作品タイトル不明
第18話 モブ、公園で学園アイドルに「これから『悠真くん』って呼ぶね」と宣告される
桜ヶ丘駅前、時計塔の下。
日曜の十四時は、土曜ほど混んでない。
南口の方から、明るい茶色の髪が揺れた。
「水野くーん!」
手を振りながら出てくる。
ショート丈の白いカーディガンに、淡いベージュのスカート。
前に会ったときとも、その前とも違う組み合わせ。
「おう」
短く返して、片手を上げる。
……こういう合流、もう何回目だっけ。
勝手に体が慣れてきてんの、地味にやばい。
「どこ連れてってくれるの?」
橘は俺の前で止まって、両手を後ろで組んだ。
期待で目が光っている。
「和菓子屋だ。穴場の」
「わがしや!?」
即リアクション。いちいちでかい。
「……声、でかい」
「えっ、だって和菓子屋さんって響きがいいじゃん!」
「響きで決めるな」
「でも響き大事じゃない? ほら、パン屋さんも響きいいし」
「いや、あれも響きで選んだわけじゃねえし」
「じゃあどうやって選んでるの?」
「味だろ、普通に」
橘はクスッと笑って、歩き出した俺の横に並んだ。
「ねえ、水野くん、味もスマホに書いてるの?」
ああ、前に散歩中に見られたやつか。
あのとき、スマホを覗かれて、観念して見せただけだ。
……いや、見せたんじゃない。
見られたから、仕方なく見せただけだ。それだけだ。
「答えないってことは、書いてるんでしょ?」
「……まあ」
「ずるい! 全部教えて!」
「全部は教えないっつの」
「じゃあ、穴場って他にもあるの?」
「前のパン屋がそう」
「あー、あそこか!」
橘は手を叩いた。
「じゃあ次、どこ連れてってくれる? 決まりだね!」
「誰が決めたんだよ」
勝手に決めるな。俺のリストだぞ。
◇
商店街に入ると、途端に人が多くなった。
日曜の昼下がり、買い物客で歩道が埋まっている。
「うわ、人多い」
「だな」
俺は橘と並んだまま、商店街の外れの細道を目指す。
「ねえ、どっち?」
「こっち」
アーケードを抜けた先の、細い路地。
小さな洗濯屋と、もう営業してない不動産屋。その先。
「ほんとに和菓子屋あるの、こんなとこ」
「ある」
路地の奥、藍色の暖簾と、古びた木の引き戸。小さな看板。
『甘梅堂』
「ほんとだ……」
橘が小声で、感嘆した。
引き戸を開けると、ちりん、と鈴が鳴った。
「いらっしゃい」
カウンターの向こうから、小柄な老婦人が顔を出した。
店はショーケース一台ぶんの広さしかない。
ショーケースの中には、串団子と豆大福、草餅、それにみたらしが並んでいる。
「わぁ……」
橘はショーケースに張り付いた。
「どれが一番?」
俺を振り返って聞いてくる。
「好みの問題」
「えー、そういうこと聞いてるんじゃなくて」
「いや、本当に好みの問題」
「じゃあ水野くんはどう選ぶの?」
「見た目と気分」
「……参考になんない」
店主の老婦人が、カウンター越しににこにこしている。
「あらぁ、カップルさん? 可愛いわねぇ」
——え?
「あ、はい」
橘が、何でもないみたいに即答した。
即答かよ、こいつ。
……というか、否定しろよ俺。
なんで俺、黙ってんだ。
自分の反応に戸惑いながら、ショーケースに視線を戻す。
「えっと、じゃあ、串団子と、みたらし!」
「はーい」
「俺は豆大福」
「はい、豆大福ね」
包んでもらう間、橘がささやいてきた。
「水野くん、甘いの食べるんだ?」
「たまにな」
「意外!」
「意外って、なんだよ」
「なんか、からいもの食べてそうだから」
「からいの? カレーとかか?」
「うん、カレーとか。あと、豚丼とか」
「……そりゃ食うわ」
店主が代金を受け取りながら、穏やかに言った。
「そこの公園で食べるといいわよ。小さいけど、静かで」
「公園、あるんですか?」
「この路地の突き当たりを左に曲がるとね、小さいけどあるのよ」
「行ってみますね。ありがとうございます!」
橘が元気よく頭を下げた。
俺は袋を受け取って、引き戸を開けた。
◇
路地の突き当たり。
左に曲がると、本当に小さな公園があった。
ベンチが二脚と、低い滑り台と、砂場がひとつ。
ちょうど、親子連れがひと組と、小さい子が二人。
滑り台を交互に滑って、すぐ親に呼ばれて帰っていった。
残ったのは、俺と橘だけ。
「座ろ?」
「……ああ」
ベンチに並んで座った。橘が左、俺が右。
肩が触れそうで、触れない距離。
袋を開けて、それぞれ食べ始めた。
うまい。餡が柔らかい。
「……んー、おいしい」
橘が目を細めた。
「だろ」
少しの間、二人で黙って食べた。
橘がみたらしの串に手を伸ばしながら、ふと、呟いた。
「玲奈にさ」
「ん?」
「水野くんの話ばっかじゃん、って言われた」
「……」
豆大福を頬張った口が、止まった。
こいつ、宮田にそんなに俺の話してんのか。
豆大福の味が、わからなくなる。
頻度、どんだけなんだよ。
飲み込んでから、俺はようやく口を開いた。
「……どれくらいの頻度だよ」
「えっ、秘密」
「秘密かよ」
「だって教えたら水野くん気にするじゃん!」
「気にするわ!」
橘は、みたらしに歯を立てて、にこっと笑った。
「別にいいでしょ? 彼氏なんだから、気にするほうが変だよ?」
その一言で片付けるな。
俺は残りの豆大福を口に放り込んで、黙って食べた。
橘はみたらしをもう一口食べて、串を指でくるくる回した。
一瞬、言葉が途切れた。
橘が、みたらしの串を見つめた。
「ねえ」
「ん?」
俺は大福の最後の一口を頬張ったまま、返事した。
「彼氏なのに、苗字呼びって変じゃない?」
——。
は?
急に何言い出すんだ、こいつ。
手の中の空の袋が、かすかにくしゃりと鳴った。
俺は口の中のものを、かろうじて飲み込んだ。
「……今さらか?」
「今さらだけど、気になっちゃって」
橘は串を回すのをやめて、横目でこっちを見た。
「これから『悠真くん』って呼ぶね」
——。
いや待て待て!
橘は学園のアイドルだ。
そのアイドルが、モブの俺を、名前で呼ぶ?
いやいやいや、意味わからん!
俺はどうにか声を出した。
「……勝手にしろ」
拒否するつもりだった。
……なのに、俺、なんて言った?
「じゃ、試しに」
橘が、小さく口を開けた。
「悠真くん」
……。
心臓が、一回だけ、大きく跳ねた。
視線が、勝手に、遠くの滑り台に逃げた。
……呼ばれた。
頭が真っ白だ。追いつけねえ。
橘は、俺の反応を見てから、ふっと息を吐いて、
「うん、いける」
と、自分に言い聞かせるように、呟いた。
「いける」って、なんだよ。
◇
橘がみたらしに手を伸ばした。
俺は視線を遠くに逃がしたまま、豆大福の袋をもう一度握り直す。
滑り台の横で、小さい子が親の手を引っ張っている。
一瞬、別の光景が重なる。
あの日の、桜ヶ丘公園。
同じ制服、学園のアイドル。俺とは住む世界が違う人。
腕を掴まれて、走らされた。
『この人が彼氏です!』
あの声。
あの時の女と、今、隣で団子食ってるこいつが、同じ人間なんだよな。
同じなのに、別人みたいだ。
なんなんだ、この感覚。
「何ぼーっとしてるの、悠真くん」
こいつ、もう当たり前みたいに呼んでるぞ。
さっき初めて呼んだばっかりだぞ。なんでそんなに早く定着してんだよ。
追いつけねえ。
心拍が、さっきより短く、でも確かに跳ねた。
「……別に」
俺はようやく、橘の方に視線を戻した。
◇
団子と大福を食べている間に、もう夕方近かった。
橘はみたらしの最後の一本を、袋にそっと戻した。
そのまま立ち上がって、両手を伸ばす。
「そろそろ帰ろっか」
「だな」
俺も立ち上がって、ベンチの上の袋を折りたたんだ。
来た路地を戻って、商店街を抜ける。
さっきより人が減っていた。
駅前の時計塔が見えたところで、橘が立ち止まった。
「悠真くん、また今度、別の穴場連れてって」
俺の体、勝手に反応すんな。
ってか、これで三回目だぞ。
しかも、もう完全に定着しかけてるじゃねえか。
穴場リストは俺のものだったはずなのに、いつのまにか橘のリクエスト先になってる。
「……気が向いたらな」
「じゃ、また明日」
「おう」
橘は小さく手を振って、南口の方へ歩いていった。
俺はその背中を、しばらく見送ってから、反対方向へ歩き出した。
◇
駅の階段を下りながら、俺は頭の中で、短く呟いた。
……呼び方、か。
◇
夜、私は自分の部屋で、みたらしの最後の一本を食べていた。
——今日、何回『悠真くん』って呼んだっけ。
指で数えようとしたけど、途中でやめた。
だって、彼氏だし。
また、明日普通に呼べばいいだけ……だよね。