軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第19話 モブ、昼休みに学園アイドルから教室で「悠真くん」呼びされて学園生活が終わる

月曜の朝、学校へ行く途中。

……呼び方、か。

昨日、駅の階段で呟いたのと、まったく同じ言葉を、また繰り返している。

橘……頼む、学校では冷静になっててくれ!

何となく無理だろうなと思いつつ、悶々と考えてしまう。

そんなことを考え続けてたらいつの間にか、席についてた。

無意識でも学校これるもんなんだなぁ……。

「おう」

隣の席から矢野の声。

「はよ」

矢野は俺の顔をちらっと見て、パンの袋を開けようとしていた手を、そのまま止めた。

「……月曜から顔死んでんな?」

「……うるさい」

「ふーん」

矢野はそれ以上何も言わない。

パンを食べながら、視線をスマホに戻す。

「水野ー、何その顔?」

藤川が近づいてきた。

「……放っとけ」

「いやいや、月曜からそれ、逆にすごいだろ。何あったんだよ?」

中村さんが女子グループの方から、わざわざこっちに口を挟んできた。

「水野くん、月曜からそんな顔でどうすんの?」

「……ほっといてくれ」

「はいはい、わかりましたー」

中村さんはけらけら笑って、女子グループの方に戻っていった。

藤川も俺の机を一回叩いて、前の方に去っていく。

深追いはしてこない。正直、助かる。

ふと、教室の扉を見る。

……来ない、な。

チャイムが鳴って、担任が前方から入ってきた。

ホームルームの声が、いやに遠く感じた。

四限目のチャイムが鳴った。

俺は鞄から弁当箱を取り出して、机に置いた。

「今日、屋上行くか?」

矢野が隣で伸びをしながら聞いてくる。

「そうだな」

午前中、橘との接触ゼロ。

一度も教室に来なかったし、廊下で鉢合わせもしなかった。

このまま何事もなく昼休みに入れば──。

ガラッ。

教室の扉が、勢いよく開いた。

「悠真くーん!」

教室が、一瞬、止まった。

物音が、全部消えた。

弁当箱の蓋を開けかけていたやつも、スマホを開きかけていたやつも、全員同じ方向を向いて固まっている。

俺は、弁当箱を手にしたまま、動けなくなった。

……は??

恐る恐る顔を上げると、扉の向こうに橘がいた。

背後に、宮田。

「え、今……」

「『悠真くん』?」

「う、嘘だろ……」

「お前、ついに!?」

女子の甲高い声、男子の呆けた声、誰が誰の声かも分からない。

ちょ、待て待て待て!

今、「悠真くん」って呼ばれたか?

全員に聞こえる声で?

学園のアイドルに、下の名前で?

無理だろこれ! 完全に終わった!!

「ちょっと紗月、声……」

宮田が扉の陰から身を乗り出して、呆れた声を出した。

口元が小さく緩んでいるのは、勘弁してくれ、面白がってる側だ。

橘は宮田の声が耳に入っていないみたいに、教室の中に一歩入った。

ざわつく教室を気にもせず、橘が俺の席まで歩いてくる。

俺の前で止まって、両手を後ろで組んだ。

周りのざわめきもピタリと止まる。

「お昼一緒に食べよ?」

声のボリュームは、別に大きくはない。

でも教室中に届いてる。全員、耳を澄ませてんだろ!

耳の辺りが、じわっと熱い。

「お、おま……」

最後まで出てこない。

「屋上でいいよね、悠真くん?」

追撃すんな!

いや待て、今の『悠真くん』で教室の空気がまた揺れた。

視線が、今度は全方位から。

周り、全員聞いてたよな……?

もう、何て顔すればいいんだよ!

「悠真、諦めろ」

隣で矢野が、フッと小さく噴いた。

矢野の方を、全力で睨む。

「矢野……」

「いや、どう見ても諦める場面だろ」

知らないうちに、矢野までからかう側に回ってる。

「紗月、行くよ」

宮田が扉から近づいてきた。

「うん!」

橘が、返事だけ元気に返した。

ちらっと、宮田の視線が俺の方に流れた。

一瞬だけ止まって、すぐに逸れた。

俺は弁当箱を持って、椅子から立ち上がる。

矢野も自分のパンを掴んで立ち上がった。

四人で教室を出る。

廊下に出た瞬間、背中の方でまたざわめきが盛り返す。

「マジかよ!?」

「あの距離感?」

「いつからなんだろう……」

……もう、月曜から終わってるじゃねぇか!

屋上。

フェンス際で、四人それぞれの昼食を広げた。

橘は手提げから小さい弁当箱を取り出して、膝の上に置いている。

宮田はコンビニの袋。矢野は購買のパン。

俺は自分で作ってきた弁当。

屋上は静かだった。

ちょっとだけ、息がつけた。

あのクラスの空間より遥かにマシだ……。

「どれから食べようかな~」

橘は弁当箱を開けて、呑気に悩んでる。

……こいつ、さっきの騒ぎ何も気にしてないのか。

「紗月」

宮田が、隣でコンビニのおにぎりの包みを剥がしながら、横目で橘を見た。

「さっきから『悠真くん』連呼しすぎじゃない?」

ちょ。

「え、そう?」

橘が真顔で返す。

何にも自覚がない顔だ。

「昨日の夜、電話で何回言ってたか分かる?」

「数えてないよ!」

「あたしは数えた」

「玲奈うるさいよ!」

橘が頬を小さく膨らませる。

かわ――。

いや待て、何を考えた俺。

ていうかこいつ、電話で俺のこと、そんなに呼んでたのかよ。

「『水野くん』のときは我慢してたわけ?」

「我慢とか違うし!」

橘がむきになって、弁当箱のたまご焼きを箸でつついた。

矢野が、ポテチの袋をパリッと開けて、こっちに寄せた。

「食うか?」

「……要らない」

「テンパりすぎて草」

矢野は半目で袋を戻して、一枚口に放り込んだ。

「紗月、で、『悠真くん』呼び、どのタイミングから教室でやる作戦だったの?」

宮田、突っ込みすぎじゃないかな?

昼メシ食べようぜ。

「作戦じゃないし! ふと、気づいたら……」

橘が途中で言葉を濁した。

「ふーん」

宮田は短く相槌を打って、おにぎりにかじりついた。

ふーんじゃねぇし……。

橘が、弁当箱の蓋に一度視線を落としてから、ふっと顔を上げて、俺の方を見た。

視線が、バチッと合う。

一瞬、息が止まった。

「悠真くん」

橘が、声をひそめて、そう言った。

何故か目がそらせない。

頬の辺りが熱い。

見るな俺、見るなって。

橘が、自分で言ってから、ちょっと口をもごもごさせた。

「ポテチ、私も食べる」

「矢野のだろ」

「どうぞー」

矢野が躊躇なく袋を差し出す。

ほんと、お前そういうとこだぞ。

橘が、袋に手を伸ばすためにこっちの方へ少し身を寄せた。

けど途中で、橘がぱっと引いて、改めてポテチを取り直した。

なんだ?

もしかして、俺に近すぎて気にしたのか?

コイツが?

いや……まさかな。

橘は何でもない顔で一枚食べた。

ぱりっといい音がした。

俺は弁当の卵焼きを食べた。

味はする。

が、ウマいかよく分からない。

そんなやり取りもあり、気がついたら俺の弁当箱は空になっていた。

矢野はパンの袋を丸めてコンビニ袋に突っ込んで、橘は弁当箱の蓋を閉めている。

宮田はペットボトルを最後まで傾けていた。

予鈴が鳴った。

「あ、もう時間!」

橘が、慌てて立ち上がる。

「行くよ、紗月」

「うん。悠真くん、また後でね!」

また後でね。

また後、いつだ。

いや、それはさすがに、五限が終わった後って意味だよな。

普通に考えろ俺。

俺は片手を小さく上げて返事した。

けど、うまく声が出なかった。

橘と宮田の二人の声が、階段を下りながら少しずつ遠くなる。

俺と矢野が、屋上に残った。

矢野は、空になったパンの袋を潰して、こっちを見た。

「……お前、大丈夫か?」

「……大丈夫に見えるか?」

「見えない」

矢野は少し黙って、それからいつもの調子で付け加えた。

「まあ、頑張れよ?」

「気楽に言うな」

矢野は肩を竦めて、ゴミを丸ごと袋にまとめた。

俺も弁当箱を風呂敷に包み直す。

二人で、屋上のドアに向かった。

五限目。

教壇の上で先生が何かを書いて、何かを喋っている。

黒板の文字は、目には入っている。

入っているはずなのに、頭に入ってこない。

後ろから、視線が刺さる。

右からも、左からも。

授業中なのに、やめろよ……。

指先でシャーペンを持ったまま、俺はノートの上で、何も書けないでいる。

頭の中で、橘の声が、勝手に再生される。

──悠真くーん!

──屋上でいいよね、悠真くん?

──悠真くん、また後でね!

……これから俺の学園生活、どうなるんだ。

ずっと振り回されっぱなしの俺はため息を付いて、授業に向き合った。