作品タイトル不明
292.【sideフウカ】魔王の剣
◇
フウカ達がキョクトウへとやってくる一週間ほど前のこと――。
「ねぇ、オルン」
ヒティア公国に現れた巨獣種の魔獣を斃し終えたフウカが、ぽつりと口を開いた。
「ん? どうした?」
「オルンは死ぬのが怖くないの?」
「なんだよ、いきなり……。そりゃあ死ぬのは怖いよ。普通に」
苦笑しながらも、オルンは答える。
「だったらどうして〔破魔〕を使えるの? 扱いを誤ったら自分が死んでしまうのに」
「……なるほど、そういうことか」
フウカの質問の意図に気づいたオルンが、微かに笑みを浮かべる。
「さっきも言ったけど、死ぬのは怖い。だけど、 そんなこと(・・・・・) よりも――大切なものを喪うことの方が、ずっとずっと怖いんだ」
オルンが遠い目をしながら話し続ける。
「俺は過去に二度、大事なものを護ることができなかった。どっちも、俺の力が足りなかったせいで……目の前で、喪った」
その声には、痛みを抱えた静かな決意が滲んでいた。
「もう、あんな思いは懲り懲りだ。もし自分の命を賭けることで、大切なものを護れる可能性が少しでも上がるなら、俺は――迷わず自分の命を賭けるよ」
◇
全身に走る痛みに顔をしかめながら、フウカはオルンとのやり取りを思い出していた。
命を賭してでも、大切なものを護ると語った彼の姿が、まぶたの裏に浮かぶ。
『オルンの剣』だと言ってきた自分は、どうだろうか。
守れているだろうか。
貫けているだろうか。
彼の覚悟に、見合うほどのものを持っているだろうか。
そのときだった。
ずしりとした鈍い〝何か〟が、奥底からせり上がってくる。
フウカの右手に握られている妖刀が、わずかに震えた。
そして、耳元で誰かが囁くような気配がした。
『――ざまぁねぇな』
それは、声ではない。
直接脳に染み込んでくるような、精神に入り込んでくるような、負の感情の波だ。
『こんなものかよ』
『斬れ。もっと斬れ。斬って、斬って、斬り続けろ……!』
怒り。憎しみ。恐怖。哀しみ。
過去にこの刀に斬られた妖怪たちの感情の残滓が、洪水のようにフウカの中に流れ込んでくる。
普段なら、聞こえていても気にならなかった。
意識を逸らせば、ただの雑音で済んだ。
――でも今は、違う。
身体の痛み。
心の迷い。
弱った隙を突くように、声は一層鮮明になっていく。
『力を付けようと努力をしてきた、だったか? その結果がこれとは情けない』
『斬ることしか取り柄がないくせに、今さら何を迷ってる?』
『結局お前は何者でもない。だから自分を〝剣〟なんて呼んでごまかしてんだろ? 滑稽だな』
「うるさい……」
フウカがかすれた声を漏らす。
しかし、それは逆効果だった。
更に怨嗟の声がフウカの中に流れ込んでくる。
フウカは顔をゆがませながら、負の感情に飲まれまいと抗っていた。
そんな時、――不意にこれまでとは違う声が耳に届いた。
「…………誰か、そこにいるんですか……?」
それは少女の声だった。
怨嗟でも幻聴でもない。
やわらかく、震えるような、 現実の声(・・・・) だ。
(……今の……声……)
フウカは顔をわずかに上げた。
そして、もう一度。
「あの……、お願いします……。私を、ここから、出してください……!」
今度は、はっきりと聞こえた。
それは呪詛などではない、助けを求める確かな声だった。
ふらつく身体を押さえつけるようにして、フウカは腕に力を込める。
視線の先には、かつて自室だった部屋があった。
その襖の向こうに、魔力を帯びた気配がぼんやりと揺らいでいる。
(……あそこに、居る)
フウカはゆっくりと、しかし確実に一歩ずつ進みながら襖へと向かった。
――そこに、 彼女(・・) が居ると確信して。
そして、煩わしい怨嗟の声を振り払うように、フウカは妖刀を横一文字に振るった。
部屋を覆っていた魔力ごと斬り裂くと、甲高い音と共に、襖が真っ二つに裂ける。
フウカが斬り開いたことで、部屋の中に光が差し込んだ。
倒れた襖の向こう――静寂が満ちるその先に、一人の少女が居た。
光が届かなかったその部屋で、少女はぼんやりとした視線でこちらを見上げていた。
そこから出ようと必死に何かをしていたのだろう。
巫女服の少女は、身も服もボロボロになっていた。
それでも――その瞳だけは、まるで迷子の子どもが姉を見つけたように、潤んでいた。
「フウカ……姉さま……?」
声の主は、フウカの記憶していた少女よりも少し大人びていた。
けれど、間違えるはずがない。
「……久しぶり、ナギサ。お互い、ボロボロだね」
微笑もうとしたが、頬に走る傷の痛みで顔が引きつった。
ナギサはそんな彼女を見て、堰を切ったように立ち上がる。
よろめくようにして走り出し、倒れこむようにフウカの胸元へ飛び込んできた。
「姉さまっ……!」
張り詰めていたものが切れたような、そんな叫び声だった。
抱きついたナギサの小さな身体が、震えている。
押し殺していた嗚咽が漏れ、フウカの胸に熱と湿り気を伝えてくる。
「……ごめん、ナギサ。遅くなった」
フウカは腕をまわそうとするが、全身の痛みが邪魔をして、思うように動かない。
それでも、震える妹の背に、片腕だけをまわして、そっと抱きしめた。
「もう、大丈夫。――大丈夫だから……」
自分に言い聞かせるようなその声が、喉の奥でかすれた。
フウカは、そっと目を閉じる。
ようやく取り戻せた、小さな命の温もりを確かめるように。
ナギサが落ち着いたところで、フウカは口を開いた。
「ナギサ、頼みたいことがある」
「う、うん! もちろん! 部屋に閉じ込められてても、外の状況はなんとなく感じ取れてたから……。私の異能で、怪物を祓えばいいんだよね?」
ナギサの声に、先ほどまでの不安は感じられなかった。
「それもお願いしたいことだけど、今は違う」
フウカはゆっくりと首を横に振る。
「今は――私の前に立ちふさがる壁を斬り拓くために、力を貸してほしい」
「壁……? どうすればいいの?」
「ナギサの異能で、私の氣と、妖刀の妖力を繋げてほしい」
「えっ!? 妖力と氣を繋げるなんて、そんなの危険だよ! 下手したら姉さまの人格が妖刀に飲み込まれちゃうかもしれないんだよ!?」
「わかってる。でも、これが『覚悟を見せる』ってことだから」
「…………分かった」
ナギサは苦しげに顔を伏せながら、静かに頷いた。
「姉さま、妖力に負けないでね」
「大丈夫。私は――《魔王の剣》だから」
ナギサが【霊魂操作】を行使する。
次の瞬間、フウカの身体に、妖刀から何かが入り込んでくる感覚があった。
◆
気が付くと、フウカは見知らぬ場所に立っていた。
氷原を思わせる障害物の一切無い白亜の地平線と、東雲のような空が広がる――幽世へと。
そして、血液を彷彿とさせるような赤銅色の靄が、彼女を取り囲むようにいくつも漂っていた。
『……何のつもりだ? 人間の女の分際で、我らの手綱を握るつもりか?』
『あの程度のことで凹んでたってのに、何を得た気でいる?』
頭の奥に、幾重にも重なった声が響く。
怒声。嘲笑。悪罵。
どれも悪意に満ちている。
これまでのフウカは怨嗟の声をただの雑音として無視していた。
だが今の彼女には、それが雑音には聞こえていない。
妖刀の力は借りても、その内側に踏み込むことはなかった。
呑まれることが怖かったから。
――だが、それでは届かないと知った。
キリュウに敗れ、自分の甘さを突きつけられたとき、心の奥にあった臆病さに気づかされた。
『バカな娘だ。このまま我らに呑まれろ』
フウカは小さく、息を吸った。
怨嗟の濁流に足を踏み入れるのは、今も怖い。
だがそれでも進まなければ、護れないものがある。
国を。
仲間を。
妹を。
「……言いたいことはそれで全部?」
フウカが視線を上げる。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「だったら、今度は私の番。聞いて」
『……我らに命令するか? 何者でもない小娘の分際で』
フウカはそっと目を閉じ、そして開く。
心の底にある決意の炎が、視線に宿る。
「――私は《魔王の剣》。この国を取り戻し、仲間と共に、王の進む覇道を歩む者」
静かな声が、幽世の空に溶ける。
それでも確かに、その言葉は赤銅色の靄たちを揺らした。
『ふん、吠えるだけなら獣でもできる』
『その口が利けるうちに後悔しておけ、小娘』
フウカは一歩、靄の中心へと踏み込んだ。
見えない重圧が体にのしかかる。
呼吸が浅くなる。
だが、その瞳は死んでいない。
「貴方たちの力は確かに強い。否定はしない」
靄の中で、声が止まる。
敵意ではなく、理解を以て始まったその言葉に、怨嗟が戸惑ったかのように揺れた。
「でも、貴方たちはその力で、何を成したの? ただ恨みを叫んで、傷つけて、それを繰り返すだけ。そんなものに意味はない。貴方たちこそ、何者でもない」
フウカの声は静かだった。
だが、その芯には燃えるような熱が宿っていた。
「私も、怖かった。貴方たちを見ないふりして、都合の良い時だけ表層の力のみを掬うようにして使ってた。怨嗟に呑まれるのが怖くて、自分を失うのが怖くて――だからずっと逃げてた」
視界の周囲で、赤銅色の靄が渦を巻く。
まるで、フウカの言葉に反応するようにざわめく。
「でも、それは間違ってた。表面的な力だけを都合良く使って、見ようとしないなんて――そんなの、向き合ってるとは言えない」
フウカが妖刀を、ギュッと握りしめる。
「今更かもしれないけど、私は、貴方たちと向き合う。その怒りも、憎しみも、哀しみも――全部引き受けて、前に進み続ける」
『……何を言っている?』
『それがどれだけ愚かか、まだ分かっていないようだな』
「分かってる。でも、それでもやるって決めた」
フウカの内から、ふわりと氣が立ち昇った。
春を思わせる、薄桜色の氣が。
「私が貴方たちに意味を与える。貴方たちと共に、未来を斬り拓く。だから、――私に力を貸してほしい」
赤銅の靄がフウカの氣に触れた瞬間、光の粒子が散る。
『……気に入らねぇが、面白い』
赤銅色の渦が、ゆっくりと、淡く、薄桜色に染まっていく。
『よかろう。力を貸してやる』
まるで、心が変わっていくように。
怒りが溶けて、意味を得るように。
『だが忘れるな。我らは従順な従者ではない。隙を見せれば――』
「――喰らうつもりなんでしょう?」
フウカがわずかに口角を上げる。
そこにもう怯えは無かった。
あるのは、覚悟のみ。
「上等。そっちの方が、張り合いがあって良い」
ざわめきが静まる。
妖力の靄が、風に導かれるようにフウカの身体へと収束していく。
赤銅色だった妖力は、薄桜色に染まり、彼女の身に宿った。