軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

327.【sideルーナ】月の巡り

私――ルーナ・フロックハートのこれまでの人生を振り返った時、『幸せだったか?』と問われれば、私は迷わずこう答えるでしょう。

――幸せだった、と。

けれど、それは今だからこそ出せる回答です。

あの頃の私にとって、世界はひどく狭く、冷たく、そして――孤独でした。

私の物心がついたころには、既に両親は他界していて、私はとある孤児院で暮らしていました。

そこは、部屋の壁には罅が入り、隙間風が吹き込んでくるようなひどい生活環境でした。

院長は常に忙しく、資金繰りにいつも頭を抱えていました。

唯一の救いは、孤児院の子どもたちの仲が良好だったことでしょうか。

しかし、笑い声の絶えない夜はなく、ただただ毎日が過ぎていきました。

だから、あの日のことを今でも鮮明に覚えています。

沈みかけた夕陽が周囲を茜色に染めるころ、私の前に、ふと、光の粒のようなものが現れたのです。

小さく、けれど確かに――その光からは意志を感じました。

「……あなたは、だぁれ?」

今思うと、この瞬間、私は自身の異能である【精霊支配】を発現したのでしょう。

「……あれ? そこにいるよね? おはなしできないのかな?」

光は私の問いかけに応えてはくれませんでした。

誰かとの明確な繋がりを求めて発した言葉は、結局誰にも届かないのかと諦めたとき、

『…………聞こえているよ』

女性の声が、頭の中に響いてきました。

澄んでいて、どこか大人びていて、でも不思議と温かい響きをしていました。

声が返ってきた瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなったことを覚えています。

誰かが、自分の声に応えてくれた――それだけのことが、あの頃の私には奇跡のように思えたのです。

「あ、よかったぁ。えとえと、わたしはルーナ! あなたは?」

自分の名を名乗ると、光の奥から、再び声が返ってきました。

『……ティターニア』

「てぃ、てぃたあにあ?」

舌がうまく回らず、たどたどしくその名を繰り返す私に、 光(ティターニア) は楽しそうに笑いました。

『ははは、人間の子どもにはウチの名前はちょっと難しいか』

このころから私は負けず嫌いだったのでしょう。

「むぅ……! ぜったい、いえるようになってみせるもん!」

私の宣言に、ティターニアはまたふわりと笑い声をこぼしました。

その音は、ひび割れた壁の向こうから吹き込む冷たい風とは違う、温かい風のように私の胸の奥に届きました。

――あの日、私の世界に初めて光が差し込んだのです。

それから、私は毎日のようにティターニアと話をするようになりました。

最初は拙い言葉のやり取りばかりでしたが、彼女はいつも私の話を最後まで聞いてくれました。

誰にも言えなかった小さな悩みも、泣きたくなるような夜も、彼女に打ち明けるだけで、不思議と心が軽くなったのを覚えています。

ティターニアは、私に様々なことを教えてくれました。

その中には、星や、花のことなど、日常には何の役にも立たないことも含まれていましたが、そのどれもが、私には宝物のように思えました。

彼女の声を聞いていると、世界が少しだけ優しく見えたのです。

そんなある日、私はティターニアに質問をしました。

「ティターニアは、どうして私のことを『ルゥ子』って呼ぶの?」

『……深い意味はないよ。嫌なの?』

「ううん、嫌じゃないよ。ただ、何か理由があるのかなって思って」

『……そうだね。いつか話す時が来たら、そのときに教えるよ』

少しだけ間を置いて、ティターニアはそんなふうに笑いました。

普段はどこか飄々としている彼女にしては珍しく、このときの声には、その奥に淡い哀しみのような響きが混じっていた気がします。

「……約束だよ?」

『分かった、約束』

結局このあだ名の意味は、今も分かっていません。

けれど、『ルゥ子』と呼ばれるたび、胸の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じていました。

――そして、私の孤児院での生活は終わりを迎えました。

フロックハート家の人間が養子を得るために孤児院を訪れたためです。

候補に挙がった何人かの子どもたちの中から、私が選ばれました。

この結果はティターニアと出会って、彼女から様々なことを学んできた結果であることは間違いないでしょう。

これまでの頑張りが報われたような気がして、とても嬉しかったことを覚えています。

私に新しい家族が出来た。

絵本で読んだような温かい家庭が私を待っている――そう思っていました。

けれど、フロックハート家での生活は、思っていたものとはまるで違っていました。

豪奢な屋敷、整った食事、与えられた学び。

その全てがどこか冷たく、息の詰まるような静けさに満ちていました。

失敗すれば叱られ、罰を受ける日々。

養子になったころから、ティターニアが私を訪れる頻度も減っていました。

それでも、私は折れませんでした。

歯を食いしばって、与えられる課題をクリアし続けていたとある日、再び私に転機が訪れました。

探索者になるよう命じられたのは、九歳を迎えたころでした。

「お前にはこれから探索者になってもらう。そして、この街にやってくる子どもたちと探索者パーティを組むこと。名は――オリヴァー・カーディフ。そして、もう一人、オルン・ドゥーラ。その二人をお前が支えるんだ」

それが、義父の言葉でした。

拒否権など、最初から存在しません。

私は命令に従い、探索者登録を済ませました。

冒険に憧れていたわけでも、名誉が欲しかったわけでもありません。

ただ――これが私の役割であったから。

居場所を持たない私には、与えられた命令に従うことだけが、自分を守る術だったのです。

そんなある日、私は二人と顔を合わせました。

初対面で、二人が私とは違う〝何か〟を抱えている人たちだとわかりました。

そんな彼らと共に初めて迷宮へ足を踏み入れたとき、胸の奥で何かが微かに震えたのを覚えています。

迷宮帰りの夜。

フロックハート家の自室に、淡い光の粒がふわりと舞い込み、私の掌に留まりました。

「……ティターニア、ですか?」

思わず呟いた私に、光は小さく瞬き、細い声が返ってきました。

『……ちがう。……わたしはピクシー』

掌の上で、小さな羽を震わせるように輝く光。

その存在は、まるでティターニアの面影があるように思いました。

『……妖精と話せる人間が居るって聞いて来た。……貴女の近くに居ても、良い……?』

その声はかすれていて、風に紛れそうなほど弱々しかったですが、けれど、確かにそこに〝意志〟がありました。

私はゆっくりと頷き、掌をそっと包み込みました。

「もちろん良いですよ。……好きなだけ居てください」

すると、ピクシーは嬉しそうに光を瞬かせ、私の指先を撫でるように飛び回りました。

『……ありがとう、ルーナ』

「えっ、私の名前……どうして?」

『……女王様――ティターニアから、ルーナのこと聞いて来たから』

それから、ピクシーが傍に在ることがいつの間にか私の日常になっていました。

自分から声を発することがほとんどない子でしたが、私に寄り添ってくれていることがわかりました。

まるで、ティターニアが再び傍に居てくれるような――そんな不思議な安心感がありました。

それからの日々は、嵐のように過ぎていきました。

探索者として迷宮へ潜り、魔獣と戦い、血と汗と痛みにまみれる毎日。

命を賭ける戦いも多く経験し、楽しいことばかりではありませんでした。

傷を負い、仲間を失いかけ、何度も自分の無力さに打ちのめされたこともあります。

それでも――私には、共に歩む仲間が居ました。

いつも冷静で、周りを見ている、オルンさん。

不器用だけれど、誰よりも真っすぐな、オリヴァーさん。

そして、私に寄り添ってくれる小さな妖精――ピクシー。

彼らと過ごす時間は、いつしか私にとって〝居場所〟になっていました。

時にはティターニアも姿を見せ、他の妖精たちが淡い光の群れとなって舞い降りる夜もありました。

その光景はまるで、長い旅路の果てでようやく掴んだ〝幸福〟そのものでした。

時間を重ねるうちに、デリックさんやアネリさんという新しい仲間も増えました。

そして、気づけば私たちは、『勇者パーティ』と呼ばれるほどの探索者になっていました。

これ以降の出来事を詳しく語る必要ありませんね。

オルンさんがパーティを追い出され、オリヴァーさんたちの暴走によって勇者パーティは瓦解しました。

私の義実家であったフロックハート商会も同時期に、人身売買の罪を問われて取り潰しとなり、最終的にダウニング商会に吸収されることになりました。

私はその後、《夜天の銀兎》に身を置き、《黄昏の月虹》の仲間たちと共に迷宮の深部へ挑む日々を送っていました。

やがて、オルンさんが記憶を取り戻し、再び自分の道を歩む決意をしたとき――私は迷わず、その背中を追いました。

そして、旅の果てに辿り着いたキョクトウの地で、私は思い知らされました。

――私がティターニアのことを忘れていた、という事実を。

あれほど大切で、私の人生を変えてくれた存在だったのに。

絶対に忘れたくない思い出だったのに。

けれど、今は外に触れたことで、世界の時間が巻き戻る前の出来事を思い出せています。

今ではこうして、過去と共に彼女とのやり取りも思い出せます。

けれど、一度彼女を忘れてしまったという事実は、消えることはありません。

だから、私は謝らなければならないと思っています。

あの日、孤独な私に光をくれたティターニアへ。

貴女を一度でも忘れてしまったことを、心から詫びたい。

そして、もう一度伝えたいのです。

――私の人生は、貴女がいてくれたから幸せでした、と。