作品タイトル不明
第30話 モブ、「お前どうなんだよ」に答えられなくなる
いつからか、装飾班の作業がある日は橘がおにぎりを持ってくるようになった。
俺は代わりにおかずをひとつ、タッパーに入れて渡す。余っただけだ。
最近、甘いおかずが増えた気がするけど気のせいだ。気のせい。
◇
昼休み。屋上。
橘がいつものように弁当箱の横におにぎりを二つ並べた。
「今日は昆布だよ!」
俺はカバンからタッパーを出して、橘の前に置いた。さつまいもの甘煮。
「わ、これ好き! ありがとう!」
「冷蔵庫にあっただけだ」
橘がさっそく一切れつまんだ。
「おいしい! 悠真くん料理上手だよね。ねえ、レシピ教えて?」
「砂糖と醤油で煮るだけだろ」
「……なんかすっかり定着してるんだけど」
宮田がおにぎりを噛みながら、こっちを見た。
「え? 何が?」
橘がきょとんとした。
宮田が矢野を見た。
矢野は肩をすくめた。
「……で、何持ってきたんだ」
矢野がタッパーを覗き込んできた。
「さつまいも」
「この前もそれ系じゃなかった? かぼちゃとか」
「……安かったんだよ」
「ふーん」
何か言いたげだなおい。
橘がおにぎりをこっちに押してきた。
「はい、悠真くんの! ちゃんと取って」
「……さんきゅー」
受け取る。ラップを剥がすと昆布の匂いがした。
一口かじる。塩加減がちょうどいい。前に「ちょっと薄い」と言ったら、次から調整されていた。
……なんでそこだけ学習能力が高いんだよ。
「あ、そうだ!」
橘が箸を止めて声を上げた。
「今日ね、放課後に衣装合わせなの!」
「……おう」
「ついに本物のメイド服着るんだよ! 白いエプロンのやつ! 似合うかなぁ」
——メイド服。白いエプロン。橘が。
想像するな。
「すっごい楽しみ! ね、悠真くん、本番楽しみにしてて!」
「……まだ行くとは」
「もう、悠真くんいっつもそれ!」
橘が頬を膨らませた。
視線を感じる。宮田と矢野、両方。
……頼むから何も言うな。
◇
放課後。三階の廊下。
今週から装飾班の作業場所が変わった。制作部屋じゃなくて、本館の廊下に実際に飾り付けていく。文化祭まであと数日だ。
「水野、柊、三階の飾り付けとガーランド頼む。俺と沖は一階のゲートやるから」
長谷川が振り分けた。
「了解」
「はい」
柊がうなずいた。
制作部屋から飾りとガーランドの入った段ボールを運び出して、用具室で脚立を借りて、三階まで上がる。ガーランドの束は一度に持ちきれなくて、残りは制作部屋に置いてきた。
「先輩、どのあたりに付けますか」
「A組の方からだな」
西階段側のA組の前に脚立を立てた。俺が脚立に登る。柊が下から飾りとテープを手渡してくる。受け取って、壁の高いところに一枚ずつ貼っていく。
「先輩、次これです」
受け取って、また貼った。
何枚か貼って、A組の前の壁に色がついた。脚立を移動して、B組の前。同じ手順で飾りを受け取って、貼る。
「いい感じだな」
「はい」
次はガーランド。紙花を紐でつないだやつを、廊下の天井近くに渡す。
俺が脚立の上で画鋲を刺して、柊が下で紐の張りを調整する。脚立を移動しながら何本か張っていく。
手持ちのガーランドがなくなった。
「先輩、ガーランド足りないので制作部屋から持ってきます」
「ああ」
柊が階段を降りていった。
一人になった隙に、スマホを開いた。
橘からLINEが来ていた。
『衣装合わせ始まった!! すっごいかわいいの!!』
……自分で自分のことかわいいって言うなよ。
いや、衣装のことだろ。たぶん。
『どんなの』
聞いてしまった。聞くなよ俺。
『ひ・み・つ!! 本番のお楽しみ!!』
じゃあなんで報告してきたんだよ。
スマホをポケットにしまった。
「先輩、持ってきました」
柊がガーランドの束を抱えて戻ってきた。
「ああ、ありがと」
B組からC組の方へ脚立を移動させて、続きを張る。
紙花の赤と黄色が、いつも素通りする廊下を変えていく。
C組の前あたりまでガーランドが張れた。脚立を降りて、飾った場所を見てみる。
A組からここまで、飾りとガーランドが並んでいる。
「……悪くないな」
「……はい」
柊と並んで少し眺めていたら、後ろから声がした。
「がんばってねー!」
橘だ。
またこっち来んのか……と思って振り向いたら、手を振ってそのまま階段の方に歩いていった。宮田の姿も見えた。
あれ……なんかいつもと違うな。
なんでだ?
「……大丈夫ですか?」
少し考え込んでたらしい。
柊から心配そうな声が聞こえた。
「あ、悪い。ちょっと考え事してた」
……まあ、いいか。
「続き、やるか」
「はい」
しばらく作業を続けていたら、ポケットのスマホが震えた。
装飾班のグループLINEだ。
『今日はここまでー お疲れ!』
長谷川からだった。
とりあえず今日は終了か……。
「あとは片付けだけだし、柊は先帰っていいぞ」
「え、でも――」
「すぐ終わるから。いいから帰っとけ」
「……わかりました。先輩、お疲れさまでした」
「お疲れ」
柊が小さく頭を下げて、先に帰っていった。
さっさと片付けて帰るか……。
◇
昇降口で靴を履き替えて、外に出る。
九月も下旬になると、六時にはもう薄暗い。
校門を出て、並木道を歩き始めた。
「お前も終わったのか」
後ろから声がした。
矢野だった。ダルそうにカバンを肩にかけている。
「おう。焼きそばは?」
「鉄板が二台あって場所取り合い。ソースの量もわかんねえし」
「大変だな」
「お前もだろ」
自然に並んで歩く。
しばらくは準備の話をした。校門ゲートの骨組みがでかすぎるとか、ペンキが足りないとか。
いつもの矢野だった。
駅前の信号で止まる。
「なあ、悠真」
「何」
「橘のこと」
矢野が前を向いたまま言った。
「お前、どうなんだよ」
ただの偽彼氏だろ——
その一言が、出てこない。
四月からずっと、そう言ってきたのに。
あいつは学園のアイドルで、俺はモブで——
信号が青に変わった。
矢野はそれ以上何も言わなかった。ポケットに手を突っ込んで、歩き出した。
少し遅れて、俺もそのあとに続く。
いつもの角で、矢野が片手を上げた。
「じゃあな」
「……おう」
矢野の背中が角を曲がっていった。
返事をしなかったのに、矢野は何も聞いてこなかった。
住宅街の街灯が、ぽつぽつと点き始めている。
……どうすりゃいいんだよ。
なぜか、矢野の一言が頭から離れなかった。