作品タイトル不明
第32話 モブ、学園アイドルに「これ、好きでしょ?」と好みを当てられる
文化祭前日。授業がない準備最終日。
今日は追い込みだ。
朝もいつもより早い。
弁当を作る時間もなく慌ただしく家を出る。
学校に着いたら、雰囲気がいつもと違った。
昇降口の前で誰かがペンキ缶を運んでいる。
校門ではゲートの骨組みにベニヤが打ち付けられていて、朝から作業をしている。
一旦教室に入り、荷物だけ置いていく。
クラスの準備も佳境みたいで、矢野も来ていたが死にそうな顔をしていた。
装飾班はいつもの空き教室。
教室に入るとすでにメンバーが集まっていた。
長谷川がスマホの割り振り表を見ながら声をかける。
「今日で全部仕上げるぞ。水野と柊、まず垂れ幕を設置してくれ。そのあと全部の階の飾りの確認と微調整。俺と沖は校門ゲートの最終仕上げ」
俺はうなずいた。
「了解」
「はい」
柊がうなずいた。沖も黙ってうなずく。
「午後は全員で装飾規定のチェック巡回入るから、それまでに設置系は終わらせたい。じゃあ各自頼むぞ」
長谷川が軽く手を上げて、沖を連れて校門の方に歩いていった。
ポケットのスマホが震えた。
『今日がんばろうね!! メイド喫茶のリハーサルやるの!!』
橘だ。ビックリマーク二つ。
『ああ……まぁがんばれ』
返して、ポケットにしまった。
……なんか足りない気がするが、気のせいだ。きっと。
◇
空き教室から垂れ幕を運び出した。
思った以上にデカい。
丸めてあっても二人がかりだ。
柊と二人で持って、渡り廊下を通って本館に入る。
屋上に上がった。
「まずは上で仮留めするか。そのあと柊は下で位置見てくれ」
「わかりました」
フェンス越しに二人で垂れ幕の上端を支える。
柵のパイプに紐を通して巻きつけるだけだが、風が吹くたびに持っていかれそうになる。
二人掛かりでなんとか結び終えた。
「よし。柊、下行ってくれ」
「はい」
柊が階段を降りていった。
垂れ幕を壁沿いに下ろす。
巻いた布がゆっくりほどけながら落ちていく。
下から柊の声が飛んできた。
「先輩、右がちょっと下がってます」
声が小さい。四階ぶんの距離があるからな……。
「こっちか!」
声を張った。屋上から叫ぶのは思った以上に恥ずかしい。
「もう少し……はい、そこです!」
柊も声を張っている。これ声響くな……。
紐を結び直して、フェンスから身を乗り出して下を見る。
……まだ斜めだな。
柊が両手で×を作っているのが見えた。
「……もう一回か」
結び目をほどく。三回目でようやく真っ直ぐになった。
柊が下で端を引っ張って、壁にテープで仮留めしている。風で煽られないようにだろう。
俺も下に行き、出来具合を確認する。
柊と二人で見上げる。
「大丈夫そうだな?」
「はい、綺麗にできました」
そこから各階を回った。
二階、三階、四階——先週までに張ったガーランドや飾りを端から端まで確認して、剥がれかけたテープを貼り直し、外れかけた飾りを付け直していく。
地味だけど、量が多い。
柊と手分けして、フロアの両端から同時に進めた。
廊下の真ん中あたりですれ違うたびに、足を止めずに状況を伝え合う。
「こっちは確認終わりました。先輩の方は?」
「こっちもだ。次行くぞ」
「……はい」
すれ違いざま、背後で柊が少しだけ立ち止まった気配がしたが、すぐに足音がついてきた。
互いに余計な気を遣わず、淡々と作業を進められるのが楽だ。
三階を回っているとき、D組の前を通った。
扉は閉まっている。中から、聞き慣れた橘の声が聞こえた。
——今頃準備してんのか。
足が止まって、扉に目が行きかけた。
……いやいや、何考えてんだ俺。
小さく頭を振り、早足で次の飾りへと向かった。
◇
各階の確認がひと通り終わった。
ちょうど昼の時間だ。
「そろそろ昼にするか。キリもいいしな」
「はい。ではまた後で合流します。ここにくればいいですか?」
「そうだな。そうするか」
「わかりました」
柊はそう言って、階段を降りていった。
ポケットのスマホが震えた。
『どこにいる?? お昼一緒に食べよ!!』
橘だ。
『四階』
今日は購買で買うつもりだったから弁当ないぞ、と打とうとしたが、返事のほうが早かった。
『わかった! 行く!!』
ため息をつき、スマホをしまう。
しばらくして、階段から橘が駆け上がってきた。
「悠真くーん!」
「なんで走ってくんだよ。息切れてるぞ」
「だって早くこないとお昼終わっちゃうじゃん!」
「早すぎんだよ。俺弁当もってないぞ」
今日は買うつもりだったしな……。
「えー! まぁいっか。せっかくだし屋上行こうよ!」
「弁当ないって——」
「ふふふー、それはお楽しみ」
橘がにかっと笑う。
こいつはいつも楽しそうだよな……。
どうせ何言っても聞かないのは目に見えているので、おとなしく屋上に来た。
さっき張った垂れ幕が少し見えてる。
「あ、垂れ幕。悠真くんやったの?」
「係だしな」
「すごーい!」
何がすごいんだ。
「あ、そうそう。お楽しみはこれです!」
じゃーんという掛け声が聞こえそうな雰囲気で差し出されたのは、ラップに包んだおにぎりだった。
「今日はツナマヨと、昆布!」
「……さんきゅ」
受け取って、フェンス沿いに並んで座った。ラップを剥がして一口かじる。
「どう?」
「……普通にうまい」
「やったー!」
橘がおにぎりを頬張りながら、嬉しそうにスマホを取り出した。
「ねえねえ、メイド喫茶の看板、さっき完成したんだよ!」
画面を見せてきた。
手描きのメニューボードの写真だ。
「ちゃんとしてんじゃん」
「でしょ! 玲奈と二人で描いたの!」
嬉しそうに笑う。
リハどうだった、と聞こうとした。やめた。
聞いたら長くなる。それだけだ。
橘がふとスマホの時間を見た。
「あ、もう戻らないと。リハの続きがあるの」
立ち上がって、スカートの裾をぱたぱたと払う。
「悠真くん、午後もがんばってね!」
「おう……お前もがんばれよ」
「ありがとう!!」
橘が屋上の扉を開けて、階段を駆け下りていった。足音がすぐに遠くなる。
一人になった。
風が抜けた。朝に結んだ垂れ幕が、フェンスの向こうで揺れている。
おにぎりの残りをかじった。
……うまいな。
◇
長谷川たちの校門が長引いていたので、午後はまず俺と柊でチェック巡回に入った。
その後、装飾班全員で最終チェックをしていたが、気が付いたら窓の外がオレンジ色になっていた。
「よし、一年は下校時間だ。柊、沖、今日はお疲れ。上がっていいぞ」
長谷川の言葉に、柊と沖が「お疲れさまでした」と頭を下げる。
二人が並んで階段を降りていくのを見送った。
その後、俺と長谷川は全部の階をもう一周した。
問題なしだな。
「よし、こっちも終わりだな。水野、お疲れ。明日よろしく」
「ああ、長谷川もお疲れ」
長谷川が手を振って階段を降りていった。
一人になって、なんとなく周りを見渡す。
A組の端からE組の向こうまで、ガーランドと飾りが続いている。
誰もいない廊下に、紙花の色だけがやたら明るい。
いつも素通りしていた廊下が、別の場所みたいだ。
「お疲れさま!」
いつもの声がした。
振り向いたら、橘が手にペットボトルを二本持って立っていた。
「はい、差し入れ!」
ペットボトルを受け取る。麦茶だ。
「これ、好きでしょ?」
「……なんでわかんだよ」
「え? だって悠真くん、海の時もお祭りの時もこれ買ってたから」
そういって橘はにやっと笑う。
「当たったでしょ?」
やめろ。その顔やめろ。
麦茶のキャップを開けた。一口飲んだ。
「……まぁ当たってるけどな」
橘がもう一本のキャップを開けて、隣に並んだ。
壁にもたれて、飾り付けされた廊下を見ている。
「明日だね」
「ああ」
風が廊下を抜けた。ガーランドが揺れる。
「……メイド喫茶、来てくれるんでしょ?」
「……行くとは言ってないぞ」
「言ってないけど、来るでしょ? 来なかったら怒るからね?」
うるせぇ。
まぁ……どうせ行くことになるんだろうな。
橘が隣で麦茶を飲んでいる。
二人で壁にもたれたまま、飾り付けされた廊下を見ている。
蛍光灯の明かりで紙花が揺れていた。窓の外はもう暗い。
——朝からずっと同じ建物にいたのに、会ったのは昼と、今だけだ。
「……帰るか」
「うん」
麦茶を持って、並んで階段を降りた。