
メイド服のまま焼きそばを頬張っている橘の絵面がすごい。
「おいしい! 焼きそば食べたかったんだよねー!」
「お前、まともに食べてなかったのか」
「シフト中に裏でちょっとつまんだだけ! だからお腹すいてて」
嬉しそうに頬張っている。
こいつがメイド服で焼きそば食べてるのを、中庭を通る人間が片っ端から二度見していく。
「悠真くん、ソースついてるよ」
橘がこっちの口元を指さした。
「……どこ」
「そこ。ふふっ、取れてない」
顔をそむけて袖で拭った。
「橘さーん!」
「メイド喫茶すごかったよー!」
食べ終わって校舎に戻る途中でも、三人くらいに声をかけられた。
橘がその都度「ありがとー!」と手を振る。
メイド服の橘の隣にいる俺が、周りからどう見えているか。
……考えるのやめよう。
◇
二階に上がった。一年の教室が並ぶフロアだ。
C組がお化け屋敷をやっていた。
「悠真くん、入ろ!」
「は? いや——」
反論が完成する前に腕を引かれていた。
中は暗かった。段ボールで作った壁と、LEDが並んでいる。
驚かし役の一年が布を被って「うらめしやー」と叫んだ。
正直、全然怖くない。
出口から出た。
腕を引っ張っていた橘の手が、いつの間にか俺の制服の袖を掴む形に変わっていた。
「怖かったのか?」
「全然?」
「じゃあなんで掴んでんだよ」
「えっ——あ」
橘が慌てて手を離した。
「暗かったから! つまずかないようにだよ!」
「お化け屋敷の中でつまずく心配するか普通」
「するでしょ! メイド服だし!」
理屈がめちゃくちゃだ。
その先のE組が、縁日風の射的をやっていた。
「あ、射的! やりたい!」
橘が小走りで受付に向かった。
一回百円で三発。コルク銃で棚の景品を落とす。よくあるやつだ。
景品は手作りっぽいぬいぐるみとか、お菓子の袋とか。
「悠真くんもやろうよ!」
「いい」
「えー! 一回だけ!」
結局二人分払っている俺がいた。
橘が銃を構えた。
「えいっ!」
コルクが飛んで、棚の上の方に当たった。何も落ちない。
「当たんないー!」
「狙い高すぎ」
「もう一発……えいっ!」
今度は棚の手前に転がった。
「難しい!」
「力入れすぎなんだよ」
橘が三発目を外して、「むー」と頬を膨らませた。
俺の番だ。
適当に構えて、引き金を引いた。
コルクが一番下の棚に当たって、手作りっぽい小さなぬいぐるみが転がり落ちた。
「すごい! 当たった!」
橘が目を輝かせた。
目をそらす。
「別に、たまたまだろ」
「悠真くんすごい! はい、私のね!」
受付の子が差し出したぬいぐるみを、胸の前で両手に包んだ。
いや、なんで俺が取ったのがお前のになるんだ。
しかもそれ、たぶん手作りの猫だぞ。耳の大きさが左右で違う。
なのに橘は、そのいびつな猫のぬいぐるみを大事そうにポーチに入れた。
いや、取ってやったわけじゃない。
橘が勝手に持ってって勝手に喜んでるだけだ。
そういうことにしておく。
「悠真くん、フォトスポットあるよ! 撮ろ!」
「無理」
即答だった。
メイド服の橘と写真は、さすがに無理だ。
橘は「えー」と言いながらも引き下がった。代わりにスマホを取り出して何かいじっている。
ふと前を見たら、向こうから見覚えのある姿が歩いてきた。
ショートボブ。小柄な背筋のいい姿勢。
柊だ。
隣にもう一人、同じくらいの背の女子がいる。友達と回っているらしい。
「お、柊。お疲れ」
「あ……先輩、お疲れさまです」
柊が小さく頭を下げた。
一瞬、柊の目が俺の隣——橘のメイド服の方に動いた気がした。
そのとき、橘がぐいっと寄ってきた。
肩がぶつかるくらいの距離で、スマホをこっちに向けている。
カシャ。
「ちょ……お前!」
「えへへ、撮れた!」
「フォトスポット断っただろ!」
「だってフォトスポットじゃないもん。廊下だもん」
「理屈がおかしいんだよ! つーか消せ!」
「やだ!」
橘がスマホを胸の前に抱えてガードした。メイド服で逃げる体勢に入っている。
「おい——」
追いかけようとして、ふと気づいた。
柊たちの姿が、もう廊下の向こうに遠ざかっていた。
遠ざかる柊が、ちらっとこっちを見たように見えた。——が、橘がスマホを掲げて逃げるので、それどころじゃなかった。
「悠真くん、次あっちー!」
考える暇もなく、橘に腕を引かれた。
廊下の壁に、ポスターが貼ってあった。
『文化祭2日目 後夜祭プログラム フォークダンス&キャンプファイヤー』
「あ、明日フォークダンスだって!」
橘が立ち止まった。
「出るでしょ?」
「は?」
「フォークダンス! 明日!」
「なんで俺が——」
「彼氏でしょ? 出るの当然じゃん!」
当然って何だよ。
「……考えとく」
「やった! 考えとくは悠真くん語で『出る』だもんね!」
「確定させんな」
橘が嬉しそうに笑って、いびつな猫のぬいぐるみの入ったポーチを両手で抱えた。
窓の外は夕方の色になっていた。
廊下のガーランドが、オレンジの光で揺れている。
……明日も、振り回されるんだろうな。
そう思いながら、俺はメイド服の隣を歩いていた。