軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第34話 モブ、メイド服の学園アイドルに文化祭を振り回される

焼きそばを買いに行こうと思ったのに、結局D組の前から動けていなかった。

……なんで俺、まだここにいるんだよ。

橘がもうすぐ終わると言ったのが引っかかって——いや、たまたまタイミングを逃しただけだ。

ポケットのスマホが震えた。

『終わったよー!!』

返す間もなく、D組のドアが勢いよく開いた。

黒いワンピースに白いエプロン。フリルのヘッドドレス。

メイド服のまま飛び出してきた橘が、肩にポーチだけかけて、廊下の視線を片端からかっさらっていくのが見えた。

「あ、いた! おまたせ!」

「ちょ……お前そのままかよ」

橘がぱっと笑った。メイド服のスカートがふわっと揺れる。

周りの視線がこっちにも集中してるのがわかる。

「着替える時間もったいなくて!」

D組のドアから、宮田が顔だけ出した。

「あんた、着替えないの?」

「いいの! 時間もったいないから!」

宮田が俺の方をちらっと見た。

「……ふーん。楽しんできなよ」

それだけ言って、D組に戻っていった。

今の「ふーん」に何が込められてたか、深く考えたくない。

「汚れたらどうすんだ、それ。レンタルだろ」

「気をつけるから! ほら、行こ!」

聞く気ゼロだった。

中庭に出た。

B組の焼きそば屋台がテントの下に出ていて、鉄板がじゅうじゅう音を立てている。ソースの匂いが中庭に充満していた。

メイド服の橘が隣にいる状態で中庭を横切ったせいで、すれ違う人間の視線がごっそり持っていかれる。

「あ、橘さんだ!」

「メイド服のまま!?」

ざわつきが広がるのが聞こえた。橘は全く気にしていない。

少しは気にしてくんねぇかな……。

B組の屋台に、エプロン姿の矢野がいた。

矢野の目が、俺を見て、隣のメイド服を見て、もう一回俺に戻った。

「…………へえ」

「何」

「いや、別に」

この「別に」、裏ありすぎだろ。

「焼きそば二つ」

「はいよ」

矢野がヘラで焼きそばを盛りながら、ぼそっと言った。

「なんだ、周りに見せつけてんのか?」

「うるせえ。なりゆきだ」

「なりゆき?」

「……黙って焼け」

矢野がヘラを返しながらこっちを見ないふりをしているが、口元が完全にアウトだ。

「ねえ矢野くん、焼きそばおいしそう!」

「どうも。彼氏に焼いてやったぞ」

「やめろ!」

パックを受け取って、矢野から離れた。

中庭のベンチに並んで座って食べる。

メイド服のまま焼きそばを頬張っている橘の絵面がすごい。

「おいしい! 焼きそば食べたかったんだよねー!」

「お前、まともに食べてなかったのか」

「シフト中に裏でちょっとつまんだだけ! だからお腹すいてて」

嬉しそうに頬張っている。

こいつがメイド服で焼きそば食べてるのを、中庭を通る人間が片っ端から二度見していく。

「悠真くん、ソースついてるよ」

橘がこっちの口元を指さした。

「……どこ」

「そこ。ふふっ、取れてない」

顔をそむけて袖で拭った。

「橘さーん!」

「メイド喫茶すごかったよー!」

食べ終わって校舎に戻る途中でも、三人くらいに声をかけられた。

橘がその都度「ありがとー!」と手を振る。

メイド服の橘の隣にいる俺が、周りからどう見えているか。

……考えるのやめよう。

二階に上がった。一年の教室が並ぶフロアだ。

C組がお化け屋敷をやっていた。

「悠真くん、入ろ!」

「は? いや——」

反論が完成する前に腕を引かれていた。

中は暗かった。段ボールで作った壁と、LEDが並んでいる。

驚かし役の一年が布を被って「うらめしやー」と叫んだ。

正直、全然怖くない。

出口から出た。

腕を引っ張っていた橘の手が、いつの間にか俺の制服の袖を掴む形に変わっていた。

「怖かったのか?」

「全然?」

「じゃあなんで掴んでんだよ」

「えっ——あ」

橘が慌てて手を離した。

「暗かったから! つまずかないようにだよ!」

「お化け屋敷の中でつまずく心配するか普通」

「するでしょ! メイド服だし!」

理屈がめちゃくちゃだ。

その先のE組が、縁日風の射的をやっていた。

「あ、射的! やりたい!」

橘が小走りで受付に向かった。

一回百円で三発。コルク銃で棚の景品を落とす。よくあるやつだ。

景品は手作りっぽいぬいぐるみとか、お菓子の袋とか。

「悠真くんもやろうよ!」

「いい」

「えー! 一回だけ!」

結局二人分払っている俺がいた。

橘が銃を構えた。

「えいっ!」

コルクが飛んで、棚の上の方に当たった。何も落ちない。

「当たんないー!」

「狙い高すぎ」

「もう一発……えいっ!」

今度は棚の手前に転がった。

「難しい!」

「力入れすぎなんだよ」

橘が三発目を外して、「むー」と頬を膨らませた。

俺の番だ。

適当に構えて、引き金を引いた。

コルクが一番下の棚に当たって、手作りっぽい小さなぬいぐるみが転がり落ちた。

「すごい! 当たった!」

橘が目を輝かせた。

目をそらす。

「別に、たまたまだろ」

「悠真くんすごい! はい、私のね!」

受付の子が差し出したぬいぐるみを、胸の前で両手に包んだ。

いや、なんで俺が取ったのがお前のになるんだ。

しかもそれ、たぶん手作りの猫だぞ。耳の大きさが左右で違う。

なのに橘は、そのいびつな猫のぬいぐるみを大事そうにポーチに入れた。

いや、取ってやったわけじゃない。

橘が勝手に持ってって勝手に喜んでるだけだ。

そういうことにしておく。

「悠真くん、フォトスポットあるよ! 撮ろ!」

「無理」

即答だった。

メイド服の橘と写真は、さすがに無理だ。

橘は「えー」と言いながらも引き下がった。代わりにスマホを取り出して何かいじっている。

ふと前を見たら、向こうから見覚えのある姿が歩いてきた。

ショートボブ。小柄な背筋のいい姿勢。

柊だ。

隣にもう一人、同じくらいの背の女子がいる。友達と回っているらしい。

「お、柊。お疲れ」

「あ……先輩、お疲れさまです」

柊が小さく頭を下げた。

一瞬、柊の目が俺の隣——橘のメイド服の方に動いた気がした。

そのとき、橘がぐいっと寄ってきた。

肩がぶつかるくらいの距離で、スマホをこっちに向けている。

カシャ。

「ちょ……お前!」

「えへへ、撮れた!」

「フォトスポット断っただろ!」

「だってフォトスポットじゃないもん。廊下だもん」

「理屈がおかしいんだよ! つーか消せ!」

「やだ!」

橘がスマホを胸の前に抱えてガードした。メイド服で逃げる体勢に入っている。

「おい——」

追いかけようとして、ふと気づいた。

柊たちの姿が、もう廊下の向こうに遠ざかっていた。

遠ざかる柊が、ちらっとこっちを見たように見えた。——が、橘がスマホを掲げて逃げるので、それどころじゃなかった。

「悠真くん、次あっちー!」

考える暇もなく、橘に腕を引かれた。

廊下の壁に、ポスターが貼ってあった。

『文化祭2日目 後夜祭プログラム フォークダンス&キャンプファイヤー』

「あ、明日フォークダンスだって!」

橘が立ち止まった。

「出るでしょ?」

「は?」

「フォークダンス! 明日!」

「なんで俺が——」

「彼氏でしょ? 出るの当然じゃん!」

当然って何だよ。

「……考えとく」

「やった! 考えとくは悠真くん語で『出る』だもんね!」

「確定させんな」

橘が嬉しそうに笑って、いびつな猫のぬいぐるみの入ったポーチを両手で抱えた。

窓の外は夕方の色になっていた。

廊下のガーランドが、オレンジの光で揺れている。

……明日も、振り回されるんだろうな。

そう思いながら、俺はメイド服の隣を歩いていた。