軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

328.目覚め

十月一日の朝。

朝日が障子越しに部屋を穏やかに照らしていた。

秋の空気は澄みきっていて、外からは風に揺れる木の葉の音と、小鳥のさえずりがかすかに届く。

俺たちが月見をした日から、五日が経っていた。

キョクトウ内は神降ろしによる被害の復興も終わって、いつもの日常が戻っている。

復興作業の裏で動いていたナギサやハルトさんたちの働きによって教団の息のかかった人物たちも既に補足していて、国内は少しずつ静けさを取り戻している。

月見をしたあの夜、ルーナはついに外の理に触れて、超越者に成った。

彼女はその反動によってここ数日、眠りに就いたままだ。

その間、俺たちは交代でルーナの看病をしていた。

そして、今の当番は俺とフウカだ。

フウカは窓際に座り、和菓子と一緒にお茶を楽しんでいる。

湯気の向こうに見える横顔は穏やかで、いつもより柔らかく見えた。

俺はその反対側で、本を開いて時間を潰していた。

寝台のそばには、昨日シオンが替えたばかりの花が生けてある。

その花弁に、差し込む朝の光が反射していた。

そんな時だった。

「――起きる」

不意にフウカが呟いた。

その声は静かだったが、その瞳には確信が宿っていた。

【未来視】で目を覚ますルーナを視たのだろう。

俺は本を閉じると、ルーナに近づいた。

ルーナの指先が、わずかに動いた。

続いて、長く閉ざされていた睫毛が微かに震える。

陽の光を受けて、その瞳がゆっくりと開かれた。

「……おはよう、ルーナ」

俺がそっと声を掛けると、ルーナは一瞬、焦点の合わない目で天井を見つめていた。

やがて、ゆっくりと俺たちの方へ視線を向けてくる。

「……おはようございます、オルンさん……」

数日ぶりに発した声は、少しかすれていた。

それでも、しっかりと紡がれている。

彼女が身を起こそうとした瞬間、フウカが素早く背後に回り、優しく支える。

「無理しないで。身体が完全に目を覚ますには、もう少しかかる」

「ありがとうございます、フウカさん……」

ルーナは小さく息を整え、力なく微笑んだ。

「調子はどうだ?」

「……少し、頭がぼーっとします。でも……身体は平気です」

「五日間眠ってたんだ。むしろ、それだけ動けるなら上出来だ」

「……五日も?」

「あぁ。今日は十月一日だ」

ルーナは驚いたように目を瞬かせた。

「……そんなに経っていたんですね」

「あぁ、外はすっかり秋色に変わってる」

「……皆さんに、ご心配をおかけしましたね」

「気にするな。……それで、ルーナはどこまで覚えている?」

俺の問いにルーナは静かに目を閉じた。

記憶を手繰るように眉を寄せ、低く呟く。

「……お月見をしていました。皆で笑って、それから……」

言葉が途切れる。

その指先が、布団の上でわずかに震えた。

「――思い出した?」

フウカの声は、柔らかく、どこか遠くを見つめるようだった。

「……あの夜、私は〝外〟に触れました。術理の壁の向こう――本当の魔力に」

ルーナは頷き、胸の前で手を握る。

「そして……」

ルーナは息を詰まらせながら、震える声で続けた。

「忘れていたティターニアのことを……思い出しました」

その名を口にした瞬間、部屋の空気がわずかに張り詰めた。

フウカは静かに目を伏せ、俺はルーナの肩に手を置く。

「……そうか。思い出せたんだな。それは良かった」

ルーナは深く息を吐き、ゆっくりと頷いた。

「……はい。ティターニアと話したいことがたくさんあります。今すぐにでも不死鳥の社に行きたいです」

ルーナの瞳には、迷いのない光が宿っていた。

それは、眠る前の彼女よりもずっと強く、澄んで見えた。

「気持ちは分かるが、立てるか?」

俺が問うと、ルーナは少しだけ身体を起こし、軽く首を振った。

「大丈夫です。もう、平気です」

その言葉とは裏腹に、指先がわずかに震えている。

五日間眠り続けた身体に力が戻るには、もう少し時間がかかるはずだ。

だけど、彼女の意志は強そうだ。

「わかった。でも、まずは朝食を食べよう。しっかり準備をしてから不死鳥の社に向かった方がいい」

ルーナは小さく頷き、微笑んだ。

「はい。わかりました」

窓の外では、秋の風に乗って木の葉が揺れ、柔らかな陽光が差し込んでいる。

その光に照らされた彼女の横顔は、どこか新しい朝を象徴しているようだった。

朝食を済ませた俺は、ルーナとオリヴァーと一緒に霊山の参道を登っていた。

空は高く澄み、陽の光はやわらかくなり始めている。

夏の名残をわずかに残しつつも、風の中には秋の気配が混じっていた。

山肌の木々の葉はところどころ色づき始め、黄や紅の斑が点々と広がっている。

その葉が風に揺れるたび、乾いた音がさわさわと耳に心地よく響いた。

先頭を歩くオリヴァーの背中は相変わらず大きく、その少し後ろでルーナが息を整えながら歩いている。

五日間も寝たきりだったせいか、足取りにはわずかに重さがあった。

「……身体が、少し鈍っていますね」

肩で息をしながらも、ルーナは苦笑する。

「あともう少しだ」

俺がそう声をかけると、ルーナは「はい」と頷き、もう一度前を見上げた。

その瞳には、疲れよりもむしろ期待の色が宿っていた。

「そういえば、シオンさんとフウカさんはすでに不死鳥の社に行ったのですよね?」

「あぁ。二人とも、ルーナが眠っているときに一度訪れている」

ルーナは少し息を整えてから、前を歩くオリヴァーに視線を向けた。

「では、オリヴァーさんはどうして行かなかったんですか?」

オリヴァーはちらりとこちらを見て、肩をすくめた。

「深い理由はないさ。ルーナはすぐに目を覚ますと思ってたし、それなら、一緒に行った方がいいと思っただけだ」

その素っ気ない言葉に、ルーナは小さく笑った。

「……ふふっ。そうでしたか。そう言えば、初めて南の大迷宮に潜った時も、この三人でしたね。私にとって今日は新たな門出になりそうです」

そんな他愛のない会話を交わしているうちに、視線の先に朱色の鳥居が見えてきた。

色づく山の中で、それはひときわ鮮やかに浮かび上がっている。

「……見えたぞ」

「あぁ、もうすぐだ」

やがて俺たちは、天霊神社へと辿り着いた。

境内に一歩足を踏み入れると、周囲の空気がふっと変わる。

風が柔らかくなり、耳を澄ませば、鳥の声がどこからか聞こえてくる。

拝殿の周囲には、散り始めた落ち葉が淡く積もり、木漏れ日が石畳にまだら模様を描いていた。

「少し休もう」

俺の言葉に、二人が頷く。

ルーナは石段に腰を下ろし、ゆっくりと呼吸を整えた。

オリヴァーは境内を見回している。

「なんか、空気が違うな」

「それは同感。この国の歴史を感じる、そんな気がする」

オリヴァーの呟きに返すと、彼はふっと笑みを浮かべた。

「そう言えば、オルンは外の世界の歴史が知りたいんだったか?」

「あぁ。正確に言えば、知りたいのは『文化』だな」

「文化?」

「うん。文化は人の営みの上に在るものだと思ってるから。生き方とか、価値観とか、そういう色んな人の〝想い〟が積み重なって形になってる。俺はそれが知りたい。だから――その〝ルーツ〟を辿るには、外の世界に行く必要があるんだ」

「……相変わらず小難しいことを考えているな」

「こればっかりは性分だから」

そう言って笑うと、オリヴァーも肩をすくめて笑い返した。

軽口を交わしたあと、ふと風が吹き抜けた。

「お待たせしました。もう大丈夫です」

オリヴァーと話をしているうちにルーナの体力が回復したようだ。

「よし、それじゃ行くか」

そう言って俺たちは鳥居の前にやってきた。

「ここが不死鳥の社の入口だ。どっちが道を開く?」

ルーナが一歩前に出る。

「私にやらせてください。……改めて、術理の壁を破る感覚を確かめておきたいですし」

決意を秘めた声だった。

「わかった。任せる」

「異論無しだ」

オリヴァーも短く頷く。

ルーナは鳥居の前に立ち、そっと目を閉じた。

風が彼女の髪を揺らし、その周囲の魔力が濃くなる。

ルーナの周りを漂っている精霊たちが彼女の意志に応えるように舞い、鳥居の方へと集まっていく。

やがて、ルーナの唇が静かに動いた。

「――ずれて」

空気が震え、次第に鳥居に囲われている空間が、水面のように揺らめき始めた。

その奥から空気の質すら変わるような異質な気配がこちらへと流れ込んでくる。

「できました……!」

無事に道を繋げられたことでルーナの表情が柔らかくなる。

「――行こう」

俺たちは鳥居をくぐり、不死鳥の社へと向かった。

「……すごい……」

ルーナが小さく息を呑む。

その隣で、オリヴァーも言葉を失ったように社を見上げていた。

「言葉が出ねぇな。これが、不死鳥の社……」

「昔の人々が〝聖域〟と呼んでいた理由にも納得ですね……」

ルーナの声は震えていたが、それは恐怖ではなく、純粋な感動だった。

「二人とも、こっちだ」

俺は二人に声をかけ、社の奥へと足を進める。

奥の間――水晶玉が祀られている部屋へ入ると、空気が一段と澄み切っていた。

「……部屋自体の見た目は、意外と普通だな」

オリヴァーがぽつりと呟く。

「そうですね……」

ルーナも頷く。

部屋の中央には、透明な台座に置かれた水晶玉があった。

その内側には微弱な光が脈動している。

「それが――術理だ」

俺の言葉に、二人の表情が引き締まる。

ルーナとオリヴァーがゆっくりと水晶玉へ歩み寄る。

その瞬間、空気が震えた。

音も光もなく、ただ圧のようなものが肌を撫でる。

「…………えっ……?」

ルーナが息を呑んだ直後、彼女の姿がふっとかき消えた。

「ルーナ!?」

オリヴァーが驚いて駆け寄ろうとするのを、俺は片手で制した。

「落ち着け。……大丈夫だ」

「だ、大丈夫って……!」

「おそらく、ティターニアが呼んだんだ。ルーナだけを」

その名を口にすると、オリヴァーの表情に理解と安堵が広がる。

「……そうか。ティターニアが」

「今頃ルーナはティターニアと再会しているだろうさ」

俺はゆっくり息を吐き、目の前の水晶玉に視線を落とした。

部屋の中央に浮かぶ水晶玉が、淡く光を明滅させていた。

――まるで、誰かの鼓動がそこに在るかのように。

俺たちはただ黙ってそれを見つめ、ルーナの帰りを待った。