作品タイトル不明
293.【sideフウカ】白櫻
◆
「姉さま……」
ナギサの心配そうな声がフウカを現実に引き戻した。
夢かとも思えるような出来事だったが、彼女の握る刀が夢ではなかったことを静かに物語っていた。
「大丈夫……?」
フウカは一度だけ深く息を吐き、ゆっくりと頷いた。
「うん。大丈夫。ありがとう、ナギサ」
フウカはそんなナギサに感謝の言葉を掛けてから、彼女に背を向けて歩き始める。
「ま、待って!」
ナギサがフウカを呼び止めると、
「――【 治癒(ヒール) 】!」
回復魔術を彼女に掛けた。
「ごめんなさい。今の私にはこんな魔術しか使えなくて……」
「そんなことない。助かった。もう、誰にも負ける気がしない」
フウカがナギサに笑いかけると、再び歩を進める。
キリュウに蹴り飛ばされて空いた壁の穴の前までやってくると、そこから前庭を見下ろした。
彼女の視線の先――前庭の中央には、キリュウが最初と全く同じ姿勢で佇んでいた。
追撃の気配も、動いた痕跡もない。
まるで最初から、そこを動くつもりなどなかったかのように。
彼女の気配に気づいたキリュウが静かに目を開く。
その眼がフウカを捉えた瞬間、彼の瞳がわずかに見開かれる。
「……なるほど。それが姫の覚悟ですか」
彼の視線の先に立つフウカは、もはや先ほどまでの彼女ではなかった。
その手にある刀の刀身は、柔らかな 薄桜色(・・・) へと変わり、ゆらめく刃から立ち昇る微光が、空気に桜霞を添えるように滲んでいる。
そして、何より変化していたのは――その瞳だ。
黒の中に淡い薄桜が射し、花びらのような光彩が、静かに咲いていた。
フウカの握る妖刀の銘は――白櫻。
今の彼女こそ、その名にふさわしい在り方だろう。
「――往くよ、先生」
「えぇ。今度こそ魅せてください。姫の全てを!」
一合目と同じく、フウカが縮地で間合いを詰めた。
キリュウもそれに呼応して、わずかに重心を傾ける。
再び【未来視】がフウカに無数の未来を叩きつけた。
刃が交わることは一度もない。
ただ、互いの僅かな行動が、次の未来を誘発し、書き換える。
フウカが埋められなかった一厘の差。
それは未だに存在する。
技量も、経験も、キリュウの方が上。
キリュウが選びうる太刀筋の数は、フウカよりも遥かに多い。
その全てに正確に対処するには――彼女の技量が足りていない。
それでも、今のフウカは 一人じゃない(・・・・・・) 。
埋められない差を補う〝力〟がある。
(全部、斬り伏せる!)
己の刀で、視えた未来に太刀を重ねていく。
キリュウの踏み込みを、先回りし、封じる。
だが、全てを斬るには、手が届かない未来もあった。
その瞬間、妖刀の刀身から立ち昇る桜霞が、風に溶けるように斬撃を紡ぐ。
彼女の届かない未来の隙間を埋めるように、その斬光がキリュウの選択肢を一つ、また一つと奪っていく。
フウカと共に在る妖力が、確かに彼女を支えていた。
キリュウが新たな未来を選ぶ。
それをフウカが斬り、それでも足りない一手を妖力が補う。
読み合いの中で、キリュウの選択肢は一つずつ削られていき、やがて未来は収束する。
そして――。
未来の光景に、現実が追いつく。
キリュウが選んだ、最後の太刀筋。
それを、フウカの一太刀が正面から逸らした。
「――ぬぅ!?」
ごくわずかな、けれど確かな隙が生まれる。
それをフウカが見逃すはずもない。
「――零レ桜」
返す刀が、柔らかく、迷いのない軌跡を描く。
薄桜色の刀が、師へと届いた。
「これほどの太刀筋を、貴女が……」
まるで、弟子の成長を噛みしめるように、
「――お見事でございます」
キリュウが口元をほころばせ、力なく膝を折る。
崩れ落ちるその姿には、敗北ではなく、どこか誇らしさが宿っていた――。
◇
「フウカ姉さま! キリュウ先生!」
屋敷の奥からナギサが駆け寄ってくる。傷だらけの巫女装束のまま、よろめきながらも懸命に。
フウカがその声に気づき、振り返る。
そんな彼女の瞳は、妖刀の刀身と同様に、元に戻っていた。
「ナギサ、さっきはありがとう。お陰で何も失わずにすんだ」
「ううん。私の方こそありがとうだよ。姉さまが来てくれたから、こうして外に出られたんだもん」
二人はもう一度、ほんの少しだけ触れるように視線を交わす。
「……妖魔を――妖力と魔力のみを斬る斬撃、ですか」
地に膝をつきながらも、キリュウは静かに顔を上げた。
その眼差しは、敗北を恥じる色ではなく、己の役目を終えた者のような、穏やかな諦観だった。
「うん。先生、【認識改変】を受けてたでしょ? 〔破魔〕で抗ってたと思うけど……こっちの方が確実だから」
そう言って、フウカは妖刀の柄を一度見つめる。
「異能は魔力で構成されてる。この妖刀は魔力のみを斬ることができる。だから、【認識改変】だけを断ち斬った」
キリュウは氣の極致点である〔破魔〕へと至っている。
魔力を打ち破れる彼であれば、本来は簡単に操られるはずがない。
だからこそフィリーは、じわじわと時間をかけて呪縛を深く染み込ませていた。
キリュウは表面上フィリーに従いながらも、ずっと、ギリギリのところで抗い続けていたのだ。
「……よくぞ、妖刀を真の意味で御されました」
「先生の教えがあったからだよ」
「ははは……。そう言ってくださるとは。師として、何よりの喜びですな」
心の底から喜んでいるような、そんな表情をしていたキリュウだが、次の瞬間には覚悟を決めたようなものに変わった。
「儂に残された役目は終えました。――残るは、 臣として(・・・・) のけじめのみです。姫に刃を向けたのです。忠臣として、これほどの不忠は他にありません」
そう言うと、キリュウは懐から小刀を取り出し、柄に手を掛けた。
「ですので、ここで詫びさせていただきます」
そのまま小刀がキリュウに迫る。
それが彼に届く前に、
「待って」
フウカが彼の腕を掴み、刃を止めた。
そして、真っすぐにキリュウを見据えながら口を開く。
「死ぬなんて、赦さない」
「しかし、姫――」
「今も先生が私を主だと思ってくれているなら、私は主として、そんな命の使い方は認めない。その命は、この国を護るために使ってほしい」
その声には、静かだが確かな怒気と、懇願に近い強い意志が宿っていた。
キリュウは目を伏せ、一拍の沈黙ののち、小刀を納めた。
「……畏まりました。ならば儂は、朽ち果てるその時まで、この身を以て国のために戦いましょう」
「キリュウ先生……、良かった……」
そのやり取りを、ナギサが涙ぐみながら見つめていた。
「ナギサ様も、辛い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしないでください。確かに、辛く苦しかったですが、こうしてフウカ姉さまとも再会できましたから! 終わり良ければ総て良し、です!」
ナギサのその声には、責める色は一切なかった。
彼女の言葉はただまっすぐで、過去を咎めるでもなく、今を受け止めようとする優しさに満ちていた。
「姉さま、私も姉さまと一緒に戦いたい。これ以上誰にも悲しんでほしくないから。私の異能も、この国の未来のために使いたい!」
「ありがとう、ナギサ」
フウカは優しくナギサの頭を撫でた。
それを見届けながら、キリュウは静かに立ち上がる。
「それでは、この国を土足で荒らしている不届き者どもを排除しに参りましょうか」
「ん」
「はい! ……あれ? でも、霊山の方は良いの?」
「そっちは心配しなくていい。頼りになる仲間が何とかしてくれるから。私たちは民の安全確保を優先する」
「そういうことなら、分かった!」
フウカはこれからの方針を定め、再び歩き始めた。
取り戻した仲間を引き連れて、未だ涅い雨が降り続けているハネミヤへと――。