軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第12話 モブ、散歩のつもりがデートだと全員に認定されてしまう

日曜の午前十時。

中間テストも終わって、久しぶりに何の予定もない休日だ。

俺は桜ヶ丘商店街を一人で歩いていた。

駅の北口にはモールがある。

チェーン店が並んでいて、人が多くて、カップルが多くて、モブには眩しい。

けど、南口は違う。

個人経営の店が静かに並んでいて、休日の午前中なんか人もまばらだ。

ここが俺の散歩コースだ。

週に一回、ふらっと歩いて気になる店を覗いて、味を覚えて帰る。

矢野にも言ってない。誰にも言ってない。

スマホのメモに店リストがあるだけの、完全な一人の時間。

今日の目当ては商店街の奥にある定食屋だ。

先週前を通ったとき、「日替わり限定」の張り紙が気になっていた。

——と。

スマホが震えた。

『水野くん!今日暇?打ち合わせしたい!』

橘からのLINE。

日曜の朝十時に何を打ち合わせるつもりだ。

『何の』

即レス。

『お兄ちゃん対策!この前の勉強会のこととか聞かれたらどうするか決めとかないと!』

勉強会で聞かれたらって、あれは矢野と宮田が仕組んだだけだ。

橘兄は関係ないだろ……。

『月曜でよくね』

『思い立ったが吉日だよ!今どこ?』

嫌な予感しかしない。

『ちょっと出てる』

『どこ?合流しよ!』

返信を打ち終わる前に次が来た。

『もう駅出た!南口!』

もう来てるじゃねえか。

こいつ、「暇?」って聞く前に家を出てるだろ。

『商店街のほう歩いてる』

『わかった!すぐ行く!!』

断る隙がどこにもなかった。

五分後。

商店街の入り口のベンチで、橘を見つけた。

薄いピンクのブラウスにデニムのスカート。

小さなショルダーバッグを斜め掛けにしている。

髪はいつもよりゆるく巻いている気がする。

打ち合わせに来る格好じゃないだろ、それ。

こっちはパーカーにジーンズだぞ。いつもの散歩用だぞ。

「水野くん!おはよう!」

手を振りながら駆け寄ってくる。

「おはよう。で、打ち合わせの中身は」

「えっと、お兄ちゃんに最近何してるか聞かれたとき、なんて答えるか——」

「『勉強してた』でいいだろ。事実だし」

「あ、そっか」

「終わりだな」

「早っ!?」

三十秒だった。

打ち合わせが三十秒で終わった。

言い訳がガバガバすぎる。

最初のモールのときはまだ「項目リスト」があっただけマシだった。

「じゃあせっかくだし散歩しよ!」

「それが本題だろ」

「細かいことは気にしない! ねえ、水野くんこの辺よく来るの?」

視線を逸らした。

「たまに」

「へー! 私この辺あんまり来ないんだよね。お店いっぱいあるね!」

橘がきょろきょろと商店街を見回している。

こいつ、通り道のはずなのに店入ったことないのか。

「何かおすすめの店とかある?」

肩を竦めた。

「別に」

「嘘。絶対あるでしょ、詳しそうな顔してる」

「顔で判断するな」

「じゃあ案内して!」

「なんで——」

「ほら!行こ!」

腕を引っ張られた。

この展開、何度目だ。

「こっちだ」

気づいたら口が動いていた。

「え?」

「この先にパン屋がある。メロンパンがうまい」

なんで俺、自分の穴場を案内してんだ。

聞かれてもいないのに。

商店街を二、三分歩いた先に、小さなパン屋がある。

——はずだ。ちらっとスマホのメモで場所を確認する。

看板すら控えめで、知らなきゃ通り過ぎる。

「えっ、こんなところにお店あったの!?」

「俺も最初、三回は素通りした。日曜の午前なら焼きたてが出てる」

「水野くん、なんでこんなお店知ってるの……」

「散歩してたら見つけただけだ」

「散歩でパン屋見つけるの?」

「悪いか」

「ぜんっぜん悪くない!すごいじゃん!ねえ中入ろ!」

店に入ると、焼きたてのパンの匂いが広がった。

橘がショーケースの前で目を輝かせている。

「うわあ……全部おいしそう……メロンパンでしょ、他には?」

「クリームパンもうまい。あと奥のカレーパンは揚げたてなら——」

なんで俺、店員みたいに解説してんだ。

「じゃあ両方!」

「食いすぎだろ」

「大丈夫、入る!」

橘がトレーに二つ載せて、さらにもう一つ手を伸ばした。

「あとこのクロワッサンも——」

「三つ目は自重しろよ」

「えー」

「えー、じゃない」

結局橘は三つ買った。

俺はメロンパンを一つ。

店を出て、近くのベンチに座る。

「いただきます!」

橘がメロンパンにかぶりついた。

「——おいしい!!」

満面の笑みだった。

パンひとつでそこまで幸せそうな顔ができるのは一種の才能だと思う。

「水野くんの穴場、すごいね……」

「穴場っていうか、ただの近所の店だけど」

「ねえ、他にもあるの?」

「まあ、何軒かは」

「見せて見せて!」

「は?」

「お店のリスト!さっきスマホでチラッと見てたでしょ、メモみたいなの!」

……見られてた。

パン屋の場所を確認しようとスマホを開いた一瞬を、こいつは見逃さなかった。

「いや、あれは——」

言い終わる前に、橘が身を乗り出してきた。

俺のスマホを覗き込もうとしている。

だから距離が近い!顔が近い!

「わかった!見せるから離れろ!」

観念してメモアプリを開いた。

店メモ。

商店街を中心に、十五軒ほどの店名と短い感想が並んでいる。

「……うわ、ちゃんとリストになってる。『味噌汁が実家超え』って何……」

「感想まで読むなよ」

「だって! 他にも『コロッケは揚げたて限定』とか『店主のおばちゃんが怖いけど味は神』とか——水野くんのメモ、全部こんな感じなの!?」

「面白がるところじゃねえよ」

自分で見せておいて何を言ってるんだ、俺は。

「水野くんってこういうのちゃんと記録するんだね。なんか意外」

「意外で悪かったな」

「褒めてるの! ……ねえ、今度この中の店、一緒に行っていい?」

一緒に。

俺の穴場リストの店に。

「……勝手にしろ」

「やった!」

なんで俺、一人の聖域を自分から明け渡してんだ。

しかも断れなかった。いや、断らなかった。

……その違いに気づきたくない。

パン屋のあと、なんとなくもう一軒、たい焼き屋にも寄った。

橘がたい焼きを頬張りながら「あったかーい」と目を細めた。

春なのに何がそんなに嬉しいんだ。

隣を歩きながら、ちらっとその横顔を見てしまった。

「水野くんと散歩するの楽しいね」

「まあ」

——あれ?

今、俺、否定しなかったぞ。

商店街の真ん中あたりまで戻ってきたとき。

「悠真?」

声が聞こえた。

聞き覚えのある、ダルそうな声。

模型店の紙袋を提げた矢野が、店から出てくるところだった。

「矢野……」

「お前、こんなとこで何して——」

矢野の視線が、俺の隣に移動した。

橘がたい焼きの最後の一口を頬張っているところを、バッチリ目撃された。

「…………」

矢野の口角がゆっくり上がっていく。

やめろ。その顔をするな。

「へえ」

「違う。打ち合わせだ」

「たい焼き食いながら?」

「打ち合わせの……休憩だ」

「日曜に二人で商店街で、たい焼き食いながら休憩」

「事実の並べ方に悪意しかねえだろ」

「事実しか言ってないけど」

完璧に詰んだ。

「あ、矢野くん!来てたの!」

橘が手を振った。全く動揺していない。

「おう。……二人で散歩?」

「うん!水野くんがいいお店いっぱい知っててね、案内してもらってるの!」

隠す気ゼロ。

しかも「案内してもらってる」の語感が完全にデートのそれだ。

「案内……」

矢野がこっちを見た。目が笑っている。

「お前が案内ねえ。俺と来てもコンビニ寄って帰るだけなのに」

「今日はたまたまだ」

「あっ」

追い打ちのように、別方向から声が飛んできた。

「水野じゃん。あと紗月も」

古着屋の袋を提げた宮田が、二軒隣から出てきた。

嘘だろ。こいつもいたのか。

商店街にモブの居場所はないのか。

「あれ、矢野もいるの。奇遇だね」

「まあな。俺は塗料が目当てだけど」

「あたしは古着のセール。……で、この二人は?」

宮田の視線が俺と橘を交互に見る。

「ただの散歩だ」

「ふーん。散歩、ねえ」

「散歩くらい別に——」

「悠真が色々案内してたらしいぞ」

矢野が横から補足した。

補足すんな!

「水野が案内?」

宮田の目がきらっと光った。

「紗月、あんたちゃんとデートしてるじゃん」

「デートじゃないよ!水野くんがお店教えてくれてるだけ!」

橘が否定した。してくれた。

——が。

「でも楽しかったから、結果的にはデートみたいなものかも?」

「……おい」

——デート。

こいつの口からその単語が出た瞬間、思考が一拍止まった。

「え、違った?」

「パン屋行って、たい焼き食べて、二人で散歩。付き合ってんだから、それデートでしょ」

宮田が指を折って数えた。

「デートっていうか……その……」

矢野が片眉を上げた。

「その?」

「………………忘れろ」

「無理でしょ」

矢野と宮田が同時に笑って言った。

こいつら示し合わせたわけでもないのに、息が合いすぎている。

「ていうかね、水野くん、お店のリスト持ってるんだよ! 感想まで書いてあるの!」

橘が勝手にバラした。

おい……!

「リスト?」

矢野と宮田の目がこっちに集中した。

「メモしてるだけだ」

「それを紗月にだけ見せた、と」

宮田の目が細くなった。

「見せたっていうか、見られたっていうか——」

「一緒でしょ」

「一緒じゃない!」

「俺にも見せたことねえのになぁ?」

矢野の一言が一番重かった。

事実だ。矢野に見せたことはない。

なのに橘には見せた。

その差の理由を、俺は説明できない。

「ま、楽しそうで何よりじゃん」

宮田がニヤッと笑って、古着の袋を肩にかけ直した。

「じゃあ邪魔しないから、続きどうぞ」

「邪魔もクソも、もう帰る——」

「えー、まだ行ってないお店あるのに!」

橘が俺の袖を引いた。

「じゃあな、頑張れよ」

矢野が肩をぽんと叩いて、宮田と並んで歩いていった。

二人とも振り返りもしない。

完全に「あとはお二人でどうぞ」の空気を残して。

……助けてくれ。

結局、あと二軒回った。

コーヒーがウマい喫茶店と、焼き菓子が並ぶ小さな洋菓子店。

橘は全部の店で「おいしい」を連発し、俺は全部の店で「まあな」しか言えなかった。

「今日ほんとに楽しかった!ありがとう、水野くん!」

商店街の出口で、橘が振り返った。

「次も水野くんのおすすめのとこ行きたい!リストまだ残ってるでしょ?」

頭を掻いた。

「打ち合わせのネタがあればな」

「打ち合わせのネタならいくらでも作るから!」

「作るって言っちゃってるじゃねえか」

橘が笑った。「えへへ」と誤魔化すように。

「じゃあね!また明日!」

手を振って、橘は南東の坂の方へ駆けていった。

……。

一人になった商店街は、いつもと同じ静けさだ。

なのに、全部の道に橘がいた記憶がくっついている。

スマホを取り出した。メモアプリ。十五軒。

今日、四軒が上書きされた。

残り、十一軒。

……数えてる時点で終わってるだろ、俺。

スマホを乱暴にポケットにねじ込んで、足を速めた。

水野くんのメモ、十五軒ぜんぶにひとことコメントがついてた。

『味噌汁が実家超え』とか、『店主のおばちゃんが怖いけど味は神』とか——ふふ、全部覚えちゃった。

残り十一軒。次はどんな打ち合わせにしようかな。