軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

317.【sideルシラ】王女の戦い

会議が終わり、ルシラは側仕えとともに《夜天の銀兎》が手配した客間へと戻ってきた。

豪奢ではあるが、過剰に飾り立てていない造りは、探索者の本拠らしい実用性を感じさせる。

「夕食の時間まで休みます。時間になりましたら、声をかけてください」

そう告げると、側仕えは「畏まりました」と恭しく一礼し、扉の外で待機する。

静寂が訪れ、部屋に一人になったルシラは、ようやく大きく息を吐いた。

「……ふぅ。とりあえずは、予定通りに進んで一安心ですね」

緊張を解くように椅子へ腰を下ろす。

セルマがあの場で『レイド構想』を口にする前から、彼女はその内容を聞かされていた。

王女である自分が賛成すれば大勢は決まるだろうと思っていたが、面倒な貴族の誰かが横槍を入れる可能性も十分に考えられた。

何事もなく終えられたのは、安堵すべきことだった。

ルシラが王室代行官としてツトライルにやってきたのは、王室と《夜天の銀兎》を繋ぐ窓口になるため。

――ただ実際のところは、王都で馬鹿な貴族どもが権力争いを始めかけていたから、というのが大きい。

ノヒタント王国は今、不安定な状況にある。

昨年、父王が亡くなり、現在は第一王子である兄イアスが国政を担っている。

本来なら既に戴冠式を終えて、イアスが然るべき立場を確立していたはずだった。

けれど帝国との戦争や魔獣騒動が重なり、それどころではなくなっている。

そんな中で、一部の貴族はルシラを傀儡の女王に据えて甘い汁を吸おうと画策し、動き出していた。

彼女は肩を軽く竦め、嘲るように独り言を漏らした。

「……私を御せるなんて、どのような思考を経れば、そのような愚かしい結論に至るのでしょうか。今の情勢が見えていないなんて、ほとほと呆れますよ、まったく」

ルシラには王位を継ぐ気など、欠片もない。

継承権は兄にあり、そして彼こそが国を導くべき人物だと信じている。

それに、今の彼女にはそんな 些事(・・) よりも優先するべきことがあるのだから。

ひと心地ついたところで、ルシラは静かに立ち上がった。

「……さて。では行きましょうか」

そう呟いて、小ぶりの魔導具を取り出す。

指先で操作盤を軽く撫でると、部屋に淡い光が満ちた。

試しに軽く手を叩いてみる。――だが、音は一切鳴らない。

静寂の結界が張られたことを確認すると、彼女はためらいなくドレスを脱ぎ捨てる。

代わりに身に着けたのは、王女が着用するには到底ふさわしくない簡素な装い。

だが、街に紛れるにはこれ以上ない服だった。

着替えを終えたところで、再び魔導具を操作する。

ルシラの輪郭は淡く揺らぎ、やがて完全に消え失せた。

彼女は窓辺に歩み寄り、錠を外して窓を開く。

三階の高さから吹き込む夕風が頬を撫でる。

普通の令嬢であれば、その縁に立つことさえ恐ろしいだろう。

しかしルシラは一切の躊躇を見せず、そのまま外へ踏み出した。

重力に従い、身体は地面へと引きずり落とされる。

だが、三度魔導具を操作すると、落下速度は次第に緩み、羽毛が舞い降りるようにゆっくりと地面へ着地した。

足元に視線を落とし、彼女は手にした魔導具を愛おしげに眺める。

「……一つの魔導具に、これほど様々な機能を組み込むなんて。――流石は、オルンですね」

感心するように呟き、薄く笑みを浮かべる。

そしてそのまま人目を避けるようにクランの敷地を抜け、裏路地へと身を滑り込ませた。

透明化を解いた瞬間、そこにはただ一人の若い女性の姿があるだけだった。

ルシラは群衆のざわめきに紛れ込み、夕暮れのツトライルの中へと消えていった。

ルシラが向かった先は、街角にある何の変哲もない喫茶店だった。

窓辺のテラス席に腰を下ろし、飲み物を注文すると、手にしていた本を優雅に開く。

夕刻の喧騒を耳にしながら、しばし読書を楽しむ姿は、どこから見てもただの物静かな令嬢にしか見えない。

やがて、背後の席に別の客が腰を下ろした。

振り返るまでもなく、彼女にはその者の正体が分かった。

印象に残らない顔立ち、平均的な体格、空気のような存在感。

そんなすぐに記憶から抜け落ちそうな男――探索者ギルドのグランドマスターであるソルダだった。

「……状況は?」

低く投げかけられた問いに、ルシラは唇を緩める。

南の大迷宮攻略の進捗を指しているのだと即座に悟り、静かに答えた。

「順調です」

ソルダはしばし沈黙し、やがて事務的に告げる。

「我々が求めているのは、結果のみであることを忘れるな」

「無論、心得ております。……攻略の過程で、何人かは命を落とすことになるでしょうが、必ず成し遂げてみせます」

「東の攻略は既に終わった。進捗が芳しくないようなら、南の攻略も我々が直接指揮を執る。それが嫌なら……」

その言葉にも、ルシラは微笑を崩さずに応じた。

「期待には必ずやお応えいたします。 フィリー様(・・・・・) にお任せいただいた、この栄誉あるお役目――どうか、最後まで私に担わせてくださいませ」

へりくだった物腰に、ソルダは短く頷いた。

「……自分の立場が解っているのなら良い」

それだけ言い残すと、彼はまるで最初から存在していなかったかのように、人混みの中へと紛れて消えていった。

しばらくして完全に気配が遠ざかったのを確認し、ルシラは本を閉じる。

ふっと小さく吐息をこぼし、誰に聞かせるでもなく心の中で呟いた。

(……相変わらず、気味の悪い人ですね。そもそもアレは人間なのでしょうか? いえ、それは気にしても仕方ありませんね。――それにしても、東の攻略が完了している、ですか)

ソルダの事務的な一言を反芻しながら、ルシラの思考が静かに深まっていく。

(教団は人体実験すら厭わない連中です。人の命を、道具程度にしか扱っていません。東の大迷宮では有力な探索者たちが相次いで亡くなったというのに、短期間で攻略が成されたということは、人体実験で 作り変えられた(・・・・・・・) 探索者を投入した、と考えるべきでしょうね)

それは推測ではなく確信に近かった。

だからこそ――南の大迷宮の主導権だけは、絶対に教団に渡してはならない。

彼女は無意識に、掌の中の魔導具へと触れた。

冷たい感触が、胸の奥の決意を静かに呼び起こす。

(教団は、私が『従順な手駒になった』と思い込んでいるようですが――現実はその逆です。フィリーの【認識改変】は、オルンさんから預かったこの魔導具が無力化したのですから)

教団は、ルシラを「国政に口を出せる便利な駒」と誤認している。

その油断のおかげで、今のところ王国は彼らの干渉をほとんど受けていない。

(これで支配しているつもりなのでしょうけれど、この国の主導権は、最初からこちらにあります。私が教団の魔の手から国民を守って見せます。国民に手出しは、絶対にさせません)

掌の中で本の表紙をぎゅっと握り直し、ゆっくりと視線を上げると、夕陽に照らされた通りの景色が目に入った。

商人の呼び声、子供の足音、店先で肩寄せ合う老夫婦の姿――確かな日常がそこにはあった。

その全てを目に焼き付ける。

(――誰一人、死なせはしません。教団の思惑通りになど、決してさせません。必ず護り切ってみせます)

王女として。

代行官として。

そして、この国を愛する一人の人間として。

責務が静かに、しかし確かに膨らんでいくのを感じた。

感情に流されることなく、ただ決意だけを研ぎ澄ますように。

彼女にとって、この戦いは国を救うためのものであると同時に、自らの矜持を示す戦いでもあった――。