軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

318.露天温泉① 男湯

湯けむりの立ちのぼる岩風呂に足を踏み入れた瞬間、思わず声が洩れた。

「温泉は、やっぱりいいなぁ……」

山間の露天温泉は広く、天然の岩をくり抜いた湯船からは、星空がよく見える。

湯面には月の光が淡く揺れ、遠くでは虫の声が響いていた。

湯けむりには硫黄の匂いがほのかに混じり、冷たい夜風と熱い湯が肌を撫でる。

湯に浸かり、背を岩に預けると、息が自然と洩れる。

キョクトウにやってきてから毎日のように入っているが、これは全く飽きる気がしない。

「はぁぁ……極楽ってやつだな」

オリヴァーも大きく伸びをして、心底気持ちよさそうに目を細めた。

「キョクトウに来てから、もう一か月か。あっという間だな」

「俺にとっては、まだ夢みたいな感じだ」

ハルトさんも隣で湯をかき分けながら言う。

湯気で赤くなった顔に、どこか柔らかな表情が浮かんでいた。

しばらく、静かな時間が流れた。

最初に口を開いたのはオリヴァーだった。

「そういえば、オルン。妖力の方はどうなんだ? フウカから受け取った大剣、試したんだろ?」

「色々と試してみたが、やっぱり今の俺じゃ無理だな」

肩をすくめて答える。

「サクラモチに言われた通りだった。そもそも大剣から妖力を引き出すことすらできなくてな。今のままじゃ扱い切れる気がしない」

「順調には進まねぇか」

ハルトさんが眉を寄せる。

「まぁね。ただ……妖力を扱えるようになる目星は付いてる。そのための準備は色々必要だけどな。だから俺はまだいい」

湯面を見下ろしながら、言葉を続ける。

「問題は、ルーナの方かな」

二人が真剣な顔をこちらに向けた。

俺は小さく息を吐いて言う。

「技術面は既にクリアしてるんだが……問題は心だな。迷いや戸惑いに加えて、最近は思うように進まないことへの焦りも見えてきてる。何とかしてやりたいが、精神面ばかりは他人がフォローするにも限界がある。結局は、本人が自分で乗り越えるしかないんだが……」

言葉にすると、湯の熱よりも胸の奥の重さが際立った。

「……ルーナは元々抱え込みすやすい性格しているからな。今一番もどかしく思っているのはルーナ自身だろう。……もっと頼ってほしいのに、何でも一人でやろうとする」

オリヴァーが寂しそうに呟く。

「ま、責任感があること自体はいいことじゃないか。別に今日明日で絶対に超越者に成らないといけないってわけじゃないんだろ? 時間が解決することもあるだろうし、見守ってやろうぜ」

ハルトさんがそう言って肩をすくめる。

どこか落ち着いた声音で、年長者らしい余裕がにじんでいた。

ルーナにもみんなには黙っているが、――ティターニアには猶予がない。

時が経てば経つほど、彼女の存在は薄れ、やがて完全に失われる。

しかし、それを口にすれば、ルーナをさらに追い詰めることになるだろう。

だから今は言えない。

とはいえ、いつまでも悠長に構えていられるわけでもなかった。

そんなことを考えていると、話題は自然とハルトさんへ移った。

「そういや、ハルトさんの方はどうなんだ?」

オリヴァーがハルトさんに問いかける。

「ん? こっちか? 復興作業は大体終わったな。先月の神降ろしによる被害も、もう終息したと言っていいだろう。各方面との顔繋ぎも済んだし、多少は動きやすくなるはずだ。……ま、俺は大したことしてねぇがな」

ハルトは淡々と語るが、その声音には確かな自負があった。

話がひと段落つき、再び湯の音だけが耳に届く。

夜空を見上げれば、月明かりが白く揺れていた。

――だが、静けさが長く続かなかった。

「……ところでよ」

ハルトさんが、オリヴァーに視線を向けながら口を開く。

「オリヴァー、お前さ、けっこう身体がガッチリしてきたよな」

思わぬ褒め言葉に、オリヴァーの眉がわずかに動き、口元が和らぐ。

「まぁな。鍛錬はずっと続けているから」

「つっても、俺にはまだ遠く及ばねぇがな」

自慢げに胸を張るハルトの態度に、湯の表面が小さく揺れた。

「……見てくれだけ良くても、意味は無いだろ」

オリヴァーの言葉は静かだったが、確かな棘が含まれている。

「ほぅ……言うじゃねぇか。だったら見た目だけじゃねぇってこと教えてやらねぇとな」

挑発に乗ったハルトさんが腕を突き出す。

二人はそのまま岩肌に肘をつき、湯船の中で腕相撲を始めた。

「ぐぅっ……!」

力を込めるオリヴァーの額に汗が滲む。

「おいおい、どうした? もう限界か?」

ハルトが余裕の笑みを浮かべ、さらに力を込める。

ぐらぐらと湯が揺れ、波がこちらまで押し寄せてくる。

「…………他所でやってくれないか?」

呆れ半分で声をかけた瞬間、二人の視線が同時にこちらを向いた。

「そういや、オルンと競ったことなかったな。ま、試すまでもなく俺より弱いか」

ハルトさんがバカにしたような表情を向けてきた。

「……は?」

思わず声が低くなる。

「おいおい、そう怖い顔すんなって。肩幅も腕力も、俺のほうが上なのは明らかだろ?」

湯気の向こうで、ハルトがにやりと笑う。

挑発のつもりか、それとも本気で言っているのか。

どちらにせよ、ここまで言われて引き下がるわけにはいかない。

「そこまで言うなら、やってやるよ。負けても泣くなよ?」

「はっ、言ってくれるじゃねぇか。その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」

ハルトさんの正面に移動してから、岩に肘を着けてハルトさんの手を握る。

「オルンがやる気になるなんて珍しいな」

オリヴァーが嬉々として身を乗り出す。

「よし、じゃあ俺が審判だ! 二人とも準備はいいな?」

「当然」

「こっちもいいぜ」

低く構えた肘が岩肌に食い込み、互いの視線が火花を散らす。

「いくぞ! 三、二、一、――始めっ!」

湯船が大きく揺れた。

盛大に湯しぶきが上がり、岩風呂は一瞬で戦場と化す。

一日の疲れを癒やすためにここに来たはずなのに……結局、余計に疲れる羽目になってしまった。

それでも、悪くはない時間だった。