作品タイトル不明
第16話 モブ、矢野の「完全に彼氏じゃん」と母の「彼女?」にサンドイッチされる
朝の教室に入ると、いつも通り何人かが机に群れて喋っていた。
チャイムにはまだ早い。
俺は鞄を机の横に引っかけて、イスを引いた。
その瞬間、前から声が飛んできた。
「水野ー、お前まだ伝説だぞ、伝説!」
藤川だった。
人のことを勝手に伝説にすんなよ……。
「なんの伝説だよ?」
「体育祭に決まってんじゃん。お前、クラスのスターだな!」
「やめろ! もう勘弁してくれ……」
藤川の隣から、中村さんが身を乗り出してきた。
「水野くんの体育祭の話、まだ持ちきりだよ?」
「そうなのかよ……」
俺はそれ以上反応しないよう、適当に流す。
が、逃げる間もなく女子グループ側から、もう一人乗っかってきた。
「ねえねえ、で、橘さんとはどこまで進んだの?」
……踏み込みが雑すぎる。
「いやいやいやいや、なんでそういう話になんだよ」
「付き合ってるんでしょ? ちゃんと答えなさいよ」
もう一人の女子が追撃してくる。
中村さんはニヤニヤして、藤川は完全に観客モードに入っていた。
なんで俺、朝から公開処刑くらってんだよ。
そんなんじゃねえって、と言いかけて、口をつぐむ。
全校放送された直後で、否定はもう通らない。
墓穴を掘る準備ばかりが整っていく。
隣の席で、矢野がスマホから目を上げて、一拍遅れで言った。
「大人気じゃん、お前」
「そのコメントいる?」
「事実」
はいはい、事実事実。
女子たちの視線がまだ刺さっていたが、俺はそれ以上返さず、チャイムを待った。
◇
昼休み。
弁当袋を取り出して立ち上がった、そのタイミングだった。
クラスのガヤが、一瞬で止まった。
「水野くーん!」
声だけで誰かわかった。
入口のドアから、半身だけ教室に突っ込む形で、こっちに手を振っている。
明るい茶色の髪が揺れて、視線が一斉に入口に集まった。
「……なんだよ?」
短く返す。
ある意味、慣れてきたなこれも……。
「今日、昼一緒に食べれない!」
橘は、教室中に丸聞こえの声でそう言った。
「……はあ?」
「先生に呼ばれちゃって!」
「わざわざ言いに来んなよ。LINEでいいだろ」
「えー、ちゃんと言わないと不安じゃない?」
……誰が不安になんだよ。
「誰が不安になんだよ」
そのまま口から出た。
橘は唇を尖らせかけて、でも勢いは落とさず、すぐに次を投げてくる。
「それとね、今日、放課後も家の用事あるから。帰り一緒にできないの、ごめんね!」
俺は弁当袋を握ったまま、軽く息を吐いた。
「……了解」
「じゃあ、また明日ね!」
橘は手を振って、そのまま廊下へ消えた。
教室のガヤが、遅れて戻ってくる。
「……うわぁ」
「いいなー、青春」
どこかの女子の声が、背中の方から聞こえた。
俺は聞こえなかったふりをして、弁当袋を机の上に置いた。
隣で、矢野がスマホを伏せて立ち上がる。
「行くか、屋上」
「……おう」
矢野の弁当袋と俺の弁当袋、あとスマホだけ持って、二人で教室を出る。
廊下に出た瞬間、ようやく息をつけた。
三歩、四歩、進んだあたりで、矢野が前を向いたまま言った。
「わざわざ教室来るとか、お前完全に彼氏じゃん」
「…………」
俺は何も言わずに、歩幅だけ少し狭くした。
廊下の角を曲がって、屋上への裏ルートの階段に差し掛かる。
手すりに手をかけて、一段目を踏む。
……今日、なんか長く感じるな。
頭の中で一回だけ呟いて、それ以上は考えないことにする。
俺は顔を上げて、階段を上った。
◇
「じゃーな」
「おう」
駅の西口で、矢野と別れた。
矢野は改札の方に行き、俺は反対側の歩道に出る。
住宅街へ向かう通学路に出る。夕方の一本道。
……なんか、静かだな。
別に、そんなに普段と違うわけじゃない。
矢野と別れたあとの帰り道は、いつだって俺一人だ。
ポケットからスマホを出す。
画面をつけて、通知一覧を見る。
何もない。
……なんで俺、確認してんだよ。
スマホをポケットに戻す。
マンションのエントランスに着いて、階段を三階まで上がる。
今日はその三階分が、いつもより段数がある気がした。
玄関の前に着いた瞬間、ポケットでスマホが震えた。
取り出して画面を見る。
母さんだった。
『今日早く帰れる、夕飯一緒に食べよう』
……めずらしいな。
うちは共働きだから、母さんが夕飯の時間までに帰ってくる日はほとんどない。
俺は玄関のドアを開けて、鞄を自分の部屋に放り込んだ。
キッチンに入って、冷蔵庫を開ける。
鶏もも肉、玉ねぎ。卵が四つ。ちょうどいい量がある。
……親子丼、二人分か。
手を洗って、まな板を出す。
肉を一口大に切って、玉ねぎを薄切りにする。
二口コンロの左で親子丼、右で味噌汁。
手順はいつもと変わらない。
ただ、量だけ二人分にしただけだ。
出汁と醤油の匂いが立ってきた頃、玄関でドアの音がした。
「ただいまー」
母さんの声。
「おかえり」
「あら、もう作ってくれてるの? 助かるー」
母さんがリビングに入ってきて、カウンター越しに鍋を覗き込む。
仕事帰りのジャケットのまま、カバンを椅子の背に引っかけた。
「めずらしいね、こんな日」
俺は丼にご飯をよそいながら返す。
「たまにはね。連絡くれれば作らせてくれるんだけど、あんた先に作っちゃうんだから」
「母さんのほうが遅いから」
「それもそうね」
「父さんは?」
「今日も遅いって。連絡来てた」
母さんは軽く笑って、手を洗いに洗面所に消えた。
俺はテーブルに皿を並べて、スマホを端に置いた。
◇
「いただきます」
「いただきます」
向かい合って食べるのは、月に一回あるかないかだ。
母さんは最初の一口を食べてから、箸を動かしながら切り出した。
「最近どう、学校」
「……まあ、普通」
俺は親子丼をつつきながら短く返す。
「体育祭、なんかすごかったんだって? ママ友のところで聞いたわよ」
「……まあ、あれは、ちょっと、はい」
「ちょっと、ってなによ」
「まあ、色々」
色々で済ませてくれ、と願ったが、母さんはそれ以上は突っ込んでこなかった。
代わりに、次の攻撃が来た。
「仲いい子、できた?」
俺は少し間を置いてから、箸先で味噌汁の中の玉ねぎをつついた。
「……まあ、知り合いは増えた」
言ってから、ちょっと言い過ぎたか、と思う。
が、母さんは手を止めず、箸で親子丼を一口取ってから、
「へぇ」
とだけ返した。
それきり、テレビの音が流れる。
ニュースの後半、どうでもいい天気予報のコーナーに入っていた。
俺は勝手に一拍もらったことにして、ご飯を口に運んだ。
◇
中盤、テレビが通販番組に切り替わった。
無意識に、テーブル脇のスマホに目が行った。
画面は伏せている。通知が来たわけじゃない。
親子丼に箸を伸ばすついでに、また見てた。
……二回目だぞ、俺。
「スマホ何かあるの? 彼女?」
一発で言い当ててきた。
「っ、ちっ、違うって!」
「ふーん?」
母さんはそれ以上、何も聞かなかった。
箸の動きは止めずに、テレビの通販番組の鍋を指さして、
「あれ、便利そうじゃない? 無水で煮るやつ」
と、別の話題に乗り換えた。
……いや、見透かされてる気がするな。
俺は何事もなかった顔で、スマホを自分の方に引き寄せた。
「うん。便利そう」
俺は母さんの通販の話に、ちゃんと乗ることにした。
◇
夜。自分の部屋に戻った。
机の前の椅子に座る。
ベッドに倒れ込む気には、ならなかった。
スマホをポケットから出して、机に置く。
ロックを解除するか少し迷ってから、解除した。
通知が、一件。
橘だった。
一瞬、指が止まる。
それから、開いた。
橘紗月:今日、ちゃんと話せなかったね
橘紗月:なんか長く感じた!
……。
短く息を吐いた。
……あいつも、か。
それ以上は、言葉にしない。
俺は親指で、短く文字を打つ。
『また、明日な』
送信。
スマホを、今度こそ画面を伏せて机に置いた。
窓の外は、いつも通り静かだった。
土曜まで、あと四日。